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 緊張の面持ちで倉瀬家のインターホンを鳴らした華を迎えてくれたのは、遺影で見た姿と寸分違わぬ少年だった。いきなり大当たりだ。

 おかげで、余計な手間をかけることなく、二人きりの対面を果たすことが出来たわけだが……いつ以来だろうか。こんなにも緊張が走ったのは。

 目の前に、蓮がいる。

 高校生にまで育った我が子だ。

 ずいぶんと大人びているけれど、別離する前の面影も僅かにだけど残っていて、なにより血色良くしっかりと生きてくれていて、それだけでもう胸が詰まるような思いでもあった。

「あ、あの……?」

 あまりに凝視していた所為か、その蓮が戸惑いを示す。

 向こうにしても、ずっと昔に死んだはずの人間が死んだ時と殆ど変らない姿で現れたのだ。すぐに困惑を消すことは出来ないだろうし、普段のように円滑なコミュニケーションを取る事も難しくなるのは、仕方がない事だと言えた。

 ただ、それでもやはり寂しいという気持ちは滲んでしまう。

 昔の蓮ならきっと、こんな状況であっても、そういった相手に付けこまれるような隙は見せなかったと思うからだ。

(でも、きっとこれが年月の仕業というものなのよね)

 哀しい話だが、子供から大人になるという事は得てしてそういうものでもある。

 華が居なくなって、本当の意味で普通の人がするような生活が続いた事により、彼も普通の少年に落ちついたんだろう。それは、きっととても良い事の筈で――

(……いや、ただそう見せているだけの可能性もあるか)

 この世界にだって姿を変える術はあるのだ。華そっくりの人間を前にして、馬鹿正直に死んだ人間が生き返ったと思う方がどうかしている。そういう奇蹟が普通に起きうるのはディアネットの世界であって、此処でもそれが適応されるわけではない。

(逸ってはいけないわ。この時の為に二十年以上をかけたのよ。冷静に、落ちついて、関係を取り戻していくの)

 自分にそう言い聞かせながら、静かに深呼吸を一つ取る。

 それから、改めて彼の事を観察して、今彼が何を考えているのかについて思考を巡らせる事にした。

(仮に蓮が私の知っているままだとしたら、これはポーズ)、

 目の前の極めて怪しい相手に対し、まずは不安を見せる事によって意図を探り、敵だと判断したら一気に反撃に転じて虚をつくスタンスである可能性が高い。華も同じ立場ならそうしただろうし、正直それが一番しっくりくる。

(……まあ、どちらの線だったとしても、まずは私が本物である事を証明する必要があるわよね)

 一番手っ取り早い方法は、ある男を一緒に始末した過去を告げる事だ。死体の処理の方法だったり、アリバイの作り方だったり、華と蓮しか知らない情報は多々ある。

 けれど、出来ればそれを口にするのは避けたいという気持ちもあった。その過去は蓮にとっても触れられたくないもので、事実、二人きりで生活を始めた後も、お互い極力触れないようにしていた話題でもあったからだ。

 それを、こういう場面であったとしても安易に使うというのは、客観的な情報だけを元に理解を得ようとしている第三者のようにも見えるリスクがあるし、なにより蓮の負担になるのが好かない。

 他の全てにおいて無関心で冷徹であれても、我が子に関してだけはいつだって神経質になってしまうのが、華の悪い癖でもあった。

(それ以外で、私と蓮だけがはっきりと覚えている事…………なにが適切かしら?)

 色々と思いつくが、最適だと思えるものはすぐに出てこない。

 多分、緊張の所為だ。

(……ダメね。まだ逸っている。……まずは、そう、自分自身を落ち着かせるところから始めた方がいい。うん、きっとそう。それで大丈夫)

 大丈夫、大丈夫、といつものように自分に言い聞かせてから、華は蓮に向かって淡い微笑を浮かべた。

「久しぶりね、蓮」

「……」

 蓮は僅かに眉を顰めて、黙り込む。

 それだけで胃が痛くなってきた。……だけど、こんなところでめげるわけにはいかない。

「貴方にとっては突然の事だと思うし、色々と不可解な事だとも思うけれど、それを解消する術を私はもっている。ええと、だから、落ち着いて話せる場所で話したいな。……ダメ、かしら?」

 最後の言葉がやたらと上擦っていたが、もしかしたらそれが良かったのかもしれない。

「……どうぞ」

 と、硬い表情のまま言って、蓮は華を家にあげてくれた。

 そこで気になったのは、先程訪れた倉瀬家とは中の様子が微妙に違った事だ。細かな部分はさすがに覚えていないが、少なくとも靴入れの上に花瓶は置かれていなかったし、花の匂いもしなかった。

(似て非なる世界、か)

 先程まで華がいた世界は、実際のところ華が生きていた日本と地続きにあった日本だったのか、それともまったく別の世界線だったのか……。

 なんとなく、そんな事を意識の片隅に引っ掛けながらダイニングに到着する。

 隼人の姿はない。それどころか、この家には彼以外の誰もいないように感じられた。魔力を持っていない者を捉えるのはあまり得意じゃないが、それでもこれくらいの規模の家の気配を把握できないほどにディアネットという名の兵器は鈍くはないので、この認識に間違いないだろう。

 棚の上にあったデジタル時計の時刻を見て、それが不自然な事を認識する。隼人の場合はまだ仕事で帰ってきていないと考える事も出来るが、残りの二人がいないというのは何故なのか……? 

