4.侵入
「……ここ?」
「間違いない」
端末の画面を叩きつつ、サキは目の前の一軒家を見た。
門は錆び、庭は荒れ放題。屋根の色も褪せていて、典型的な空き家の佇まいである。
駅の周辺こそ建物はあったが5分も歩くと疎らになり、周囲には畑や田んぼが広がる。人通りも殆ど無い。人目を避けて隠れるにはうってつけの場所だ。
「その端末、単なるスマートウォッチってワケじゃないんだよな」
「あの人が作った物。その内、あなたも貰えるはず」
あの人、ね。
そういえば先生とサキは、どういう関係なのだろう? 訊きたい事が多すぎて、訊けていない。
「どう? 気配を感じる?」
サキの言葉に我に帰った。
「気配って、ビーストの?」
修一は首を横に振る。何となく嫌な雰囲気は感じるが、それが目の前の廃墟から漂ってくるものなのか、ビーストがいるからなのかは分からなかった。
まだムリか、とサキは独りごち、気持ちを切り替える。
「さっき説明した事、憶えてる?」
「え、ああ、手順ってやつか。ええと――とにかく、前に出るなって事だよな」
道すがら、説明された事を思い出す。
未登録ビーストの可能性は2つ。他所から移動してきたか、新たにこの世界にやってきたか。前者の場合はある程度人間社会に慣れている為、話が通じる可能性もある。問題は、後者の場合。今回のケースはおそらく、こちらだろうという。
「自分が置かれた状況が理解出来ずに、自暴自棄になっている事も多い。暴れる前に、説得できれば良いのだけど」
そう願うばかりだ。
そして今回、修一はあくまで『見学』という立場である。前に出ることは許されない。――全く、そのつもりは無いが。
「もし結界をあなたに向けて張られてしまうと、合流するのに時間がかかる。私に向けて張られれば、中から扉を作ってあなたを呼び入れる事ができる」
「ムリに中に入らなくてもいいんじゃないか……」
「それだと、見学にならない」
修一の建設的な提案は、にべもなく拒否されてしまった。
――結界、か。
昨日の夜に経験した、蒼い世界。あれはビースト同士の<決闘場>という事らしい。その結界を生み出したビーストと、そのターゲットしか存在できない、限定された異空間。他の生物の存在は一切排除され、風景も全てシルエットになって、固定化される。つまり結界の中での破壊は、現実の世界とは無関係という事。この能力があるからこそ、これまでビーストの存在が認知されていなかった、という事なのだ。
学校のあの部屋も倫子が作った結界と言っていたが、あれは倫子でなければ作れない、特殊なものだという。
本当に、何者なんだ? あの先生は。
「思うんだけど、出会い頭に君が相手を結界に引き込めば、話が早いんじゃないか?」
「結界を張るというのは、相手に宣戦布告するという事。説得がムリだったらそれも仕方ないけど――」
話もせずに、というのはナシか。
「行こう」
サキは周囲を確認し、門扉を押した。想像以上に大きな音をたてて開く。前のようにドアをぶち破ったりはしないだろうか、と半ば本気で心配していた修一だったが、サキはドアノブに手をかけて――バキッ、と音がした。
「……おい!」
「鍵がかかってた。どうせ、入らなくてはならない」
手にしたノブを投げ捨てて、サキはドアを開ける。ドア全体を破壊しなかったのが、せめてもの情けといったところだろうか。修一は肩をすくめて、後に続く。
不思議と、周囲に暗さは感じない。だが鼻につくカビと、埃の匂い。マスクを持ってくればよかったと後悔する。そしてさらに強くなる、空気の重さ。
しばらく気配を探っていたサキが、階上を指した。見ると、廊下から奥の階段にかけて足跡がある。裸足でなく、靴の跡だ。
ならば心置きなく、土足で上がれるな。
妙な事に安心しながら、中に入る。
「……何だ? この感じ」
周囲の空気に重さがあるような、プレッシャーのようなもの。
「分かる? これが、ビーストの気配」
そうなのか。でも、それが分かるという事は――。
「ねぇ、いるんでしょう?」
