16.歴史を調べた
どうしてこうファンタジー世界では教会が悪者なのか……。いや、俺がいた現実社会でも歴史上教会が悪者でなかった時期なんてそんなにないな。
魔女狩りだの十字軍の遠征だの免罪符の発行だのロクなことしてないし。
だいたいヨーロッパにあるあんなバカでかい教会だの大聖堂だの建てる金はどこからきてるのか考えればわかるというものさ。
三日休んで元気いっぱいのらぶちゃんの濃厚な波状攻撃を迎撃し、遅い朝食を済ませてから、支配人パリスに聞く。
「地下通路だけどさ、確か一つは『図書庫』につながってるんだっけ?」
「よく覚えてたね。教会関係者専用入口だね」
「つまり聖職者は大っぴらに娼館に来れないから、図書庫を利用するふりをしてやってきて、地下通路を通ってここに来ると」
「そうさ」
「教会は街の中央にあるのに、わざわざそのためだけに宿屋街のこの近くに教会が図書庫を建てたと」
「熱心なことにその通りだねぇ」
マジクズいな聖職者……。
「図書庫は本来の図書庫としてちゃんと機能しているんだろうか?」
「建前でも市民の目があるからねぇ」
「それは市民も利用できる?」
「普通に利用できるよ」
「でも市民が見られる資料は、教会が市民に見せてもいいものだけだよね」
「当然」
「こちらから通路を通って、図書庫に行ける?」
「もちろん。朝になったらあいつらそこから帰るんだから」
「俺もいける?」
「お勧めしないねぇ」
ですよねー。
「今度はなにを企んでいるのかねぇ」
「教会の歴史をいろいろと調べたい。表も裏も」
「そんな本当に隠しときたいことは、あの図書庫では見つからないよ。娼館に通うための言い訳なんだからどうでもいいものしか置いてないに決まってるねぇ」
「ですよねー」
……そうするとやはり聖都か。
「ちなみにもしその通路を通れなくするとどうなるのでしょう?」
「館の売り上げが三割減、利用価値のなくなったうちは教会から営業許可を取り消されてお取り潰し」
「営業許可が出てるんだ」
「宿屋としてね。うちにいるのは娼婦じゃなくてあくまでメイドとして黙認」
なるほどねー。日本の風俗店と事情は一緒か。
教会関係者を出入り禁止にしても問題解決にはならないか……。
「今日は狩りじゃないんだね」
正装でも迷彩でもなく今日は平服だからな。
「ああ、調べものをいろいろと」
「そうそう、アンタ、リリイの毛を全部剃りあげたんだって?」
「……お答えできません」
『誰にも言わないで』とリリイさんに言われてますので言いません。
当館メイドのナンバーワン、『筆おろしのリリイ』が毛虱にかかったなんてそんな不名誉なことたとえ支配人であってもばらせるわけがありません。
「アンタにそんな趣味があったとはねぇ」
「……お答えできません」
「リリイの客が喜んでたからねぇ。アンタもソッチのほうがよかったかねぇ」
「……お答えできません」
「ロリコンで無毛好きで変態かい。ラブが聞いたら泣くねぇ」
「……断固お答えを拒否します」
パリスがくっくっくと笑う。
「冗談だよ。全部わかってるよ。ありがとねぇ」
「マジやめてねそういうの。俺ここに帰ってこられなくなるからね」
「夜には帰っておいでよ」
「はいはい」
さてまずはそのいかがわしい図書庫とやらに行ってみますか。
「いってらっしゃいませ――!」
うん、今日もメイド隊は元気だな。
図書庫は宿屋通りの裏にあり、娼館チェルシーから50mぐらいの場所にある。
50mもわざわざ通路を掘ったのかよ……。熱心なことで。
大きい宿はいくつかあるがそれは普通の宿だ。
図書庫に入ってみる。要するに図書館兼本屋さんだ。置いてある本は、借りることも買うこともできる。
驚くべきことに全て活版印刷による製本だ。この世界にはかなり早い時期にすでにグーテンベルクがいたことになる。教会の布教が捗ったわけだ。
置いてあるのは同じような内容の、同じような本ばかりだ。
国民に啓蒙するための、教会に都合のいいことだけしか書いてない。当然だな。
内容は、国と国が戦争しそうになるたびに女神サリーテスが降臨し、戦争をやめさせたと、王政は次々と廃止され、教会がそれに代わったと。
そんな世界がいかにすばらしいかと。サリーテス様と歴代の教皇と聖者たちと教会をたたえよと。
最も重要な教義は、要するに「戦争をするな」だ。
王政が悪いとも獣人差別が悪いとも書かれていない。大雑把すぎるだろ。
サリーテスもう少しなんとかならなかったか?
