20.お嬢様を護衛した2
俺は今、この屋敷の書庫に忍び込んで調査中だ。
さすがは元王家の書庫。ちょっと普通では手に入らないような資料がたくさんあるぞ。
俺が探しているのは例の旧約聖書、もしくは女神サリーテスの降臨前の歴史書だな。朝までたっぷり時間があるから、思う存分調べものができる。
女神スィフテリスの記録、魔王ルシフィスの資料、勇者アレスのその後、同じパーティーだった人間たちの記録。これはなかなかいい資料が見つかった。
真っ暗闇の中、暗視魔法の【ナイトビジョン】で読みふける。
またここに世話になることもあるだろう。書庫の窓は頑丈だが、ちょっと細工して外からも開けられるようにしておこう。
十冊ほど拝借して収縮の【コントラクション】で豆本にしてから重力操作【フライト】をかけ重さを無くし、ポケットに入れておく。
そろそろ朝チュンだな。
中庭に戻って、執事モード再開。
窓側にかけた【ウォール】を解除します。
日が昇ってくるころ、窓が開いて、ベランダに二人が現れます。
もう一度、優しくキスをして、また御子息がベランダをつたって隣の部屋に戻ります。
名残惜しそうに手を放し、隣の窓が閉じられました。
お嬢様。私に向かって手を上に上げておおきくマルを作るのはおやめください。
だいなしです。
朝になり、切ない別れの時間です。
「ロミオ様……」
「リリイ……」
二人、向かい合って、切なげに目で会話します。
まるで、恋愛映画のラストシーンのように。
お嬢様が前に進んで、御子息の両頬を手で包んで、こつん、とおでことおでこをくっつけます。
瞳から、ほろりと涙が。
くるっと振り向いて、たたたたっ……と私が待つ馬車までかけてきます。
そして振りかえり、スカートをつまんで優雅に、深々とお辞儀をし、そして馬車に乗り込みました。
この様子を、屋敷の執事、使用人、メイドたちが見ています。
みんな、無言です。
御子息の、初めての恋が、今、終わった……。
そんな切ない、胸キュンな場面を見せられて、誰がそれを邪魔できましょう。
ぱしっ。
私が馬を歩かせますと、御子息は、いつまでも、いつまでも私どもの馬車を見送っておいででした。
「ふう――っあ――っおわった――!」
お嬢様がうーんと伸びをされ、さらに背中を伸ばしてぐーっとお尻を突き出します。
忘れがちですがお嬢様は黒猫の獣人ですからね。時々、猫っぽいです。
「さすがですお嬢様。あのお手並み、このサトウ敬服いたしました」
「もうお嬢様はいいですわサトウ様」
「いやあ、あの演出、全てがまるで舞台のようでした」
リリイさんがにこりと笑います。
「それにしても、獣人だとバレませんでした?」
「閨を共にして、バレないわけがありませんわ」
「いったいどのように……」
「私は養父が亡くした娘にたまたま面影が似ていたので引き取られた獣人の奴隷。ニセモノの娘。父は私のことは優しくしてくれているけど、所詮は獣人。屋敷でもまま母やメイドにもいじめられ、誰にも愛されたことのないさびしい娘……」
「そのような言い訳、何通りぐらい」
「十以上」
「ははははは! それで、『いままで黙っていてごめんなさい、私のような女、あなたに愛される資格なんて……』とか言うのですか?」
「そしたら『そんなの関係ないっ! 僕は、あなたがっ』とか言ってきてその勢いでベッドにってところまでがまあ、お約束ですわね」
さすがですプロフェッショナルなお仕事です。
「なんだか御子息が気の毒になってきました」
そう言うと、リリイさんは首を振って笑います。
「名家の殿方というのは、生涯恋などと無縁なのです」
「ほう」
「付き合う友人、付き合う女性、みな親が決めた者ばかり。結婚相手までそうなのですよ。成人してからも、みんな身分を知った上での打算だらけの恋の真似事。本当の恋など知らずに生涯を終えるのです」
