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鉄格子の中

ガシャン!


鉄格子の閉まる音で奏多は目を覚まし、体をパッと起こした。

その途端、むわっとした不快な湿気に体が包みこまれる。音のした方に体を向け、咄嗟に構えた。鉄格子の扉の向こうに、男性がいる。その顔は灯りを背にしているためかはっきり見えない。両目だけが僅かな灯りを受けて、鈍い光を放っている。石造りの灰色で無機質な壁に囲まれ、鉄格子の向こう、壁の高いところに最低限といった灯りが灯っており、ボンヤリと周囲を照らしていた。パッと見、窓がない。だから鉄格子のこちら側は暗いのだった。まるで牢屋のようだ―――と考えて、漸くここが本当に“牢屋”なのだと気づく。


さっきから、おかしなことばかりだ。

父の趣味部屋で暴れたら、どういう仕組みか床の底が抜け暗闇に放り出された。落ちた所に兄の遥がいて、下敷きにしてしまう。ところが、その兄はよそよそしく、奏多の問いかけに返事さえしない。母が倒れて以降のストレスもあって、腹を立てて掴みかかったら、後ろから誰かに拘束された。声や押さえつける力から考えると、たぶん大人の男性だ。何故か奏多と遥が父から習った、絵本にある異国の言葉を口にして―――それが、この男だろうか……?


奏多は、鉄格子の向こうから冷然と見下ろす黒い瞳を睨み返した。


『小僧、誰の差し金だ?』


少し目が慣れて来て、男の容貌が判別できるようになって来た。

色素の薄い金髪緑目の遥の、西欧人風の容貌と対局に位置するような、エキゾチックな容貌の男だ。アジア系とインド系の中間のような、中東出身のようなオリエンタルな容姿。体格は遥より高いが、奏多の父である陽斗(はると)理央(りお)よりは小さいかもしれない。ゴツゴツした筋肉ダルマではない、けれども体中がバネのような筋肉に包まれているように見えるのは、バランスが良いからだろうか。すばしっこさで負けたことのない奏多があっという間に組み伏せられたのだから、驚くべき敏捷性を秘めているのだろう。


『どうやってあの礼拝堂に入った? 入口は見張っていた。幾重にも張られた結界を、どうやって抜けた? まさか神官も知らない秘密の入口があるのか?』

『礼拝堂……?』


自分が落ちた場所が礼拝堂だと、ここで奏多は初めて知った。そう言われれば教会のような作りの場所だったような気がする。

けれども普通のマンションの地下に、そんな礼拝堂が作られていたなんて誰が思うだろうか。その上ここは、その礼拝堂よりも下の層にある牢屋なのだろうか? それとも礼拝堂と同じ階に作られているのか? いずれにしても、マンションの地下には違いない。窓が無い理由が分かった。

奏多は記憶を探る。マンションの自分の部屋は一階だ。その地下は物置になっている筈だが、奏多はそこに足を踏み入れたことはない。まさか物置じゃなく、秘密の宗教施設があったと言うのだろうか……?

そんな話は、聞いたことがない。それにマンションのオーナーは、奏多の母、夕花(ゆうか)だ。彼女がそんな怪しい宗教の信者にマンションの地下を貸すなんて、あり得ないと思った。ますます訳が分からない。


『……兄上と話をさせて』

『まだ言うか』


キンと凍り付くような眼差しで、射られる。


『あの方には弟は一人しかおらぬ。“異母弟”を騙るなら、殺されても文句は言えんぞ……!』

『“イボテイ”?』


知らない単語に眉を顰める。ここまで話が通じないとは、誤解があり過ぎる。奏多は悲鳴を上げそうになった。まさか本当に兄の遥は記憶喪失なのだろうか……? それなら彼の不可解な反応にも理由が付く。


『本当に私の兄上なんだ! 何故か私のことは覚えてないみたいだけれど……だから、兄上に合わせてよ! 思い出して貰わなきゃ。帰らないと……今、母上が大変なんだ……!』


ちなみに絵本の国の言葉は、丁寧な言い回しが多かったので、奏多は砕けた単語をあまり知らなかった。自分を示す主語は一種類しか知らず『私』と言うしかないし、「兄ちゃん」は『兄上』、「父ちゃん、母ちゃん」は『父上、母上』としか言えない。スラングみたいなものは教わっていないのだ。だが遥はそういう言葉も知っているのかもしれない。奏多には無理だと、途中から修行から外されてしまった。しかし遥だけは、ずっと父から指導を受け続けていたのだから。それを思い出すと、胸の奥に苦い気持ちがよみがえる。


