第29話 経皮吸収
サクラはタフトの前まで進む。
「女だからといって手加減はせんぞ」
「そんな余裕があるといいわね」
相手に挑発されるが、サクラも切り返す。
俺はそんなサクラの後ろから、肩に手を置いた。
「サクラ、さっきのサイクロプスとの戦いの疲れは大丈夫なのか?」
「問題ないわ。ちょっとだけ手が痛いけど。硬くて斬れなかったから、その反動でね」
「そうか。それならはじめる前にこれを渡しておこう。苦痛に耐えられぬ時、飲むがいい」
俺はそう言うと栄養ドリンクを購入して、サクラに差し出した。
「これは?」
「ポーションみたいなもんだよ」
食べ物でバフがかかるのだから、栄養ドリンクならさらなるバフとなるに違いない。そう思ってのことだ。
「ありがとう」
サクラはそう言うと受け取った。
そして、タフトに向き直る。
「それで、鉄球は一個しかないみたいだけど、どちらから打ち始めるのかしら?」
「それについては古来の習わしに従い、この銀貨によるコイントスで決めよう。表が顔の描いてある方だ。お前が裏表を選んでよい。さらに、そこの男がコイントスをすれば、俺のいかさまだと言わぬだろう?」
タフトは俺をトス役に指名した。
サクラが選んで、俺がトスするならそこにいかさまの余地はないな。
「わかった。俺がトスしよう」
俺はタフトから銀貨を受け取る。
その時ふと気づく。
「この銀貨、他のものよりも重たいな」
「その通り。これは古代魔法王国で一時期流通していたハイネ銭という銀貨だ。銀貨でありながらも金を混ぜているので、少し重たくなっている」
タフトは俺に説明してくれた。
「なるほど。銀貨に金が」
測定で含有される元素をみてみると、確かにAuが含有されている。
「因みに、銀貨の重量10ローエングラムグラムに対して金の含有比率は1ローエングラム」
「なんだそのローエングラムってのは」
「当時使われていた重さの単位だ」
男の説明が本当なのかわからず戸惑っていると、デーボもそうだと言ってくれる。
「そうじゃ。今ではアンティークの修理くらいでしかつかわれぬ単位じゃが、重さはローエングラム、容量はローゼンリッター、長さはメルカッツ、温度はファーレンハイトじゃ」
「単位はメートルとグラム以外は認めない。度量衡も尺貫もヤードポンドもだ。温度は摂氏だけ。始業点検でファーレンハイトを設定した奴は極刑で。1N・mは0.10197kgf・mとかいう読み替えで、どれだけ多くの人間が苦労していると思っているんだ!」
「わしに言われても困るぞい」
気が付けば、俺はデーボの肩を持ってガックンガックン揺らしていた。
慌てて手を放す。
「すまなかった。銀河の歴史がまた1ページ」
心を落ち着かせてタフトの方を見る。
「待たせたな。さあ、やるぞ」
俺は親指で銀貨を弾く。それが空中を回転しながら上昇し、落下してくる。それを両手で挟み込んだ。そして、サクラに問う。
「ヘッズオアテイルズ」
「裏で」
サクラが裏を選ぶ。俺が上になっている右手をどかすと、左手には文字の刻まれただけの面があった。
先攻をとった嬉しさから叫ぶ俺。
「よし、運命の裏!テイルズ・オブ・ディスティニー!」
ファンタジアしかやったことないけど。
いや、今はそんなことはどうでもいい。サクラの勝負を見届けねば。
先攻となった彼女は、左手でテニスボール程度の大きさの鉄球を拾い上げて、右手をタフトに差し出した。
「それを渡しなさい」
それとはラケットのことである。
「よかろう」
タフトはグリップを前に差し出すと、サクラはそれを受け取った。
「では、これで勝負開始だな。ここからはマジックアイテムのギアスの効果により、どちらかが死ぬまで勝負が継続する。そして、手助けはできぬ」
タフトの言葉が終わると、長方形の光が発生し、二人を包んだ。それはまるでテニスコートのようであった。
「始めるわよ」
サクラはそういうと鉄球を上に投げ、落下してきたものをラケットで強打した。鉄球は真っ直ぐにタフトへと向かって飛んでいく。
俺の測定での速度は200キロだ。プロのテニスプレイヤーの打球の速度と比較しても遜色はない。
だが、そんな速球を軽々と打ち返すタフト。
「少しは楽しめそうだな」
などと、余裕の発言が出る。だが、サクラも負けてはいない。
「痛めた手首の様子を確認するために、セーブしていただけよ。でも、大丈夫そうだから、ここからは本気でいくわ」
そう言うと、先ほどよりも速い球速で打ち返した。その速度、実に302キロ。新幹線の最高速度並みの速さだ。
これには流石にタフトも余裕がなくなったようで、言葉を発さずにラリーに集中している。
お互いに決定打が無いまま30回は打ち合っただろうか。サクラは打ち返すのに失敗して、腹部に鉄球を食らってしまった。苦痛で彼女の顔がゆがむ。
「くっ」
「サクラ!」
俺が声を掛けるが、こちらは見ずにタフトを睨んでいた。鬼の形相である。
それに対して、タフトはへらへらと笑っていた。
「ようやく毒が効いてきたようだな」
「毒だと!?」
毒の使用を認めたタフト。
「その通り。グリップに塗っておいた経皮吸収の毒が、体に回っているのだ。もはや満足に手足を動かすこともできまい」
「汚いぞ。そんなことをやるなんて!」
「汚い・卑怯は敗者のたわごと。これは殺し合いだ」
タフトに言われて、それ以上は反論できなくなる。
そうだ、これはテニスの試合じゃないんだ。メドレッ〇スよりも先に経皮吸収の技術を実用化することが、頭から抜けていたこちらが悪い。
「さて、あと一撃くれてやれば死にそうだな。最後は秘儀『覇道球』でとどめを刺してやろう」
タフトはそういうと、サクラの足元に転がっている鉄球を拾い上げた。
「このままではサクラが殺されてしまうぞい」
「まずいモビ」
デーボとアルの悲痛な叫びが俺の耳に響いた。
IPOでメド〇ックスを買って、エトリートが治験に失敗した時以上のピンチに、俺はどうすればよいかわからなかった。