サキが突然声を張り上げ、修一は仰天した。
「私達は、敵ではない。あなたを守るためにきた」
そう、相手もこちらに気付いている可能性が高い。今更コソコソしても無駄という事か。
「話を、訊かせて欲しい。今からそっちに行く」
サキは階段に足をかける。
「――こないで!」
小さいが鋭く、重い声がした。「……こないで」
女性、それも結構若い感じだ。
「心配しないで。戦いをしにきたのではない」
サキは構わずに階段を上る。2階には部屋が2つあり、どちらもドアが閉じている。が、足跡と気配で、どちらにいるのかは修一にも分かった。
サキは修一をドアを挟んで反対側に立たせ、自身も壁に身を寄せる。手を伸ばし、ノブを握った。
「ドアを開ける。入っていい?」
「こないでって―—」
瞬間、重い空気中に、稲妻が光る様な衝撃が走った。「言ってるでしょう!」
ドアが轟音をたてて外側に弾け飛ぶ。悲鳴を上げそうになり、修一は慌てて口を押さえる。サキはこうなる事を予見していたのか、平然とした様子。修一と目が合うと、
「今のは、私じゃない」
「分かってるよ! ――てか、大丈夫なのか、あいつ」
サキは答えずに、部屋に入って行く。修一も顔だけ出して、中を覗いた。
6畳程の部屋だ。何も無い。それなりに明るく見えるのはカーテンの無い窓があるのと、ドアが開いたからか。埃の積もったフローリングの床に、壁を背にして、膝を抱えて座っている人物が見えた。少女だろうか。顔が膝に埋もれるようになっていて表情は伺えないが、長い髪が光に反射している。
「分かるでしょう? その気なら、とっくに結界に引き込んでる。私達に、敵意は無い」
少女に反応は無い。その代わりに、周囲のフローリングがガタガタと揺れ始める。サキが察した瞬間、フローリングは床から剥がれて浮き上がり、鋭い破片となって弾丸のようにサキを襲った。が、
サキがふわっと一回転した、と思った次の瞬間にその破片は細かく砕かれ、サキを避ける様に周囲に飛び散った。修一が覗いている側の壁にも着弾し、慌てて顔を引っ込める。
「無駄よ」
迎撃した脚を下ろしてトン、とステップを踏む。「お願いだから、話しを聞いて欲しい」
少女がゆっくりと顔を上げた。恐怖の為か口の端が震え、サキを見る眼も焦点が合っていない。
「落ち着いて。――あまり大きな音をたてると、人間がやってくるかもしれない」
サキの言葉に少女はブルッと震える。その表情を確認したサキは眉をひそめた。おそらくこの世界に来てから、そう時間は経っていない。だが、この怯え方は異常だ。それに少女の頬についているのは――血、ではないのか。
まずいかもしれない。
もし既に人間と接触し、それを手にかけているのだとしたら――。
「……人間の匂いがする」
「ここには、ビーストしかいない」
サキは少女の視線を塞ぐよう正面に膝を着く。「話、聞いてもらえる?」
「匂う……匂うわ……そこ!」
ズン、と部屋の空気が重くなったように感じた次の瞬間、戸枠ごと入り口の壁が吹き飛んだ。慌てて避けたのだろう、床に倒れている修一の姿が丸見えになる。
――しまった!
少女の体から稲妻のような光が弾け、制止する間も無くサキは飛ばされる。
光に眼を背けた修一が次に見たのは、少女の、少女ではない姿だった。修一よりも巨大化したその姿。一瞬、熊のようだと感じた。しかし、熊では有り得ない巨大な口と、両手の甲から長く伸びている、明らかに爪とは異なる刃物のような物体が異形の生物である事を告げている。
なんてこった、ここで変身しやがった!
ビーストと化した少女が、雄叫びを上げる。空気が震え、修一は耳を押さえて埃だらけの廊下を転がる。ドン、と音がして直前まで修一がいた場所に大穴が開く。ビーストの刃物が振り下ろされたのだ。
その威力を横目で確認しつつ、修一は這う様に階段を目指す。と―—振動と共に埃が舞い、正面に毛むくじゃらの脚があった。腕を振り上げるビースト。
「やめ―—」
反射的に両腕で頭を守ろうとした次の瞬間、目の前に蒼い「何か」が広がった。