「それは悲しいですね」
「でも、私のような者とでも、一夜とはいえ、本当に恋をした。決して結ばれることは無いと最初からわかっている、でも本物の恋を殿方はするのですわ。それはこれからの人生でも、自分の青春が輝いた、自分が恋物語の主人公になれたひと時として思い出に残りますわ。初めての相手が獣人だとか、娼婦だったなんて、関係ないくらいに」
「そうですね……。そうかもしれませんね」
「あの坊やについては、これで獣人をどうこうしようなどということには賛成なさいませんわ。多分味方になってくれます。それにあれぐらいやっとけば、さすがに後で暗殺とか、もう来ないでしょう。坊やが許しませんわ」
さすがですお嬢様。でもこのサトウ決して気を抜いたりはしておりませんよ。
「それにしてもリリイ様はなぜ、筆おろしを御専門に?」
「ちょろいからに決まっておりますわ」
……だいなしですお嬢様。
街から離れ、周辺に森が増えてまいりました。
さて、襲撃があるとしたらこの辺ですかね……。
御子息を味方にできても、周りの人間はそうではありませんからね。
いきなりファイアボールですか。
ふんっ、関係ありませんね。馬車ごと【ウォール】で守られていますからね。
どごんっ、どがんっ。
炎が派手ですけど馬車は揺れもしませんよ。
でも馬が驚きますのでご退場いただきますかね。
術者がいる場所を追跡魔法の【ホーミング】で見当をつけて、【フライト】で重力を切ります。
人間から重力を切るとどうなると思います?
浮かぶんですよ。風船みたいに。
ぷかあー……と、空気の浮力で。
「う、うわああああ――――っ!」
手足をバタバタさせて黒いフードをかぶった杖を持った男が浮かんでゆきます。
風に乗ってどんどん上昇しながら流されていきます。
あとはどうなるかなんて知りません。成層圏近くまで行くか、偏西風に乗ってアメリカあたりまでいっちゃうんじゃないでしょうかね。アメリカがあればですが。
「止まれっ!」
ばらばらばらっ。今度は山賊ですか。
無視します。
馬は何事もないかのように歩き続けます。
「止まれって言ってるだろ!」
剣を抜いて斬りかかってきますけど、全部【ウォール】に阻まれます。
がんっがんっがんっ。
問答無用でいきなり斬りかかってくる山賊ってなんなんでしょうね。
自分が暗殺者だとバラしているようなものです。
うるさいですね。後ろで眠っているお嬢様が目を覚まされますよ。
一人残らず【フライト】で飛ばします。
「うわああ――――っ!」
「ぎゃあ――――」
「た、助けてくれ――――っ!」
十人の暗殺者と隠れているつもりの見届け、連絡係が風船のように上空まで登り、見えなくなっちゃいました。
暗殺者ってのはですね、このように消えてもらうのが一番です。
暗殺に成功した、失敗した、追跡中、そんな報告さえもなにも届かない。
ただ、消えてしまう。誰も帰ってこない。これは怖いですよ、依頼者にとっては。なにがあったのか、全くわからないんですから。
暗殺者の死体でも見つかればいいですよ? 少なくとも依頼人は安心できます。でもそれもないとなると、捕らわれた、白状させられている、全部バレている、そんな疑心暗鬼になります。
自分が手を出してはいけないものに、手を出している。そう思わせるだけでいいんです。
この世界の司法は腐っております。捕えて突き出しても、無罪にされるか、逆にこっちが有罪にされる場合だってあるんです。カールタスの一件でよくわかりました。
逆に腐ってなかったら、今度はなぜお嬢様が暗殺されなければならないのかが公になってしまいます。館にとっても、お客様にとっても、それは得策ではありません。
おとなしく殺されてやるのが全方面に一番トラブルが無いんですが、そんなのは御免こうむります。なので暗殺者の方に消えてもらうというのが、やはり最善なんですよね。
