2.救出
電車のドアが開くスピードが、いつもより矢鱈遅く感じる。
修一は開きかけたドアを押しのける勢いで飛び出すと、駅の階段を駆け下りる。
片桐翠が行方不明になって、一週間。全く情報が得られない中、焦りと苛立ちだけが積もっていた。村田は部下を総動員して捜索にあたってくれているし、敷島倫子もサクラに学校を休ませて独自に動いていた。それでも、ただ待っているだけという事に耐えられず授業をサポって捜索に加わろうとしたのだが、
「あんたが狙われてるんだから、普段通りにしときなさい。ノコノコ出ていったら、アチラの思う壺なんだから」
そう倫子に言われてしまうと、一言も無かった。
だが今日、午後の授業が始まる直前にサクラから連絡が入ったのだ。
『なんかねぇ、イヤな気配があるんだよ。それも2つね。これってもしかして、アタリなんじゃないかなぁ?』
2つのビーストの気配。――2つ。
次の瞬間、修一は教室を飛び出していた。サクラが端末に送ってきた場所は、自然公園。以前、サキが襲われた場所。
「あ! お兄ちゃん! こっちだよ!」
公園に入るなり、サクラが満面の笑みで手を振っているのが見えた。少しは緊張感を持って欲しいものだ。
端末を見るが、ビーストの反応は無い。気配も、特に感じない。だが油断は禁物だ。2つの反応が例の2人――エルとアルだとすると、いつどこから隙間を開けて襲ってこないとも限らない。
「……やっぱり例の2人、ですかね」
修一は端末の向こう側にいる倫子に訊く。
『十中八九、ね。だけど以前とは周りの環境が違うわ。同じやり方では来ないとは思う。……油断しないで。何かあると思った方がいいわ』
「了解です」
まずは、まともに戦える環境を整える事。相手が結界を既に展開しているのなら、何とかしてその中に入る事だ。
「気配って、どこら辺で感じたんだ?」
公園の全体図の前で、サクラに尋ねる。
「えっとねぇ、今ここでしょ? 感じたのは……ここら辺、かなぁ」
と、サクラが指したのは公園の中心にある池。平日の昼間という事もあるのか、人がほぼいないのが幸いだ。修一は駆けるような勢いでそこへと向かう。
「ねぇ、お兄ちゃん」
追いついてきたサクラが、息も切らさずに話しかける。「奴らと一緒にさ、あの子、いるのかなぁ?」
「……分からない。けど、いなかったとしても居場所を喋らせるさ。何としても」
ふーん、とサクラは修一の顔をじっと見る。
「何だよ?」
「お兄ちゃんはさ、あの子を助けたいんだよね?」
「……そうだよ。あの人は、あまりいい顔をしないかもだけどな」
修一は歩を緩めながら、答える。同時に、片桐翠を助けなければ、と倫子に訴えた時の、彼女の顔を思い出す。そんな事はどうでもいい、と言いたげなのが明らかに分かる、無関心な表情。修一は改めて思い知ったのだ。敷島倫子もサクラも、人間である片桐翠の事を本気で助けようとはしていないのだ、と。
あくまで、ビーストである修一を守る事を第一に考えて、権瑞を倒す事を主目的に行動している。村田や人間側の組織の存在も、その為の駒でしかない。
――だから、自分しかいないのだ。片桐翠を助ける事ができるのは。
「でもさ、お兄ちゃん」
サクラがあっけらかんと言い放つ。「もし、だけどあの子がもう死んじゃってたら、どうするの?」
修一は思わず息をのむ。
それは、頭の片隅で考えていた最悪の結果だ。何しろ一週間だ。そうなっていたとしても、不思議ではない。だが、村田は言っていた。
「――殺すつもりなら、わざわざさらう必要はないだろ。その場で殺せばいいんだ」
何日もまともに寝ていない事を伺わせる表情で、村田は続けた。「敵の目的が、お前を苦しめる事だとしても、だ。もし俺だったら、お前さんを誘い出すまでは、殺さないね。殺すならお前さんと再会させた上で、眼の前で殺す。……それが、一番効果的だろ?」
……そう。だから、大丈夫だ。
「……大丈夫。片桐さんは、生きてるから」
サクラは一瞬眼を丸くして、それから笑顔を浮かべた。
「分かった! じゃあ、あたしお兄ちゃんを手伝ってあげるね!」
「そ、そうか?」