『……いい加減にしないか』


両親を引き合いに出した所で、冷たい視線が殺意に変わったのを感じた。


『お前は、死にたいようだな……いいだろう。カラカラに干からびて死にかければ、本当のことを話したくなるだろう。せいぜい己の雇い主を、恨むんだな』


そうして男は、背を向けて部屋を出て行ってしまった。

奏多はしばらくその扉を眺めて「兄ちゃん! 出して!!」「母ちゃんが大変なんだよ! 父ちゃんは全然役に立たないし! ねぇ!!」と、声を上げてみる。だが応える声はない。男は奏多を放置して何処かに行ってしまったのだろうか? 本当に死にそうになるまで放っておくと言うのだろうか。分厚い鉄扉の向こうには見張りがいるのかもしれない。しかし防音がしっかりしているのか、人の気配は感じられなかった。

呼び掛けるのを諦めて、奏多は鉄格子を調べることにする。まずは鉄格子の扉が開くかどうか。握って揺らしてみても、ピクリともしない。扉以外も握って揺らしたり、接合部を観察してみる。堅牢にできているようで、残念なことにつけ入る隙は無かった。仕方なく鉄格子のこちら側、奏多の居る牢屋の中に目を向ける。

粗末な板張りのベッドの上にはマットどころか、シーツもない。奥の方に衝立が一つあって、蓋付きの和式便器のようなものがあった。どうやら便所一体型ワンルームらしい。これはますます、刑務所みたいだと思った。


再び鉄格子を揺らしてみたり、壁を探ってみたりしたが、やはり逃げ出せそうな隙間もゆがみは見つけられなかった。努力が徒労に終わり、疲れ切った奏多は、板張りのベッドに横になる。固くて眠れない!……と、ゴロゴロ寝返りを打っていたら、いつの間にか眠ってしまった。思考をフル回転しても対応できない展開に、疲れ果てたせいかもしれない。


そうして、奏多は異常な喉の渇きで再び目が覚ます。

意識が朦朧とする中、化学式を思い浮かべたら水の分子が見える気がして、それを必死で集めてみた。そしたら何故か掌に水滴が集まってきて―――その水を夢中ですすっている内に、再び意識を失ったのだ。熱中症って、こんな症状じゃなかったっけ……? とグワングワン揺れる頭で考えてた気がする。


次に目を覚ました時―――奏多は、柔らかなベッドに横たわっていた。横たわったまま、天井を見る。人の気配はない。だが慎重に、視線だけで周囲の様子を窺った。

礼拝堂で体を起こそうとして押さえつけられ痛い目を見、牢屋で殺意を向けられ放置された。体がそれを覚えていて、反射的に自分を守る行動をとったのだろう。


先ほどのような、むき出しの石造り壁ではない。生成りの塗り物で左官された壁は温かみを感じさせ、木の腰壁が回されていた。床も、フローリングのように板が敷き詰められている。


『まぁ! 目が覚めたのね』


柔らかい声に驚くと、扉を開けて入ってきた女性がお盆に乗せた水差しと盥を運んできた所だった。その気配にも声にも敵意が感じられない。不思議に思いながらも、奏多はゆっくりとベッドの上で上半身を起こした。


『あの……私はどうしてここに……?』

『気を失っていたのよ。身支度を整えて、軽い手当てをしたわ』


奏多はそこで、自分の体を見下ろした。生成りの綿のような生地で出来た、上着を着ている。下も同じような素材の緩いズボンに着替えさせられていた。


『汗だらけだったから、申し訳ないけど私がやったわ』

『あ、有難うございます……』

『地下牢に入れられたそうね』


眉を寄せて厳しい表情を作った後、ため息を吐いて女性は肩を落とした。


『熱中症だったそうよ。その手当はされているようだけれど、改めて診察を受けて、ほか(・・)の所も治してもらいましょうね』


奏多の祖母と言えるくらいの年齢だろうか。優しいおっとりとした語り口に、思わずうなずいてしまう。

そこで、グギュル~と奏多のおなかが、盛大に鳴った。

女性は笑って、木のカップに水差しから水をつぎ足し、スプーンでかき混ぜる。


『おなかすいたでしょう? でもすきっ腹に食べ物は毒だから、まずはこの蜜水を飲んでね』


押し付けられたカップを受け取ると、ほんのり甘い香りがした。はちみつか何かを溶かしたのだろう。喉が乾いていたこともあって、奏多は用心するように一口だけ口を付け、次に耐え切れず、ごくごくと一気に蜜水を飲み干した。更にお代わりも作ってもらい、三杯飲み干したので、おなかがタプタプになってしまった。

女性は嫌な顔せず見守って、飲み終わった奏多に濡らした柔らかい布を差し出してくれる。


『さあ、これで顔を拭いてね。神官長を呼んでくるわ。誤解が解けたそうだから、もうあなたを尋問しようとか、害しようなんて人はいないから、安心してね』

『……誤解?』


フフッと女性は、親し気に笑った。


『私達……親戚らしいわね?』


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