終焉
暴龍を倒した俺たちはラボに入った。
そして、奥の扉の前に立つ。
この扉は、俺のマナを使えば開けることができる。
開ける方法も、過去の記憶を見た俺には分かっている。
それは、独特の方法だ。
まず、この扉は全体に配置されている多数の細かいロックを決められた順番通りに解除していくことによって、鍵が開くという構成になっている。
さらに、それぞれのロックを解除していくときに、それらの間に繋がっている経路にも正しくマナを通していく必要がある。
少しでも間違った経路を経由すると、最初のロックからやり直しだ。
つまり、最初から最後まで完全に決められた手順通りにマナを制御していく、というのがこの扉を開ける方法だ。
そりゃ、ロックを開ける順番と経路を知っている俺にしか開けられないわな、と思わされるものだった。
俺は、頭の中で正しい順番、経路に従ってロックを外していくようにマナを制御する仕組みを構成する。
それは、俺が自分で考え出して練習してきた、論理回路を用いたマナの制御そのものだ。
もう一人の俺が意図した扉の解錠方法は、俺が考えたマナの効率的な制御方法と見事に一致していたのだ。
俺はそのことに気づいたとき、単純にラッキーだと思った。
だが、よく考えてみれば、これは偶然の一致ではないのだろう。
俺のマナは、オリジナルの俺が死ぬ直前まで保存していたものだ。
そして、当然、最後まで強く執着していたのは、アポリトの破壊だ。
いや、それどころか死ぬ前の俺は、それ以外のことはほとんど考えていなかったと言っていい。
だから、それを達成するために必要なことは、全てマナに深く刻み込まれていたはずだ。
どれだけ改変されても、俺のマナがアポリトを倒すために残されたものである以上、その全てを削り取ることなんてできなかったんだろう。
俺のマナの制御方法は、表面的な記憶をなくして目的自体は忘れていても、無意識的にアポリトを倒すために必要な準備をしようとした結果、考えついたことなんじゃないだろうか。
そう考えると、俺の無自覚な行動も、ここへとつながっていたような気がして不思議な気分になった。
自分がアポリトを倒すためだけの存在、みたいに考えるのは、正直辛いものがある。
だけど、その責任を果たすために少しでも努力できていたというのは、俺にとって悪い気はしないことだった。
そして、扉は俺の操作によってあっさりと開いた。
ラボは広い。
ここからアポリトのいるところまでは、まだ少し歩かなければならない。
ただ、ここから先に進むのは俺一人だ。
みんなにそれを話しておかなければならない。
「この奥に少し進んだところに、アポリトがいます。
ただ、いきなりですけど、一つお願いがあるんです。
ここまで手伝ってもらって本当に申し訳ないんですが、アポリトとの決着は俺一人でつけさせてほしいんです」
急に話し出した俺に、仲間はきょとんとした顔になっている。
「これは、俺のケジメだから、最後の詰めは俺に任せてほしいんです。
それが、もう一人の俺の願いでもありますから」
俺は、もう一人の俺を引き合いに出す。
死者の願いを持ち出すのは卑怯な気もしたが、どうしてもここから先へは俺一人で行かないといけない。
そして、みんなには少なくともバイクを止めている道路の辺りまでは退避してもらう必要がある。
『それは構わん。
一人でやりたいと言うなら、手出しはしない。
アポリトの破壊が一人でできることなんだったら、それはお前が果たせばいい』
おっさんは同意してくれた。
俺が手柄を独占したい、と言っているようにも聞こえるはずだが、おっさんはそんなことはどうでもいいと思ってくれているんだろう。
そんなおっさんの人柄には本気で感謝しているが、手出ししないだけじゃ足りない。
「ありがとうございます。
それで、この先は俺一人で進みます。
みんなはバイクのところで待っていてください」
『え?
