蚊取り線香
「ねえ、百合」
「はい」
「蚊が鬱陶しいので蚊取り線香、使いませんか?」
「いいですよ」
辰巳さんがいつのまにやら買ってきていた蚊取り線香。
それをつけて、窓を全開にして辰巳さんに引っ付く。
「穏やかな日常って感じですね」
「ええ、夏の日のね」
「なんか…」
ぽつりと本音を漏らしそうになって、どうするか考える。
辰巳さんは微笑んで私の言葉を待つ。
そういえば、思考も読める人に遠慮とか要らないと今更気づいた。
「…私、青春っていう青春って感じたことが少なくて」
「ええ」
「でも辰巳さんと出会ってからデートとか色々あって、花火を見たり文化祭に行ったりとか色々して」
「はい」
「…楽しかったなって。これが青春なのかなって」
そう言った私に、辰巳さんは頷いてくれた。
「ちょっと遅くなったかもしれませんが、紛れもなくこれこそが僕らの青春ですよ。百合と青春を楽しめて幸せです」
「辰巳さん…」
「愛していますよ、百合」
「私もです、とっても愛しています」
辰巳さんからキスをされる。
触れるだけのキス、大人のキス、そのどちらも味わって…二人で畳に寝転がった。
近くにあったタオルケットを適当にかけて、二人で目をつぶった。
「こんな自堕落な青春も、乙なものです」
「ふふ、はい」
それでいいのかとは聞いてくれるな。
これが私たちの青春だ。
「蚊取り線香の香りに、風鈴の音。蝉の声と、ぬるい風。そして君の体温。本当に夏ですね」
「やっぱりこういう古き良き夏もいいですね」
「ええ。ああ、でもやっぱりデートもしたいですね」
「この暑ささえなんとかなれば今からどこか行ってもいいんですけどね」
「百合にとってはきついでしょうから、今日はさすがにお預けですね。猛暑日ですし。その代わりいっぱい引っ付いて寝ましょうね」
妥協案が甘い。
甘い辰巳さんが好き。
「はい」
「良い子です」
辰巳さんに頭を撫でられると、その冷たい手のおかげかなんだか無性に眠たくなる。
「おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい。良い夢を」
やっぱり私には、こんな青春がぴったりだ。