暗殺者の方も、暗殺を生業としていらっしゃる以上、自分が消されてもご不満は特に無いと思いますし。
「うーん……サトウ様、なにか……?」
「なんでもありません。どうぞお休みになっていてください」
さあっルーネが見えてきましたよ。
「リリイ!」
「サトウ! 無事だったかい!」
娼館チェルシー正面に馬車を乗り付け、扉を開き降りるリリイに手を添える。
「ただいま、戻りましたわ。オーナー、支配人」
「ただいま。パリス」
「リリイ……よく無事で……」
オーナーがリリイを抱きしめる。
「あたしは一晩中心配で眠れなかったよ……。サトウ、よくやってくれたね」
「私もリリイが心配で眠れなかった……」
「俺も護衛で徹夜なんだよな」
「私は坊やがなかなか寝かせてくれませんでしたわ……」
全員寝不足かよ。
あっはっはっは。
ロビーに笑い声が広がる。
用心のため、リリイさんにはこれからしばらくは娼館の四階で暮らしてもらう。
俺がちゃんと要所要所に【ウォール】をかけておくから安心だ。
みんなでそれぞれ昼間から部屋を借りて、たっぷり昼寝してから、夜になる。
「今日は疲れた……。ずーっと馬車に乗ってたし、クタクタ」
「お疲れさまでした。サトウ様、ほんとうにありがとうございました」
ゆっくり風呂に浸ってから、らぶちゃんに念入りにマッサージしてもらう。
ホントこれ気持ちいい……。
すぴー……、寝ちゃいそう。
「疲れてるのでしたら、今日はもうお休みになりますか?」
「うん……たまにはそういう日もあっていいかも……」
「ふふっ、せっかく娼館に来てるのに」
「らぶちゃんに抱いてもらうだけで、ふわふわでいい夢見れるよ」
「嬉しいです」
らぶちゃんはいつも優しい。とんでもなく甘々に甘えさせてくれる。
やわらかくて暖かな胸やお尻、ふとももにいつまでもスリスリしてるだけ、なんてこともさせてくれる。
ずーっと抱きしめてちゅっちゅしてくれるなんてのも許してくれる。
ほんと癒されるというか……。素敵です。
AVやエロマンガ見て、男なんてエロければ悦ぶんだと思っているんだったら大間違いです。男だって優しくされたいんです。風俗嬢でリピート客が付く嬢ってのは、例外なくすごく優しい娘ですよ。容姿やテクニックじゃないですね。彼氏をメロメロにしたいなら、ベッドで優しくしてあげて下さい。イチコロです。
「しかし、リリイさんの演技力は凄いな……。坊やマジで恋に落ちてたよ」
「ナンバーワンですから。あれはマネできませんね」
「じゃあ、らぶちゃんの愛は演技じゃなくてホンモノだと」
「あたりまえでーす!! 浮気されたら泣いちゃいますからねっ!」
「あはは、わかったわかった」
ふと考える。
「らぶちゃんって童貞のお客さんの面倒見たことある?」
「無いですね……。私ってホラ全身に体毛があって獣人そのまんまだから、初めてのお客様はちょっと。チェルシーでも人気になるのはリリイさんみたいに人肌で、見た目人間に近い子たちなんです。当たり前ですけど」
それでか。らぶちゃんの良さがわかるやつって、いないんだな。普通の客が許せるのは、ぜいぜいケモ耳ケモしっぽぐらいまでか。
「とにかく疲れたよ……。今日はもう任せていい? 俺のこと童貞だと思っていいから」
「はい。今日は、ぜーんぶ、してあげますからね。サトウ様は、がまんしてくださいね……」
「がまんできるかなあ……」
らぶちゃん、ベッドの上に座った俺の膝の上に乗ってきて、きゅっと抱きしめてくれる。
ふんわり、ふかふかの短毛に覆われたやわらかな胸に顔を抱かれて、おでこにいっぱいキスしてくれて。
温かい体に密着されて、優しく抱かれて、疲れてたはずなのに……。
本当に眠くなって寝ちゃうまで、ゆっくり、ゆっくり、してくれました。




