第二章/駆け引きの行方 01
息を切らしながら、ミーアは下知区に向かって駆けていた。
騎士団本部にまで届いた怖気が走るほど攻撃的な気配に、酷く嫌な覚えがあった為だ。
ゼルマインドの二人はその前に届けられた魔力の方を警戒していたようだが、正直そちらはどうでもよかった。
それがたとえどれだけ特殊な魔力の色をしていようと、アレに比べれば全て塵芥に過ぎない。
(……やっぱり、間違いない)
下知区の中に足を踏み入れたところで、確信する。
これはたった一人で帝都を半壊させた時の、レニ・ソルクラウの魔力だ。トルフィネに来てからは一度だって感じた事のない、全てを殺すという憎悪に塗れた気配。
(一体、何があったというの……?)
その疑問に答えてくれそうな人物には、すぐに出会えた。
血塗れのラウ・ベルノーウ。傍らには治癒師のマーカスがいて、賢明な処置を行っている。
命に別状はなさそうだが、相当な重傷だ。この時点で、そんな事が可能な人間は片手で足りる数しかいないわけだが、ミーアの知るレニにそれが可能とは思えなかった。
ただ、やったのは間違いなくレニだ。傷口にこびりついている魔力が物語っている。
不穏な矛盾。それが意味するものは、一体なんなのか……
「あんたも、よく判ってないって感じね。まあ、判ってたなら背中から裂いてたところだけど」
突然、背中から声が響いた。
とはいえ驚きはない。
ミーアはゆっくりと振り返り、
「貴女の方も、ずいぶんな手傷を負ったようですね」
と、そこにいたリッセに微かに目を細めた。
こちらも、レニの魔力が色濃くこびりついている。
「おかげさまでね」
皮肉めいた笑みを浮かべてから、リッセはラウの元へとすたすた歩いていき、彼の意識が戻ると同時にそのこめかみを容赦なく蹴飛ばした。
「勝手な真似しやがって、次ふざけた真似したら殺すわよ?」
「……出来もしない事で凄むな」蹴られた箇所を抑えながら、ラウはよろよろと上体を起こす。「大体、俺以外に誰がアレを足止め出来た? それとも、あれだけ魔力が乱れていた状況でも、イル・レコンノルンなら安全圏まで届く長距離転移が出来るとでも思ってたのか?」
「煩い。負けた奴が減らず口叩くな」
「殺すことを最優先にさせなかった奴が、よく言う」
「む、それは――」
「開幕で使えばやれた。まあ、絶対とは言わないが」
なにを使うつもりだったのかは知らないが、一応相手がレニだったからだろう、二人は本気で殺す選択を最初から取るという事はしなかったようだ。
もっとも、ラウの言葉のままに、切り札の類を使ったところで致命に届いたとは思えないが。
「……それで、こいつはあとどれくらいで完治するわけ?」
このまま言い合いを続けても分が悪いと踏んだのか、舌打ちを一つしてから、リッセはマーカスに視線を向けた。
「早くても二十分程度はかかるだろうな」
「十分で治して」
「年寄りに無茶を言うな」
「お願い。あまり時間は掛けたくないの」
苦笑を浮かべたマーカスに、真っ直ぐな眼差しでリッセは言う。
そこに含まれていた切実さに、マーカスは息を呑み、
「……わかった。出来る限りの事はしよう。明日が怖いがな」
と、ぼやきつつ、ラウに流していた回復魔法の質を引き上げていく。
それを確認したところで、リッセは二人に背を向けて歩きだし、
「ぼけっとするな。内緒話の時間よ」
ちらりとこちらを一瞥してから、歩調を速めた。
内緒話という事は、十中八九レニについての話だろう。なら、付き合わないという回答はない。
リッセのあとを追いかけて、完全に人の気配のない場所に移動する。
「まずはあんたの疑問から埋めてあげる。なにが知りたい?」
上部がズレ落ちて倒壊した建物の壁に背を預けながら、リッセが口を開いた。
「そんなの、聞くまでもないでしょう。……一体、レニさまに何があったのですか?」
「無法に王に刺された。不意打ちでぐさりとね。で、暴走した――って、最初は思ってたんだけどな。ほら、意識を落としても最後まで戦えみたいな、軍貴の継承に含まれている防衛機能の所為とかで」
「でも違ったと?」
「そういうのって大概、意思疎通が出来ないもんでしょう? でも、あいつは喋ってたのよ。いつものレニとはまったく違う声の調子でね。あたしには、まるで別人に見えた」
その別人をお前は知っているんじゃないか? と、リッセの鋭い眼差しは問いかけているようだった。
「……つまり、貴女はこの世界で生まれたレニ・ソルクラウを知りたいという事ですか?」
直接確認したわけじゃないから、まだリッセの感じた別人がそうだとは限らないが、他に見当はつかないし、なにより魔力の痕跡が如実に示している。
(彼女は、なんと言っていたか……?)
