5.復活
「それじゃあ、乾杯といきましょうか」
「……何に、です?」
「補習の無事終了と、サクラの本格加入を祝して、って事でどう? それじゃ、カンパーイ♪」
「カンパーイ!」
倫子が掲げたグラスにサクラがグラスを合わせ、修一も心の中でため息をつきつつジンジャーエールの入ったグラスを掲げた。
サクラという少女。サキの代わりに、倫子が生み出した新しいビースト。修一と顔を合わせるのはこれで二回目――の筈なのだが。修一が結界に入ってくるなりその腕を掴むとカウンターの中に引きずり込み、ピタリと横に張り付いて離れようとしない。初回で突然抱き付かれたのにも度肝を抜かれたが――片桐翠への言い訳がさらに大変だった――、倫子曰く、『記憶』の問題だという。
「サキは権瑞に操られていた、といっても過言じゃないわ。通常のやり方をすると、操られている心をそのまま引き継ぐ事になる。そうなると――」
「サクラも、操られる?」
「可能性、だけどね。……できるだけ、懸念は排除したかったわ」
そう言われると、修一には何も言えない。
「けどね、記憶を完全に消すってのは、簡単じゃあないのよ。残すものと捨てるものをバシッと切り分けられりゃ、苦労はしないんだけどさ。記憶って、そう簡単なものじゃないでしょう。複雑に、色々と絡み合ってる。……そんな中で残ったもののひとつが、あなたに対する感情だったという事よ」
「俺に対する、って……」
「あの子は、あなたと一緒に生きたいって言ってたわ。聞いてた?」
首を横に振るしかない。倫子は肩をすくめると、
「ま、ビーストがそんな感情を持つなんて、普通はあり得ないから仕方ないけどね。あなたと一緒に過ごす内に、何かが変わった。――そう考えるしかないわね。幸い、サクラの中では<兄>への感情ってことに置き換えられてるみたいだけど」
サキが持っていた、自分への感情。……全く、気付かなかった。修一は自分を殴りつけたくなった。知っていればもっと何か、出来たのではないか。
倫子は俯く修一を眺めていたが、
「いずれにしてもあれは生まれたばかりで、まだこっちの世界に慣れてないわ。サキの時と違って、あなたが主導権を持ってこっちの世界でどうすればいいかを教えてあげなさい。お兄ちゃんの言う事なら、素直に聞いてくれるわよ、きっと」
そう言うと、倫子は笑ってウインクした。
改めて、隣に立つサクラを見る。サキよりも背が低く、髪型が違うので気付きづらいがよく見ると顔立ちは似ている。サクラは修一の視線に気づくと笑って、腕を絡めてくる。……結界の中ではいいが、これを外でやられるとたまったものではない。
「……前に、準備って言ってたけど、もう終わったんですか」
「うん! もう完っペキだよ!」
倫子に尋ねたつもりだったが、サクラが答える。
――完璧? どこが?
と言いたいのが正直なところだが。
「基本的には、記憶と知識の補足をしていたのよ」
倫子が苦笑しながら言う。「今回は特に、色々と引継ぎができなかったからね。思ったより時間がかかったわ」
「聞いてよお兄ちゃん! サクラ、ずっとお風呂に浸かってたんだよ!」
「お、お風呂?」
修一は、サキが使っていた部屋の存在を知らない。
「そういう部屋が、ここにはあるのよ。あたしが生み出した子達は、普通のビーストと違うからね。身体や精神をメンテナンスするために、必要なの」
倫子のフォローを遮るように、サクラは続ける。
「そうそう! だからあたしね! ママにお願いして、このお洋服を貰ったの! 素敵でしょ、これ!」
「服? って――それ、体の一部じゃないのか?」
サクラは最初に会った時と同じ、夏の制服姿だ。
「違うよ! やっぱり人間と一緒に過ごすなら、同じようにしなきゃと思って! それにね! ホラ見て!」
サクラが突然スカートの前をまくり上げて、修一は仰天する。
「これ! 『ぱんつ』っていうの? 前の子は履いてなかったんでしょ? あたしちゃんと履いてるよ! 偉い?」
「偉い! 偉いから、スカート戻してくれ!」
サクラは不満げに鼻を膨らますと、渋々スカートを戻した。
「あ、そうだ」
苦笑しながら二人のやりとりを眺めていた倫子がタバコに火をつけ、言った。「2学期から、サクラは転校生として学校に通うからね」
「はぁっ?」
思わず素っ頓狂な声が飛び出す。
「考えてもみなさい。権瑞の問題はまだ何も解決していないのよ。今後もあんたを狙って来る筈。だったら、より近い場所にサクラに居てもらう方がいいでしょ? 本当はあんたと同学年で、同じクラスに入れたかったんだけど、3年のこの時期に転校生ってのも正直不自然だし、それに、ねぇ……」
二人の視線を同時に受けたサクラは、無邪気に笑ってピースサインを返す。
……正直、高2でもどうかと思う。精神年齢は小学生位という感じではなかろうか。
「はぁ……でも、授業中に事案が発生したら、どうするんです?」
確か、これまでは自由に動けていたサキが対応していた筈だ。
「今後、確実に権瑞が絡んでいると思われる案件以外は、基本人間達に任せるつもりよ。あたし達は、対権瑞に注力する。あちらの上にも、もう話は通してあるわ」
修一が余程不安げな表情をしていたのか、
「心配しなさんな。あちらさんが使ってる武器も随分良くなってる。あんたも使ったから分かるでしょ? 退治は無理でも、撃退くらいはできる筈。最悪、あたしが出張ればいいんだしね」