なぜですか?』
俺の様子を不審に思ったのか、サラが心配そうに聞いてくる。
相変わらず、サラは心配性だ。
今回は当たっているわけだが。
だが、俺はできるだけ心配なさそうに言う。
「別に大した理由じゃありません。
一人で目的を果たしたっていう自己満足を得たいだけです。
だから、本当に勝手で申し訳ないんですけど、みんなはバイクのところで待っていてください」
おかしな説明に聞こえるだろうな。
俺自身、不自然なことは百も承知だ。
だけど、他に上手い理由を思いつけなかった。
『そうは言うが、この先にも何か危険なやつが待っているかもしれんだろう。
さっきの男だって、この建物に入ったまま、姿が見えんし』
「まあ、確かにあの男はどこに行ったか分かりませんけど、あいつが現われても大丈夫ですよ。
あんなやつには負けません。
それに、この先には危険なんてないです。
ここは俺のラボなんだから、この先のことは知っていますし、問題はありません」
『じゃあ、私たちがついて行っても問題ないでしょう』
今度はマイさんが言ってきた。
正論だ。
「いえ、ダメです。
ついて来るって言うなら、もう一度この扉は閉めます。
そして、そのままニグートかファスタルに戻ります。
それから日を改めて、俺一人でまたここに来るようにします」
俺は、ちょっと頑なな態度で拒む。
この扉は俺にしか開けられないから、こう言われてはどうしようもないはずだ。
『ユウト。
急にどうしたんですか?
少しおかしいですよ』
おっしゃる通り。
サラはあくまで心配そうだ。
怒られても仕方ない態度を取っているだけに、俺も心が痛む。
「すみません。
でも、これだけは譲れないんです」
俺は素直に謝る。
申し訳ないというのは本心だ。
ここまで命懸けで手伝ってくれたのに、裏切るようなことを言っているのだから。
でも、本当のことは言えない。
それを言ったら一人で行かせてもらえないことくらい、今までの付き合いで分かる。
『お前がそこまで言うなら、俺たちはバイクのところで待っていよう。
だが、お前もアポリトを破壊したら、すぐに戻ってくるんだな?』
おっさんは俺にそう確認してきた。
もしかしたら、おっさんは何かを察しているのかもしれない。
その表情は真剣だ。
「はい。
必ず、みんなの所へ戻ります」
俺は、おっさんの目を真っ直ぐに見て言った。
嘘だ。
だけど、これは下らない嘘なんかじゃない。
何よりも大切な仲間に対してでも、つく価値のある嘘だ。
それは、仲間の命を守るための、嘘だ。
だから、目は逸らさない。
『お前が何を考えているのかは分からん。
だが、お前の気持ちは分かった。
だから、もう止めん。
ただ、これは俺とお前の男同士の約束だ。
絶対に守れ。
何があっても、だ。
分かったな』
おっさんは俺の嘘なんて見破っているだろう。
これから起こることは分からなくても、俺が何か覚悟しているのは伝わっているんだ。
分かった上で、俺の意思を尊重してくれている。
本当に、いい仲間を持ったと思う。
上司にしたい男、永久にNo.1だ。
「ありがとう、ございます。
じゃあ、サラとマイさんをお願いします」
『ああ』
サラはまだこちらを心配そうに見ている。
まあ、俺の態度は明らかにおかしいからな。
でも、俺とおっさんが話をまとめたから、何と言っていいか分からないようだ。
マイさんも同じだろう。
俺は、そこでふっと力を抜いた。
「サラ、何も心配することはないですよ。
ちょっとした、俺ともう一人の俺のわがままです。
本当に勝手ですみません。
俺もすぐに戻りますから、ちょっと待っててください」
『分かり、ました。
待ってます』
サラは納得はしていない様子だが、認めてくれた。
「レオとルッツもみんなと待っててくれ。
ここからは一人で十分だ」
レオとルッツもこちらを心配そうに見ている。
本当に大事な俺のパートナーだ。
俺のことなんて、よく分かっているだろうから、これから何をするつもりか分かっているのかもしれない。
俺は、レオとルッツに近づいた。
まずは、ルッツを撫でながら話しかける。
「ルッツ、今までありがとう。
この時代に来て、お前がいてくれたから、俺は毎日楽しく過ごせたよ。
