父はイケメンのヒモ
本編になります。
※2025.2.21 修正
奏多の父、陽斗は、いわゆる『ヒモ』だ。働かないで引きこもり、研究と称して妙な趣味に興じている。それ以外の時間は瞑想や体を使った彼独自の修練を行う。かつては奏多もよく付き合わされた。そのほか陽斗は、彼の唯一の友人である隣の道場の師範である理央を相手に組手をすることもある。そこは基本的には合気道の道場なのだが、二人の組手は独特で、カポエイラのように流麗に体をひねり宙を舞って攻撃をし合う。時には刃を潰した得物を使って模擬戦をすることもあった。
母親はクラブやキャバクラをいくつか経営していて、家族の生活費全てを彼女が賄っている。なのに、働いていないヒモで暇な筈の父は、家事すらしない。家事をやるのは、何故か父の友人である理央である。小学生の奏多でさえ、微力ながらそれを手伝っているのに。
理央は奏多の家の一部屋を借りて同居している。兄や奏多が小さい頃から、家族同然に暮らして来た。最初は居候として家事を代行していたが、道場の経営が軌道に乗ってからは家賃を入れるようになり、一時家事から手を引いていた。
再び彼が家事を取り仕切るようになったのは、あるトラブルのせいだった。トラブルの原因は、ヒモの陽斗だ。
奏多の父、陽斗は高い背としなやかな体つき、外国にルーツを持つらしい白い肌と金の髪、エメラルドのような緑色の瞳を持つ精悍な容貌の、大層人目を惹くを大変な美丈夫だった。
つまり陽斗はただのヒモではなく、イケメンのヒモ、なのである。
おまけに研究が絡まなければ、柔和な笑顔で誰にでも穏やかに対応することが出来る。つまり外面が、すごく良い。参観日に学校を訪れれば、母親達の視線を独り占めし、皆授業観覧どころではなくなる。運動会の保護者競技のリレーではアンカーを務め最下位から逆転、ぶっちぎりで独走し黄色い悲鳴を浴びた。その上興奮しすぎて倒れた女性を軽々と抱え上げたものだから、更に悲鳴が上がった。
このように研究に没頭していなければ、随分まともに見えるのが災いした。
理央の道場が忙しくなったため、家賃を入れ掃除や炊事を派遣会社に依頼するようになった。しかし家事代行サービスから派遣されるのは、大半が女性だ。母、夕花は仕事で昼眠り夜出勤する逆転生活、陽斗は研究三昧の引き籠りでほとんど在宅している。当然の帰結として女性達は陽斗に好意を抱き、やがて思い余って迫るようになった。
女性に好かれるのがデフォルトの陽斗は他人の好意に無頓着だ。基本用がある時以外は趣味に没頭して自分から話しかけることもない。思いを募らせ直接告白してきたり、迫ってこられたりした場合はきっぱり拒絶し、夕花に申告して解雇してもらった。家事サービスの雇い主は陽斗ではなく夕花だからだ。さっさと妻に報告するその気のない相手に、解雇されてまで付きまとう女性はいない。が、一人勘違いする女性がいた。
彼女はどちらかと言うと地味な装いの女性だった。真面目過ぎるほど真面目に見えた。しかしやがて陽斗が趣味に没頭しているとお茶やお菓子をイソイソと持って部屋に入ったり、そのまま傍に居座ったり、派遣時間が終わっても鍋を磨いたり掃除をしたりで自主的に残業することが多くなった。陽斗は自分のことに集中しているし、追加で支払いも無かったので夕花も気づかなかった。理央も道場の社会人枠が盛況になり、帰りが遅くなりがちだった。
小学校低学年の奏多は、彼女を単に世話好きで真面目な人だと考えていた。兄も部活やバイト、理央の道場へ行っていて遅くなる。奏多は早く眠るので、彼女がいつまで家にいるのかわかっていなかった。
けれど、ある日夜遅くトイレに起きた。水を飲んで部屋に戻ろうとしたとき、陽斗の趣味部屋からドサリと物が落ちる音がして、扉を開ける。また陽斗が研究中に寝落ちし、机の上の物を落としたのかもしれない、と思ったのだ。
「とーちゃん、大丈夫? いい加減ベッドで寝たら……っ、うわぁ!」
ものに囲まれた部屋で父が仰向けに倒れていた。そこに覆いかぶさっている女性を見て、奏多は悲鳴を上げた。その女性が上半身裸だったからだ。ちょうど帰ってきた理央と兄の遥が、奏多の悲鳴に駆け付ける。女性は速やかに排除され、その後奏多の家に通ってくることは無かった。何故か付けられていた監視カメラに残っていた証拠もあって、契約は打ち切り、女性は派遣会社も解雇になったようだ。結局通報はせず、念書と慰謝料を貰うことで手打ちとなった。
以来、派遣サービスは週一昼間の掃除のみで、男性を指定。普段はロボット掃除機、洗い物は食器洗浄機、洗濯は九割クリーニングを活用し、下着のみ全自動洗濯機で……などと家電や外注で効率化し、なるべく他人を家に入れない方向で家事を再編成することとなった。買出しは止め、食材や日用品は宅配を利用し、食事は以前同様理央が作ることとなった。兄の遥もそれをサポートし、奏多も見様見真似でお手伝いする。小学生なのでそれほど上手にはできなかったけれども。下着や靴下も、下手なりに自分でたたむようになった。
