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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「婚約破棄された公爵令嬢」、と呼ばれていた私はもういない

作者: 昇龍アキラ

見に来てくださってありがとうございます。

今回は異世界ファンタジーに挑戦しました。

自分が「面白い!」と思えるものを自由に詰め込んでいます。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。それでは、どうぞ!

煌びやかな宴の灯火が、舞踏会場を柔らかく照らしていた。

 卒業を祝う貴族たちの衣擦れの音、軽やかな笑い声、音楽の調べ。

 その中に、彼女の名が冷たく告げられた。


「レイリア・ユスティーナ・ヴァルフェリエ。貴女との婚約を、この場をもって解消する」


 王子の声が響いた瞬間、場にざわめきが走った。

 驚きというよりも――待ち構えていたかのような、空気の変化だった。


 告発の内容は、「忠義を尽くすべき従者との不義」。

 レイリアは静かに目を伏せた。

 事実無根。それは彼女が一番よくわかっている。

 だが、告発の口を開いたのは――その従者自身だった。


「……私は、抗えませんでした。貴女に命じられるまま……」


言葉が刃のように、彼女の胸を貫いた。


(なぜ、彼が……)


彼とは、数ヶ月前から王太子の命により、少女の身の回りの世話を任されていた従者である。彼女は常に節度をもって接してきたし、互いに敬意を持って接していた。それは、誇り高く真面目な彼女の在り方そのものでもあった。


「私は、逆らえなかったのです。言う事を聞かぬと家族の命は無いぞと脅され…彼女に命じられるまま、抗うことは許されませんでした……」


証言した従者は、深く頭を垂れながら、怯えと戸惑いを滲ませているような目で、けれどはっきりとした声でそう言った。


(彼は……彼は嘘を……!)


声にならぬ言葉が喉の奥で渦巻く。反論しようとした。真実を訴えようとした。


 けれど、良い子でいなきゃという言葉が頭をよぎり、黙ってしまう。


 この場に両親の姿はなかった。

もし父や母がここにいてくれたなら、彼との関係を潔白だと証明してくれただろう。

だがその機会すら、彼女には与えられなかった。

 


 王子は淡々と「その様な者は未来の国母にはふさわしくない」と言い放ち、命じた。


「この場から立ち去れ。この国に、二度と足を踏み入れてはならぬ。……護送の者たちに従い、国境を越えよ」


そう言い放たれた言葉に、弁明の余地は与えられなかった。断罪は既に決定事項として、淡々と進められていく。


 従者も、友人も、誰一人、彼女に言葉をかける者はいなかった。



 ――――



 重たい鎧をまとった兵士たちに囲まれ、レイリアは無言で馬車に揺られていた。

 辿り着いたのは、深い霧が立ち込める森の入り口。


そこは国の北端に位置する“エルディナの森”。

今でこそ深い迷いの森とされているが、かつては“聖なる森”と呼ばれた神域。その奥へ足を踏み入れた者が戻ってきたという話は、ほとんど聞かれない。


 その場で彼女は下ろされ、ひとりの兵士が言葉を選びながら口を開いた。


「……ここから先は、お一人で進まれよと、殿下より仰せつかっております。」


付き添っていた兵士は、彼女に背を向けることなく、苦しげにそう言い残した。その声音に、彼女はすべてを悟った。手には何の装備も、餞別も地図もない。レイリアは、本当に“その身一つ”で追いやられたのだった。


 これは、ただの追放ではない。――見せしめ。そして、穏やかな死刑。


足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

深い、深い緑に包まれた森の奥。

誰も戻ってこないというその森に、レイリアはただ一人で歩みを進めた。


 森の中は、濃密な闇に包まれていた。

 獣の気配。ぬかるむ土。まとわりつく冷気。

 それでも、レイリアは足を止めなかった。

 命を繋ぐ術など持たずとも、がむしゃらに、ただ森の奥へと歩を進めた。


道などない森の中で、淡く光る風が、彼女を導くように揺れていた。

 それに縋るように、最後の力を振り絞り進み――彼女は倒れ込んだ。


そのとき。 草を踏む軽やかな足音が聞こえ、誰かが近づいてきた。

 弓を背負い、鋭さと優しさを瞳に宿す青年。


 やがて、意識が薄れていくその刹那。


 ――不思議な気配が、彼女を包んだ。

 

