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「――っ」

 首に掛けられた圧力が解かれて、ミーアの身体は宙に投げ出された。

 そのまま地面に落ちなかったのは、この世界の重力がもうまともに機能していないためだ。全てが荒れ狂っている。

 そんな中で自分を手放したレニの身体は弛緩しており、この場に留まる事も難しい有様だった。魔力も完全に沈黙してしまっている。

「貴女――!」

 背後から突然現れた女、蓮が自分の手で殺すと語った相手が、彼に何かをしたのは間違いない。

 彼の意向は尊重するべきものだが、今この状況でも守る必要があるものとは思えなかった。ただでさえ、逼迫しているのだ。これ以上の不確定要素は即刻排除するのが適切だろう。

 咄嗟にレニの身体を抱え、足場を魔力で固定しながら、ミーアはその軍貴としての血の訴えに応じるように、彼の仇に向かって雷撃を放ち――

「だから、余計な仕事を増やすなって言ってんだろうが! 相変わらず頭が弱いわね、あんたって」

 という嘲りと共にリッセが投擲したナイフによって防がれた。

 突然現れた事から想像出来た話だけど、どうやら彼女は現在この女の味方となっているらしい。

「貴女は、私の敵ですか?」

「こいつを敵だと思ってるのは、この場ではあんただけ。レニの話を鵜呑みにし過ぎだな。少しは疑えよ。それとも解ってて殺したいのか? だったら、あたしはあんたの敵になるでしょうね」

 酷く冷めた表情でリッセはそう答える。それは、憎たらしいほどに、こういう局面でよく目にする彼女だった。

「そう睨みつけて来るな。移動のついでにちゃんと説明してあげるわよ。それより今は、早くトルフィネに戻る必要がある。門を開けてるの、あの糞餓鬼でしょう? いつ蓋をされるかわかったもんじゃないしな。わかったら早く足を動かせ。それとも、なにか異論でもあるの?」

「……いいえ」

「あ、そ。それは良かった。じゃあ、そいつの事を頼むわよ」

 言われるまでもない、とミーアは気絶中のレニの身体を抱きかかえて、ディアネットの腕を掴んで駆けだしたリッセの後を追い掛けた。

 壊れかけの世界の出口に向かって進んでいく。

 が、遠い。複数の世界が混じった所為でやたらと離れてしまっている。しかも、追加でさらなる世界もこの世界に招かれており、その面積を増大させようとしていた。

 ただし、それと同等かそれ以上の速度で世界が無くなっているのも感じる。これは龍の仕業だろう。

 おかげで、結果的にはだが、これ以上距離を離される心配もなさそうだ。なら、早速本題に入るのが望ましい。

「それで、説明をしてくれるんでしょう?」

 飛び交う障害物を雷撃で消し炭にして進路を確保しながら、ミーアはリッセの隣に並ぶ。

「なにから聞きたい?」

「では……まず、どうして貴女が生きているのですか?」

「ご褒美だとさ」

 真っ直ぐに前を向いたまま、リッセはそう答えた。

「は?」

 意味が解らない。

「ここまでが報酬だったって話よ」

 面倒臭さそうに捕捉してくるが、まったくもって理解を促す内容ではなかった。

「あの、わかるように説明して欲しいのですが」

「それはあとで一番詳しい奴に聞けばいいわ」

 そう言って、リッセはこちらの胸元のあたりに視線を落とした。

「あんたは、納得出来たでしょう? レニ」


       §


 再び意識を取り戻した時、こびりついていた使命感のような殺意は、霧みたいにその密度を薄くしていた。

 ひとまず応急処置が完了したといった感じだろうか。コントロールを取り戻せはしたけれど、気を抜いたらすぐにでも衝動に呑みこまれそうな、そんな危うい状態だ。

 事実、リッセの傍らにいる彼女を視界に納めた瞬間に湧き上がって来たものは、到底日常生活で抱くような激情ではなかった。

 そんな中で、ミーアの疑問とリッセの答えが届けられる。そして俺が目を覚ました事をいち早く察知した彼女が、こちらに視線を向けて、

「あんたは、納得できたでしょう? レニ」

 と、訪ねてきた。

「……そう、だね」

 こちらが意識を落としている間に勝手に叫んだりしていたのか、喉が痛い。

 その所為か、声がずいぶんと枯れていた。けれど、聞き取れないほど酷い状態でもないので、特に問題はない。

 問題なのは、ミーアにどう説明するべきかという一点だけだ。

 俺自身、まだ正確に全ての情報を呑みこめたわけでもなかった。細部を詰める必要があるだろう。それに、思考に没頭すれば感情とある程度距離を取る事も出来る。

 まず、根本の疑問として、リッセを助けたのは誰なのか。それは間違いなくリフィルディールだ。いや、助けたというのは語弊があるかもしれない。おそらくだけど、リッセは俺と同じように別の器に移される事によって魂の死を逃れた。

 報酬というのは、俺とミーアがトルフィネを離れている間に起きた――リフィルディールの所為で起こされた、俺にはどうしようもない出来事の穴埋めという意味合いも含まれていたんだろう。

 彼女は、そういう神だ。こちらに理解なんて求めないし、もうこちらの事など歯牙に掛ける価値もないだろうけど、道理を遵守するが故に約束事はちゃんと守る。

 その性質を、今は素直に感謝するべきなんだと思う。……でも、どうしてリッセは母を助けたのか。それがまだ判らない以上は、この現実が喜ばしいものなのかわからない。

「おいおい、思考が偏ってるぞ? 忘れたのか? どうしてあんたはこの糞女を殺さないといけないと思った?」

 こちらの視線に込められた困惑と警戒を嗅ぎ取ってか、ミーアは軽く肩をすくめながらそんな事を言ってきた。

 どうして?