 楽観的に捉えるのなら、今日が休日であり旅行とかで留守にしているという線が挙げられるだろうか。そして蓮だけが適当な理由を用意して参加を辞退した。血の繋がりの一切ない彼等との関係が良くなかったのなら、十分あり得る話だ。

 或いは二人ともすでに死んでいて、今は隼人と二人暮らしをしているなんて可能性もないとは言い切れない。

(それが一番、面倒が少なくて良いんだけど)

 でも、さすがに望み過ぎだし、そもそもこちらにとって有益な流れであるとは、どうしても思えない。

 この世界の外の有様が、これ以上ないくらいにそれを物語っていた。

(時間は、もうあまり残されていなさそうね)

 此処に来る前に、多くの身代わりの世界を用意したと言うのに、既にこちらの世界にも影響が出てきている。生贄を量産する事に専念しなければ、すぐにでも同じ末路を辿る事になるだろう。

 そして、専念するとなれば、もうやり直しも出来ない。

(……やり直し、か)

 出来れば突き詰めたくない問題が脳裏に浮かび、思わず表情が曇った。

 華にとって一番の理想は自分が死んだ日に戻る事だ。その世界の倉瀬華という人間の中身だけが変わっているという状況が、なによりも望ましいものだった。

 ただ、初めからそこまで上手く事が運ぶだなんて思ってはいなかったので、多少のズレくらい許容する覚悟は出来ていたし、極論、蓮が蓮であってくれるのなら、あとは何だって構わなかった。

 だから、出来ればこの世界でやり直していきたい。次に足を運んだ世界が、此処よりも救いがある保証がない以上、最低限さえあれば、それで十分なのだから。

「ところで、隼人さんたちはどうしたの?」

 推測だけで終わらせることほど危険な事はないので、ちゃんと確認をしておく。

 すると蓮は僅かに視線をおろし、

「三人とも、もういないよ。みんな死んだ。ここに住んでるのは、俺だけ」

 と、素っ気ない口調で言いながら、ソファーに腰を下ろした。

「え?」

 期待していた以上の解答に、間の抜けた声が漏れてしまう。

 死んだ? 本当に?

 ここで蓮が嘘を吐く理由なんてないとは思うけれど……

「……具体的に何があったのか、聞いてもいい?」

「車で買い物に出かけた帰りに事故にあったんだ。対向車線からトラックが飛び出してきて、正面衝突して……俺はその車に乗ってなかったから、無事だった」

 淡々とした口調で、蓮は言う。

 それから彼は僅かに表情を歪めて、短い息を吐き、

「貴女は、本当に母さんなの?」

 不意にこちらに視線を戻して、そんな事を訊いてきた。

 向こうから、核心をついてきたというわけだ。それが少し嬉しかった。受動的に見えて、その実結構能動的だというのは、まさに蓮の特徴の一つでもあったからだ。

「なにを語れば、貴方は信じてくれる?」

 と、華は訪ね返した。

 そんな手順を踏むまでもなく、彼を納得させる情報はいくつも提供できたけれど、まずは蓮の気持ちを確認する。これもまた、自分が倉瀬華である明確な証明と言える行動だ。

「……そうだね、母さんだけが知っている秘密を明かしてくれるなら」

「私だけが、知っている……?」

 なんだか、妙な言い方だった。

 まるで自分は知っているけれど、今まで知らないフリをしてきたみたいなニュアンスだ。或いは軽いジャブとして、水商売をしていた頃の華の後ろ暗い過去を語らせようとしているのだろうか? 

(……まあ、無いとは言い切れないのかな)

 とりあえず、そういう事にするとして、でもじゃあなにを話すのがいいのか。

 邪魔な奴を始末させた話? それともこちらを嵌めようとした女の親類縁者全員を自殺させた話? 他にも色々とあるが、正直全部一緒だ。

 殺した奴の顔も名前ももう憶えていないし、そういう意味で詳細を語る事も出来ない。

(いや、そもそも具体的な事を訊きたいわけじゃないのかも)

 単純に再婚する前は水商売をしていたというだけでも、近所の人間は誰も知らないわけだし、最初の確認としてはそれくらいが妥当なのかもしれない。

 そう判断して再婚するまでの表面的な部分を語ると、蓮は小さく頷き、より深い質問を出してきた。

 回りくどいというか、ずいぶんと慎重な姿勢だ。うっかりミスをしたら、大変な事になると思っているみたいでもあった。

(……やっぱり変)

