異界邸宅 第19話
――――ガチャ。
レンヤは玄関ホールに行き、受話器を手に取った。その後ろでは、藍歌と美海が静かに耳を澄ましている。
「……Dか?」
電話をかけてきたのは適性者A。
電話口から聞こえるAの声は、異様なほど冷静だった。
「どうした?」
レンヤはなるべく不安を表に出さず問いかける。
Aはしばらく沈黙した後、冷めた口調で言った。
「筒香 紫遠を殺した」
――――なに?
Aの言葉を理解するまで、レンヤの思考が一瞬停止する。
その間にも、Aは淡々と語り始めた。
「筒香を召喚したのは失敗だった。損切りだよ」
Aの声には、もはや何の迷いもなかった。
「食事をしながら、今後について話し合おうと筒香を誘った。どれだけ魔術が得意でプライドが高くても、空腹には勝てなかったということだな。あとは隙を見て……後ろから頭を殴った。それで終わりだ」
「本当……なのか?」
レンヤが聞き直すと、Aは乾いた笑いを返した。
「すべて本当だよ。そして、ここからが本題だ。筒香を殺した後、俺の家のモニターにこんなメッセージが出たんだ」
――――『あと9人で、家の扉のロックが解除されます』
レンヤは息を呑んだ。
Eが死んだ時と同じ、新たな隠しルールだ。
「……つまり召喚したキャラを10人殺せば、適性者は家から出られるということか」
「そうだ」
Aは躊躇なく言い切った。
「D、覚えているな?『召喚できる女性キャラの人数は無制限である』というルールを。ならば……」
――――10人殺せばいい。
――――何人でも召喚して殺せばいい。
「……お前、本気でやるつもりなのか?」
「もう迷う理由はない。あと9人殺せば、俺はここから出られる」
「……」
受話器を持つ手に力が入る。レンヤが想像していた以上に、Aは精神的に追い詰められていたのだろう。
Aにどんな言葉をかけるべきか、Aを止める方法はあるのか。
すぐに正解は見つけられなかった。
「D、お前には世話になった。だから忠告しておく。この家を出たいなら、迷うな」
Aは最後にそう言い残し、電話を切った。
レンヤの周囲に、気まずい沈黙がまとわりつく。
「あ、あの、レンヤさん……」
「心配するな」
レンヤは受話器を置くと、藍歌と美海に向き直る。
「俺はAと同じ方法は取らない。根が小心者だからな。10人も殺す度胸なんてないさ」
「そ、そうですよね! あ、今のはレンヤさんが小心者って意味じゃなくて、安心したって意味で……」
「ふふ。またしても予想通りの行動ですね、レンヤさん。もう少し意外性を発揮していただいても、私は構わないのですが」
「意外性ね……これからは時と場所をわきまえて発揮していくとしよう。それよりもだ――――」
レンヤは美海に視線を向けた。
「美海、Aの家の監視カメラをハッキングしてほしい」
「え? も、もしかして、Aさんを説得するつもりですか?」
「ああ、あの様子じゃ電話をかけても無視されそうだ。カメラのスピーカーを使う」
「それはやめたほうが良いでしょう」
藍歌の冷静な声が場を支配した。
彼女はレンヤに真っ直ぐな視線を送りながら、諭すように言葉を続ける。
「Aは止まりませんよ。今のAは『脱出』という目的のために、殺人を正当化しています。目的に進み続けることで、精神の安定を保っているんです。ここでやめたら自分の心が壊れてしまうと、Aは無意識に自覚しているのでしょう。だからAは決して止まりません」
藍歌が口にしたことは、レンヤも薄々感じていた。
電話で話したAには迷いが一切なかった。
彼は自分の方法が正しいと信じていた。いや、信じたかったのだろう。
筒香 紫遠を殺した後は、Aも後悔や葛藤を抱えていたのかもしれない。
だが、直後に表示されたメッセージが、Aの殺人に正当性を与えてしまった。
――――『あと9人で、家の扉のロックが解除されます』
Aはこのメッセージにすがるしかなかったのかもしれない。
「さっきも言ったが、俺は小心者なんだ。ここで何もしなかったら、たぶん生涯の心残りになるだろう。俺はそれが怖いんだ」
「……不快な思いをすることになりますよ? 傷つくだけかもしれません」
「何もしないよりはマシだな。俺にとっては」
レンヤの言葉を聞いた藍歌は「はぁぁぁぁ」とこれ見よがしに溜め息を付いた後、いつもの微笑み顔に戻って言った。
「なるほど、レンヤさんがとんでもないドMのロマンチストだということは分かりました。もう好きにしちゃえばいいと思います」
「人聞きの悪いことを言うな」
レンヤは憮然とした表情で反論する。
その様子を見ながら、藍歌は楽しそうにクスクスと笑った。
「そんなに怒らないでください。私は案外好きですよ? そういうのも」
「え? あ、藍歌さんて、ドMが好きだったんですか?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。ロマンチストの方です」
今度は藍歌が憮然とする番だった。
美海はワタワタと慌てながら、藍歌に謝罪している。
そんな2人を見てレンヤは思った。
――――この2人を殺せるわけがない。
――――Aにもこれ以上、殺してほしくはない。
そして3人はリビングへと向かう。
3度目のハッキング、Aの説得を行うために。
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