6.結末
片桐翠は少し息を弾ませながら、蒸し暑い階段を上っていた。エアコンが入っているのは教室のみ。しかも終業式の今日はHRが終わった教室から早く学校から出ていけとばかりに消されていってしまう。
受験を控えた3年生といってもやはり夏休み、という響きに開放感を感じざるを得ない。だがそんな浮ついた空気も、ここまで来るとささすがに感じる事は無い。
――屋上への階段。
修一が居そうな場所の心当たりと言えば、ここしか知らない。……帰っていなければ、だが。
7月の上旬から約2週間、修一は学校を休んでいた。期末テストも、球技大会も全て欠席だ。
……原因は、ビースト絡みだろう。
それしか考えられない。大怪我をして動けないという事だろうか。それとも……。
勇気を出して何度かメッセージを送ってみたのだが、既読にもならないまま日が過ぎて、今日。
何事も無かったかのように、普段と同じ少し不機嫌そうな顔で教室に入ってきた修一を見た時には心底吃驚した。が、教室で理由を尋ねる訳にもいかない。
周囲からの心配というより好奇心からくる声掛けに生返事をする修一は、特に怪我などはしていないようだったが、何となく翠の目には彼が酷く疲れているように見えた。
だからHRが終わり、修一が教室を出るのを見ると直ぐに後を追う――つもりだったのだが、吹奏楽部の友人から夏休み中の練習について相談を持ち掛けられ、遅くなってしまった。
ドアの前で一度深呼吸をし、祈るような気持ちでノブを回す。
――いた。
相変わらずの気怠い雰囲気を漂わせながら修一はこちらを向くと、挨拶代わりに啜っていたジュースのパックを挙げた。
「よう。……今日も練習?」
「え? ――違う、けど……」
「じゃあ、どうした?」
言われて気が付いた。何故、自分は彼を追っていたのか。分かってる。心配だったからだ。けれど「心配だから話しかけようと思って追ってきた」など――言えない!
「だ――だって、神室君、ずっと学校休んでさ。メッセも読んでくれないし。ちょっと、気になるじゃない。私には、色々訊く権利があると思うな」
一気にまくしたてた翠を前に修一は頭を掻き、バッグに手を突っ込むとしばらくゴソゴソして、ようやくスマホを取り出した。
「……悪い、電池無いや。ずっと、カバンに入れっぱなしだったから」
それを聞いた時の翠は、相当な表情をしていたのだろう。修一は慌てて、
「ごめん! 謝る! ちゃんと説明するから!」
そう言うと少しずつ、あの日の事を話はじめた。ゆっくりと、言葉を選びながら。自分がビーストであるという事は、口が裂けても言えない。それを踏まえて話を繋げる。
「……で、気付いたら知らない天井で、2週間経っていた、と」
「ああ」
頷きながら、ストローをくゆらす。実際に目が覚めたのは1週間過ぎ位で、怪我もほぼ治っていたのだが、その後検査入院とかで半ば軟禁状態だったのだ。2週間も放っておけば、電池が無くなるのも当然というものだ。
「大丈夫、なの? 体は」
「心配ないよ。ばっちり、検査して貰ったから」
おそらく検査入院は政府の組織がゴリ押ししたのだろう。検査というより実験といった趣の検査には必ず仏頂面の倫子と、苦笑いを浮かべた村田の姿があった。が、倫子と話せたのは退院の前日だった。
それまで面会謝絶だった病室に、何事もなかったかのようにドアを開けて入ってきた倫子は、よっ、という感じに片手を挙げた。
「どう? モルモットになった気分は」
「……あまり、いいもんじゃありませんね」
「悪かったわよ。なんせあんたがこうなった原因が、ウチのモンの裏切りだからね。そこを突かれると、断りきれなかったわ」
裏切り――裏切り、か。
「サキは……」
「死んだわ」
倫子は腕を組み、それだけ言った。修一も、それ以上は訊けなかった。
「あんたが気に病む必要は無いわよ。……どのみち、寿命だったんだから」
