命重ねて
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
つぶらやくん、ちょっと意識調査に協力をしてもらっていいかしら? 今、男子のみんなにちまちまと実施している最中なのよね。
質問は二択。予め言っておくけど、「どちらでもいい」とかの、日和見解答はなしにさせてもらうわ。いい?
ずばり、ロングヘア―とショートヘアーのどちらが良いか、よ。
――ふーん、ロングヘア―ね。理由も尋ねていい?
――ショートヘアーはその気になれば、すぐになることができる。だが地毛のロングヘア―はすぐに用意できない。そこに積み重ねが見られるから、と。
はい、貴重な意見をありがと。やはり、ロングヘア―の需要は結構あるみたいね。
女の子からしてみるとお手入れを始め、苦労が多いけど、魅力を感じてくれるなら伸ばす甲斐があるというもの。
それじゃ、協力のお礼をしましょうか。君の大好きな、お話という奴を。
平安時代も後半に差し掛かろういう、院政期のころ。
その貴公子は15歳になったばかりで、まだ雑用を任されている身だったらしいわ。彼は母を早くになくしていたけれど、乳母と一緒に、父も彼の育児に参加したという、いわゆる「イクメン」がいる家庭環境だったらしいわ。
父との距離が近かったために、彼は貴族の教養を身につけると同時に、母親との馴れ初めから始まる恋物語まで聞かされて育ったらしいの。
特に母と情を交わし合うまで、父はだいぶ苦労をしたようで、話しぶりに力が入っていた。
「家、教養、運不運……他にも、様々な壁が立ちふさがるやも知れぬ。情愛は手にするまでが女のもの。手にしてからは男のものよ。お前も『これは』という女の噂を耳に入れたら、文を送ってみよ。全てはそれからだ」
当時の恋愛は、男の女性に対する情報収集と、手紙をおくることによって始まったわ。その手紙から、相手の親が内容や家柄とかを色々判断して、了承されれば女性から手紙が返される。
彼は仕事の最中で耳にする美女の噂を聞いては、手紙を書いてみたけど、いずれもなしのつぶて。ダメでもともとと思っていても、六十ほど送って、一つも返ってこないとなると、さすがに落ち込んだみたいね。
どうしたら、自分が選ばれるのか。
仕事が終わった後の時間で、彼はゆっくり考え始めたの。
まず、大勢の噂にのぼる美女を、思い切って切り捨てることにしたの。競争率は高いし、自分より家柄の高い家出身の者も、こぞって狙う。いかに文章で上回ったとしても、相手の眼鏡にかなうという望みは薄い。
そして、良い噂の逆。陰口を叩かれて、嫌われている女を探して挑んでみようと思ったの。
すべては妻欲しさ。彼は嫌われている女性のうわさをひっそり集め始めたわ。
数ヶ月後。いくつも送った手紙の中から、ようやく一通だけ返事が来た。
その家はかつて占いや天文などの知識をまとめる組織、陰陽寮でそれなりの立場にあったが、ある科を犯してしまい、閑職に回されてしまったとのこと。
返って来た手紙は、形式通りではあるものの、それ以外は「話をしてほしい」という旨だけが、したためられた、短めのもの。
初めて返事をもらった、という幸福感が湧いてきたけど、手紙のどこにも歌が詠まれないというのは、いささか不審だとは感じたみたいね。
所感や近況を伝える歌は、自分の価値を見せる絶好機。貴族にとって、自分をよく見せるためのたしなみ。
もしや、この女性。教育が行き届いていないか、もしくはあまりに幼いかのどちらかかな、と彼は当たりをつけたらしいわね。
あせらず様子見と、彼は何度か手紙をやりとりして、やがて彼女の家に訪れる運びになったみたい。
手紙を仲介してくれたと思しき使用人に案内され、彼は暗い屋敷の中を歩き、すだれのついた、ビャクダンの匂いが立ち込める広間に着いたわ。
わずかなロウソクの明かりをともに、すだれ越しで見る彼女の影は、非常に小柄。けれどその髪は、すだれのすき間からはみ出るくらいに長い。美人の条件は満たしている。
会話は男から。父からそう聞いていた彼は、目通りがかなった感謝の言葉から入った。
けれど彼女はそれには答えず、いきなり「驚かないでくれるか? 笑わないか?」と尋ねてきたそうよ。
つまはじきにされた家ならば当然の質問か、と彼は思う。そして、驚かない、笑わないと約束したの。
すると、影はすっと立ち上がった。何をするのかと彼が見守っている前で、彼女はすだれに近づき、乱暴に跳ね上げて、直に彼と向き合ったわ。
聞いたこともない所業に、彼は「あっ」と声を出しそうになったけど、驚かないと約束した手前、どうにか耐える。
見たところ、彼女はまだ10歳に数歳足したくらい。
相変わらず、全身が辺りの闇に沈んでいて影しか見えないけど、おしろいをべったりと塗った幼い顔が、白くぼうっと浮かんでいたの。作法通りのお歯黒をつけ、間をあけて、ちょこんと書かれた眉。