 彼は彼女を見下ろし、柔らかく微笑んだ。


「……大丈夫だよ。もう、怖くない」


 それが、運命の出会いだった。



 ――――


 意識の底から浮かび上がるように、レイリアは目を覚ました。


 焚き火の灯が、夜の闇をかすかに押し返している。

 柔らかな毛皮の上に横たえられていた彼女は、身じろぎして、ようやく自分が温かさに包まれていることに気づいた。

 

「……気がついた?」


 優しくも快活な声が、焚き火の向こうから聞こえた。

 そこにいたのは、茶色の髪を無造作に束ね、弓を背負った青年だった。彼は胡座をかき、干し肉をあぶりながら、にこにこと笑っていた。


「……ここ、は……」


「“エルディナの森”の中さ。君みたいなお姫さまがまさか、こんな奥まで入り込んでるとは思わなかったけど」


 言葉の端に、わずかに驚きと――警戒の色が混じっていた。

 だが次の瞬間には、また柔らかな声音に戻る。


「ポーションが効いたみたいだね。……ってことで、まずは挨拶代わりにひとつ。なんでこんな森の奥にいたの?」


 おどけたような口ぶり。けれどその目は、焚き火の奥に光る刃のように鋭かった。


「……生き延びるために、進んでいました」


 レイリアは、しばらく沈黙した末に、静かにそう答えた。

 声はかすれ、喉は乾いていた。それでも、彼女の言葉は真っ直ぐだった。


 青年は片眉を上げて笑う。


「――にしては、ずいぶん無防備だ。装備も、食料も、地図もなし。……それでどうやって?」

 


皮肉を交えたその口調に、レイリアは眉を寄せた。

 持っているわけが無い。卒業パーティーの最中に、家に帰ることも許されず、ドレスのまま、馬車に乗せられて、ここまで来たのだから。

 けれど、怒る気にはなれなかった。


「……そう、ですね。何も、持っていませんでした。……本当に、何も……」


 ぽつりと落とされた言葉は、自嘲と哀しみを滲ませていた。

 彼女は膝を抱き、視線を焚き火の炎に落とす。


「へえ。そっか」


 ノアは木の根元に腰を下ろしながら、軽く目を細めた。


「何も無いのに、生き延びるために、ね。……君は、強い人だね」

 

 その言葉に、レイリアは小さく首を振った。

 けれど、言葉は止まらなかった。


「私は……強くなんてありません。違うって、言いたかった。私はやっていないって、叫びたかった。でも、できなかった……声が震えて、言葉が詰まって、ただ……見ているだけで……」


 肩が小さく震えていた。何度も奥歯を噛み締めて、ようやく絞り出す。

 

「いい子でいなきゃ、って……ずっとそう思っていました。期待に応えて、周囲の空気を読んで、我慢して……従者にも、婚約者にも、言いたいことの一つも言えなくて……なのに、最後には裏切られて……っ」


 涙はこぼさなかった。

 けれど、彼女の声には、それ以上に痛みがにじんでいた。


「信じていたのに。信じていたのに、誰も……私の言葉を、聞こうとはしてくれなかった。……いや、私が伝えること自体を、諦めていました。悔しくて、腹立たしくて……そんな私自身が、とても憎いのです。」


 なぜ、こんなことを、初対面の彼に話しているのか。

 けれど――もう、どうでもよかった。


 すべてを失い、期待も、居場所もなくなった今。

 もう、守るべきものなど、何ひとつ残っていなかったのだ。


 青年は、静かに焚き火を見つめていた。

 先ほどまでの軽薄な笑みは消え、その瞳には、どこか冷たい光が宿っていた。


「……それでも君は、この森で生きようとした。……それって、相当すごいことだと思うよ」


 不意に、真っ直ぐな目が彼女に向けられた。

 そして、静かに言う。


「普通なら、そこで諦める。誰かを責めて終わりにする。でも君は、まだ歩いてた。たった一人で、何の術も持たずに……」


「……君は全然、弱くなんかない」


 その声は、先ほどの軽さをすっかり失っていた。

 低く、静かで――まっすぐに心を貫く強さを持っていた。


「この森に入って、まだ生きることを諦めていない。そんな人が、弱いはずないだろう。……少なくとも今の君は、俺の目には――勇敢な戦士に見える」


 レイリアは息をのんだ。


 ――生まれて初めてだった。自分の行動を「強い」と言ってくれた人など、誰もいなかった。


 何かが、心の奥で解けていくように。

 どこかで、ぽうっと暖かな炎が灯る。

 