それ以前の歴史が無い。
つまりこの国の聖書は、女神サリーテス降臨後の新約聖書だ。
それ以前の、女神スィフテリスと勇者と魔王の物語である旧約聖書に相当する物が無い。どこかで手に入るのだろうか。
ステンドグラスに描かれた、女神サリーテス様の降臨図。
戦場にキラキラした光が降り注ぎ、天上から女神様が降りてくる。
なんという演出過剰、なんという美化。
サリーテス、お前、狙いすましてやってないか……?
よし、旧約聖書を探しに行こう。
この世界に来て初めて、具体的な行動目的ができた。
「ありがとうございましたー!」
「じゃ、またね」
かわいい獣人メイド隊に見送られてニコニコと杖を持った魔法使いが屋上から降りてゆく。
いくら獣人差別があっても、かわいいものはかわいい。
こんなメイド隊に見送られたら誰だってほっこりするに決まってるよな。
ここはチェルシーの良く晴れた青空の下の洗濯場。屋上にはでっかい水タンクがある。
娼館チェルシーは宿屋。大量に水を使う。それを週に一度、こうして魔法使いがタンクに水を入れに来てくれる。
戦争がなくなって魔法は攻撃魔法以外の生活魔法がものすごく発達した。なのでこの世界の魔法使いはこんなふうに人々の生活をいろいろ支える仕事をしている。
あんなに大量の水をドバドバと……。空気中の水分を集める俺の物理魔法より断然強力じゃねえか……。
ファンタジー世界の魔法恐るべし。
でっかい桶が並べられてメイドさんたちによる洗濯が始まる。
「おいっちにっ! おいっちにっ! おいっちにっ!」
スカートをまくり上げみんなで桶の上でバシャバシャ足踏みしてシーツを洗う。
壮観です。ノーパンが多いので眼福をさせていただいております。
ぱんつを履くってのは、それって清潔な下着が手に入るってのが前提の話です。この世界ではまだそんなの平民や獣人の婦女子には贅沢品ってことで、夜のお勤めでは演出上顧客サービスにぱんつも履きますが、普段はノーパンってのは別に珍しくないようですな。
何百年も止まった世界。発達のない世界。
元エンジニアとしてはポンプを作ってあげようかとか洗濯機を作ってあげようかとか脱水機を作ってあげようかとか一瞬思ってしまうが、その一方で、この世界はこのままのほうがいいんじゃないか。なんでも魔法でちょっとだけ便利な生活、それだけでいいんじゃないかという気がしてくる。
俺が生まれた世界みたいに鉱物を掘りつくし、エネルギーを掘りつくし、滅びることが確定しているような未来しか見えない世界より、この世界は手付かずのまま残したほうがいいんじゃないか、そんな気がする。ノーパンは関係なしに。
「サトウ様ー、魔法みれたー?」
「うん、この世界の魔法は凄いな。魔法使い様々だね」
ロビーのソファに寝転がって買ってきた聖書を読んでいると、モップを持ったリロちゃんが話しかけてきた。
小柄なたれ耳犬系のメイドさんだ。あどけなくて素直なのでそっちのお客様に人気がある。人間の少女相手だとアウトだが獣人の娼婦ならセーフなのだ。
あ、リロちゃん見た目はロリだけど本当の齢は知りませんよ言いませんよ。
「サトウ様も魔法使えるー?」
「ちょっとだけ」
「あははは、魔法使えたら冒険者なんてやってないよね!」
やろうと思えばこの世界を滅ぼすこともできそうですけどね……。
「本、おもしろい?」
「うんにゃ、全く面白くない」
こんな聖書どこ読んだって面白いことなんかなんにも書いてねえよ。
「おもしろくないのに読むの?」
「勉強だから」
「べんきょうきらーい」
「こらこら、勉強は大事ですよ」
「読んでほしいご本があるの。サトウ様おねがいしていい?」
「持っておいで」
「わーい!」
ちらっとカウンターで会計の仕事をしているパリスを見ると、笑って頷く。
リロちゃんお仕事サボりになっちゃうんですけど黙認ですね。
優しい支配人さんです。
持ってきた本がすごい。本じゃねえよ巻物だよ。
えらく古いな……。読めるやついるのか?
