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真っ赤に染まった剣を引き抜き、俺は吐き気のする感触も一緒に消してくれる事を祈りながら具現化を解除した。
床に広がっていく血を前に、少し眩暈がする。
でも、そのおぞましさは、全てが終わった事の証だ。
……戻ろう。まだ片付けなければならない問題が残っている。
とりあえず、アカイアネさんに合流して、ミーアが上手くやってくれている事を信じて、龍という人智を超えた問題をなんとかして――あぁ、でもその前に、間違いなく彼女は殺さなければならない。
殺すのだ。
絶対に。
一片の憂いも残さないよう、確実に。
「――っ、ぐぅ、、」
頭が割れそうなくらい激しい痛みによって、視界が歪みだした。
もう必要のないはずの殺意がどんどん膨れ上がってくる。昇華の魔法は永続的に機能するものじゃなく、むしろ瞬間的に猛威を揮うものだと認識していたけれど、精神のような曖昧なものに対しては違うとでもいう事なのか……それとも、まだ終わっていない?
「痛みもないように、肉片一つ残らないように」
自分の意志とは無関係に、言葉が漏れた。
漏れた後で、言葉に相応しい気持ちが頭の中に広がっていく。
それは、衝動というのにはあまりにも硬質なものであり、レニ・ソルクラウの身体は再び右手に長大剣を具現化して、彼女の死体目掛けて振り下ろした。
魔力を込めた加減のない一撃だ。抵抗力を持たないこの世界は、その衝撃だけで大地に巨大な亀裂を生み出すほどの被害を受ける。
その副産物である風圧でも、巨大な台風に巻き込まれたかのように家が吹き飛んだ。周りの家々も同じよう弾け飛んで、空に瓦礫が舞い踊る。
効果範囲を絞らなかったら、こんな風に簡単に災害に等しい被害を齎すことが出来るのが、この世界においての魔力を持った人間だ。それを、最悪の形で認識しながら、でも、この身体は止まらない。
まるで亡霊を振り払うかのように、渾身の一撃を何度も叩きつける。
叩きつけても叩きつけても、治まる気配はない。むしろ、それは更に膨張を続けて、歪んでいた視界を血のように赤く染めはじめた。
思考が溶けていくような感覚。
ただただ全てを破壊して、静かにしたくてたまらないという狂気。
……不味い。どうしようもなく不味い。どうしてこうなったのかがよく判った。
昇華の魔法を下手に使って身体の筋なり骨を痛めるのと同じように、下手に精神に用いた所為でなにか決定的なものが破綻したのだ。昇華の魔法はもう途切れているが、途切れているからこそ、自然に回復する見込みもない。
「ぐぅ、ああ、ぁああああ――!」
獣のような声が溢れて、そこで意識が途切れる。
それは一瞬の感覚だったが、我に返った先にあったのは、完膚なきまでに壊れた街並だった。
龍の影響に拠るものじゃないのは、痕跡を見ればわかる。
俺がやったのだ。……一体、何人がそれによって亡くなったのか、それを想像する頭もすぐに溶けて、また意識が飛んだ。
その寸前に過ぎったのは、微かな後悔。
安易に葛藤から逃げる為、リスクを軽視した結果がこれである。まったくもって、油断以外の何物でもない。
最悪なのは、これほどの罪を犯してしまったっていうのに、その程度の感情しか介入できなかった事だ。
でも、それよりもっと最悪だったのは、次に視界を埋めた光景――
「……レニ、さま」
片手でミーアの首を絞め持ち上げながら、俺は今にも苦しげな彼女のその骨をへし折ろうとしていて、「止めろ!」という自制の聲も、あっという間に自分のものとは思えない感情に押しつぶされて、なんの躊躇もなく握力を強めていく。
「みんな、殺して静かにすれば、そうすればきっと――」
自由になれるから、と俺は独り言のように呟いた。
さっきからずっと破滅思想の権化のような内容ばかりだ。今までの人生で一度だって抱いた事もない――……いや、違う。あった。過去の記憶の中に、全てを決断する前の心の中に、それはあった。
誰も助けてくれない事にまだ理不尽を覚えていた頃の話だ。そのくせに、多分今よりずっと我慢をしていた頃の、抑圧されていた気持ち。
もしかしたら、それを閉じ込めていた枷のようなものが壊れたという事なのかもしれない。
……どうでもいい情報だ。今更、具体的な原因が解ったところで、手遅れ。
かろうじて抗っていた自我も瓦解し、ミーアの命を奪おうと最後の一線を越える力が右手に込められる。
そして、ベキッ、と盛大に骨が折れる音が響き渡った。
そこで、また意識が途切れて――
「――まったく、少し見ない間に、ずいぶんと野蛮な性格に変わったみたいね、お前」
馴染み深い気がする誰かの声が、間際に届けられた。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