 記憶を辿って、思い出す。

 とても大事な事だというのに、抜け落ちていた。

 そうだ、リッセが殺されて、彼女にはもう殺されるしか未来がないと判断したから、せめて俺がやろうって、そう決めたのだ。

 その前提が、今崩れた。…………崩れた? 本当に?

 思考はどうしても彼女を殺したいのか、否定する材料を求めてくる。

 それに促されるように、俺は訪ねた。

「イル・レコンノルンはどうするの?」

 彼もまた彼女を殺したくて仕方がない人物であり、トルフィネの最高権力者だ。彼女がルーゼに戻るのならまだしも、おそらくそんな選択肢ももう残されてはいないだろう。彼女はルーゼで既にやりすぎているのだから。

「この一件で、ラウの莫迦はもう戦力として特別じゃなくなった。だから補強する必要がある。こいつも手足が片方ずつしか使えなくなったけど、魔法さえ残ってるなら価値はあるし、ちょうどいい」

「保護の見返りに手駒にするつもりなの? ラウが納得するとは思えないけど」

「納得? そんなのがどうして必要なんだ? 組織の頭はあたしだ。今も昔もね」

 鋭い眼差しをもって、リッセはそう言い切った。

 実際、彼女が推し進めれば、ラウもきっと納得するんだろう。

「……まあ、もちろん、面倒な事になるだろうけどな。報告したの、直近だったし」

 どうやら一方的に報告と指示だけをしていたらしい。トルフィネに帰った後の事を想像してか、リッセは少し億劫そうな表情を見せてから、

「それにしても、この世界は色々と動きやすくていいわね。抵抗が何もないから、全部が快適だ。ここでしか成立しない事象とかもありそうだし、こういう空間を提供するっていうのもいい商売になるかもしれないわね。出来ればそっちに頭を回したいから、質問に答えるのはそろそろ終わりたいんだけど、まだなんかある?」

 と、気だるげなトーンで訊いてきた。

 彼女を殺す理由はもうない。それは頭で理解出来た。

 でも、まだ、どうして彼女がこんな回りくどい真似をしてまで、それを行ったのかが判らなくて、

「……どうして、ここまでして私の邪魔をするの? リフィルディールになにを言われたの?」

「邪魔、か。まだ歪んでるな。それに寝惚けてもいる」

 微かに目を細めて、それから可笑しそうに微笑んで、

「たしかに、あの得体の知れない奴はあたしに色々と話してくれたよ。でも、その情報をどう使うかはあたしの勝手だし、今は好きにやってるだけ。……で、あたしは、やられた事を絶対にやり返す主義なの。相手が誰だろうがな」

 と、リッセは言った。

「くだらない商人を破滅させるつもりだったのに、あんたは邪魔をした。だから、今度はあんたが殺そうとするものを守ってやろうと思ってね。これは、ただそれだけの話よ」

 本心じゃないのは、内容でわかった。

 でも、同時に酷く彼女らしい理由でもあって、

「その件は、その件の時に片付いていたと思うんだけど?」

「そんな昔の事、もう忘れたわ」

「本当、リッセだね」

 思わず零れた苦笑と共に、視界が酷くクリアになった気がした。

「毒気は冷めたか?」

「うん、驚くくらい」

 魔法の後遺症はまだ残っているけれど、これの大半は精神的な部分が要因だったという事なんだろう。

 俺は、小さく息を吐いてから、自分を抱きかかえて移動してくれているミーアに視線を向け、

「ミーア、ごめんね。嘘ついて」

 それから、リッセに手を掴まれながら、苦しげに移動を続けていた母を見据えて、

「……改めて言うのもなんだけど……久しぶり、母さん」

「そう、ね」

 そこで会話が止まった。

 なにを話せばいいのか、判らなかった。話すべき事が見当たらなかった。

 でも、今はそれでもいいのかもしれない。話は、トルフィネに戻ってからでも出来るし、それに――


「――ここまでが限界かしら。一足先に戻らせてもらうわ。……本当、リフィルディールはこれをどうやって仕留めるつもりなのかしら? 私には想像もつかないな」


 不意にアカイアネさんの声が鼓膜を叩いた。

 直後、なにかが凄まじい勢いで俺とリッセの間を横切る。それがアカイアネさんの右腕だと気付いたのは、たまたまピントが合っていたからだろう。でなければ、視認すら儘ならなかった。

 そんなデタラメな現実に驚く暇もなく、頭上から咆哮が鳴り響き、世界を裂くようにしてアカイアネさんが引きつけていた龍種が姿を現す。


 そして、一人が死んだ。


次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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