彼が言葉を探していると、彼女は大胆にも、自ら彼の腕を取った。「外に出よう」と、言いながら。
彼女の屋敷があるのは、役所たる国衙から離れた、都のはずれ。少しでも歩けば草が生え、ごつごつとした石が転がり、足元がおぼつかない。ただでさえ、常識はずれな彼女に振り回されて動揺している彼は、何度も転びそうになったとか。
対する彼女は、幾重にも重ねた単と、優に身の丈を越える長さの髪の毛が引きずられ、土で汚れても、草の露に濡れようとお構いなし。単もかなりの重さだろうに、それを感じさせない力強さで、彼の腕を引っ張っていく。
やがて二人は、荒れた地面の上に立つ草庵の中へ。畳一つとっても、屋敷の中とは比べ物にならない傷み具合に、さすがの彼も足が止まりそうだったけど、彼女はお構いなし。
濡れて汚れて、振り乱した長髪もそのままに、あろうことか畳の上へ寝転がったの。大の字に伸びたはしたなさは、子供そのもの。やがて彼にも隣に寝転がるよう、促してくる。
付き合いきれないとばかりに、彼は帰ろうかと思ったけど、初めて手紙をくれた相手でもある。邪険にしたという噂が流れたら、今はよくとも、将来に響くかも。彼は彼女と並んで、畳に寝転がったわ。
先ほどのビャクダンとは打って変わった、土と、い草と、何者かのし尿が混じったような、野蛮な臭い。
じっと耐えていた彼は、ふと彼女が寝転がりながら、こちらを見つめているのに気づいたわ。少し驚いたような顔で、「ここまで逃げなかったのは、そなたが初めて」と漏らしながら。
彼女は自分から語った。ここは父が陰陽の研究に使うため、用意した庵だと。
父の研究。それは腐敗について。
なぜ、人もものも腐り行くのか。なぜ、諸行は無常たらねばいけないのか。なぜ、あらゆるものはこの世に留め置けないのか……。
自分が生まれてほどなく、自分の姉が死んでしまってから、父はそれに打ち込むようになり、陰陽寮の方針から外れるとして、のけものにされて立場を追われてしまったこと。
淡々と語る彼女。口数の多さも、およそ「こうすべき」という女性の在り方から外れるもの。お約束の礼儀を外され続け、彼の頭はぐるぐるしてきたわ。
けど、彼女の話に聞き入っている自分に気づいて、驚きもしたのだとか。
もし、自分の父も、知恵や力があったならば、亡くなった母を追って同じようなことをしていただろうか、とも思う。
「父はいつも言っている。伸び続ける髪は、その身で重ねた時間を表す。私も生まれてからずっと伸ばし続けてきた。お前の髪にこそ、姉が本来歩めた時間が詰まっていると……でも、わらわは姉ではない。自分の時間を歩みたい。そう思うんだ、切に」
「できるさ」と、すぐに彼は続けたそうよ。
「実際、今こうしている時間が、そなたの時間だ。わしと過ごす、そなただけの時間だ」
歌の一つも詠んで添えたかったけど、まだ頭がこんがらかって、上手くいかない。でも、この言葉は打算的な口説きじゃなく、本当に心の底から出た言葉だった。
しばらく彼女は黙っていたけれど、やがて彼女は「いいのか、わらわで?」と不安げに尋ねて来る。彼は迷うことなく、うなずいた。
「――かような物好きも、そなたが初めてだ」
彼女の声は涙ぐんでいたとか。
若い二人の逢瀬は続いたわ。形式上、屋敷に通されるけど、すぐに草庵に場所を移しながら。
通い続けて、およそ一年。二人は自らの意思で結婚の準備を整えたわ。ただ息子の将来を気にした彼の父からの進言で、彼女はあくまで側室扱いとなったけど、構わなかった。
作法通りの儀式を終えて夫婦になった二人。そして夫となった彼の出仕前日の夜。
こっそり屋敷を抜け出して、草庵に向かう二人。はじめて言葉を交わした時から、通い続けたこの場所も、最近は屋根の一部がはげたり、壁に穴が空いていたりして、寿命が近づいているのは確かだった。
妻となった彼女は、いつも寝転がっていた畳の上に正座すると、夫が手にした小刀を受け取り、その鞘を抜き放つ。
ずっと伸ばし続けてきた髪の毛の根元を、ぐっと握り込んでまとめると小刀をあてた。一瞬の静止のあと、彼女がぐっと力を入れると、髪はすっぽり彼女の頭から切り離される。
彼女は髪の一部をよじって紐にすると、残りの髪を縛って束にし、畳の上にそっと置いた。
「姉上。今までわらわと共にいてくださり、ありがたく存じまする。わらわは良き人を得ました。これよりわらわは夫のもの。自分の時間を歩みまする。姉上、ご一緒できずとも、見守っていてくだされ」
夫婦は頭を下げて、庵を後にする。でも数十歩進んだところで、背後から地面が揺れた。
見ると、庵は屋根の中央から、押し込まれるように崩れ去ってしまったの。
けれどその上空では、先っぽを翼のように広げた髪の束が、ゆっくりゆっくり、彼方へ向かって消えていくところだったらしいのよ。