プロローグ/可能性の種
『神を殺すまで』の最終章となります。
続き物であり、ここからスタートすると意味不明だと思うので、そこはご注意ください。
その戦いは一方的としか言いようのないものだった。
ネムレシアにとっては、到底信じられない結末だ。
限りなく純然な神とその眷属たる管理者をたった一人の人間が圧倒し、為す術なく絶命させる。それも、片腕をもたない人間が。
(……悪い夢だわ、こんなの)
人間如きが神を打倒するというだけでも度し難いのに、そこに奇蹟すら介在していないだなんて、これ以上の冒涜があるだろうか。
「いやはや、素晴らしいものだな。まさかここまでの仕上がりになるとは思っていなかったぞ」
隣のラガージェンが弾んだ声をあげる。
彼が、これほど嬉しそうに笑うのを見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「この程度ではしゃぐな。及第点もいいところだ。精度が悪い。力の伝達も不快だ」
突き放すような冷たいくぐもった声が、夥しい量の鮮血に染まった灰赤色の大地に吸い込まれる。
漆黒の鎧で全身を覆った化物。複製された肉体ではない、本物の英雄たるレニ・ソルクラウ。
「だが、確実に利き腕を失う前よりも強く見える。まだ、加護を受けたわけでもないというのに。それは何故だ?」
「何故? 管理者というヒトデナシは当たり前も判らないのか?」
侮蔑に満ちたレニの声には、殺意すら孕んでいた。
初めて出会った時から変わらない、人間風情には到底許されない不遜。
だというのに、ラガージェンはそれをむしろ微笑ましげに受け止めて話を進める。
「あぁ、そうかもしれないな。我々は初めから完結している存在。成長の仕組みというものには興味がある」
「……贅肉を落とせば、嫌でも動きは良くなるものだ」
その飄々たる物言いに毒気が抜かれたのか、レニはため息交じりに答えた。
「なるほど、そもそも研がれてもいない刃でこれまで戦ってきた――いや、ただ殺してきたというわけか。まさに可能性の種。神の求める人間だな。お前さんは」
「それはどういう意味だ?」
「ん? なんだ、神についての講釈が欲しいのか? アルドヴァニア帝国にはまだ神がいたと思ったが、学校や教会では習わなかったのか。何とも遺憾な話だな。どこでその程度の常識すら喪失してしまったのか――」
「御託はいい。さっさと答えろ」
右手に握られた剣に力が込めらながら、レニが吐き捨てる。
本当に攻撃的で、無礼な女だ。怒りがこみ上げてきて仕方がない。
(私にもっと力が与えられていたら、こんな女永遠に黙らせてやるというのに……)
昏い欲求が全身を染めていく。
同時に、ラガージェンへの不満も募っていく。
リフィルディールが生み出した最高位の管理者である彼がその気になれば、そこらの神よりも多少強い程度のレニ・ソルクラウなど簡単に躾ける事が出来るだろうに、どうしてそれをしないのか。
(私にその力があれば、とっくにやっているのに……!)
「答えるもなにも、言葉通りなのだがな。まあいい。ネムレシア、任せるぞ?」
「――え?」
突然名前を呼ばれ、現実に戻された。
もちろん、話を完全に聞いていなかったわけではないので、聞き返すなどという無様を晒すことはなかったが、
「わ、私が? ど、どうして私が人間如きに――」
レニの視線の怖さに気圧され、反論を最後まで口にする事もできなかった。
これはこれで醜態だ。羞恥と怒りで顔が熱くなる。……とはいえ、仕切り直してもう一度反抗するという気概までは連れて来てくれない。
だから仕方なく、本当に仕方なく説明をしようとしたが、今度はその説明が出来ないという事実に気付いた。
それはネムレシアにとって言語を忘れるにも等しい衝撃で――
「――ふむ、そこも欠けているのか。どうやら削り過ぎたようだな。やはり他の神の所有物だったものの調整は難しいか」
ラガージェンの呟きが鼓膜を震わせる。
だが、なにを言っているのかを理解する事は出来ない。
「使えない駒だな」
レニの言葉も、上手く呑みこめない。
熱していた感情が、ただ醒めていくのだけが判る。
「可愛い出来損ないだ。私は気に入っている」
「では早く尻拭いでもしたらどうだ? 私をこれ以上待たせるな」
「――っ」
そこで、急に意識がはっきりした。
どうやら強い眩暈に晒されていたようだ。あの忌々しいナアレ・アカイアネとかいう女に会ってから、度々起きるようになった不具合。
「せっかちな事だな。じきに寿命とも別離するというのに。まあ、今はまだ短い時間しか生きられない人間なのだから、それも当然の反応なのか。――くく、そう睨むな。今から始める」
そう言って、ラガージェンはさらさらと砂のように崩れ、風に待って消え始めた神の死体に視線を向けて、静かな口調で説明を並べだした。
「神とは万能に等しき存在。だが、その万能の源は人間にある。彼等は強大無比な魔力こそ有してはいるが、自己の中に色がない。だからこそ、被造物の色を借りなければ魔法を行使する事が出来ない。逆に言えば、あらゆる色を使用する事ができる筆こそが彼等の魔法と言える」
「……情報が足りないな。ではどうして、わざわざ私の手を借りる必要がある? その話を聞く限り、存在しているのならその時点で使える魔法なのだろう?」
「それは色格の問題だ。人間というのは例外が好きな種族でな。この世界から外れたような異端の色すらも宿す事がある。そしてそれは、神の筆に乗せる事も出来ない。要は、神の魔法の強制力よりもなお、上位の色格をもった色でもあるという事なのだろう」
「この使い捨ての暴走が、か?」
自嘲気味なトーンでレニが嗤う。
そんな彼女を前に、ラガージェンは微かに目を細めて、
「酷い認識だな」
「他者からすればそうなんだろう。だが、こんなもの、上昇の値が優れているだけだ。先を考える必要のない局面でのみ機能する欠陥品でしかない」
苛立ちを露わにレニは吐き捨てる。
その価値を判っていないわけではないが、あまりの使いにくさに愚痴を並べたといった感じ。或いは、その魔法の本質が決定的に自分にあわない事を理解しているが故に嫌悪だろうか。
なんにしても、それが彼女一人では足りない全ての原因だというのは、ネムレシアも聞かされていた。
だからこそリフィルディールは複製を用意したのだ。黒陽たるあの方だけが有する影の魔法をもって。そして、その魔法と適性の高い魂をもった外部の世界の人間を召喚した。
(あの複製も、もうじき完成する)
あとは最後の一押しだけ。
それがいつなのかは、決定権を持たないネムレシアには不明だが――
「では、その欠陥品が宝石になる瞬間を楽しみにしているといい」
「待て、何をするつもりだ?」
自分以上に情報を与えられていないレニが硬質な声を放つ。
それをどこか優艶な微笑で受け止めて、ラガージェンは答えた。
「そう神経質になる事でもない。お前さんが帝国を救う日は、もう目前に迫っているというだけの話だ。具体的に言えば、そうだな、数日中という事になるのだろうな」
「――」
レニの纏う空気が、ギシリ、と音を立てるほどに重くなる。
その居心地の悪さに顔を顰めながら、ネムレシアは少しだけ哀れな実験体である異世界の少年の事を思った。
他人事のように。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。