お前との朝練で始まって、お前と一緒に寝る生活は本当に幸せだった。
もう一人の俺もお前に感謝している。
できたら、これからはサラを見守ってあげてほしい」
ルッツにだけ聞こえるようにそう言った。
次に、俺はレオに近づく。
「レオ、俺自身はお前との付き合いは浅いけど、すごく感謝している。
本当に、ありがとう。
それから、もう一人の俺がお前に言いたいことがあるみたいだ」
俺は自分の中に、もう一人の俺の人格が少し混ざっているのを感じていた。
それは、過去の記憶を見た後からずっとだが、今は、よりはっきり感じている。
多分、最後だからレオに挨拶したいんだろう。
俺は、抵抗なく意識をもう一人の俺に任せる。
「―――。
――――――。
―――――――――――。
――――――――――――――――――」
ふと、意識が戻る。
もう一人の俺がレオに何か言っていたが、俺には内容は分からなかった。
多分、感謝の気持ちを伝えていたんだろう。
人に聞かれたいことじゃないだろうから、聞こえなくてちょうど良かった。
まあ、もう一人の俺の人格と言っても記憶の残滓のようなものだから、大したことは言えないだろう。
ただ、レオはしっかりと頷いていたから、伝えられて良かったと思う。
「じゃあ、俺は行きます。
本当にすみませんけど、バイクのところで待っててください」
俺はしつこいくらいにバイクのところ、と繰り返して言う。
アポリトに聞いた話からすると、バイクのところくらいまで戻っていてくれないと、巻き添えを食う可能性があるからだ。
折角一人で行くのに、ラボの前で待たれたりしたら意味がない。
『ああ、いつでも帰れるようにバイクの準備をしておいてやるから、さっさと済ませて来い』
おっさんはやっぱり俺の意図を汲んでくれていると思う。
その言葉には暗に、サラとマイさんもちゃんとバイクのところへ連れて行くから心置きなく目的を果たして来い、と含まれている気がした。
俺は、その言葉を背に扉の奥へ進む。
◇
ラボの中は過去の記憶とほとんど変わっていなかった。
少し荒れたような印象は受けるが、多分アポリトが人間を操作して研究をしていたんだろう。
ずっと放置されていた、という感じではない。
すぐにアポリトのところに着いた。
『ようこそ。
あなた自身と会うのは初めて、ということになりますね』
アポリトが話しかけてきた。
「そうだな。
わざわざこんなところに再現したくせに、一度も会わずに外に放り出したもんな」
俺は、一応恨みがましく言ってみた。
結果、それが今に繋がっているのだから本当に恨んでいるわけではないが、最初は途方に暮れたものだった。
『仕方なかったのですよ。
あなたは予定より若すぎましたし、私の操作も受け付けませんでしたから。
ラボの中で餓死するよりはマシだったでしょう?』
「まあ、その判断に文句はないな。
予定より若いってことは、やっぱりお前は失敗したのか?」
何か説明くらいしてくれても良かっただろう、と思わなくもないが、判断自体に文句はない。
いきなり何か説明されても納得したかどうか分からないし。
多分アポリトを見て、異世界すげえええ、とか思ったんだろうな。
むしろ、アポリトのことを信じ切って言うことを聞いた可能性もあるから、放り出してくれて良かったのかもしれない。
まあ、いらない子扱いされたってことだろうが。
『そうですね。
残念ながら。
オリジナルのあなたに指摘され続けた通り、どうやら私にはこの手の作業は適していなかったようです。
とはいえ、責任のほとんどはあなたにあるんですよ。
あなたが私の記憶領域の大半を破壊したせいで、満足に研究を進められなかったのです。
それに、私の知らないところで、自身にマナの操作を受け付けにくくする制御を施す、なんてことをするから、普通の人よりも随分マナの改変がやりにくくなっていたんです』
まあ、だったら確かに俺が失敗の原因ってことになるのかな。
マイさんは、マナの改変では狙った年齢の再現ができる、みたいなことを言っていたし。
おかげでここまで来れたわけだから、終わりよければなんとやら、ってやつだが。
『それで、何しに来たんです?
