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 車は左右にふらふらと蛇行しつつ、速度を増していく。

 運転している男はこちらを正面に捉えたまま、口から血の泡を吹きながら「引き返せ」という言葉を繰り返す。

 もちろん、彼の意志ではないだろう。

 いつでも動けるように魔力をうっすらと滲ませながら、俺は男の周りを注視する。

 魔力の糸のようなものはない。物理的なものとは違うなにかをもって、今喋っている奴は彼と繋がっているようだ。或いは、単純にこちらの能力では感知できないほど巧妙な魔力行使を行っているのか……なんにしても、この状態を維持させておくわけにはいかない。

 もう手遅れかもしれないけれど、男の顔を掴んで無理矢理前を向かせて首への負荷を止め、彼が持つ自己治癒能力に昇華の魔法を施す。

「奇妙な魔力だな。それがあのおぞましき黒陽が求めた力か。一体どのようなものか判らないが、愚かな事に使われたものだ」

 彼の口から零れる声の種類が変わった。

 声変わりする前の少年のような声。どうやら、背後にいるのは一人じゃないらしい。

「貴様は、今の状況すら解っていないのだろうな」

 それを物語るように、今度は中年の女性を思わせる声が吐き出された。

 そこで、向こうにボロがでたのか、魔力の痕跡を捉えることに成功する。どうやら小さく開かれた空間の孔が彼の肺の中にあって、そこから伸ばした糸を通してこいつらはその身体に干渉しているようだ。体内にある接点を彼の身体を傷つけずに取り除くのは難しいので、すぐに解放するのは無理そうだった。

「よく聞くがいい」

「話を聞いて欲しいなら自力で前を向け、その身体にこれ以上傷をつけるな」

 嫌悪を抑えるのも莫迦らしかったので、感情のままに吐き捨てる。

「人間風情が、神に意見するなど――」

「その程度の事でいいのなら、別に構わないだろう。今は些事に構っている暇もない事だしな」

 冷たい印象を覚える男の声が、彼の口から洩れた。

 直後、こちら側に向こうと抗っていた力が途切れる。手を離してみても、スカウトの彼は前を向いたままだ。……もっとも、運転の方は危なっかしいままで、いつ対向車線に飛び出すかわからないような蛇行っぷりだったが。

「この世界は今非常に危険な状況に晒されている。そしてそれは、貴様が暮らしているトルフィネという都市にも当て嵌まる事だ」

 こいつが窓口を担当しているのか、再び中年女の声が淡々と説明を始める。

 まるで、自分たちは無関係だとでも思っているような物言いだった。

「元凶が、自分の尻も拭けずに神様気取りとはね。それとも今のは高度な自虐だった?」

 小馬鹿にするように皮肉を返してやる。

 すると運転席の彼の身体がびくびくと痙攣しだし、

「……下手に出てやれば、すぐにいい気になる。愚かな人間というものはいつもこうだ。だから判りやすい方法で従えるのが一番だと、私は思っているのですのがね」

 中年女の声がこれ見よがしな脅しを込めながら、誰かに向かってそう言った。おそらくは、冷たい声の男にだろう。

「解ったから、少し黙れ」

 その男の声が、車内に響く。

 苛立ちが滲んだ声だ。

「ですが――」

「御使い如きが出しゃばるなと言っているんだ。もういい、私が進行しよう」

 そこで、運転席の彼の痙攣がぴたりと止まった。

「……まったく、余計な事に力を割ける状態でもないのだがな」

 溜息が零れると共に、車の速度ががくんと落ちる。

 そして目的地から逸れるように右折し、また速度を上げだした。

「勝手な事はしないで欲しいんだけど」

「そちらがその気になればなんの意味もない遅延だ。これは向こう側に気付かれる危険を避ける行為に過ぎない。彼女は今、とても重要な作業をしているからな。余計な事に神経を使わせたくないのだよ」

「作業?」

「この世界を維持するためには多くの身代わりがいる。でなければ、あの龍が全てを壊してしまうからな。つまり、彼女は取り戻した大事なものを守るために、今必死にそれらを用意しているわけだ。それはまさに、母の愛のなせる業といえるだろう。貴様と彼女の間になにがあったのかは知らないが、慈悲の心を持つことは大事なことだと思わないか?」