 「……あなたみたいに、なりたい」


 ぽつりとこぼれたその願いは、レイリアの本音だった。


「あなたみたいに、誰にも媚びず、誇りを持って生きられるような――そんな人に、なりたいの」


 青年――ノアは、少し目を見開いた。そして、肩を竦めて苦笑した。

「……どこぞのお姫さまにそんなこと言われるとは、思ってなかったな」


 そう言いながらも、その表情はどこか嬉しそうだった。


 レイリアは身を起こし、目を逸らさずに彼を見つめた。

 その瞳の奥に、確かに揺るぎない意思が宿っていた。


「お願いがあります。……わたくしの、師匠になっていただけませんか」

 

 ノアは、しばらく彼女の瞳を見つめたまま、黙っていた。

 そしてその目が、彼女の奥に潜む、炎と意志を捉える。

 まるで、その奥にある心意を見定めるように。


「……本気か?」


 問いは短く、真剣だった。

 レイリアは、静かに頷いた。


そして――ふっと、目を細めて、口角を上げた。


「……いいよ。その覚悟、俺が預かる。まずは、この森を生き抜く訓練から始めようか」


 その声には、いつかの軽さが戻っていた。

 けれど、その眼差しは――確かに、導く者のそれだった。


 ――――

 

 森の奥、陽の差さぬ深き木々の狭間に、その場所はひっそりと佇んでいた。


苔むした石壁、風に磨かれた柱。かつて人の手で築かれたに違いないその小さな遺跡は、今では森の一部のように溶け込んでいたが、不思議と凛とした空気を湛えていた。中心には簡素な木造の小屋と、その奥に厳かに口を閉ざす宝物庫がある。ここが、ノアの言う拠点だった。


「……思っていたより、ちゃんとしているのですね」


レイリアは思わず呟いた。追放されたその日、命からがらたどり着いた森の奥に、こんな場所があったとは夢にも思わなかった。


「だろ? 俺も初めて見つけたときは驚いたさ。どうやら、むかーしむかしの偉い人たちがここで修行したらしい。ま、俺には関係ないけどね」


ノアは肩をすくめながらも、どこか誇らしげだった。


小屋の中は、意外にも整理されていた。寝具と簡素な台所、火を扱える炉、狩りの道具と保存食の棚。暮らすには十分すぎるほどの備えだった。


その夜、満天の星空を眺めながら、ノアは静かに言った。


「本当なら、まっすぐ俺の国まで連れて行くつもりだった。でも、君の覚悟を見て考えたんだ。一緒にここで修行するのも、悪くないかもしれないって」


「……ありがとうございます。精一杯頑張ります。」


言葉に込められた熱に、ノアは少し目を細めた。


「無理はしなくていい。でも、逃げるなら今だよ?」


「もう、逃げません。」


それが彼女の返答だった。


翌日から、彼らの訓練生活が始まった。

訓練の合間、レイリアはノアに連れられて宝物庫に足を運んだ。


石の扉は重く、何世代も前の時間を閉じ込めているかのようだった。ノアが鍵を外すと、内部にはひんやりとした空気が漂っていた。魔物を避ける結界のせいか、埃ひとつなく、まるで昨日誰かが掃除したかのように整っている。