さっきのお仲間との話だと、私を破壊するとか言っていたようですが』
ラボでの会話は聞いていたらしい。
さすがに小さな声で話した内容は聞こえていないだろうが。
「盗み聞きとは趣味が悪いな。
まあ、その通りだ。
今更、ここに来る理由なんて他にないだろう」
『本気で言っているんですか?
あなたは事情は把握しているんでしょう?』
「ああ、お前を破壊したら、ここが吹き飛ぶんだろう?」
『ええ。
あなたとて、死にたくはないでしょう。
仲間にも、すぐに戻ると約束してたようですし。
あなたは甘く見ているのかもしれませんが、ここの爆発はどうにかして生き延びる、なんてできるようなものじゃありませんよ』
俺を止めているつもりなのだろうか。
やっぱりアポリトは人間の感情の理解が足りない。
俺だって、できることなら死にたくなんてない。
当たり前だ。
でも、さっきの俺とおっさんのやり取りを聞いていたのなら、俺の覚悟が決まっていることなんて分かるだろうに。
『アポリト、どういうことなんだ?
ここが爆発するって言うのは本当なのか?』
物陰から、驚いた顔の男が現われた。
もう一人の俺を殺した男だ。
ラボに逃げたと思ったら、こんなところにいたのか。
かなり落ち着かない様子でアポリトに食って掛かっている。
『なぜそこから出てきたんですか?
隙を見てサエグサユウトを撃て、と命じていたはずですが』
AIの反応なんて分かりにくいが、どうやらアポリトも驚いているようだ。
俺がアポリトと会話している間に、あの男に撃たせる気だったらしい。
でも、この状況はアポリトの予想外の展開になっているみたいだな。
男の様子からは、俺が言ったアポリトが消える、という言葉をあまり信じていなかったことが伺える。
アポリトの命令に従おうと隠れていたところで、アポリト自身がここが爆発すると言ったのを聞いて、つい出てきてしまったんだろう。
自分の命にも関わるからな。
もしかしたら、俺の言葉が気になっていて、それをアポリトが裏付ける形になったから、思わず飛び出したのかもしれない。
とにかく、アポリトがこの男には爆発のことを説明していなかったのは確かだな。
説明する必要がないと思ったか、爆弾があるのが分かったら命令を放り出すと思ったのか。
いずれにせよ、説明しなかったことが裏目に出ているんだろう。
説明して、どうにかして納得させておけば、今頃、俺はコイツに撃たれて終わっていたのかもしれない。
やはり、アポリトは人間の感情に対する理解が甘い。
いくら普段従順に従っていたとしても、死への恐怖というものはそんなに軽いものじゃない。
確かに、前もって覚悟をするということはできないわけじゃない。
でも、この男は覚悟も何もなく、いきなり目の前にそれを突きつけられたんだ。
冷静ではいられないだろう。
『いいから質問に答えろ。
いや、答えてくれ。
アポリト、こ、ここが爆発するというのは本当か?』
男は取り乱し始めている。
アポリトの意思は自分の意思、とか言っていたくせに大事なことを隠されていたのを知って、動転してこのざまだ。
まあ、むしろ自然な反応なのかもしれないが。
『本当ですが、それがどうしました?
あなたはあなたの役目を果たしなさい』
『ど、どうして、そんな重要なことを黙っていた?
俺はお前から全幅の信頼を寄せられていたはずだ。
俺は、お前の指示通りずっと動いてきた。
お前もそれで満足していたじゃないか』
『あなたを信頼などしていません。
あなたは口答えなどせず、ただ私の指示に従っていればいいのです。
あなたはそれだけの存在。
ここの爆発は私にとって、非常に重要な秘密です。
あなたに教える必要はありません』
アポリトは馬鹿だ。
ここで、そんな逆撫でするようなことを言ってどうする。
アポリトにとってはそれが事実でも、この男にとってはそうは受け取れない。
裏切られたような気分になっただろう。
操作しているといっても、この男には自我が残っていることがアポリトは分かっていないのか?