 ……どうやら、此処は母にとって当たりの世界だったようだ。

 俺とは違う倉瀬蓮がまだ生きている世界。母からすれば自分が死んだ翌日くらいの世界が理想だったんだとは思うけど、此処で妥協する事にしたらしい。或いは、妥協せざるを得ない状況になったというのが正しいのかもしれないが……どちらにしても、それは神と嘯くこの屑共の思惑によるものなんだろう。

 おかげで、色々と確信を得ることが出来た。

「知らない女の事情なんてどうでもいいけど……一つ、聞かせてくれる? ちょっとだけ、気になった事があるんだ」

 内側から込み上げてくるどうしようもない憎悪を堪えながら、俺は言う。

「お前たちは、その女にいつから関与してる? その女が子供を失ってからか? それとも失う前からか?」

 実際のところ、こいつに答えなんて求めてはいない。

 偶然であるはずがないからだ。神という存在は人間と違っていくらでも物事に時間を掛けることが出来る。リフィルディールがいい例だろう。あの黒陽が目的の為に多大なる時間を費やしたように、こいつらもこの計画には最低でも人間の一生くらいの時間を費やした筈で、倉瀬蓮だった俺の死も、きっと母自身の死も、全てこいつらの画策によって引き起こされた可能性があった。

 その結果として、刻一刻と無数の平行世界が壊されている今があるのだ。

 つまり、俺を殺したのはリフィルディールじゃなかったという事でもある。彼女は敵である神共の思惑を利用して、ただ俺の魂をレニ・ソルクラウの元に運んだだけだった。

 もちろん、だからといって彼女に対するマイナスの感情が消えるなんてことはないけれど、それでも恨みの類を抱く必要性はなくなってくれた。赤の他人をわざわざ助ける義理なんて誰にもないからだ。その点は少しだけ晴れやかでもあって……それ以上に、報いを受けさせるべき相手がはっきりした事が、いっそ清々しくもあった。

 こういうのを、昏い悦びというんだろうか。

「奇妙な疑問だな。そんな事を知って一体どうなるという?」

 不穏な空気を感じてか、敵の声に少し緊張が宿った。

 今更だ。手遅れにも程がある。こういうところからも、人間というものに対する理解の乏しさと侮りが見て取れた。

 いずれにしても、横槍の恐れもあるし、母と接触するより先にこいつらを始末した方がいいのは間違いないだろう。

「質問を質問で返すなよ。礼儀知らずが」

 俺は身体を乗りだして彼の顔を右手で押さえつけ、強引に口を開けさせる。

 そして左手から魔力の糸を伸ばして、肺の中にある接点にまで伸ばし、それをその場に拘束して、

「もう一度だけ、お前たちにも判るように聞くよ? あの女が子供一人に異常な執着を抱くようになった環境も、もしかしたらお前たちの仕業だったりするの?」

「……貴様、まさか」

「俺が誰なのか、今解ったのか? 滑稽だな。全部リフィルディールの掌の上か。無力な人間と何も変わらないな」

 嘲笑をぶつけながら、彼の身体を強引に押し倒して、肺の中にあったものを引きずり出す事にした。一応空間の裂け目が当たらないよう気道に沿うようにはしたが、それでも完璧とはいかず体内を傷つけてしまう。……が、致命傷というほどではないし、ここは優先順位だ。

 彼には申し訳ないけど、こいつらは絶対に逃がせない。莫迦みたいに油断して尻尾を出したこの機会に、必ず始末する。

 底を踏み抜いて無理矢理車を止め、少し離れたところに位置していた後続車がブレーキに間に合ったのを確認してから、その運転手が救急車を呼んでくれる事を期待しつつ、俺はその衝動の元、視界の中に納めた空間の裂け目に両手の指を突っ込んで、

「今から、これまでのお返しをしに行くよ。だから、首を洗って怯えて待ってろ」

 強引に裂け目を人が潜れる大きさにまで広げ、その中に侵入した。


次回は四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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