がらんがらんがらん……リロちゃんがでっかいハンドベルを鳴らしてみんなを呼ぶ。なんか大事になってきたんですけど。
パリス支配人の笑顔がちょっと怖いんですけど。
「どうしたのー?」
「サトウ様がご本読んでくれるって」
「へーっ」
「サトウ様教養もあるんだねー」
「あたまいいんだー」
「たのしみーっ!」
「この本どうしたのリロちゃん」
「おばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんのたからものなの。古すぎて誰も読めないの」
ハードル爆上げです。リロちゃんの本が楽しくなかったらどうすんだ俺。もしそうだったら勝手に話作るか。この世界でルイス・キャロルになるか俺。
「むかしむかしあるところに……」
うん、童話だ。俺は異世界言語翻訳能力があるからこういうやつもちゃんと読めるぞ。千年前のミミズが悶絶しているようにしか見えない源氏物語を読むようなものだと思ってもらえばいい。
むかしむかしあるところに、ひとりの狼男が住んでいました。
オオカミ男はいつもひとりでさびしくて、一人で野山をあるきまわって暮らしていました。
どうして自分にはともだちがいないんだろう。なんでなかまがいないんだろう。
かわいいうさぎも、ゆかいなたぬきも、自分を見ると逃げていきます。
自分がオオカミだから。自分が怖いから。
だれか自分をこわがらないともだちができないか。オオカミ男はいつもさびしい思いをしていました。
ある日、オオカミ男がふらりと立ち寄ったふるいお城で、一人の男と会いました。
男は「魔王」だと言います。
まおうは、魔法の力で、土や岩からゴーレムを作り出し、その者たちを召使いにして一人でお城で暮らしていました。
「まおう、おれと、ともだちになってくれ」
「いいよ」
そうして、二人はともだちになり、まいにちいろんなことをして遊びました。
まおうもともだちがほしかったのです。
ゲームをしたり、すごろくをしたり、たのしい物語や本をよみきかせたりして、ふたりはなかよく暮らしました。
「ゲームも本も、おもしろいな。これってだれが考えたのかな」
「これはにんげんのものだ。にんげんはこういうのをたくさん知っている」
「にんげんとも、ともだちになれたらいいな。そしたら、もっとたくさん、おもしろいことがあるとおもわないか?」
そうして二人はにんげんの街のちかくまでやってきました。
にんげんは急に現れた二人におそれおののいて、街の門を固く閉ざし、ふたりをいれてくれませんでした。
「にんげんとは、ともだちになれないのかな」
オオカミ男ががっかりすると、まおうはこういいました。
「にんげんは、ともだちになってくれないんだ」
さびしいオオカミ男にまおうがいいました。
「おれがゴーレムたちをひきつれて、街をおどかしてやろう。おまえはおれをやっつけるふりをしろ。そうしたら、にんげんはおまえとともだちになってくれるぞ」
まおうはゴーレムたちをひきつれて、にんげんの街をおそいました。
ゴーレムたちが、街の城壁をどんどん、こわしてゆきます。
にんげんたちが悲鳴を上げてにげまどうなか、オオカミ男があらわれて、ゴーレムにたちむかいます。
「にんげんをおそうのは、ゆるさないぞ」
オオカミ男が剣をひとふり、ふたふりするたびに、ゴーレムがやっつけられてくずれていきます。
「くそう、オオカミ男め、いまにみていろ」
そういってまおうは逃げていきました。
オオカミ男は、にんげんのお城にまねかれ、王様からたくさんのごほうびをもらい、たくさんお礼をいわれ、たくさんのひとからだいかんげいされました。
ゆうしゃだ、えいゆうだとほめられて、まいにちごちそうをたべさせてもらって、オオカミ男はすっかりいい気分になりました。
「ゆうしゃ、たのみがある。あの街をおそったわるいまおうを、たおしてきてくれないか」
オオカミ男はことわりたかったのですが、まおうのことがしんぱいでもあったので、まおうにあいにいきました。
王様がおともにしてくれたにんげんの魔法使いや僧侶や剣士をひきつれ、なかよく旅をし、旅のなかまたちと、ともだちになれたころ、魔王のお城につきました。
「おれがようすをみてくるから、おまえたちはここで待っていてくれ」
オオカミ男が一人でお城に入り、まおうのいた部屋にいってみると、そこには一通のオオカミ男あての手紙がありました。
『せっかくできたにんげんのともだちに、おまえがまおうのともだちだとわかったらこまってしまう。おれは百年のねむりにつくから、おれをたおしたことにして、おまえはにんげんとなかよくくらせ。』
オオカミ男は、ほんとうのともだちを、なくしてしまいました。
ほんとうのともだちを、うらぎってしまったのです。
オオカミ男は、まおうの手紙をにぎりしめ、泣きました。
いつまでも、いつまでも、なみだをぽろぽろ流して、泣きました。
「『泣いたおおかみ』おわり」
「……ぐすっ」
「……うわーん……」
「なんでー……」
「まおうさま、いい人すぎるー……」
「オオカミ男もかわいそうー……」
18人のメイドさんたちが全員号泣です。リリイさん、あんたまだいたんですか。
「まおうさまかっこいいー……」
「まおうさまに抱かれたい」
「うん、いっぱいさーびすしてあげたい」
「朝までしたいわ」
さすがは娼館のメイドたちです感想がダイレクトでいろいろとだいなしです。
支配人パリスがぱんぱんと手を叩く。
「はいはいはい、さあ、みんな仕事に戻んな。サトウ、ありがとねぇ」
「いや……。いい。これは大発見かもしれない」
そう、俺は旧約聖書を見つけたのだ。