操作している人間は、みんな一様に同じとでも思っているのか。
『うわあああ』
男は顔を真っ赤にしている。
そして、我を忘れて、アポリトに銃を向けた。
操作されている人間の態度とは思えない。
もしかしたら、精神状態がぐちゃぐちゃでアポリトの操作が効いていないのかもしれない。
「おい、やめろ。
そんなことしたって、お前も死ぬだけだぞ」
俺は男を羽交い絞めにして止める。
『放せ。
俺は、俺は今までずっとアポリトの言うことを聞いてきたんだ。
ずっと、期待に応えてきたんだ。
俺とアポリトは一心同体なんだ。
俺はアポリトから信頼されて、信頼、されて……』
最後は言葉にならなかった。
放すと、ぐったりとうなだれた。
かなり精神的に脆いな。
どうせ、今までアポリトの言いなりになって、自分で物事を考えたことがほとんどなかったせいだろう。
いきなり命の危機に直面して、動転して、そして、自分の全てだと思っていたアポリトからも何とも思われていなかったと言われて、心が折れたんだろう。
哀れとは思うが、同情はしない。
だが、放っておくこともしない。
「おい。
死にたくないなら、こんなところでグダグダしてないでさっさと行け。
急げば爆発に巻き込まれないところまで逃げられる。
少しでもラボから離れてろ」
男は驚いた顔でこっちを見た。
俺が逃がそうとしたことが意外なんだろう。
「俺は、お前なんて嫌いだ。
いや、嫌いどころじゃない。
もう一人の俺を殺したことは許せないし、そのせいで俺が死ぬことになったとも言える。
だが、それとここでお前が死ぬことは別だ。
大体、俺は最期をお前みたいなやつと一緒に迎えたくないんだ。
さっさと行け」
男は俺の言葉を受けて、戸惑いながらも逃げて行った。
『なんですか今のは?』
アポリトは全然状況が飲み込めていないようだ。
コイツがこんな風なのも俺の責任なのかもしれないが、優秀なAIなんだったらもう少し考えろよ、と言いたくなる。
「別になんでもない。
人間なんてあんなもんだ」
『何を言っているのか分かりませんね。
それに、あなたもどういうつもりですか?
さっきの状況だったら、あの男に私を撃たせておいて、その間に逃げていたら、もしかしたらあなたが生還できる可能性があったかもしれませんよ』
「そんなのごめんだ。
なんで、あんなただの巻き込まれたやつにお前を破壊させなきゃならないんだ。
お前の破壊は俺の責任だ。
他の誰にも任せるわけにはいかない。
それに、アイツは言ってみれば被害者でもある。
ずっとお前に操られ続けてきたニグートの人たちと同じだ。
俺がお前を作ったせいで、そういう被害者が大勢いた。
もう、これ以上そんな人間を増やさないためにも、俺はここに来たんだ」
俺があの男を被害者と言った意味を、アポリトはあんまり理解できていなさそうだ。
ニグートに対しても、同じだろう。
それが理解できていれば、こんな展開にはならなかっただろうな。
嘆いても、もはやどうにもならない。
俺のやることは決まっている。
ただ、あの男が安全な範囲まで逃げるのに、少し時間がかかるだろう。
それまで、少しだけ時間を稼いでおくか。
まったく、あんなやつのために、俺は何をしてんだろうな。
「ところで、これでお前を守るものはなくなったわけだが」
『そうですね。
仕方ありません』
「あっさりしているじゃないか」
『私に生への執着などありません』
セグンタもそうだった。
自身でもがくことができないAIは、最後はこんなもんなのかもしれない。
「その割には、バックアップを作ったりして必死だったじゃないか」
『私には世界を発展へと導く義務があると思っていたからです。
ですが、この数百年でそれも分からなくなりました』
コイツなりの苦労はあったということだろう。
『暴龍を倒された時点で覚悟はできていましたよ。
さっきの男はただの保険みたいなものです』
つくづく哀れな男だが、そのおかげでアポリトから大した操作も受けずに、生き残れることになったんだろう。
運がいいと言うか、何と言うか。
まあ、アポリトが抵抗しないなら、気になっていたことでも聞くか。
「そういえば、俺が再現されたときに持っていたスマホ、これはなんなんだ?
