15
(さて、どうしたものかしらね……)
主を守らんと殺到してくる哀れな御使い共を容赦なくハンマーでかち割ったり細剣で射殺しながら、ナアレはアネースとの距離を詰めていく。
かの神の能力は、この世界だ。ここは彼女の庭であり、無尽蔵といってもいいほどの魔力の貯蔵庫であり、異世界との中継点でもある。
その特性を利用して、彼等は神の庇護を失った多くの下位世界に理不尽を行使してきた。世界を救うなどという大層な名目を並べて、ひたすらに蛮行を繰り返してきたのだ。もちろん、達成できたものなど何もない。目先の延命すらも、その実大した成果を上げてはいなかった。
だが、そんな連中であっても、神である事は確かなのだ。
オリジナルが死に、複製体もまた死に、その次もそのまた次も死んだ所為で、致命的なまでに精神という名の制御盤が歪んでしまった装置であっても、性能という一点だけは衰えない。ゆえに、それ以外になにもないような者を、ナアレはまだ片付けられないでいた。そこに少し焦りがある。負ける要素は皆無だが、色々と急ぐ必要があったからだ。
(刺激はしないでと、強く言ったのに。……まあ、ああするしかなかったのでしょうけど)
感知能力の一部を向こうの世界に固定させてきたので、ミーアの置かれている状況はよく判っていた。
正直、かなり不味い。まだ明確に敵視はされていないが、無視をするつもりもないらしく、かの龍は己が現身を使役していた。それは本体に比べれば些末な存在だが、それでも今ナアレが対峙している二柱と同等以上の力は持っているだろう。
しかも、その現身は影を生み出す。まったく同じ性能の影をだ。
その在り方は、アネースが気軽に生み出している御使いにも似ていた。まあ、脅威の程は天と地ほどに違うが。
(……本当、どうしたものか)
この情報をレニに伝えれば、行動を限定させる事も出来るだろう。どことなく普段とは違う様子から見て、それは一つの正解のようにも思えた。
しかし、彼女たちを先に帰したところで龍の問題は何一つ解決しない。あの龍には誰も勝てないからだ。むしろ、レニ・ソルクラウの出現によって挙動が変わる恐れもある。
「……余裕綽々なのも、ここまでよ! アナタ、絶対削除してやるんだから!」
心此処にあらずの相手に追いつめられる事実がよほど気に入らなかったのか、アネースが吠えた。
吠えながら、同じく追い詰められていたワーゼンに向かって跳びこんで、その身体に抱きつく。
そして彼に口づけをして、舌を絡ませた。
突然のラブシーンだ。ここが健全な修羅場であったのなら「あら」とでも声を漏らしていたかもしれない。だが、もちろんそれは無意味な情事ではなく、アネースにとっては切り札の要求だ。
それを物語るように、即座に発動されたワーゼンの魔法によって彼女の身体は分解されていき、彼に吸収されて一つになった。
(……そういえば、彼等は本当の意味で、二つで一つの神だったのよね)
ずいぶんと昔にラガージェンから聞いた話を思い出す。
当時もそこまで神という存在に興味があったわけではないので詳しい内容はあまり覚えていないが、強大過ぎるうえにコントロールが難しく、精神にも支障が出始めていたアネースは、自らを二つ分けてリスクを分散し、その片割れに新しい制御盤(人格)を埋め込む事によって存在を維持しようとしたらしい。人間には到底思いつかない発想だ。だが、狙いは一応成功して、彼女は安定を取り戻した。
とはいえ、全ての問題が解決したわけではなく、それは神の権威を低下させる行為だと他の神共に認定され、最終的に黒陽リフィルディールが動くことになった。
彼女はこの世界の頂点の一つだ。当然、原因は簡単に取り除かれて、その未熟な神は晴れて完璧な存在へと至る筈だった。
それが覆されたのは、アネース自身が元に戻る事を拒んだからだ。自身が生み出したワーゼンという人格を消すことを嫌ったのである。
神にとっては短い時間のはずだが、彼と色々なものを共有しているうちに情が湧いたという事なんだろう。実に人間的なエゴである。
神などと言っても、その行動概念は我々と大差ない。そういう意味では、リフィルディールに牙を剥く前から、裏切りの前兆はあったともいえるのだろう。そんな半端な存在が、同列である人間を下等な存在だと見ている構図には、滑稽さしかない。
むろん、滑稽なのは何度も殺された所為で壊れたからでもあるのだが……その滑稽さが、一つになる事で少しでも改善してくれるのであれば、共通の問題を解決するための交渉に出てもいい気がする。
「……あぁ、この状態ならきっと大丈夫。閉じ込めきってみせるわ。あの龍だって。――あぁ、その通りだ。我々は使命を全うする。なにがあっても」
そんなナアレの淡い期待を打ち砕くように、男と女の声が綺麗に重なったような音が響いた。
恍惚な表情。そして気味が悪いくらいに澄みきった双眸。その片方に、アネースの姿があるのが確認できる。彼女もまた同じような表情をしている。
どうやら、協力できる余地はなさそうだ。
一つになった神はかつて抱えていた問題を再現するかのように膨大な魔力を波として周囲に放ち続け、その影響をうけた自身の世界の基盤を固めていく。
半径百メートル程度の範囲に留まっていた御使いたちの包囲網もあっという間に十キロ以上の規模に広がり、密度もまた同程度のものを維持される形で展開されていった。
さすがに、これを楽な相手と呼ぶのは難しいだろうか――なんて不安を少しだけ抱いた直後、全身に戦慄が走る。
敵から大きく距離を取って様子見を選んでいたレニ・ソルクラウの纏う魔力の質が、突然得体の知れないものに変貌したのだ。それに伴って彼女の鎧の形状が禍々しい魔獣のようなものへと変わっていく。
……これは、なにか不味い。
切り札の類ではなく、昏い淀みがそこには溢れていた。
こういった状態には覚えがある。昔、よくユミルが陥っていた。
魔法の失敗による反動だ。それも具現化では無い方が制御を失って、鎧を歪めてしまった。
(鎧だけなら、大した問題でもなかったのでしょうけど)
この気配の大本は、鎧ではなくレニ自身から溢れている。つまり、精神にまで影響されているという事だ。
しかし、何故失敗したのか……?
(……慣れ始めが一番怖いというし、そういう事なのでしょうね)
敵の干渉は感知出来なかった。ならば、敵が何かをしたというわけではなく、彼女の精神状態とこの状況が、その魔法の危険性を軽視させてしまったんだろう。
いずれにせよ、その影響がどう傾くのかがまったく分からない以上、自分自身の安全にも考慮をする必要がありそうだが――
「もういい。これ以上余計な時間を使わせるな。早く、死ねよ」
普段の倉瀬蓮のものとは思えない冷徹な口調と共に、誰にも認識できない速度領域の中を駆けたレニ・ソルクラウの右手が神に触れる。
それで、終わり。
吸収の魔法に昇華を施して暴走させたのか、一つになった神は自身の全てを吸収して、その核だけを残し完全に消滅した。
次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