その奥、彼女はそれを見つけた。


色褪せた赤い布に包まれて置かれていた一本のレイピア。不思議と綻びはないが輝きはなく、装飾も地味で、時の重みが感じられる。しかし、不思議と目が離せなかった。


「それ、気になるの?」


振り返ると、ノアが不思議そうに彼女を見ていた。


「ええ、なんとなく……手に取ってみても?」


「いいんじゃない? 誰も使ってないし、君が気になるなら、それは多分君のものだよ」


恐る恐る布を剥ぎ、柄に手をかけた瞬間、レイリアの心臓が一瞬だけ早く打った。


静かに抜かれた剣の表面が、一瞬だけ淡く光った気がした。


気のせいかもしれない。でも、彼女の内側で何かが震えた。


「……ありがとう。わたし、これ使ってみる」


ノアはその言葉に、ふっと笑った。


「似合ってるよ、レイリア。その剣、きっと君のことが好きなんだ」


そして、彼らの修行の日々が、本格的に始まった。


 夕暮れの森は、金と琥珀の光で満たされていた。

小屋の軒先にある焚き火台で、ノアが夕食を作っている。いつの間にか狩ってきた鳥を丁寧に捌いて、じっくり丁寧に焼く。レイリアは、火の傍でその様子を見守っていた。

 

「……言葉遣い、ずっとそれなの?」


不意に、ノアが尋ねた。焚き火を突きながら、何気ないふうを装って。


「え?」


レイリアは目をしばたいた。

ノアはちらと彼女に視線を向ける。

 

「さっき、宝物庫で剣を手に取った時の言い方……あれが“素”なんじゃないかって思って」


レイリアは目を瞬かせた。何気ない話題のようでいて、その眼差しは彼女の奥を見つめているようだった。

「“〜ですわ”っていうやつ。別に悪くはないけど、剣を持った時、“これ、使ってみる”って言ってたよな。それ、なんか……本音に近い感じがして」

 

 レイリアは小さく息をのんだ。


「……私は貴族として育ちましたので、自然とそうなっただけです」


「ふーん。でもさ――“あなたみたいに、なりたい”って言ったろ? その時、もっと素だった」

 

 レイリアは黙って炎を見つめた。

オレンジ色の揺らぎが、彼女の横顔を照らしている。


「俺、あの言い方の方が好きだな。敬語じゃなくていいよ、少なくとも俺に対しては」

 

 ノアは少しだけ笑って、焚き火に手をかざす。


「この森じゃ、肩書きなんて通用しない。お姫さまも、王子さまも、ただの生き残りだ」


レイリアはその言葉に目を伏せたまま、ぽつりと呟く。


「ずっと“いい子”でいなきゃって思ってた。でもそれは、誰かにとっての“いい子”であって、私じゃなかった」


ふっと肩から力が抜けたように、彼女は続ける。


「だから……本当はああいう喋り方の方が、楽なのかもしれない。少しだけ、ね」


ノアはしばし黙っていたが、にっと笑った。


「じゃあ、これからはその喋り方でいてくれよ。俺にだけでもさ」

 

 「……そうね。少しずつ、ね」


「ああ。で、君のこと、なんて呼べばいい?」


レイリアは少しだけ考えて、肩をすくめた。


「ただのレイリアよ」


「……なんだ、そりゃ」


「じゃああなたは?」


ノアはにやっと笑って、炎の向こうで軽く頭をかいた。


「俺か? 俺は……ただのノアさ」


その言葉に、二人はどちらともなく笑った。


夜風がそっと吹き、焚き火の煙が高く揺らいだ。


こうして、名も立場も肩書きも脱いだ、本当の二人の、運命の歯車が、噛み合いまわり始めた。

 


森に入って十日ほどが過ぎた頃。ノアはふと、己の計画を見直すことにした。


彼女は不思議な少女だった。


令嬢育ちとは思えぬほど、順応が早い。たとえば剣──彼女が手にしたのは貴族の間で嗜まれる細剣、レイピア。軽くて扱いやすく、彼女の華奢な体に合っていた。貴族教育の名残か、構えだけは美しかったが、それでも初日はただの飾りに過ぎなかった。


 けれど、三日もすれば動きに“意志”が宿りはじめた。


狩りや火起こし、焚き火の管理、薬草の見分け方や食べられる植物の選別。ひとつひとつは地味で、泥臭く、貴族令嬢に似つかわしくない作業ばかりだったが、彼女は顔をしかめながらも手を止めなかった。

 

 それでも、最初の解体はひどかった。


猪を仕留めた夜。ノアの隣で、震える指でナイフを握ったレイリアは、刃を肉に入れた瞬間、顔色を真っ青にしてその場に崩れた。


血。熱。生の気配。


「うっ……!」


その場で胃の中を吐き出し、涙を浮かべてうずくまる彼女を見て、ノアは思った。

 

 (……俺は、何をさせているんだ?)


