生きた写真
不謹慎やも知れません。どうか御容赦ください。
写真は忌まわしい。
なぜならば、人を増殖させるからである。
9.11を象徴する写真「フォーリングマン」。
長大な貿易センタービルを背景に、矮小な人間が独り、真っ逆さまに落ちている。しかし、寸前の死に抗う様子はない。ただ思わしげに左足を曲げ、何かしらを目に映じながら安らかに落下する姿である。
我々はこの一枚の写真を目にしたとき戦慄する。
彼の抗えず死を受け入れた、その裏に隠された何者にも御し難い恐怖の塊を知覚する。
我々はこの一枚を見る度に、背中に死が迫り来る音を耳にする。思わず呻き上げたくなる。
全細胞が狂乱する、"その淵"である。
我々は、相手が生きているのかも死んでいるのかも証明できずに、その"感情"を悟る。これは、人類が有機生命体として自然淘汰を授かってきた証である。我々は同朋に対し共感を紡ぎ出す。
我々は進歩した時代にいる。モノクロ写真は彩りを覚え、我々に極めて鮮烈なメッセージを知覚させる。今日のカラー写真は、完全に我々の視覚を複写している。写真は現実に成り果てた。
写真の中の人間は生きているのだろうか?
常識的に考えて、貴方はNoと答えるべきである。
しかし、写真は被写体に共感の種を蒔いているという点でYesと言える。
我々は写真の中のフォーリングマンに同情し、恐怖を共有している。これは彼が現実に存在し"感情"を持つこと他ならない。彼は小さな四角の中で喚き続け、生き続けている。更に、増殖している。
どうして貴方は彼を死なせてやらないだろう。
「忌まわしき惨禍を未来に伝承し、絶えて同じ過ちを犯さないためである」
我々は死という概念を持ち、生き続けることができないから、存在するやも知れない後世の人々に同情し、我々が経験した悪しき局面と、その解決・防止法を伝承する。
写真は生きて、絶えず我々に喚き立てる。
増殖したフォーリングマンは永遠に転落し、絶えず我々の耳を叩き続ける。
我々は存在しない子孫を重宝するために、実在する一人の男を死の恐怖に鎖じ込め続ける。これはある種の儀式で、数多の人間が存続するための正当な、認められた手段である。
我々は生き続け、彼を殺し続けている。
彼を焼き捨てない限り、この構図は永遠に変わらない。
読んでいただきありがとうございました。