表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 堺 由兎
7/8

「一つ質問だ。」

入り口から五十メートルほど歩いたところで雅は夜空を見上げた。摩天楼が広がる首都はどこまでも汚く見える。

「何で親父を殺したんだ。」

雅の質問に吉松は震えたまま答えない。

「答えろ。」

雅の怒号に吉松は首をすくめて震える声を出した。

「あ、あいつは私が厚生官僚時代にNMに頼まれて認可しなかった妊娠中毒薬の件についてしつこく調べまわっていた。」

「癒着の事実がばれちゃまずいってか。」

「わ、私はまだ更迭されるわけには行かないのだよ。出生率もそうだが、薬害の問題だってあるんだ。」

吉松のふざけた使命感に雅は失笑した。

「私は大臣であり続ける。榊聖龍さかきせいりゅうのように何年でも大臣であり続ける。厚生労働官僚だった私の使命だ。」

「そのためには親父を殺してもいいって言う

のか。」

雅の再びの怒声に吉松は口をパクパクさせて言葉を失った。法務大臣榊聖龍は警察キャリアからののし上がりで外見では清廉潔白な行政を行っている。そのためか何かは分からないが、政権が交代しようが彼が法務大臣から離れることはなかった。もう十年近い。それを嫉妬している吉松に呆れと怒りが爆発する。このままこの小汚い老人を落せば雅の心は全て元に戻る。喪失感以外は。だが、こんなに目立った事をしたのだ。もう、もとには戻れない。母親の作った朝ごはんを食べて、学校に行って、竜樹たちと冗談を言い合って、母親の作った弁当を食べて、学校帰りに少し遊んで、家に帰って母親と談笑する。そんなたわいも無い日常が雅には恋しかった。もう、戻れない日常。滲んだ摩天楼の風景が雅の心

を揺らす。だが、雅は己の幸運を思った。父の復讐を果たせるんだ。掴んだ吉松の首根っこを前方に押しやる。ヤギの鳴き声のような悲鳴を上げる吉松の後頭部を雅は見つめた。怖くは無い。

「安心しろ、俺もすぐに逝ってやる。恨み言ならそこで聞いてやる。」

さらに前方へと力を込めた。

「雅やめろ。」

雅は俄かに手の力が微妙に緩むのを感じた。金網の向こうで怒った竜樹が肩で息をしながら雅を睨んでいた。雅は悲しみよりも、怒りよりも喜びを感じる。俺のためにここまで来てくれる友人がいるんだと。その竜樹の背後から光も宅耶もいた。竜樹と同じような表情の竜也もいる。そして、その隣に不安そうに眉をひそめる東がいた。雅はそれだけで己の幸せを実感するのだった。雅にとってはとても大きな幸せだ。その時、金網を隔てて雅側に高崎が現れた。吉松を雅とはさむ形で現れたのだ。どうやって現れたのか分からないがいつの間にか二メートルほどの距離を開けている。その白い肌に浮かぶ両目は強い意志の光を宿しているようだった。雅が高崎の存在に気をとられていると俄かの爆音が雅の耳を

打った。そして、ものすごい風が体を押してくる。回遊と言うよりは猛スピードで旋回するヘリが雅の両目に映ると、高崎がそちらに向かって手を振っていた。多分、H・Kなのだろうとそのヘリをしばらくの間見つめたが、すぐに吉松に目を落した。わけの分からない事態に痩せた鶏のような体を震わせているだけだ。この手に力を込めればこの老獪は落ちてしまう。ここまで来てつかない決心は己の心の弱さを突きつけてきている様だった。

「早すぎたんだよ。あせりすぎだお前は。」

高崎の冷淡な指摘に雅は自嘲したい気分になった。事態としては全てが早すぎて、今はそれに対処するに遅すぎた。雅はこのままこの老獪と夜空へのダイブを決行しなければならない。下を見ては駄目だ。摩天楼に視線を投げた雅は吉松を掴んだ手を強く握り締めた。痛かったからか、ダイブする予感を感じたからか吉松のヤギの鳴き声のような悲鳴が再び響き渡る。静かにしろよ。せっかくの最後が台無しだ。雅は苦笑した。踏み出そうとした一歩が空を切った。それでいい。あとは重力に身を任せれば。そう思った瞬間、強く引かれた肩に屋上へと引き戻された。高崎がいるほうとはとは違う肩だ。雅の肩を掴んでいる腕の先に繋がった頭を見て、雅は少々の驚愕を覚える。その顔は吉松同様、何度もテレビ

で見た顔だったから。法務大臣榊聖龍。金網に手をあてて不敵な笑みを浮かべている。雅は何がなんだか分からなかった。何故法務大臣が雅なんかを助けようとしたのか。

「聖龍?何でこんなところにいるんだ?」

竜也の驚きの声にもその不敵な笑みを消さない榊は黙って雅を見つめている。ニヤニヤと嘲笑っているかのような表情で見られている気分になった雅は己の中に激情が膨らんでいくのを感じた。ばかだな、そんな呟きすら聞こえる。雅の感情が爆発するのはそんなに遅くはなかった。吉松を掴んでいない手で拳を作ると榊の頬へと打ち込んだ。人を殴ったことなど早々無い雅の拳は榊の頬を離れる直前に開いてしまい、その爪が頬を引っかいた。そして、その爪に顔半分の皮のような表皮がへばりついて来る。はがれた皮のしたから違う顔が笑っていた。

「翔。」

叫んだのは宮原依美子の傍にいる長身の男だった。偽の榊はそちらに苦笑を向けると雅に向き直った。

「H・Kが翼と言っている俺らは正式には翼賛会という。」

言われたことに雅は俄かに恐怖を感じてしまう。こいつも翼なのか。

「一つ、お前に選択させてやる。ここで死ぬか、俺らについてくるか。」

「翼に?」

「ああ、俺の恩人のドラゴンと言う男がお前を気にしている。」

雅は己の心の動揺を感じずにはいられなかった。生きられるのか。

「やめろ。先輩を、先輩を信じろ。」

今までに聞いたことの無い高崎の声が明らかにあせっていた。ああ、なんだ。高崎も本当は心配してくれていたんだ。そして、高崎から目を放すと雅の視線に竜樹たちが映る。竜樹たちも口々に制止の言葉を吐いている。雅は偽の榊にもう一度向き直った。笑みを消した偽の榊の両目が雅を捉えている。強い光を持つ目だ。

「どうする?」

首をかしげた偽の榊は優しく微笑んだ。また、皆と。雅は吉松の首を押し出した。痩せた小男は無様に夜の摩天楼に浮く。そして、その体を重力に任せて落下させていった。すぐにそのヤギの鳴き声は消えた。不快な衝撃音が続き、雅は偽の榊に向き直った。

「いいんだな?」

その優しい問いに雅は深く頷いた。復讐は終わった。だが、まだ、少し生きたかった。俄かに起こった轟音と暴風に雅はH・Kのヘリを思ったがそれとは違う真っ黒のヘリが雅たちに向けてはしごを下ろしていた。見上げるとヘリの入り口に立つ白い仮面をかぶった男

がこちらを見下ろしている。雅は己の選んだ道に迷いを覚える。

「大丈夫だ。誰でも迷う。」

偽の榊の言葉に雅は揺れているはしごに手をかけた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