多少不便でも、母親以外の女性が家の中をウロウロするのは小学生の精神衛生上よろしくない、と言う結論に至ったのは、奏多の預かり知らぬところである。
ちなみに裸の女性に覆いかぶさられていた陽斗は夕花に家を追い出される……ようなことは無かった。その時はちょうど夢中になっている研究があって、なんとその女性が傍にいることも話しかけられているのに気づかなかったばかりか、裸で迫られていても考え事に集中していたそうだ。
奏多の悲鳴によって、自分の上に上半身裸の女性が乗っていることに漸く意識が向いたとのこと。それを聞いた夕花は呆れた顔で小言を口にしたけれど、それ以上陽斗を責めるようなことはしなかった。
女性は必死で愛を告げ、二人で逃げようとまで提案したのだが陽斗があまりにも無反応なためどんどん行動が過激になって、とうとう馬乗りで迫るに至ったらしい。
何故女性がそこまでのめりこんだのか。
「お客様は神様だぞ」などと言う態度で接してくる横柄な客に対応して疲弊していたその女性は、仕事を続けるか悩んでいた。
しかし美形の奏多の父が、笑顔で挨拶してくれ。更には食後には「美味しい食事を有難う」とニコリと微笑む。優しく目を見て微笑まれ、恋に落ちた。日々接していくうちに、話しかけても無視されることが続き落ち込んだ。だが思い直し、家族のように気を許してくれるのだと自分に都合良く解釈する。雇われた初日の顔合わせ以外、忙しい妻の夕花が顔を見せることはない。だからだろうか、いつしか自分が彼の妻であるかのような、錯覚を覚えた。やがて何かに集中し、上の空でおぼつかない返事をする様子も、照れているだけのように見えて来た。しかしとうとう、はっきりと気持ちを確かめ合いたいと言う欲が抑えられなくなって、奏多が眠った後、理央と遥が遅くなる日を選んで行動に移ったらしい。
このようなハプニングはあったし、更に多少の波風もあった。世間一般の常識から少し外れた家族関係だったと思う。奏多に不満が無かったわけではない。けれども夕花が「家は家、他所は他所!」と胸を張って主張すると、それが正しいような気がして心が落ち着いてしまうのだ。三門家の大黒柱は、夕花だった。金銭的にも精神的にも。
さて高校を卒業した遥が海外を放浪すると宣言。そのまま二年が経った。たまに日本に帰って来ると変な衣装を着て、妙なお土産を持ち帰るようになる。どんな国に行ったか尋ねてみるものの、良く知らない地名を言われ、奏多は首をかしげる。スマホで検索しても出てこないような辺鄙な場所ばかりだ。MAPで検索すると微妙に似たような名前の土地が表示される。奏多は、遥は地名を覚え間違っているのだと結論づけた。彼は大抵二、三か月留守にして、おもいついたように帰ってくる、と言うのを繰り返した。決まってその夜は、理央と陽斗と何やらごそごそ話し込む。成長期には睡眠が大事だと、小学生の奏多は追いやられる。もっと旅の話を聞きたいのに、仲間外れのようで悲しかった。
そんな奏多の機微に気づいた母が、フォローを入れ、何くれとなく構ってくれた。美味しいお菓子を「奏多にだけね。内緒よ」と言って渡し、ギュッと抱きしめてくれたりする。休みの日には幼い頃のように添い寝してくれることもあった。もう高学年になるから恥ずかしい! と言いつつ、母を独り占めできて嬉しい気持ちになる。置いて行かれた陽斗が、遊んで貰えない飼い犬みたいに悄然としているのを見ると、優越感で胸がすいた。
夕花は見た目は儚げでたおやかな美女だが、その内実はパワフルで漢気があり、身内に数えた者に対して懐が深い人間だった。それでいて経営者としてキッパリと切るものは切ることが出来るシビアな面もある。奏多はそんな母が大好きだった。
普段研究のことばかり考えている陽斗でさえ、夕花が家に居て起きている日は、あからさまにウキウキしている。どっぷり妻に頼り切りで好き勝手やっているが、陽斗の愛情だけは本物だった。だから父に対する不満を燻ぶらせつつも、奏多は理央に愚痴をこぼすくらいで収めていたのだ。陽斗も遥も奏多も、夕花が大好きで大事だってことは共通していたから。
その夕花がある日、倒れた。
すると陽斗が壊れた。あからさまに動揺して、オロオロする。病院へ通い、面会時間が過ぎて追い出され、帰ってきては夕花のことを考えて涙ぐむ。
そんなに動揺するくらいなら、そもそも自分が働くなり家事をするなり、夕花を支えていればよかったのに。今更何やってんだよ! と奏多は父に腹を立てた。
とは言え奏多だって最初はそんな陽斗を励ましたのだ。理央も陽斗を気遣っていた。しかし理央は日頃の家事に加えて、夕花の仕事の引継ぎを補佐したり、病院や保険の手続き、家の支払い関係やもろもろを代行しなければならず、忙しくなってしまった。
