1 深い森の中から
ザ タッ ザ タッ ザ タッ
歩道が整備されていない獣道を一匹の獣が駆けていく。
獣にとっては慣れたことなのだろう。減速もせずむしろどんどん加速しながら深い森の中を疾走している。
「やっとだ…やっと!ここより広い世界へ…」
鼓動の高鳴りは息が切れているからではない。この先待っている未来への期待と希望のため。
森から出たことがない獣はひたすら走り続けた。自分以外の「誰か」がいるところへ。
途中で猟銃を持った男と出くわしたが腕と両足を嚙みちぎってきた。おそらく出血多量で死んだだろう。自分の前に立ちはだかる者は躱せばいい。威嚇しても邪魔するものは殺せばいい。とにかく行かねばならないのだ…!
どのくらい走り続けたのだろう。自分の真上にあった太陽は視界から消え、背中の方向に落ちてきているようだ。辺りも薄暗くなってきた。
すると、前方に明るい球のようなものがたくさん浮いているのが見えてきた。
「なんだあれは…」
いつも夜の森で明るさを感じるのは、空に散らばっている星の光か野宿をしている狩猟者が焚く火の明るさだ。自然のものに感じる強さと優しさを持ったまばゆい光しか知らない。
警戒しながらも好奇心がわき、光に誘われるよう足が動く。
ざわざわと人間の声がしてくる。香ばしい肉の匂いも漂ってくる。
「人間がいるのか、食い物の匂いもする」
一日中走り続けていた獣は腹が空いているのに気付いた。そして人間がいる。なにか食べ物をくれるのではないか。そう、森の中では時々犬を連れた人間を見かける。人間は犬に食べ物を与え、それはそれは愛おしそうに身体を撫でていた。
「人間は、俺にも優しくしてくれるんだろう?あの中に行けば、俺も幸せになれるんだろう?」
町に入ると、そこは人間があふれ、仲がよさそうな親子や腕を組み幸せそうな恋人たちが寄り添って歩いている。獣は、見慣れない風景に戸惑いながらも活気にあふれた様子に興奮が高まっていく。
ジューッジューッ
「焼き鳥、今できたてだよー!」
なんとも食欲をそそる匂いとともに女が声を張り上げている。空腹に我慢できなくなり、その屋台の方へ進もうとしたその時。
「あ!わんわんだ!ママ、わんわんがいるよ」
獣の後方から拙い声で自分を指さす少女がいる。その表情はぱぁっと花が咲いたようにはじけている。
「俺のことか?俺を呼んでいるのか?}
獣が声をあげた子どもに気づき、近づいていこうと一歩踏み出した時
「ぎゃっ!!狼よ!こんなところに!!」
隣にいた母親らしき人間が大声をあげた。
「誰か!早く逃げなきゃ!」
母親の叫びに回りの人間がきづいたのか徐々に周辺が騒がしくなってきた。
ガンッ
狼と呼ばれた獣は頭に強い衝撃を受けた。足元を見ると大きな石が転がっている。続けて地面を何個もの石が叩き、そこで自分が攻撃されていることに気づいた。
「あっち行け!」「このやろ!」
「なんでこんなところに狼が」
「誰もケガしてない?」
理解できないが自分を追い払おうとしている人間の声が聞こえる。
「俺はお前らを傷つけようなんて思ってないのに、なんで…俺の邪魔をするやつは許さない!!」
グルルルルッ……!
獣は低く唸ると石を投げつけてきた人間に向かって走り出した。
「は~い、そこまで」
走り出した獣の前に黒い仮面をつけた何かが立ちはだかる。人間…か?
「あ、翳様。なぜここへ?」
いきなりの出現に驚いた人間がその翳という人間に向かって問うた。
「あ~なんか、欠けたやつの気配がしてね。ねぇ君、半分あっちにいるでしょ。」
?
間違いなく自分に向かって言っているのだろうが、意味が分からない。
それでも自分を邪魔するやつは、殺してやる。俺には…
グルルルゥ
獣は仮面をつけた男に向かって走りだした。牙をむき出して噛みつこうとする。
グゥワァアアッ!!
「なに?あっちでもそうなの?」
仮面を付けた男はめんどくさそうに首をかしげる。
その瞬間、獣は自分の胸に鋭い痛みを感じた。
ぽたぽたぽた
赤黒いものが地面に散った。