 それを気にする必要があるのは華であって蓮じゃない筈。なのに何故、彼がそんな事を気にする必要があるのか……どうにも嫌な感じだった。

 こういう時は、相手のペースに身を任せるのは危険だ。

「私ばかり話すのは少し不公平じゃない? 出来れば貴方の口からも聞きたいな、私の事を」

「……」

 蓮は戸惑ったような表情を浮かべて、押し黙った。

 切り返しが弱い。華の知っている蓮なら、たとえ平凡よりに傾いていたとしても涼しげな顔で「母さんの恥ずかしい失敗話なら、いくつか話せるけど」くらいの事は言ってきただろう。

 胸のざわつきが増していくのが判る。

 それに突き動かされるように、

「ねぇ、蓮、あの日の事は覚えている? 貴方があの男を殺してしまって、私がその死体を処分して、世界が変わった日の事を」

 と、事実とは異なる話を投げかけた。

 投げかけながら、全神経を集中させて目の前の少年の変化に見定める。

 下手をすれば彼の信用を完全に失う発言だが、でも、だからこそ此処で嘘を言うとは相手も思っていないだろうという読みがあった。

「……もちろん、覚えているよ。忘れる筈がない」

 重苦しいトーンで蓮が答える。

 その瞬間に込み上げてきた感情は、言葉で表す事が難しいくらいに混沌としていて、それらを処理出来なかった所為か、変な笑みが零れた。

「そう、それは変な話ね。私は知らないわ。そんな過去」

「――」

 目の前の少年の表情が強張った。

 まったくもって可笑しな反応だ。

(……やっぱり、そうよね。都合が良い話ほど、その実はいつだってどうしようもない)

 短く、吐息を一つ零すと共に、華は目の前にある顔を鷲掴みにして、それを片手で持ち上げた。

 驚愕に目を見開いた少年がじたばたと暴れるが、そこらの人間の力でディアネットの拘束を解くことなんて出来る筈もない。もちろん、多少の魔力があったところで、その事実が覆ることもないだろう。

「ねぇ、騙すのならちゃんとやってよ? 今の場面はなにを言っているのかって戸惑うところでしょう? 世界が違うのだもの、あの日の出来事が逆転している可能性だって、私はちゃんと考えていたんだよ?」

 もちろん、その決定的な違いを許容できたかどうかは不明だけど、それでも蓮であるのなら迷う余地はあった。

「なのに、なに? しまったみたいな顔をして。……大体、もしそうだった場合、どうしてこの世界の私は死んだの? 私は殺されたんだよ? 殺されるような事をしてきたから殺されたの。でも、あの男を殺していなかったら、私はきっとそうならなかった。私じゃなくて、あの子がそうなっていたかもしれないの」

 当然、同じような道を辿って、この街に辿りつくなんて未来もなかっただろう。

「本当、なにもかもが足りていない小細工。そんなので上手く行くとでも思ったの? それとも、担当していた奴が死んじゃったのかしら? それが一番あり得そうよね。そして情報の共有も上手くできなかった。まったく、なんて杜撰なの」

 ぐちゃっ、と大切な者の姿を騙った愚物の頭部が潰れた。

 血液と脳漿をぶちまけ、ダイニングを汚す。

 数秒ほど痙攣していたそれが完全に動かなくなったところで投げ捨てると、華は震えていた自身の身体を抱きしめた。

 どうして神共が、本物を提供すれば全てが上手く纏まっていたのに、こんな醜悪な誤魔化しに打って出たのか、その理由に瞬間的に思い当ってしまった所為だ。

(……違う! そんな事ない! あいつらが見つけられなかっただけよ! 時間が足りなかっただけ!)

 平行世界のルールとして、どう足掻いても華の求める倉瀬蓮に再会する事は叶わないという、到底受け入れることが出来ないという可能性を必死に否定しながら、大丈夫、大丈夫、大丈夫だからと自身の胸に何度も何度も投げかける。

「そうよ、まだ猶予はある。あるんだから」

「――いや、終わりだよ。ここで全部終わりだ」

 ぞっとするくらいに冷めた声が、背後から届いた。

 動揺の所為で完全に周囲の警戒を怠っていた華は、ビクッと身体を驚かせながら振り返り、凛然と佇む黒髪の女を目の当たりにする。

「レニ・ソルクラウ……!」

 さっさと諦めればいいものを、ここまで追ってきた。

 こんなに重要な局面に水を差すためだけに、姿を見せた敵。

 我を失いそうなほどの憎悪が吹き荒れる。

「どうでもいい他人が、私の、邪魔をするなっ!」

 その衝動に突き飛ばれるままに、華は分解の魔法を解き放った。


次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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