ミーアにとって何よりも特別なレニを異世界の人間だと暴露してきたナアレは……そう、たしか、中身だけが違うと言っていたような気がする。
魂だけがレニではなく、それ以外の全てはレニ・ソルクラウと寸分の違いもない複製体だと。
(だとしたら、人格や記憶も内包している可能性がある)
そして、何かしらのトラブルによってそちらが主導権をもってしまったというのが、今の状況という事なのだろうか……?
「ねぇ、押し黙ってないで、判ってるならさっさと答えて欲しいんだけど?」
不機嫌そうなトーンでリッセが催促をしてくる。
ラウの治療を急がせた事といい、ずいぶんと時間に追われている感じだった。
「……もしかして、見失いそうなのですか?」
それで傷が癒える潜伏される事を、リッセは危惧しているのか。
「――おい」質問を質問で返された所為でだろう、彼女は怖い貌で凄んでくるが、こちらの疑問が別に話の妨げになる類のものではない事に気付き、それにすぐ気付けなかった事で自分が焦っていると自覚したのか、精神を落ち着けるように一つ深呼吸をしてから「……あぁ、その心配はないわよ。あいつの居場所は判ってる。動いてもいない。鎧に隠れてるから傷の具合までは判らないけどね」
と、静かな声で答え、
「……それで、使えそうな情報はありそう?」
「そうですね。正直なところ、私も帝国時代のレニ・ソルクラウの事をあまり詳しく知っているわけではありませんが、一つだけ提供できる情報はあります。彼女は愛国者でした」
資料で読んだ程度でも、それだけはすぐに確信できるほどだった。
良くも悪くも、その姿勢は偏執的で、だからこそあのような結末を彼女は辿ったのかもしれない。
「なるほどね。じゃあ、そんな奴が次に取る行動は判りやすいな」
「ええ、間違いなく自分の国に帰ろうとする筈です」
「そのあたりを交渉材料に、とりあえずは大人しくしてもらうとして、問題はあいつをどう元に戻すかね。そっちに心当たりは?」
「あれば、とっくに言っていますよ」
「だろうな。でもまあ、こっちの猶予はまだある。不可逆的という事もないだろう」
「……なにか、根拠があるんですか?」
もちろんそうであってほしいけれど、現実は残酷な事が多いから、ぬか喜びを恐れた心がそんな事を訪ねた。
「時折、動きに不自然な鈍りが見えていた。それに、ラウの奴が死んでない。まあ、あたしも正確な状況を把握できる状態だったわけでもないんだけど、それでも横槍なんて無視してやる事は出来ただろうさ。それくらい、アレは強かったしな」
その時の事を思い出してか、リッセはやや苦い表情を浮かべる。
彼女自身、まさか自分たちが負けるとは思っていなかったんだろう。実際、ラウとリッセのコンビはミーアの知る限りでも三本の指に入る程の脅威だし、それを驕りと取る事は出来なかった。
更に言えば、レニが圧倒的に実力で勝っていたというわけでもないのだ。要は相性の問題。
まあ、それこそがレニ・ソルクラウの最大の強みといってもいいのだが、彼女の具現化は大抵の魔法に対して有利がつく。故に、彼女は帝国において黒を象徴する騎士だったのである。銀の上にある、ただ一つの色だった。
「それで、あんたはこのあと、どうするつもりだ?」
壁から背中を離したリッセが問いかけてくる。
「今日の貴女はずいぶんと愚問が好きなようですね。私を連れて行かなかったら、殺しますよ?」
「はっ、威勢のいい台詞だな。……まあ、手土産くらいは必要だろうしね。いいわ、付き合わせてあげる。けど、こっちの交渉の邪魔はするなよ?」
「自分の得意不得意くらいは理解しています」
眼を閉じながら、ミーアは淡々と答えた。
とはいえ、リッセがこちらにとって不都合な事をした場合は、話も変わって来るだろうが。
「……ならいいけどね」
そのニュアンスを感じ取ったのか、少し怪訝そうな表情で軽く肩を竦めつつ、リッセは視線をラウたちがいる方向に向けて、
「まだ治療中か。じゃあ、終わるまで、あんたの昔話でも聞くとしましょうか? 他にも有益な情報があるかもしれないしな」
「……ええ、そうですね。勝算は高ければ高い方がいい」
リッセの言葉に小さく頷き、ミーアは僅かに弛緩していた緊張の糸を張り直すように表情を引き締めて、レニ・ソルクラウが眠っている森へと意識を傾けながら、かつて殺すかもしれなかった資料の中の英雄の情報を淡々と口にして、交渉に必要な戦力が回復するまでの時間を潰すことにした。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




