7.裏側
「嬢ちゃんがビーストに? ――って、それマジで言ってんのか」
口に持っていきかけたコーヒーカップを思わず止めて、村田は言う。倫子からも連絡があった時点である程度察してはいたのだろうが、それでもにわかには信じがたい話だったようだ。
翠は小さく頷き、
「そう……みたいです。自分では、よくわからないんですけど」
村田に連絡をとったところ、丁度外に出ていたという。相談がある、というと手近なファミレスで話そう、という事になった。
「……何で、ファミレスなんです?」
てっきりオフィスに来いと言われるものだと思っていた修一が訊くと、
「ナイショ話ってのは、こういうとこの方が広がらないものなんだよ」
と村田はニヤリとして言った。
「――本当に、場所をここにして良かったぜ。オフィスだったら、そのまま拘束されてたかもしれん」
「拘束って――」
そんな大袈裟な、と言いかけた修一だったが、以前自身に降り掛かった出来事を思い出して口を閉じる。
「お前さんだって、他人事じゃあねんだぞ。完全変身したって? そんな事知られたら、監視対象どころの話じゃない。即逮捕、監禁さ。……もっとも、敷島倫子がそんな事させないだろうけどな」
「俺の事はとりあえずいいんです。とにかく片桐さんを――」
「……ああ、護衛が必要って話だったな」
村田は腕を組んで唸る。
見たところ、翠は端末を付けていない。倫子が渡さなかったのだ。――つまり倫子にとって、翠は守る程の価値は無い存在である、という事なのだろう。そうでなければ、護衛を付けるよう依頼してくる事などあり得ない。
修一の方を見ると、それは分かっていると言いたげに頷いた。
分かっているといっても……なぁ。
要は全ての事情を知った上で、それを組織には秘密にして動いてくれ、という事なのだ。その意味を理解した上で頼んできているから、始末が悪い。
全く――皆、何でもかんでも俺に投げ過ぎなんだよ。
村田は内心ため息をつく。
「ま、嬢ちゃんについては、まだ親御さんの件だって片付いてないしな。それを理由にして、何とかするさ」
「ありがとうございます!」
2人が同時に頭をさげる。
「礼を言うにゃまだ早い。――分かってんだろうな? 結界を張られちまったら、こっちは手も足も出ないんだぜ?」
「それは……分かってます。連絡を貰えれば、後は俺が」
「そう言うけどな……」
言いかけて、村田は言葉を止める。修一がこちらに送ってくる視線。そこには、覚悟があった。絶対に成し遂げるという、強い覚悟が。
「――分かったよ。一つ条件、じゃないがお願いしてもいいか。2人に、だ」
「……何です?」
「何、大したことじゃあない。今、嬢ちゃんの仮住まいを探してるんだが、それが決まるまで2人一緒に住んでくれってことさ。修一の部屋でな」
村田は表情を緩めて、言った。修一と翠は顔を見合わせる。
「お姫様とその騎士は、できるだけ近くに居た方がいい。……当然だろ? 何恥ずかしがってんだよ。今更じゃねぇか」
「えっと……仮住まい探しって、それってどれくらいかかるんです?」
「お、訊いちゃう? それ訊いちゃう?」
村田の眼が得たりとばかりに輝く。
「いや、やっぱいいです」
嫌な予感がして修一は村田の言葉を遮ろうとしたが、遅かった。
「探す! ……探しているが、その期限は指定していない。……つまり、俺がその気になれば、お前達は卒業までどころか、一生一緒に暮らしてもらうという事も可能……っ!」
「……あまりかかるようならご迷惑ですので、私も自分で探しますけど」
冷ややかな翠の言葉に村田は苦笑し、
「冗談だよ。……まぁ、1週間ばかり待ってくれ。何とかしてみせるさ」
◇ ◇ ◇
村田は2人を先に帰らせると、やおら腕を振り上げて背中合わせに隣の席に座っていた人物の頭を叩いた。
「――で? お前さん、いつまでそこに居るんだ?」
「何すんのよ! ――って、いつから気付いてたの?」