大黒柱の母の不在、いつも陰ながらフォローしてくれる理央の多忙に、来年春には中学生になるとは言え、まだ十二歳の小学生である奏多の心は疲弊していた。
ちなみに奏多は世間一般の十二歳よりずいぶん考え方も覚悟も大人びていた。そういう自覚もあった。だらしない父を反面教師にしていたからだろうか。
だが、宥めても賺してもメソメソして一向に立ち直る気配を見せない陽斗に次第に苛立ちを募らせて行く。そしてとうとう、爆発した。
普段、陽斗が籠る研究室は、雑多なものが並べてある。触るなと言われているものもある。特に研究室の続き部屋、防音室のような場所は立ち入らないように言われている。いつも鍵がかけてある。奏多もわざわざ人の嫌がることはしたくない。鍵の場所は検討がついているけれど普段は近寄りもしなかった。
けれども、今日は違う。
爆発寸前の火薬が胸の中で、グルグルとぐろを巻く。陽斗が大事にしている、夕花より優先している研究を、この手で滅茶苦茶にしてやろうと思った。
鍵を開け、中に入る。壁際、四つ角に黒い大きな石が嵌っている空気清浄機みたいな装置があった。床を見ると、艶々の白い石が敷き詰められていてツルツルピカピカしている。真ん中に四隅と同じ黒い石がハマっていた。用途が分からないものすごく変な部屋だ。
腹立ちまぎれにまず、その空気清浄機を蹴る。だが、びくともしない。
真ん中の白い床をドンと踏みしめる―――こちらも、びくともしない。真ん中の黒い石は、四隅の石より少し小さい。こちらも蹴ってみる……が、やはり同じくびくともしない。自分の足が痛くなってしまい、暫く抱えてうずくまる。何を無駄なことをやってるんだ、馬鹿じゃないか? ともう一人の冷静な自分が遠くから呆れている。が、依然腹の中のグルグルは納まりそうもない。
痛みが少しマシになって来て、気を取り直す。床に嵌った黒い石を指で剥がしてみようとするが、もちろんビクともしない。今度はポケットから、部屋から持ってきた十徳ナイフを出す。キャンプを始める時、奏多用だと陽斗から与えられたものだ。同じものを、兄も持ってる。じゃがいもの皮むきとか、ノコギリで枝を切ったり火を付けたりとかこれ一ついろいろなことが出来る。キリを引き出して黒い石をえぐり取ろうとしたが、やはり固い。
小学生の自分の力では無理だ。兄なら出来たかもしれないけれど……
そこまで考えて、黒い石にポツリと水滴が落ちたことに気付く。それは、涙だった。
悔しかった。自分はずっと父に絵本の中の勇者になれると言われ、修練を積んできた。今思うと子供だましのような修行や訓練だった。理央の元で武術の稽古も幼い頃から始めるのと同時に、さまざまなことを陽斗に教わった。
しかし兄の陽斗と違い、奏多は才能に恵まれ無かったらしい。ある時から自分は修練に参加することを禁じられた。自分を守るために理央の元で武術の学ぶのは良いが、陽斗や遥が特別に行う修行に同行するのは駄目だと言われた。
そして『もっと子供らしいことをしたら良い』と、目を逸らして急に陽斗らしくないことを言い始める。
兄がなれる勇者に、奏多はなれない。実の父に、見放されたのだ。
高校卒業後、兄は海外放浪の旅に出かけた。自分もやりたいと言うと、奏多はダメだと言われる。高校卒業してから行くのだから、成人になるのだから自分の自由だろう! と主張しても、目を細めて『お前には無理だ』と断じられる―――割り切れない気持ちが渦巻く。悔しい気持ちや悲しい気持ち、父親の身勝手さに対する苛立ち……何より自分が不甲斐なくて。そんな気持ちと母の夕花のことが心配でならない、不安な気持ちがない交ぜになって体の中で、出口を求めて暴れている。
そう、奏多だって悲しかった。誰かのせいにして、何も背負わず不安を叫び泣きわめきたかった。だけど倒れた母の負担になりたくなかったから、我慢した。自分だって病院の面会時間を過ぎても傍にいたいと思う。だけど父親の陽斗が子供のように夕花に縋りつき『帰りたくない』と懇願しているのを目にして……諦めた。めっちゃ情けないし、みっともない。こんな大人と一緒に醜態を晒すのはごめんだと思ったのだ。
締め出されて家に帰った後も、陽斗はまだメソメソしている。初めのうち、奏多は溜息を吐きつつ慰めた。励ましてもみた。それなのに―――無視される。奏多だって泣いて暴れて、慰められたいのに。
どうしてこんな時に限って、兄の遥はいないのだろう。
理央は母のフォローで手一杯だ。父は大人なのに、なんでちゃんとした大人みたいな事をしないんだろう。まるで、体ばかり大きな子供だ。なのに外面だけは良いから、同級生の母親とか、家事代行サービスの女性は目をハートにして父を見る。ホントにばかばかしい……!
