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美女が野獣。  作者: 健人
第3章 6月
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1.級友《ともだち》

 夏服に変わったものの、それを理由にエアコンはまだ入っていない。公立校の悲しい現実である。だったら――という事で、放課後、片桐翠かたぎりみどりは屋上へ行ってみよう、と思い立った。


 所属している吹奏楽部の練習は休みだったが、3年である自分には練習時間を十分に確保できる自信が無い。できる時には少しでも、練習しておきたかった。

 練習場所は特に決められておらず、他者の迷惑にならなければどこでもいい。さりとて室内は暑いし、雨が降ってきそうな空模様のこの日、屋根の無い場所は遠慮したかった。人気が少なく、屋根のある場所――という事で、思い当たったのが屋上というわけである。


 だがそこには、先客がいた。


 神室修一(かむろしゅういち)。クラスメイトの一人で――ここしばらく、声をかけそびれていた人物。


 非常階段の建家に寄りかかって座っていた彼はこちらを振り向き、困惑と愛想笑いを混ぜて2で割ったような微妙な表情を浮かべた。多分、自分も同じだろう。

 少し前、深夜のコンビニで起きた、不可解な出来事。店長という人物からは口外しないように、と言われている。実際誰にも話してはいなかったがそれは別に言われたからでなく、話したところで信じて貰えない類の話だからだ。


 けれど、信じて貰える人が一人だけいる。今、目の前に。


 だけど、話していいのだろうか? あの時の行動からして、彼が店長側の人間であることは確かだ。別に脅されているわけでもないが、そんな迷いが事件以降何となく修一を避けるような行動を翠にとらさせていた。


「――何やってるの?」


 多分自然な感じに、言えたと思う。


 よぅ、と修一は手を挙げる。


「……まだ、部活なんだ?」

「夏まではね。大会があるのよ」


 部活毎に時期のズレはあれど、3年生は随時引退して受験に集中していく。彼は確か―—帰宅部?


「ここで、練習すんの?」

「――と、思ったんだけどね?」


 翠の逆に問うような言い方に、修一は腰を上げようとする。翠は慌てて、


「いいわよ、別に。どこか探すから」

「探すって……」

「いつ降ってくるか、分からないでしょう?」

 翠は空を指し、「屋根があって、あまり人がいなそうな所――」


「ここが一番だよ、それだったら」

 修一は立ち上がった。「校舎の中で独りで居られる場所を、誰よりも知ってる俺が言うんだから、間違いない」


 その言葉に、翠は何とも言えない表情で応える。


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 翠は屋根があるギリギリの、建屋の端に椅子を広げた。


「……真ん中に来れば?」

「追い出すって感じになるのは、嫌だもの」

 何となく、少し意固地になって言い張る。「ちょっと、うるさくなるけど」


 修一は困惑したようにこちらを見ていたが、やがて腰を下ろして持っていたパックのジュースを啜った。

 修一の視線を感じながら、楽器の準備を始める。


「あ――」

 オイルの瓶が落ち、修一の近くまで転がった。修一はそれを左手で拾いかけ……一瞬迷ったように見えたが、右手でそれを拾って、翠に手渡した。


「……ありがと」


 オイルをさして可動部の動きを確認し、準備を終える。


「結構、手間がかかるんだな」

「まぁ、ね。慣れてるから」


 一吹きだけ、パッ、と鳴らしてみる。天気のせいか音も少し湿気ている感じだが、悪くはない。


「……ねぇ、放課後って、いつもここにいるの?」

「ん? ああ――」

「いい所ね、ここ。涼しいし、人も来ないし。こんな所があったなんて、知らなかったわ」


 修一は何と答えたものか、というように視線を泳がせていたが、


「ええと――それ、いいのか、練習。ラッパの――」

「トランペット、ね」


 翠はぐっとそれを突き出し、修一の言葉を遮る。


「ああ、トランペット、な」

「よし。――まぁ、練習はいつでもできるけど、神室君と話す機会なんて、滅多にないじゃない? だったら、そっちの方を優先しようかなって」


 話す機会を作らなかったのは自分もだが、そこは照れ隠しである。


「……例の事か」


 相手が察してくれた事に感謝しつつ、視線で肯定する。


「悪かったな。……その話をしていいのかどうか――いや、話しかける勇気がなくて、さ。つい、放ったらかしになっちまった」

「それは……」


 勇気がなかったのはお互い様だ。――だけどそんな事、言えるもんか!


