第二章 : 秘密と日常
大学2年生の春、啓一は表向きは平凡な大学生としての日々を送っていた。しかしその裏では、「屋根系ラーメンを1日1杯以上食べなければならない」という奇妙かつ切実な使命に囚われていた。この特異な「縛り」のせいで、サークル活動や部活に割く時間的な余裕は皆無だった。その代わり、彼はスーパーでアルバイトに精を出していた。
そして、なんといっても啓一には二人の彼女がいた。決して彼がプレイボーイであったわけではない。ただ、優柔不断でどっちつかずになってしまった結果だった。この時点で彼を同情してくれる人は少ないだろう。だが、啓一には「こんな病気(使命)だから、二人と付き合っていても大目に見てもらえるだろう」という甘い考えがあった。さらに、二人の彼女が全く接点を持たないため、バレる心配はないと高を括っていた。彼の友人には、バイト、サークル、学部、中学、高校と接点を分けることで合計5人同時に付き合っている猛者もいる。もちろん、それが彼の状況を正当化する理由にはならないが。ところで、その彼女たちを紹介しよう。ひとりは、太陽のように元気で活発な沙織。もうひとりは、文学部で静かに文学を愛する詩織。二重生活は概ね順調だったが、深刻な問題は「食事」だった。沙織はフレンチやイタリアン、詩織は洒落たカフェを好む。しかし、啓一にとっては何よりも、1日1回、秘密裏に屋根系ラーメンを食べることが、文字通りの「命の綱」だった。
彼は彼女らに心配をかけたくないため、この「屋根系ノルマ」については一切話していない。いずれかのタイミングでニンニクたっぷりの屋根系を食べなければならないという都合上、泊まりはもちろん、半日を費やすような本格的なデートに行くことすら難しかった。沙織にも詩織にも、この食生活は「少食だから」という設定で通している。胃が痛いなどの言い訳も、彼の常套手段だった。
そんな啓一の秘密を知る唯一の友人がいた。幼稚園からの幼馴染である、高田 健太だ。
ある日の講義後、啓一がバイトに行くためキャンパスを後にしようとすると、健太がニヤニヤしながら声をかけた。
「おい!ヤネケイ。どうせまた朝ラーだろ。ニンニクの臭いがするからな。あはは。」
「うるさい!」啓一は半ギレで返し、逃げるように走り去った。健太は爆笑しながら、「せいぜい頑張れよ、屋根系デッドマン!」と叫んだ。
(こいつは俺がどれだけ苦労してるのか分かってて言ってるのか。)健太は啓一をバカにするが、実は週に3回も「屋根系」に付き合ってくれる、ある意味で最高の理解者、否、共犯者だった。ちなみに健太は、こんなにラーメンを食べる割には意外と痩せている。どうやらランニングを1日に20分を2本こなしているようだ。なかなかアクティブな男である。
ある日の昼休み、啓一は大学近くの屋根系ラーメン店「横壱屋」へと急いでいた。
いつものように大盛りラーメンににんにくを大さじ三杯投入し、並盛りライスをセットにして食べていると、ふいに視線を感じた。
振り返ると、そこにいたのは沙織だった。
「啓一!こんなところで何してるの?」
動揺する啓一をよそに、部活の友達といる沙織は特ににんにくの量には触れず、「屋根系ラーメン好きだったっけ?」と話しかけてきた。(ラーメン屋にいるからラーメン食べてるに決まってるだろ)というツッコミはさておき、啓一は沙織がこういうコッテリ系の店に来たことが意外だった。
「え、まあ……最近ちょっとハマってて。そういえば今日練習試合とか言ってたよね。どうだった?」啓一は平静を装い、話題をそらす。
「あー。私大活躍だったんだからねー。新しいスパイク、決まりまくりだった!」
(俺も今からまくります)と心の中で啓一は呟く。
沙織はバレー部のレギュラーに最近入り込めたらしく、最近調子もいいらしい。
「啓一も屋根系ばっか食べてたら太るよ。運動も最近ちゃんとしてるの?」沙織は心配そうに聞く。彼女の視線は、啓一の目の前の巨大なにんにくの山を避けて、丼とライスの組み合わせに注がれていた。少食という啓一の設定は、どうやら忘れているようだ。(まあデザートは別腹という言葉があるように、どれだけ少食でもラーメンなら食べられるというのは全大学生に言えることであろう、多分)そんな御託を並べるわけにはいかないので、啓一はしっかりと答える。
「ジム週4で通ってるし、それ以外の3日も家でトレーニングしてるし、屋根系食べてもお釣りが来るくらい健康にしてるよ」啓一は胸を張って答える。実際、屋根系ノルマをこなすために、彼は人並み以上の運動を自身に課していた。
「ならいいけど。まあ、ちゃんと健康管理してね。私今日これから優香の家で勉強会をするから帰るね。」
「またねー」啓一も気さくに返す。
沙織が去った後、啓一は安堵の息を漏らした。なんとかバレずに済んだが、今日のノルマ達成のため、彼は再びにんにくをスープに溶かし込み、ライスを頬張った。(沙織こそ運動後にラーメンって勿体無くないか)と思ったが、自分が中学の時に部活後に屋根系を食べたときの感動を思い出した。そういえば、俺もジム終わりにも食べてるしな、と思い直した。それにしても、沙織が俺と話している時に部活の友達を待たせてしまって悪かったなと、気の弱い自分が頭をもたげた。
同じ週の金曜日、今度は詩織と偶然、屋根系ラーメン店で鉢合わせしてしまった。
「啓一くん、ラーメン屋にいるなんて意外ですね。普段あんまりラーメン食べないと思っていたんだけど、、、」詩織はおとなしそうな口調で言った。(こちらこそ意外なんだが。)
驚いた様子の詩織の視線を受けながら、啓一はふと詩織の丼に目をやった。なぜか少々控えめながら、にんにくが盛られている。その横には、彼と同じように並盛りライスの皿があった。
「ま、たまにはこういうのもいいかなって。」
啓一はごまかすが、詩織の表情に微かな動揺を見た気がして、話を逸らした。
「詩織は最近小説の調子どう?」
「最近アイデアが出なくて、、、」
詩織は悲しそうに言った。啓一は、心の中で自分の奇妙な状況をネタにすればアイデアが出るのではと思ったが、無用な心配をかけたくなくて、その考えは胸にしまっておいた。
「そういえば、"屋根啓一"って屋根系が好きそうな名前だよね。」
とても可愛く笑いながら言っていた。
そう言われた時、啓一の頭の中を駆け巡ったのは、このあまりにも使い古されたフレーズに対する辟易とした思いだった。
(詩織はすごく面白いことを思いついたと思ってるかもしれないけど、俺は何万回と言われてるんだよ)
――やば、心の中で思っていることが、つい口から漏れてしまった。
「ごめん、そんなに気にしてただなんて」
詩織が気まずそうにおとなしく謝る。
「別に大丈夫だよ。慣れてるし。今更なんとも。」
喋っているうちに、麺がスープを吸ってのびてしまっていた。それでも啓一はラーメンを完食し、詩織と店を出た。
(そういえば、詩織、女の子一人で屋根系に入るってワイルドだな...)
啓一は、彼女の意外な一面を知り、一人勝手に胸を熱くしていた。