その横顔は、花のように儚く、肌も指先も、まるで壊れそうなほど繊細だった。きっと今までは、蝶よ花よと大切に育てられてきたのだろう。汚れや血など、彼女の世界にはなかったはずだ。……そんな彼女が泥にまみれ、血に染まり、口を覆って嗚咽を漏らしている。


思わず、彼は彼女に背を向けた。


自責の念。思わず彼女に聞いてしまった。


 

「帰りたいか?」


 

夜、焚き火の灯りに照らされたその横顔は、覚悟と呼ぶにはまだ幼く、けれど甘くはなかった。弱音を一言も吐かなかった彼女は迷わず首を横に振った。

 

「……明日も、やらせてください。……私、学びたいのです。強くなりたい」


か細いけれど、芯の通った声だった。嗄れた声でそう告げた彼女を見て、ノアは言葉を失った。その一言に、嘘も飾りもなかった。ただ、まっすぐで痛いほどに――本物の覚悟がそこにあった。


 この目に宿る力のせいで、ノアは幾度も追われ、求められ、妬まれ、嫌われてきた。けれどその代償があったからこそ、偽りの中から“本物”を選び抜く力が、ノアには宿っていた。


 彼女は変わっていった。


やがて吐かなくなり、解体も火起こしも一人でこなすようになった。粗末な小屋の修理や洗濯も、手際良く仕上げる。見違えるほど頼もしくなった少女は、焚き火の向こうで真剣な眼差しでレイピアを振っていた。


ノアはそんな彼女の姿を見るたび、胸の奥が少しだけ疼いた。


その痛みが何かは、まだ分からなかった。ただ──ふとした瞬間に彼女が見せる横顔に、彼は目を奪われるようになったのだった。


――――


 レイリアもまた、ノアを見ていた。


軽く笑いながら話す姿は、どこか飄々としていて掴みどころがない。けれど時折、その雰囲気がふいに変わる瞬間があった。まるでどこか遠くを見据えるような、鋭く冷静なまなざし。何かを悟っているようで、何も語らないような──それでいて、こちらの心の奥まで見透かしてくるような目。

ああ、この人はきっと、何かを隠している。そう思わされる何気ない瞬間が、いくつもあった。


 狩りが異様に上手くて、どんな場面でも迷いなく動ける。強さも技も、多彩で、非の打ちどころがないほどに洗練されている。けれど、それはきっと生まれつきなんかじゃない。どれだけの努力を積み重ねたら、あそこまで辿り着けるのか。──辿り着かなければならなかった理由が、きっと彼にはあったのだろうと、レイリアは思った。


(……すごい人だ)

そう思った。

ただ“すごい”と呼ぶには、言葉が足りなかった。

それが“憧れ”なのか“尊敬”なのか、“別の感情”なのかは、まだ自分にはよくわからない。

 それでも、彼の横顔を見るたび、心臓が跳ねた。たとえ自分の手が血にまみれていようと、汚れていようと──その目だけは、彼に見ていてほしいと思った。


 ――――


 そして、一ヵ月半が過ぎた。


朝露に濡れる森の小道を歩きながら、ノアはふと立ち止まり、振り返った。

そこに立っていたのは──もう、あの頼りなげな少女ではなかった。


「よくやったな。……ちゃんと、生き抜いたじゃないか」


「……ええ」


その言葉に、レイリアは小さく頷いた。少し痩せた頬にかかる髪は、彼女が自分で結い直したもの。ノアはその姿に、どこか安堵するように、微笑んだ。


「──さて。そろそろ戻ろうか。現実ってやつに」


レイリアもまた、穏やかな笑みを浮かべて頷く。


そして、二人は森を出て、街を目指して歩み出した。

互いに、かつての自分とは少し違う歩幅で。


 

最後までお読みいただきありがとうございました。

自分がワクワクしながら書いた世界を、誰かと共有できたなら嬉しいです。

また次の物語でお会いしましょう。それまで、どうかお元気で!

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