「それは、さ。やっぱり、事情を知ってる人から話しかけてくれないと。……わかんないからさ、こっちは」

「そうだよな、ごめん」


 そう素直に謝られると、それはそれで困ってしまう。


「……あの時、何を見た?」


 訊かれて、翠は改めてあの夜の事を思い出す。見たのは、一瞬。コンビニの駐車場で逃げる自分の後ろから、物凄い勢いで飛ばされてきた修一と、その上にのしかかる、背中から数本の()()が生えた黒い影。


「それ以外にも店長さんは拳銃みたいのを撃つし、神室君は目の前で突然消えちゃうし……。誰にも言うなって言われたけど、どう言えばいいのか、言いようが無いわよ」


 その言葉に、修一は苦笑を浮かべた。


 目の前で突然消えた――結界を展開した瞬間の事だろう。端からだとそう見える、という事か。


「……ああいうのが、世の中にいるんだよ。殆どの人はそれを知らないけど」

「あれ、何なの?」


 その言葉に修一はしばし言葉を選んでいるようだったが、


「ビーストって、呼んでる」

「ビースト?」

「ここじゃない世界から来た、生き物。普段は人の姿をして、暮らしてるんだ」


 ここじゃない世界? それって、どこよ?


「――で? 神室君たちは、それを退治して回ってる……とか?」


 まさかそんな映画みたいな事が、と冗談で言ったつもりだったが、


「そう……とも言えなくもない、かな」


 修一がニコリともせずそう言って俯くので、何も言えなくなってしまった。代わりに、手にしたトランペットをくるっと回した。


「何、それ。カッコイイな」


 修一が声をあげる。


「本当は、良く無いんだけどね」そういいつつ、翠はもう一度回す。「私、これが一番やりたくて、吹奏楽部に入ったの。昔、何かの映画で見て格好良くって」

「それができると、やっぱり上手に吹けるように――」

「なるワケないでしょ」


 ですよね、と口の中で言いながら、修一はジュースのパックを吸い潰す。


「大会って、いつ?」

「夏休みに入って、すぐかな。それが終われば――」

「受験に集中?」


 受験、か。

 修一の言葉に、翠は曖昧な笑みを浮かべる。


「――やっぱ、音楽関係の学校とか?」

「ないない、それはないって」翠は慌てて手を振る。「音楽の学校に行くのって、そんなに簡単じゃあ、無いんだから」

「そうなのか」

「そうよ。ああいうのは、一日の半分以上練習しているような、そういう人達が行くものなの」

「良く知ってるんだな」

「まぁ、ね。一応、ちょっと、調べてみたりしたから……」


 翠は言葉を止めて、何度かまたトランペットを回す。


「――そっちは、どうするの?」

「え?」

「進路。神室君は? 行きたい大学とか、あるの?」


 修一は一瞬、言葉に詰まったように見えた。……何か、いけない事を訊いただろうか?


「……俺、多分、大学は行かないと思う」


 その言葉に、トランペットを取り落としそうになった。二人の通う高校では、ほぼ100%が進学希望だからだ。


「……周りには言ってないんだけど、俺、両親いなくてさ。今は一人暮らしでバイトもしてるけど、学校のお金は、叔父さんの世話になってる。だけどこれ以上甘える訳にもいかないかな、って」


 突然の告白に、翠は固まってしまった。


「……ご両親は?」


 口から出した後で、しまったと思った。


「事故でね。小学生の時だから、あまり憶えてないけど」

「ごめんなさい! 酷い事訊いて」


 立ち上がって頭を下げる翠に、修一は慌てて手を振る。


「こっちこそ悪いな、変な話をして。――まぁ、忘れてくれ。色々とな」


 ……色々と、か。

 修一はじゃあ、と言って立ち上がった。


「バイトがあるんで、帰るわ」

「あ――ねえ、待って!」


 翠は反射的に声をかけた。


「……何?」


 何も考えていなかった為、返答に詰まる。でも――でも、


「えっ……と、さ。連絡先、交換してくれない?」


 相当に意外な言葉だったのか、修一は眼を丸くして固まる。翠は慌てて、


「――忘れるわよ。忘れるけど、しばらく監視の人がつくって話だし。……何か、不安じゃない。だから……いざという時に話ができる人がいると、ありがたいなって。……ダメ?」

「いいけど……いや、でも、ちょっと問題がある」

「何よ?」

「……やり方、知らないんだ」


 翠は思わず吹き出した。


「ほら、スマホ出して! アプリ位は入れてるでしょ。――こうやって」


 付け合わせた2つのスマホからピロン、と電子音が鳴る。


「完了!」


 修一はスマホの画面を、まるで初めてそれを見る類人猿のような目付きで睨みつけていたが、ゆっくりとポケットに戻した。


「勝手に削除しないでよ」

「……しないよ」


 改めて、修一は自分の鞄を担ぎ上げる。


「……じゃあ。――今日は、ありがとうな」

「――え?」


 思いがけない言葉にポカンとしていた翠が我にかえった時には、既に修一の姿は無かった。

 翠は椅子に改めて腰を下ろし、息をついた。


 ――何か、ビーストの話が吹っ飛んでしまった感じ。何で急に、あんな話をしてくれたのだろう。……多分、クラスの男子でも知ってる人はいないのではなかろうか。


「ありがとう? ――ありがとう、か」

 呟きながら、またトランペットを何度か回す。「――まぁこちらこそ、かな」


 その顔には笑みが浮かんでいた。


 そんな彼らの姿を、廊下の窓から眺めていた人影があった。その人影は、トランペットの音が聞こえて来るとその場を離れ、歩いて行った。

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