思い出すとまた腹が立ってきた。苛立ちをぶつけるように暫く石と格闘を続ける。が、握力が付きて十徳ナイフが、震える手からカランと落ちる。ぐったりと両手を床に付き、這いつくばった。それから、ずるずると床へ倒れこむ。
暫く泣いた。涙は勝手にあふれて、床を濡らす。
そうして泣いて泣いて、涙が枯れる頃―――パタリと体をひっくり返し、仰向けに寝転んだ。
シン……と心が白くなる。ぽっかりとした空白が訪れた。
大好きな絵本のヒーローを思い出す。
奏多が『勇者になりたい!』と言うと『なれるぞ』と父が請け負う。絵本が大好きなのは、それを寝る前に父が読み聞かせてくれたからだ。そういえば幼い頃、もう少し父は子供を構ってくれていた気がする。勇者の冒険や、その物語のサイドストーリーを教えてくれ、それにまつわる歌を歌ってくれた。いわゆるイケボと言うやつなのだろうか。その声には不思議な波動が籠っていて、聞く者の心を震わせた。
陽斗は絵本の国の言葉だと言って、不思議な言語を教えてくれた。いろいろな歌や呪文も。魔獣の倒し方や、薬草の効能……物語の設定は、実に凝っていた。だから幼い奏多は信じていた。これは本当の世界のことだと、そう言われて素直にうのみにしていた。いつか自分も勇者になるんだ! 遥にも負けない!! 強くて優しい救国のヒーローになる……!! などと意気込んだものだ。
実際は八歳差もあるのだから、兄の遥を打ち負かすなんて現実的ではない。けれども陽斗の言葉は妙な説得力があり、いつかは出来ると、信じることが出来た。
そう十八になったら冒険を始めるんだ。絵本の国、救国の勇者の物語の始まりは―――扉を開く呪文から、始まる。陽斗にその言葉を、暗記させられたっけ。
「『我が名は勇者! 扉を開く者なり 黒の月が満ちる時 我を誘い給え あるべき場所へ』……なーんて」
奏多は、かつて繰り返し覚えた呪文を呟く。すると、フッと目の前が真っ暗になった。
そこで初めて、違和感に気付く。そういえばこの防音室、窓もないのに、なぜ明るかったのだろう……? 灯りのスイッチも推してない。もしかして人感スイッチ? ひとりでに灯る、自動でつく照明だったのか……?
だがスイッチが入る気配は無かった筈だ。しかしこの部屋は、ほんのりとずっと明るかった。窓もないのに。
「うわっ」
途端に、体がずわっと持ち上がる―――かと思ったのは、錯覚だった。床がスッと消えて、自分の体が落下しているだけだと、すぐに気が付いた。冷や汗が瞬時に、ほとばしる。
―――お、落ちる―――!
ドスン!
『ぐっ……!』
助かった! と胸を撫でおろしたのは一瞬のこと。うめき声とともに、誰かが自分の下敷きになった気配を感じて、血の気が引く。
「ご、ゴメン!」
慌てて飛びのく。
金髪の、白い服を着た人が奏多の下敷きになって、蛙のように潰されていた……!
「大丈夫?」
あらためて駆け寄り、肩に手を置いて顔を覗き込む。どうやら、見た感じ無事なようだ。
助け起こそうと手を伸ばし、長い金髪をひとくくりにしたその顔を見て、驚いた。
「に、にーちゃん……?」
それは、兄の遥だった。
兄との再会
前回投稿から間が空いてしまったため、前回までのあらすじ↓を追加しますm(_ _)m
前回のあらすじ
妻の夕花が倒れたことにショックを受けた父陽斗のグダグダさに腹を立てた奏多は、腹いせに陽斗の趣味部屋で暴れる。すると突然暗闇に放り出され、落ちた先、下敷きにした相手は兄だった。