「うん、ママからは人間なんかどうだっていいって言われてるんだけどさ、やっぱりお兄ちゃんに喜んでほしいし。その代わり、うまくいったらサクラの事ちゃんと褒めてね?」
「あ、ああ、褒める褒める。超褒める」
「絶対だよ? 頭もちゃんと撫で撫でしてくれないと、嫌だからね?」
サクラはニッと歯を見せると、先頭に立って歩いていく。その姿を見つつ、修一は軽くため息をつく。
――正直、未だにサクラの事はよくわからない。それでも、戦力として頼りになるのは確かだ。人間の事を、少しでも気にかけてくれるようになれば、何かが変わるかもしれない。
そんな事を考えながら進んでいくと、池が見えてきた。――その水面に立つ、2つの人影も。
「――おいおい、勘弁してくれよ」
誰かに見られたら、どうするつもりだ。修一は思わず呟く。
「きたぁ! 本当にきたぜ! アル!」
エルが隣に立つアルの肩を叩く。
「うるせぇ! エル! そうなるようにしたんだから、当たり前なんだよ! ――ここからが、本番なんだぜ」
アルはそう怒鳴ると、視線をこちらに向ける。
「よく来たなぁ、中途半端野郎! 今日こそ、決着をつけてやるぜぇ!」
「――結界展開!」
話を訊くのは後だ。修一は端末を操作する。
「ふん、ご苦労なこった。――けどな、」
アルは蒼くなった世界を見回し、変身させた左腕を振った。「俺等の結界は、特別なんだよ! 相手の結界内だろうが、関係無く展開できるのさ」
言うが否や、開いた隙間に飛び込む。
「へへ、悔しかったら追ってきやがれってんだ!」
エルも続く。隙間は、開いたままだ。以前、挟み切られそうになった記憶が蘇る。
「――追う? お兄ちゃん」
サクラが尋ねる。
――そういえば、本来結界を展開したら敵も味方も離れ離れになってしまう筈だ。それが展開前と同じ場所に居たのも、奴らの特殊な能力によるものなのかもしれない。
「ああ、行こう。だけど注意しろよ。その隙間は――」
言いかけたその瞬間、サクラが隙間に向けて脚を振り落とした。ガラスが激しく砕け散るような音と同時に、隙間の周囲の空間にヒビが入る。
「罠だっていうんでしょ? こんなの壊しちゃえば、どーって事ないよ!」
サクラは笑って、追撃をする。修一は一度ため息をつくと、十分に広がった隙間を通り、相手の結界内に入った。
『……結界が二重になっているせいか、感度が良くないわね』
端末が音を立てる。『ま、奴らを閉じ込めるためには仕方なかったけど。……さて奴ら、どんな手で来るかしらね』
「でもママ、2人とも、結界の中にいるみたいよ? 前みたいな手は、使ってこないと思うなぁ」
サクラの言葉に驚いたが、よく考えればサキの記憶を引き継いでいるのだった。そうなると、サクラにとっても初めて戦う相手ではない、という事になるのか。
「そりゃそうだよ、お兄ちゃん。前の子の記憶は、バッチリ引き継いでるんだからね」
と、サクラはピースサインで応える。「だから――そこッ!」
サクラが石を蹴り飛ばした。それは少し離れた木の幹に当たって――悲鳴を上げながら落ちてきたのは、エルだった。
……虫じゃないんだから。
どうにも、締まらないものがある。しかし――。
「……お兄ちゃん」
「ああ」
2人は背中合わせになり、構えた。
反対方向からゆっくりと姿を表したのは、アル。
「……1つ、訊きたい」
修一は口を開く。「片桐さんをさらったのは、お前等か?」
「カタギリ……って何だ? 食いもんか?」
「お前は黙ってろエル! ――あの、人間の事だな? さらったのは、権瑞の旦那だけどな。……今は、あそこにいるぜ」
とアルが指したのは、公園の管理センター。
「……生きてるんだよな?」
「興味ないね。俺達は、権瑞から言われただけだ。お前さんに引き渡せってな。気になるなら、見に行ってもいいぜ? 俺等は遠慮なく、襲わせてもらうがね」
――生きている。修一はそう確信する。死体であるなら、『引き渡せ』とは言うまい。ならば――。
「……とりあえず、お前らを倒せばいいって事だな」
修一は端末のスイッチを押す。
「わかりやすくていいね!」
サクラも笑って、端末を構える。
そして、2人同時に叫んだ。
「――変身!」