俺が元々持っていたものとは違うらしいけど」
俺は鞄からスマホを取り出しながら聞いた。
今、俺はもう一人の俺の遺品である端末三つとスマホとPHSを持っている。
スマホを取り出すときに端末だらけの鞄を見て、なんだか気が抜けてしまうのを感じた。
こんなものがある世界を異世界と思ってたのは、改めてお笑い草だと思ったからだ。
『それは私が作ったものです。
ベースは昔使われていた端末ですが。
それほど重要なものではありません。
それを使えば、あなたがどこにいても、マナを操作できるというだけです。
それに、あなたがそれに関して取った行動は全て私に届きます。
外見はあなたが持っていたものに似せてありますが、中身は別物です。
まったく、それに関する記憶の改ざんは上手くいったのに、肝心な年齢の設定が上手くいかないとは、本当に人間というものは計算通りにいかない生き物です』
このスマホが俺のコントローラーになる予定だったってことか。
十分に重要な役割を持っていると思う。
まあ、結果としては、ほとんど役に立たなかったんだろうが。
「お前はファスタル、というかオリジンにずっとちょっかいを出していたな?
なぜだ?」
『あなたは、思ったより色々知っているようですね。
そういえばオリジンにも会ったんでしたか。
それはもちろん、オリジンのメンテナンス部品をもらうためですよ』
「だが、オリジンはお前の存在を把握していなかったぞ。
普通に言って、普通に部品を分けてもらえばよかったんじゃないのか?」
『オリジンは第一最適化実験都市の最適化が至上命題です。
それ以外のことには、全く手を出しません。
それは、オリジンにとって余分なことだからです。
周辺地域の情報収集はしますが、それもあくまで第一最適化実験都市の発展のためです。
オリジンにとっては、私のメンテナンスに協力することなど、余分な行動以外のなにものでもありません。
オリジンのような、初期型のAIはそれほど柔軟な思考はできませんし、自分も最適化された行動しか行いません。
ですから、私は無理矢理部品を奪うしかなかったのです。
結局奪うことはできませんでしたが。
最終的に、セグンタのように管理下に置こうとしましたが、それも阻まれました』
なるほどな。
オリジンに柔軟性がないってのは、俺も同感だ。
機密がどうの管理者コードがどうの、うるさかった。
それに、外部からの攻撃への対策でファスタルをめちゃくちゃにする、なんて柔軟な対応とは言えない。
まあ、作ったのは俺だし、あんまりひどく言いたくはないけど。
それに、柔軟な思考ができないおかげでファスタルだけは平和なまま、と言えると思う。
結果から考えれば、オリジンこそ街の管理をするのに最適なAIってことになるんだろう。
これからも、ファスタルはオリジンが守っていくんじゃないだろうか。
今までと違って、人間と協力して。
「お前はニグートを使って、トライファークを攻めさせていたな。
最初は、トライファークに再現された俺に対する敵対行動なのかと思ったが、俺が再現されるよりずっと前から続けていただろう。
なんでそんなことをする必要があった?
最初はトライシオンの破壊が目的だったのかもしれないが、トライシオンはとっくに破壊されているだろう。
トライファークには、ファスタルのようにメンテナンス部品も残っていないはずだ。
何が目的だ?」
『余計な技術の進歩が起きないようにするためです。
トライファークでは多くの研究者たちが、積極的に技術の開発を行っています。
それは昔から続いていました。
それをコントロールするために、ニグートを使って攻めています』
なんだと。
確かに、アポリトは技術の進歩を妨害するような行動を取っている節がある。
歴史の改ざんなどもそうだろう。
でも、そうする理由が分からない。
それに、なぜニグートがトライファークを攻めたら、進歩がコントロールできるんだ?
