6.困惑
「ぅ゙〜〜〜〜〜〜ん」
敷島倫子の唸り声を聞き続けて、もうどれくらいになるだろうか。学校内の結界の中。腕を組み、頭を抱え、スツールの上で回り、脚をブラブラとさせ、突然立ち上がって部屋の中を徘徊する。ありとあらゆる悩みの行動パターンを経た後に、
「――分からん!」
と、胃の腑から捻り出したような声を上げてスツールにドン、と腰をかけるとため息をついた。
片桐翠が不安げにこちらを見てくるが、修一にはどうすることもできない。
「確かにビーストの気配がしてる。ここに来れているし、彼女はビースト。それは間違い無い。……でも、それだけ。肉体的な構造や、能力なんかは人間そのもの。――こんな事例、見たことも聞いたこともないわ」
「でも、人間からビーストにといえば俺だって――」
「あんたは、また別のハナシ」
言いかけた修一に、倫子はにべもなく言い放つ。
「人間を無理矢理ビーストにした。できてしまった。それか問題なのよ。――参ったわね。あの子がそういう事を研究してたってのは知ってたけど、まさかここまで……」
――俺とは別。つまり自分は他者によりビーストにされた、ということでなく自然にビーストになった? もしくは……最初から、ビーストだった?
修一はそこまで考えて、頭を振る。今は、自分の事はいい。まずは翠の事だ。
「……今後、俺みたいに徐々に変化していくって事は?」
「どうかしらね」
その質問に倫子は眉根を寄せ、「ビーストの心臓を食べれば、もしかしたら成長するかもしれないけど」
倫子の視線を受けて、修一は肩をすくめる。そうまでして成長させる意味は無いし、それ以前の問題として、翠が他のビーストと戦って相手の心臓を奪うなど、想像もできない。
「俺とは違うっていうなら……人間に、戻せるってことも?」
翠の背筋が少し正されたのがわかる。
「……権瑞次第よ、悔しいけど」
ひっつめ髪を、ビンビンと引っ張りながら倫子は言う。イラついている時のクセだ。
「つまり、権瑞に直接訊くしかないって事ですね」
倫子はまぶたを閉じて肯定する。
「なら一刻も早く――」
「慌てなさんな。わからない? この状況を作り出すのが、権瑞の目的だったのよ。あんたの方から戦う事を望む状況をね」
立ち上がろうとした修一を制すように、サクラが新しいジンジャーエールの瓶と氷の入ったグラスを置く。翠にはオレンジジュース。
「奴は、手ぐすね引いて待ち構えていると思うわ。対してあんたはどう? 完全な変身をしたのはまだ一度だけ。しかもその後は気を失ったりして、全然使いこなせてない。そんな状態で戦って、勝てるような相手じゃないわよ」
戦って勝つのが目的ではないが、そうでもしないと話が通じないであろう事は想像がつく。
「向こうから来ないというなら、ありがたく時間を貰っときましょ。しばらくは普通に学校生活を楽しみなさいな。中間テストや、学園祭だってあるでしょ? 勿論、訓練は続けて貰うけどね」
唐突に試験や学園祭という日常の単語が出てきて、一瞬頭が混乱する。普通の学生生活、か。
「後はあなただけど……」
倫子は視線を翠に向ける。「改めて、色々大変だったわね。……でも、今すぐに出来ることは申し訳ないけど、無いわ」
翠は小さく頷く。
「幸い、と言っていいのかだけど、ビーストになった事による体への悪影響は出てないみたいだしね。黙ってれば、普通の人間と何ら変わらない状態よ。だけど――」
と、倫子は言い淀む。
そう、問題は他のビーストに襲われる可能性がある、という事だ。だがそれを翠に告げた所で、不安にさせる以上の意味は無い。だから、倫子も迷ったのだろう。
「……だけど?」
「ビーストは、ビーストを襲うって習性があるんだよ」
修一が代わりに口を開く。こうなった以上、知っておいて貰った方がいいと思ったのだ。4月の頃を、思い出す。あの時の自分の立場に、今度は翠がなった。なってしまった、という事なのだ。
「えっと、それって――」
「心配しなくていいよ。……俺が、守るから」
不安げにこちらを向いた翠に、修一は言った。が、言った方も言われた方も恥ずかしくなり、互いに顔を背ける。
「あらあら、お熱いこと」
今にも翠に飛び掛からんばかりに目を三角にするサクラをどうどう、と鎮めながら倫子が茶化す。
「――まぁ、あんた達がそれでいいならいいけどね。念の為、村田にも連絡しとくわ。四六時中一緒ってワケにもいかないでしょ」
サクラが横で何度も頷く。
「ちゃんと、挨拶と説明をしときなさいな。――2人で、ね」
――2人が結界を出ていくと、サクラは扉に向かってイーッと舌を出した。
「……あたし、あの女、嫌い! お兄ちゃんに優しくされて、いい気になっちゃってさ」
「まぁ、そういいなさんな。可哀想な子なんだから」
倫子は苦笑して、タバコに火を付ける。「それより、気がかりな事があるでしょ」
「あぁ……」
サクラはばつが悪そうに口を尖らせる。「あたし、悪くないわよ。あんなのがいるなんて、聞いてなかったもん」
――巨大な銃を持つ少女の姿をしたビースト、か。
煙を吹き出して倫子は呟く。
しかもスタングレネードを使った、と。さらにエルを襲い、権瑞の事まで知っていたという。
「どう考えても、人間が協力してるわよねぇ……」
とはいえ、村田を問い詰めてもシラを切られるだけだろう。実際に、何も知らない可能性も否定できない。人間だって、一枚岩という訳でもなかろう。今更第三勢力? が、その場合狙いは何なのか。普通に考えれば、修一――正確にはその心臓――だ。
しかし、だとすると、エルを襲った理由が分からない。
あの時、修一は昏倒していてサクラもそばにいなかった。一見すれば、絶好の機会だったと言っていい。勿論、実際に襲おうとすれば間違いなく権瑞からの干渉があっただろうし、倫子も動いていたが。
「……ま、いいわ」
タバコの燃え先をしばらく眺めた後、倫子はそれを灰皿に押しつぶす。
「邪魔するなら、叩き潰すまでよ」