そう言って、倫子はグラスを空にする。
「――さて! それじゃ訓練しましょうか。ずっと勉強漬けで、体ナマッてるでしょう?」
「え? い、いや、丁度いい休暇になったといいますか――」
「あなたの成長もだけど、サクラの能力を確認する為でもあるのよ」
「行こ! お兄ちゃん!」
サクラは修一の腕を取り、訓練部屋まで文字通り引きずっていった。
「……さてっ、と。じゃあまずは、そのままの状態で組手してみて。問題なければ、自然に体が動く筈よ」
倫子は腕を組み、サクラに向かって言う。
「はぁーい」
と、修一と向かい合わせに立ったサクラはどうにも気が抜けたような返事をする。
……これで、戦えるのだろうか。力が強いのは分かったけど。
「じゃあ――お兄ちゃん」
ゆっくり、サクラが構える。と――空気が変わった。
「行くよっ!」
サクラが床を蹴った、と思った次の瞬間、修一の左腕に骨が軋むような衝撃が伝わる。蹴りだ。空中で回転し、さらに追撃。
「さっすが!」
蹴った反動を利用して、サクラは一度距離をとる。蹴られた腕が、痺れるように痛む。骨にヒビでも入ったか。我ながら、よく反応できたものだ。
気づくと、サクラの姿が無い。こういう時は――。
修一が横に飛び退くと、それまで居た場所にサクラの踵が落ちてくる。床が震える程の衝撃。
「――おい! それは死ぬだろ!」
「手加減無用って、ママが言ってたもん」
言うが早いか、サクラの姿が消える。――速い。でも! 左右から連続して叩きこまれる蹴りを、修一は落ち着いて捌いていく。
「ああもう! 何で当たらないのっ!」
サクラは腕も織り交ぜながら、さらに攻撃の速度を上げていく。が、修一には届かない。……当然だ。修一はサクラの攻撃を、これまで数えきれない程見て、受けてきたのだから。
サクラの動きは、サキそのものだ。そうなるようにした、という事なのだろう。だから、修一には分かる。対応できる。それはつまり、他のビーストに対しては申し分ない戦力という事になる。一方的に相手を蹂躙する事もできるかもしれない。
「もうっ!」
業を煮やしたのかサクラが距離をとり、力を溜める。
――回転して、ドリルのように突っ込んで来る気か?
修一も身構える。
「覚悟!」
サクラは勢いを付けて宙に飛び、回転の勢いを付ける為に両脚を広げた。
その瞬間、修一の視界に丸出しになった真っ白な物が飛び込んで来た。一瞬呆気にとられ、ハッと気づいた次の瞬間、凄まじい衝撃と同時に、眼の前が真っ暗になった。
「――勝いっ! やったね!」
倒れた修一に跨り、サクラは満面の笑みを浮かべてガッツポーズをする。
「ひ、卑怯だ……」
「あんたがスケベなのが悪いのよ」
倫子が苦笑を浮かべて手を叩く。「とりあえず二人とも、動きは問題無いようね。……じゃ、次。変身しての組手」
「はいはーい」
サクラは修一から降りて再び距離をとる。「じゃあいくよ! へーん……」
端末を付けた腕をぐるぐると回し、そして画面を心臓に押し付けるように胸に当てた。
「――しん!」
変わったその姿を見て、修一は眼を見張った。――白銀の獣。
「同じだ……」
「当たり前でしょ、あたしの子供なんだから」
倫子が何故か得意げに言う。
……そうか。サクラは本来、サキとして生まれてくる筈だったのだ。本来のビーストの姿は同一なのが当たり前、という事か。
「でも――いいのか、サクラ」
「何が? お兄ちゃんも、早く変身しなよ!」
サクラは鼻息を荒くし、腕を振る。
「……制服、全部破れちまったぞ」
その言葉に、サクラは動きを止める。おそるおそる下を見ると、そこにはバラバラに引き裂かれた制服や靴の残骸が散らばっていた。
「あたしの……ぱんつ……」
ぽつりと聞こえた悲しみに満ちた呟きに、ツッコミを入れるのは野暮というものだろう。
震える指でかつてそうだったものの切れ端をつまみ上げたサクラはしばらくそれを眺めていたが、突然慟哭の叫びを上げた。
「――許さない! 許さないぞーっ!」
「いや、俺のせいじゃ……」
「はいはい、サクラがやる気満々になったところで、あんたも変身する! ほら、変身変身、さっさと変身!」
修一はため息をつく。以前とはやはり少し違うが、親子漫才は健在という事か。
「じゃあ――変身」
修一の端末が光る。が、変わったのは、左腕だけだった。
「……それでいいの?」
「俺はシャツ、破りたくないんで」
倫子の追及を躱し、サクラの方を向く。「……それに、大丈夫ですよ、これで」
「もしかして――できるの? サキにやった事が。拳銃は、持ってないのよね?」
修一の言葉に含むものを感じ、倫子は問いただす。
「持ってないけど――多分、できます。そんな気がする」
修一の変身した左腕、その人差し指が変形する。全体が筒のように丸くなり、指先に穴が開いた。
「まさか、電流も?」
倫子の問いに答えるかのように、指先からスパークが飛ぶ。
少し眼を見開いた倫子だったが、すぐに満足げな笑みを浮かべた。
「……撃ってみます?」
「やめときましょ。模擬戦を、流血沙汰にすることは無いわ」
修一は安心して、息をついた。指の形状が元に戻る。
「じゃあ――二人とも、いいわね?」
改めて、倫子が声を上げた。
「――模擬戦、始めっ!」
2つの影が、同時に飛び出した。