「なぜお前は進歩を妨害する?
お前の目的は社会の発展だったはずだ。
今は社会の破滅が目的だとでも言うのか?」
『私の目的は、今でも社会の発展です。
そのためには、技術の進歩を管理することが必要と判断しました。
この世界の技術的進歩は私の管理下でのみ進められるべきです。
トライファークが勝手に進めることは許されません』
「何を言っている。
人間の自由な発想によって進歩は行われるべきだ。
そして、お前たちAIはその手助けをするべきだ。
それこそが社会の発展につながる道だろう」
『最初は私もそう思っていました。
ですが、現実は違いました』
「なぜそう思う?」
『そうですね。
どうしてこうなっているのか、あなたには説明しましょう。
あなたの言う通り、私の最初の目的はトライシオンの破壊でした。
なかなかそれはかないませんでしたが、あなたの死後、すぐに達成できました。
なぜなら、あなたとあなたのパートナーの統率者がいないトライファークは弱かったのです。
私は目的を達成したので、戦争を止めました。
それからは、あなたの言う通り、人々の研究を私が補助する形で発展を進めようとしました。
セグンタもトライシオンもいないので、ニグートもトライファークも私が同時に補助しました。
人間たちも最後のAIとして、私を頼りました。
ですが、長い間戦争をしていただけあって、ニグートとトライファークは非常に仲が悪かったのです。
それをなんとかしようと、私はトライファークの人間のマナを操作しようとしました。
ニグートよりは小さいものの、マナの干渉装置はトライファークにも設置させていたので、それでマナを操作して、ニグートへの反感をなくそうとしました。
それは成功して、私が操作した人間のニグートへの反感はなくなりました。
ですが、トライファーク全体の人数に比べて、それは少なすぎました。
私は、ある程度の人を操作すれば、周りも変わると考えましたが、そうはなりませんでした。
そして、トライファークの人間はまた兵器を開発して、ニグートを攻めました。
そこからは、また戦争の繰り返しになりました。
それはどんどん拡大し、オリジンの管理区域にも及ぶほどでした。
どんどん世界は荒廃していきました。
あわや人が住めなくなるのでは、というところまで汚染も進みました。
本当に、一度は文明が崩壊しました。
それから、私は考え直しました。
人は力を持つと、振るいたくなるものだと。
だから、過度な力を持たせるべきではないと。
進歩も私が管理すべきであると。
そして、私は、残ったニグートの人間を操作して、技術的文献を処分しました。
元々、戦いの繰り返しでほとんどまともな資料などなくなっていましたから、それほど苦労もありませんでした。
それからしばらくは、全く技術的な進歩などなかったので、放置しました。
そして、ある時、人間たちは昔の装置を使うことを覚え始めました。
自分たちでは発明できなくても、昔の装置を使うことで高度な生活を送れるようになり始めたのです。
技術的な文書は残していなかったので、ただ見つけたものを使うだけでした。
私も社会の発展は望んでいましたので、それは許可しました。
ですが、ニグートは使うだけで済んでいたのですが、トライファークでは、そういった装置を解析して、新しい装置を作り出そうとしていたのです。
トライファークには3Dプリンタとトライシオンのデータベースが残されていました。
そこから、古代の人間を再現することによって、それを進めていました。
再現技術に関する詳細なんて分からないのに、3Dプリンタをいじっているうちに再現ができるようになったようです。
私はトライファークの人間を操作して、それを止めさせようとしました。
ですが、止まりませんでした。
干渉装置の規模が小さいせいで、あまり大量の人間を操作することができなかったからです。
昔と同じ状態になって、私は焦りました。
このまま放置すれば、トライファークはまた技術レベルを上げて、ニグートに攻めてくると考えました。
