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万華鏡という言葉を、目の前の相手がとても意味のあるものとして口にした瞬間、倉瀬華はそれが誰なのかを確信した。だから、あのまま殺されたとしても、きっと後悔はなかっただろう。それこそ蓮が思っていたままに、幸福な最期になっていた筈だった。
けれど、それを考えることが出来ている時点で、事態は違う方向に進んでいて、蓮の突きだした剣は確かに華の心臓を捉えたはずなのに、そこにはまったく痛みというものが存在していなかった。あげく、その剣に触れた手がすり抜けたのだ。
まるで幽霊。だとしたら、自分はすでに死んでいて、それにまだ気付いていない状態という事なのか……?
(……いや、違う)
胸に痛みはないけれど、此処に至るまでに負った疲労や傷は今もはっきりと残っているし、それに少しの間を置いてから、華の左側に叩きつけられた蓮の暴力は、容赦のない衝撃をこの身体に叩きつけてきていた。
脱力していた事もあり、衝撃波によって身体が吹き飛ばされる。
「――っ、どうしたの?」
蓮の様子がおかしい。見境のない暴力を揮う様子は、普段の冷静さとは程遠いものだった。
なにか不味い。その原因が自分である可能性も込みで、なんとかして止めなければならないという想いと共に声を届かせようとお腹に力を入れたところで、その箇所に、ドスッ、という鈍い音が響き、呼吸が止まった。
次いで、耳元から囁くような声が届けられる。
「間抜けが、今見つかったら殺されて終わりだぞ?」
それを認識した直後、視界を始末した筈の少女が埋め尽くした。
小柄な少女だ。外に撥ねた朱色の癖毛に、爛々とした金色の瞳を持った、これ以上ないくらいに特徴的な少女。
「少し距離を取った方がいいわね。――おい、手間は取らせるなよ? クソ女」
可憐な外見には似つかわしくない粗野な物言いと共に、少女は華の首を掴んで、蓮の攻撃に合わせるように跳躍する。
最初の腹蹴りといい、なかなかに乱暴な扱いだ。
しかし、そこに不満を並べたい気持ち以上に、何故この少女が生きているのかという疑問の方が強かった。
リッセ・ベルノーウ。
ヘキサフレアスという組織のリーダーであり、トルフィネの顔役の一人。華がその都市で真っ先に始末しておきたかった人間だ。
当然しっかりと調べたし、この女の魔法の事も、側近に類似する力を有する者がいるという事も突き止めていた。だから、死体は念入りに確かめた。
(絶対に殺したはず。なのにどうして……)
その大きな疑問を訪ねる機会を許すかのように、喉にかかっていた圧力が解かれ、華は地面へと投げ捨てられる。
が、結局、それが許される事はなかった。
突然、右足の感覚がなくなり、それに伴い生じた激痛に声を上げる間もなく、口元を押さえつけられて、更に右腕の感覚がなくなったためだ。
切り落とされたのだと気付いたのは、噴き出た血の音によってだった。
「そう言えば、あの莫迦の手足は、もう片方ずつしか使えないみたいだな。まあ、実行犯にはお返しができたみたいだから、あいつの中では終わった事なのかもしれないけど……でもさ、やっぱり、首謀者も同じ目に合うのが筋ってもんだとは思わない? って、もうやったあとだから、お前の同意なんていらないんだけどね」
馬乗りになって華の身体を拘束するリッセが、金色の瞳を蠱惑的に濡らしながら微笑む。
そこで、ただ切り落とすだけでは済まないのだという事を理解した。傷口が異様に熱い。これは、もしかして、設計図が焼き切られている?
「――っ!」
恐怖が膨れ上がってきて、身体をばたつかせるが、すぐにそれも出来なくなった。臓器を縫うように脇腹にナイフが突き刺さったからだ。
「おい、二度も同じ事を言わせるなよ? あたしを煩わせるな」
下手に動いたら、臓器に穴が開く。
それを直感した華は、歯を食いしばって動かないという選択を取った。死にたくなかったのだ。蓮になら殺されてもいいと思っていたのに、この女に殺されるのは、どうしようもなく嫌だった。
「……さて、これであと残っているのは、あたしの分の復讐だけだけど、それは今である必要もないしね。そろそろ建設的な話をしましょうか? 疑問に一つ答えてあげるわ。頭を絞って口にしろよ、クソ女」
脇腹に突き刺したナイフを柔らかな手付きで動かして臓器をつつきながら、リッセが言う。
相変わらずの笑顔だが、その目はまったく笑っていない。殺したくて仕方がないのを、必死に我慢しているような感じ。
「……どうして、私を助けたの?」
口の拘束が解かれたので、躊躇いがちに訪ねる。
リッセが無理矢理ここまで連れて来なければ、間違いなく華は蓮の無差別な攻撃の巻き添えを喰らって死んでいただろう。
(そういえば、とびきりに悪趣味な女という表記もあったわね)
敵対組織のボスの関係者を目の前で虐殺していき、最後に残したボスの娘の爪を全部剥したところで「生きる残って最後まで見届けるか、死んで終わらせるか選ばせてあげる」とナイフを手渡して、自害させたなんて逸話があるような奴だ。多分、自分と同等以上に他者を苦しめる事の価値を知っているのだろう。
なら、蓮に殺される事によって、この心が救われたかもしれない可能性が気に入らなかったから、というのが理由になったりするのかもしれない。
そんな事を考えていると、彼女はナイフをゆっくりと引き抜いて、
「魔法は使えるわよね?」
「……それを訊いて、どうするの?」
言った直後、視界に火花が散った。
リッセがナイフの柄の部分を、思い切り華の顔面に叩きこんできた結果である。
「おい、いつまで惚けてる? ――よく見ろ。あれはどう見ても正常じゃない。一刻も早く治さないとヤバい状態だ。そんなの、莫迦でもわかるよね?」
華の髪を引っ張って、強引に蓮の方に視線を向けさせながら、リッセは言う。
「お前じゃ、具現化の方はどうにもならない。けど、あいつのもう一つの魔法に関しては、認識さえ出来れば、お前の魔法は役に立つ。魔法以外どうでもいいっていうのも、あたしの精神衛生上有難い。……ほら、早く流した血を魔法の糧に変えて、あたしのダチの為に全部賭ける準備をするんだよ」
「……友達のため、か」
か細い声で華は呟き、小さくわらった。
彼女がどうして自分を殺さなかったのか、これ以上ないほどの理由がそこにはあったからだ。まあ、蓮なのである、どんな世界であったとしても有益な友人の一人や二人くらい作れていて当然だし――
(いや、違うわね)
そんな損得で、彼は友達なんて作らなかった。
それに、こういう世界で生きている女が、その手の思惑に気付かない筈もないのだ。彼は純粋に、この朱毛の少女と友人関係を結んだんだろう。
だとしたら、その提案を断る理由はどこにもない。
「……いいわ。使われてあげる。貴女が私を上手く使えるうちは」
「ふん、とりあえず、返事だけは上等だな。……じゃあ、行くわよ。状況が整うまでは気絶していてもいい。鮮明になるように起こしてやるから」
愉しげに言って、リッセはこちらの左手首を掴み跳躍した。
相変わらず物のような扱いだが、髪を掴まれたまま移動されるよりはずっとマシだ。
「必要ないわ。気絶なんてするわけないもの」
だって、あの子が苦しんでいるのだから、そんな暇はない――と胸の内で呟きながら、華は改めて自分自身の意志で暴力に溺れる我が子を見て、
「必ず、助けてみせるわ」
決意をもった声を放ち、そうして奇妙な共闘関係は成立したのだった。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