アトは叩かれた頭を押さえながら振り向いた。
「入ってきた時からだ。だいたい子供一人でのファミレスなんて、怪しすぎんだろ。よく入れたな?」
「お父さんと待ち合わせって言ったら、普通に入れてくれたわよ。注文はタッチパネルだし、持ってきてくれるのもロボットだから、入っちゃえば干渉されないしね」
村田はアトのテーブルに広がる食べ散らかされた食器の数々を見て、目を覆いたくなった。
「だいたい、オフィスにしなかったのもあたしに話聞かせる為なんでしょ? だったらいいじゃない」
まぁ、そうなんだが。
席を移ろうかと思ったが、コーヒーカップを置くにも苦労しそうな惨状だったのでアトを移動させて、テーブルの片付けを依頼する。
「話は聞かせて貰ったわ」
アトはストローに口をつけながら言った。グラスに波々と注がれたメロンソーダが一気に減っていく。「あの子の護衛、引受けてもいいわよ」
村田は片眉を上げる。実際、翠の護衛という話を聞いた時に真っ先に浮かんだのが、アトの顔だった。やはりビーストにはビーストなのだ。
「察しが良くて助かるが……その前に訊きたい事がある」
「何?」
「スタングレネードと参式、何で勝手に持ち出した?」
アトの眼が泳ぎ出す。眼の動きに続いて首も徐々に横を向き始めたが、村田が席を立つ素振りをしたので慌てて正面を向いた。
「ちょ――ちょっと待って!」
「俺達の取引は、お前さんを成長させる為に俺がビースト退治を手助けするって事だ。――一人でビーストを倒せる位成長したってなら、取引もここまでって事だよな。武器も、返してもらうぞ」
村田はポケットからスイッチを取り出す。それを押すと銃身が自動的に分解され、引き金も固定される。アトにライフルを渡す条件に付けたのが、この機能だった。当然だろう。もしアトが成長しきり、武器を持ち逃げされるような事態になったら只事では済まないのだから。
「待ってよ……待ってったら……」
声が徐々に小さくなり、俯くアトの小さな身体が、さらに小さくなったように見える。
――演技なのか、そうでないのか。正直判断がつかない。
「ごめん……なさい……」
消え入りそうな声を聞いた村田は一つため息をつくと、改めて腰を下ろす。
スタングレネードも参式も、厳重に管理されている。持ち出しは勿論、使用した際には細かい報告書の提出が義務付けられている。それが無許可で持ち出されたというのは、大問題だ。――通常ならば。
管理責任者は、室長である村田。だから、誤魔化す事ができる。アトも、それを知った上での行動だろう。
「俺が言ってるのは、信頼の問題だ。お前と取引する事で、俺も相応のリスクを負ってる。好き勝手やる奴を、信頼する事なんか出来ない。まして他人の護衛なんか頼めるわけ無い。……分かるよな?」
アトは俯いたまま、小さく頷く。
村田はしばらく無言でそれを眺めていたが、視線が少し上を向いたタイミングで、口を開いた。
「エルをやったの、お前なんだろ」
アトが視線を真っ直ぐこちらに向けたまま、ゆっくりと顔を上げる。間違いなく、それは肯定の意味だった。
――あの夜。倫子に手出し無用を言い渡されていたが、村田は独自の判断で人員を動かし、現場を特定していた、しかし結界を張られると手出しができないのも事実。それでも諦めきれず、公園内をウロついていた時に聞こえた銃声。それも2発。方向を特定するのに手間取り、現場と思われる場所に辿り着いた時には既に全て終わっており、地面に参式の残骸が散らばっているだけだったのだが、その途中でスタングレネードと思われる光も目撃していたのだ。
「ったく……参式だって、俺の予備のヤツだろう。バラバラにしやがって」
村田は温くなったコーヒーをすする。「――いい機会だ。話して貰うぞ。お前さんが何者で、何をしようとしてるのかを」
「……分かった」
アトは頷いた。「でもその前に――」
「何だよ?」
「飲み物のおかわり、持ってきていい?」
村田は改めて、ため息をついた。