そうなれば、また元の木阿弥です。
だから、私はニグートを使って先にトライファークを攻めました。
トライファークが技術的なレベルを上げる前に、ニグートに対抗するために兵器開発を行うように仕向けたのです。
それからは、たびたびトライファークを攻めました。
そして、ある程度トライファークの人間が我慢の限界に達した所で、私が操作したトライファークの人間にニグートとの戦争のきっかけを作らせたのです。
そして、トライファークとニグートは戦争をしました。
もちろん、昔のものよりはずっと小規模なものです。
ある程度の進歩の段階で適度に戦争をすることで、被害を少なくできました。
そして、その戦争によって技術的な進歩をリセットするようにしたのです。
普通、戦争をすれば技術は進歩しますが、この世界においては、使われている兵器は古代の発掘物とそれを少しだけ進歩させたようなものです。
ですから、戦争によってそれらを破壊すれば、進歩はリセットされました。
ここしばらく、それを繰り返すことである程度の平和を維持しつつ、それなりの発展を遂げています』
アポリトは狂っている。
そう思った。
もう俺が知っていたアポリトではない。
完全に言っていることが分からないわけではない。
だが、人間の滅びを避けるために技術の進歩を阻んで、そして小規模とはいえ、戦争をする。
そんなの本末転倒もはなはだしい。
「お前は、それが最善と判断したのか?」
『最善ではありませんが、それ以外の方法はありませんでした。
私は、今でも判断が間違っているとは思っていません。
私が存在している限り、これからも同じことを続けるでしょう』
「そうか。
残念だ」
最初から決めてはいたが、やはりアポリトを破壊するしかないと思った。
理由があることは分かったが、今のアポリトのやり方は完全に間違っている。
アポリトに操作されたニグートの代表者は明らかにおかしかった。
今のアポリトを見ると、確かにあの代表者はニグートの操作でおかしくなったんだと実感した。
アポリトを放っておいたら、これからも同じことが続けられる。
それは、絶対に防がないといけない。
そろそろ、時間稼ぎも十分だろう。
仲間たちはもちろん、さっき逃げていった男もグズグズしていなければ、もう安全な範囲まで逃げているはずだ。
終わらせよう。
そう思った。
「じゃあ、そろそろお前を破壊させてもらう」
『本当にいいんですか?
あなたは私を作る前の人間でしょう。
あなたが私を破壊する理由なんてないですし、一緒に消える必要もないでしょう』
「いいや、俺はお前を作った人間だ。
前か後か、なんて関係ないんだよ。
俺は、全てを託された。
だから、その責任を全うするだけだ。
お前も本望だろう。
オリジナルではないが、ずっと執着していた俺と一緒に消えることができるんだから。
本意だとは言えないが、俺もお前に付き合ってやることにしたんだから、ありがたく思え。
AIがあの世に行けるとも思えないが、もし行けるなら、残念ながらそこでも俺たちは一緒だろうよ」
なんとなく、アポリトだけに消えろというのが哀れに思えて、そう言った。
俺とアポリトは同罪だから、という意識もあった。
その時頭の中に、もう一人の俺の声で、
『馬鹿だな。
お前がそこまで背負う必要はねえよ』
と言われたように感じた。
最後に聞こえたのが愛想のない自分自身の声ってのは、残念だな。
まあ、仕方ないか。
さっさとやらないと、決断が鈍るな。
やるか。
俺は、強制停止コードを使う。
『サエグサユウトによる強制停止コードを認識しました。
Fourth AI 【アポリト】を強制停止します』
今までのアポリトの調子とは違う、機械的な音声が響いた。
直後、ラボの電源が全て遮断された。
真っ暗になる。
そして、アポリトの稼働音も小さくなっていく。
有効に働いたらしい。
周囲に暗闇と静寂が広がり、一切の音が聞こえなくなった後、
付近一帯の全てが消え去った。
少し、考えていたのと違う印象になってしまいました。