しかし、修一の表情は硬いままだ。
「――どこまで、憶えてるの?」
「……途中までは」
「右腕と、上半身迄変身したことは?」
修一は頷く。
「でも、見えていただけ、でした。あとは体がもう、勝手に動いている感じで」
「……全く、制御できなかった、と」
修一は力なくうなだれる。
「途中からは、全く憶えていないんです。もっと――俺がちゃんと変身できていれば、サキを殺さなくて済んだかもしれない」
「気にするなって言ったでしょ。それを言うならあたしにだって、責任の一端はある。対策はしていたけど、結界に入るのに想定外に時間がかかっちゃったからね。……あんたはむしろ、サキを殺せるまでビーストとして成長できたってことを、喜びなさいな」
「そんな……」
「強くなりなさい。――ならないと、次はあなたが死ぬことになるわ」
そう言うと、倫子は踵を返して部屋を出ようとし――再度振り返った。
「あ、そうだ。次の子だけど、準備ができるまでもう少し時間がかかりそうなの」
突然の言葉に、修一は混乱する。
「次のって……」
「そのままの意味よ。サキが居なくなった分を、カバーしなきゃね。どんな子が来るか……ま、お楽しみにね♪」
そう言い置くと、倫子は病室を出ていった。
「……しもーし、もしもーし!」
翠の呼びかけに、修一はハッと我に返った。
「……本当に、大丈夫なの? 何か、心ここに在らず、という感じだけど」
「大丈夫だって」
隠し事をしている後ろめたさ故に、翠の心配そうな表情を見るのが辛い。
翠は肩をすくめると、
「ま、とりあえず色々と、大変だったんだね。その――死んじゃった仲間のビーストの子? 残念だったけど……人間に協力してくれるビーストも居るなんて、ちょっと安心したな。ビーストって、人を襲うとばかり思ってたから」
協力してくれるビーストと一緒に強敵と戦い、結果こんなことになった――とありきたりだが、無理が無いと思う話にしておいた。
「それで――大丈夫なの?」
「だから――」
「そうじゃなくて、試験。全部、休んじゃったじゃん。……大丈夫なの? 卒業できなくなっちゃうとか、無いよね?」
一瞬、思考が止まった。
それどころではなかったのは確かだが、何も聞いていない。担任からも、何も言われなかった。正直成績などはどうでも良かったが、卒業できないというのは流石に困る。
「……まだ、先生帰ってないよな」
「え? ……だと思うけど。まだ午後から部活あるし。あの人、どこかの顧問やってたでしょ」
「ちょっと、訊いてくる」
修一は鞄を担ぎ上げる。
「今から?」
「夏休み中ずっと、モヤモヤしたくないだろ」
……道理である。
その時、翠の耳に誰かが屋上への階段を上がってくる音が聞こえてきた。スキップをしているような、明るく軽やかなリズムを刻む足音。
「神室君――」
誰かが来る、と言う前にバン、と派手な音を立ててドアが開き、二人は仰天してそちらを振り向いた。
「あっ! いた!」
叫ぶような大声を上げたのは、低めのツインテールに長い髪を纏めた女子生徒。初めて見る顔だ。……2年生? ブラウスの襟に留められた校章の色を見て、修一は判断する。同級生ですら全員の顔を憶えているか怪しいのに、下級生なら尚更だ。
「……部活の後輩?」
翠を見ると、向こうも困惑した顔でこちらを見ていた。……違うのか? でも――。
少女は修一に駆け寄ると、突然正面から抱きついた。
「……はぁっ?」
と妙な声が出る。翠が口に両手をあてて、目を白黒させているのが見える。
違うんだ、俺は無実だ――。
と、その瞬間気が付いた。少女から感じる気配。これは――ビーストだ。
「会いたかったよ! やっと会えたね!」
と、少女は修一を見上げて屈託なく笑った。
「え、ええと、君は――」
「あたし、サクラっていうの!」
少女は改めて修一に抱きつくと、その腕に力を込めた。
「よろしくね! お兄ちゃん!」