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09

 木々を抜けて、少しぬかるんだ地面に着地する。

 ここは、湿地帯の手前辺りだろうか……?

 周囲には当然のように魔物の気配に溢れていたが、この身体から滲む魔力の禍々しさに比べれば可愛いものだ。彼等が襲い掛かってくる事はおそらくない。まあ、仮にあったとしてもレニの鎧に傷一つ付ける事は出来ないだろうが。

 ……しかし、それにしても、この状況でこの森に足を踏み入れる事になるというのは、なかなかに皮肉な感じがした。

 この場所で初めてレニ・ソルクラウという何者かの力を利用した俺が、今はその力がもつ脅威と向き合う羽目になっているのだ。あの頃よりずっとその価値を知っているからこそ、これほどまでに最悪な気持ちになっている。

(追ってはきていない、か)

 近場の大木に背中を預けて、レニはその場に座り込んだ。

 そして、兜だけを解いて、外気を直接吸い込む。

 葉と草と土の混じった深い緑の匂い。

 それをゆっくりと吐きながら、彼女は目蓋を閉じた。

 緊張状態から抜けたことによる脱力感。アドレナリンが切れた所為か、感じていなかった箇所の痛みも押し寄せてくる。

(小都市にしてはずいぶんと質がいい。目的を優先させるためには交渉も必要か……利き腕さえ無事なら、このような面倒もなかっただろうに)

 色濃い後悔の念。

 まるで、左腕を失って間もないみたいな――いや、実際間もないのか。

 これまでの彼女の言動を見る限り、俺が主導権を握っている間の記憶は共有されていない。それどころか、最初に表に出たオーウェさんとの戦いの事すら、夢かなにかとして処理されている可能性が高かった。

 つまり、今日にいたるまで彼女の記憶は帝国での敗北で止まっていたというわけだ。

 この情報がどの程度の意味をもつのかは不明だけど、少なくともこちらの繋がりなどがバレていないのはアドヴァンテージといえるだろうか。

 正直、主導権が返ってきてくれたら考える必要もない事なんだけど、残念ながらその兆しは見当たらない。むしろ、さっきよりも干渉しにくくなっている気がする。

 実際、右指に力を込めてみたが、数センチ程度しか動かなかった。

(また、勝手に動いた……間違いない、私の中になにかがいる)

 どうやら余計な真似をしてしまったようだ。

 まあ、遅かれ早かれ内側に問題がある事には気付かれていただろうけど――

(まさか、あの不愉快な夢が関係しているのか?)

 夢? もしかして彼女も、永い眠りの中で俺の過去を見ていたりするんだろうか? 

 そんな疑問を抱いた瞬間、酷く不快な声が脳裏に響いた。


 ――なに見てる! お前も俺を馬鹿にしてるのかっ!


 鼓膜だけじゃなくて、心臓まで押しつぶそうとする怒号。

 それに混じって聞こえてくる小さな悲鳴。

「……止めろ」

 思わず、声が出た。

 強い拒絶感が、この身体に干渉した結果だ。

 でも、それ以上の意味はなくて、目蓋をスクリーンにするように暗闇に映像が浮かび上がる。

 こちらを見下ろしている髭を生やした酒におぼれた男と、倒れている母。

 足元の布団には夥しい血が流れていて、命に係わる暴力を受けた事を物語っていた。

 あの頃の日常だ。日に日にエスカレートしていった暴力にはもう歯止めなんてなくて、母はいつ殺されてもおかしくなかった。なのに、俺を庇ってこちらに近づいてくる男の足にしがみついて……あぁ、よく覚えている。

 この瞬間、俺はこの男を殺すと決めたのだ。

 そして殺せなかった事を、人殺しをきっかけに怪物になってしまった母が誰かに殺された時に、嫌というほど後悔した。……もう済んだ話だ。レフレリの件で、これは完全に俺の中では消化された過去になっていた。

 でも、だからといって、その光景を見せられて気分が悪くならない筈もない。まして、それを他人が見ているとなれば尚更だ。

 まあ、それはお互い様なんだろうけど、とにかくこの不愉快な状況は消してしまいたい。

 その願いが少しは反映されてくれたのか、映像はその一つきりで途切れた。……なら、あとはこちらの問題だ。そちらに傾いてしまった思考を無理矢理変えるべく、今起きている問題に焦点を向ける。

 自由の利かない身体と、危険な思想と攻撃性をもったレニ・ソルクラウという存在。

 一番の気がかりは、このあと彼女が取る行動だ。

 まずは体調の回復に努めるのが妥当だとして、それによってこちらの干渉力が今よりも更に弱まった場合、果たして誰がレニ・ソルクラウの行動を止める事が出来るのか。

 止める必要のない行為なら、そんな心配をする必要もないわけだけど、残念ながら彼女の思考にあった交渉という言葉に平和的な匂いは感じられなかった。

 皆殺しにはしないというだけで、絶対に荒事になる。さっきは面識のあまりない騎士が犠牲になったが、次は俺がよく知る誰かの命が奪われてしまうかもしれないのだ。

 だから、出来れば今、この女の行動は潰しておきたいが――

(ここの魔物は脆弱そうだな。なら、強度はこれくらいでいいか)

 こちらの思考を遮るような呟きと共に、レニは周囲に魔力を展開した。

 先程自身を守った殻を幾分薄くしたようなシェルターを展開したのだ。鎧に込めていた魔力も薄めて、どうやら本格的な回復に努める事にしたようである。

 正しい判断だとは思うが、それは俺という存在がいない場合の話だ。

 眠りに落ちるという事は、それをきっかけに主導権が切り替わる可能性もある。もちろん、希望的な観測でしかないけれど……

(……聞こえているかどうかは知らないが、今から殺しに行く。震えて待っていろ)

 背筋が震えそうなほどに冷たい思考が、脳裏に響いた。

 間違いなく俺に向けた言葉。だとしたら、眠るという行為はそれを可能にするための準備という事になるが……なんにしても、こちらにそれを止める手段はない。

 まるで魔法にかかったかのように強烈に、この身体は眠りへと落ちていって――


       §


 切り替わった先にあったのは、いつか見た世界の終わりだった。

 禍々しくも艶やかに輝く漆黒の太陽と、それによって燃やされる周囲の星々。

 足元に視線を落とせば、灼熱に晒されて赤く割れた大地だけがある。果ては見えない。

 ……ここは、圧倒的な虚無だ。

 その息苦しさに、呻きにも似た声が漏れた時、背後で足音が響いた。

 気付くと同時に、視界が半回転して地面に転がされる。

 咄嗟に受け身をとったが肘に鈍い痛みが走った。だが、そんな痛みを気にしている余裕もなく、次にやってきたのは首に触れる冷たい手の感触。

「やはり此処に居たな。脳に巣食っている可能性も危惧していたが、対処できる場所で良かった」

 どこまでも冷たい声が、馬乗りになってこちらを見下ろしている黒髪の麗人の薄い唇から零れ落ちてきた。

 お風呂場の鏡で何度も見ている、見知った顔。

「忌々しい悪夢の元凶が、核を穢すくだらない呪いの一種が、後悔しながら苦しんで死ね」

 その言葉を実現させんと、首にかかっていた右手の爪が皮膚を突き破らんと侵攻してくる。

 憎悪に見開かれたレニ・ソルクラウの瞳には、ずいぶんと久しぶりに見る倉瀬蓮としての俺の姿が映っていた。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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