7.贖罪
そんな村田とアトのやりとりを、翠は見ていた。この2人の間には、自分が知らない絆があるのだ。どちらかに依るでなく、互いに信頼しあっている、強い絆が。
それに比べて、私は――一方的に、守られるばかり。ビーストになっても変わらない。むしろ、守る側の危険度を上げてしまっている。
気づかれないよう、そっと修一を見る。
……強く、なりたい。
守られるばかりでは、ダメなんだ。絆は手に入らない。――強くならなければ。
「じゃあ今日は、帰るわ」
村田の言葉で、我に返った。アトも一緒に立ち上がっている。
「嬢ちゃんは、ごゆっくり」
「あ、いえ、私も帰ります。いつの間にか、こんな時間」
帰るといっても、隣の部屋に移動するだけなのだが。
「カップは置いといていいよ。後で片付ける」
「それじゃ悪いわよ。部屋を使わせて貰ったのに」
修一の言葉にせめて、というわけでもないが翠は手早く皆のカップを洗って片付ける。その間に村田とアトは部屋を出ていった。
「――じゃあ、おやすみなさい」
手を振って、翠も外に出た。途端に、全身が冷たい空気に包み込みこまれて、思わず身震いする。
……もう、秋も終わり、かな。
「こんばんは」
突然横から声をかけられて、跳び上がりそうになった。
「――あなた!」
アトがいたずらっ子のように、無邪気な笑みを浮かべて立っていた。
口を開こうとすると、アトは指を自分の口の前にやりそれを制する。さらにその指で差したのは、翠の部屋。
……入れて欲しい、という事? まあ――構わないが。
「お邪魔します」
アトはちゃんと挨拶をして中に入ると、部屋を見回した。「――へぇ、同じ間取りの部屋なのにこんなに違うんだ。面白いね」
「それで……何か、ご用?」
わざわざ解散してから声をかけてきたのだ。村田にも修一にも、聞かれたく無い話だというのは想像できるが、内容が全く想像できない。
「うん。その前に、ちょっと待ってね」
と、アトが言った瞬間翠の眼の前が蒼くなった。いや、眼の前だけではない。部屋の中、空間全体が蒼いだけの、色が消えた空間になっているのだ。
これは――。
「入った事あるでしょ? ビーストの結界」
……そうだ。以前権瑞に攫われた時。
「これはね、本来ビースト同士が戦う為の空間なのよ。誰にも邪魔されないように」
アトはそう言って、ゆっくりとこちらを向いた。「――あなたも、今はビーストなのよね」
体に走る緊張。
ちょっと待って。それって――。
が、アトは強張った翠の顔を見て微笑んだ。
「冗談よ。……ここなら、誰にも話を聞かれる心配がないから」
体から力が抜けて、座り込みそうになるのを何とか堪えた。が、次の言葉に翠は再び凍りつく。
「で、あなた。どれだけ成長しているの? ビーストとして」
「何を――言ってるのか」
答える声が、震えていた。
「私、見たのよ。権瑞を狙撃した時、あなたが着弾するより早く、耳を押さえていたのを」
アトは正面から、翠を見て続けた。「その後の、爆発の時もそう。誰よりも反応が速かった。人間には、不可能なレベルでね」
翠は観念して、大きく息をついた。
「……音が、聞こえるようになったの。それこそ、聞こえすぎる位に」
一通りの話を聞き、アトは頷いた。
「――なるほどね。権瑞が驚いたっていうのも、分かるわ」
「……そうなの?」
「確かにビーストの身体能力は人間とは比較にならない。聴覚もそう。……けど、変身しない状態でここまでというのは、成長という範囲を超えてると思う」
翠は俯いて、無言で立ち尽くしている。
変身しない――いや、違うな。変身できない状態、と言うのが正しいだろう。
「どうして、彼に相談しないの?」
「……これ以上、負担になりたくないもの」
それはもう、何度も考えた事だ。何度頭の中で修一との会話を繰り広げたか、わからない。
「今だって、十分負担になってるじゃない」
「わかってる! ……だから、せめて、って……」
アトは翠を煽るように、その周囲をゆっくりと歩く。
「……あなた、このまま守られるだけ? それでいいの?」
「良くない! 良くないって、そんな事――。けど、私に何ができるっていうの? できる事なんか――」
「ある」
暫時の静寂。翠は俯いたまま、ゆっくりと目を開く。その目の前に、アトはいた。
「あるわ。あなたにできる事」
翠からの疑問の視線を受けて、アトは続けた。「――けど、それには条件がある」
「……何?」
「認める事。自分が、ビーストだって事をね。――そして、信じる事。自分が、力を持っているって事を」
力――ビーストとしての、力。けど、そんなものが私に……?
自信を持てずに佇む翠に向けて、アトは手を差し出した。
「あなたが本気で強くなりたいなら、私、手を貸さなくもないわよ?」
翠は少しずつ視線を上げて、差し出された小さな手とその向こうにある、少し笑いを含んだ2つの瞳を見つめた。
「……どうして? そんな事をしても、あなたには何も――」
「損とか、得とかじゃあないの。……これは、贖罪なの。私がしなくてはならない事なの」
アトの真剣な眼差しと言葉に、翠は思わず息をのむ。
「あなたには、生きて貰わないといけない。その為に、私は戻ってきた。――私は、そう思ってる。だから、お願い。私に、その手伝いをさせて欲しい」
翠はゆっくりと手を伸ばし、アトの手を握った。彼女は本心を語っている。そう思った。
「私に――何ができるのか、わからないけど。……強くなりたい。そう思っているのは、本当よ。だから、こちらこそお願い。私が強くなる為に、協力して欲しい」
その言葉に、アトが無邪気な――としか言いようのない――笑みを浮かべた。
「取引、成立だね!」
取引、か。……正直、一方的に与えられているだけのような気もするが。そういえば――。
「……ねぇ、一つだけ、教えて欲しい」
「なあに?」
翠は小さく息をついて、言った。
「あなたは、一体誰?」
アトは翠の手を握ったまま、しばらく逡巡するように眼を動かしていたが、やがて口を開いた。
「……分かった。じゃあ、今から見せるね。――彼には、内緒だよ?」
見せる? 一体どうやって――。
翠が考える間もなく、アトの手を握ったままの掌が光を発したかと思うと、翠の頭の中に何かが流れ込んできた。
――気が付くと、部屋の中に色が戻っていた。
「今のは――」
アトは笑って、部屋に入る前にやったように、指を口の前にやる。
「彼には、まだ内緒だからね」
もう一度そう言うと、部屋を出ていった。