3.経緯《いきさつ》
音が、戻ってきた。時間にしてたった数分程度だっただろうが、一時間近く経過したように感じる。
突然サキがテーブルを叩き、修一は仰天した。
「――何が! あの人の留守を狙ってくるような、臆病者のくせに!」
周囲からの視線を感じ、修一は慌ててサキを学食から連れ出した。
「どうしたんだよ、珍しいじゃないか」
サキが、あそこまで感情を露わにするとは。知っているのは名前だけと言っていたが、とてもそうとは思えない。
「……ごめんなさい」
サキは一度息をついた。「私があいつに会うのは初めて。だけど、過去の私があいつに殺されたんだと思う」
言っている事が良く分からない。……ここしばらく、こんな事ばかりだ。
修一は改めてため息をつく。
「とりあえず、結界に戻ろう。先生にも、報告した方がいいだろうな」
その言葉に、サキも頷いた。
◇ ◇ ◇
「――権瑞が来たぁ!?」
端末の小さな画面ででも、倫子の驚き具合がわかる。
「あの野郎、あたしの留守中を狙いやがったな……セコイ真似しやがって」
と、サキと同じ事を言う。
「少し、緊急事態ね。人間共にも発破をかけとくわ。さすがに数百ともなると、あたし達だけで対処するにはちょいとしんどそうだしね。それと――分かってるわね?」
倫子の視線が厳しさを増す。「変身したくない、なんて、ナマな事言ってる場合じゃあないわよ」
「……分かってます」
「なら、何とかなさい。自分自身を、守る為にね」
通話は切れた。
「――とりあえず、訓練の続き」
「その前に、教えてくれよ」
奥に向かおうとするサキに、修一は言った。「君と先生、そして権瑞との関係をさ」
「何故?」
「権瑞の言っていた事……気になるじゃないか」
あの母親、という言葉。それに過去の私、というサキの発言。何か繋がっている、彼らには、自分の知らない因縁がある。
「……分かった。あなたには、訊く権利がある」
サキは足を止め、スツールに腰をかけた。修一もその隣に座る。
「あのビースト――権瑞は、言った通り、私達の敵。もう、随分と長い間争っている。あちらは結界の外で変身したり、人間を殺す事に躊躇が無い。ビーストの存在が、一般の人間にバレる事も恐れていない。バレたら、殺してしまえばいい。そう考えているビーストの集団」
人間の協力を得て、できるだけビーストの存在を隠そうとする倫子やサキとは真逆の考えだ。
「昔は、それでも良かったかもしれない。例え変身した姿を人間に見られたとしても、人間が勝手に妖怪だ悪魔だと勘違いしてくれた。だけど人間の社会が変化するにつれて、そうもいかなくなってきた。全ての人間が管理される社会で、人間に化けて暮らしていくのは個人の力では無理。――そういう中で、人間社会でビーストが暮らせるよう、初めて人間側の協力を得られたのが、あの人」
敷島倫子、か。
「……どう、やったんだろうな」
「国の代表者達の前で、変身してみせたらしい」
――それって、所謂『脅迫』なのでは?
「それなりのリターンも提示したと聞いてる。具体的には、戦争への協力。ビーストを兵士として戦場へ送り込む」
修一は息をのんだ。人間体であっても、普通の人間とは身体能力や回復力が違うのだ。確かに兵士としてはうってつけといっても過言では無いかもしれない。だが、決して死なない訳ではない。
「そういったビースト達の犠牲を積み重ねて、私達は人間の信用を得てきた。――それを、権瑞達の勝手な行動で、失う訳にはいかない。ビーストが今後も増え続ける以上、人間の協力は不可欠」
……正直、どちらが正しいとか、そういう事ではないのだろう。だが人間側として考えれば、野放しにされているよりは管理されている事に越した事はない。
「……本当に、ビーストってどうやってこの世界に来るんだろうな」
どこかに倫子が作るような結界があって、そこがビーストだけが暮らす、異世界と繋がっているとか。
「わからない」
と、サキは被りを振る。「あの人なら、もしかしたら見当はついているのかもしれないけど」
「君は――どうやってきたんだよ」
以前遭遇した少女のビーストを思い出しつつ、修一は訊いてみる。
「私は、あの人から生まれたビースト」
それは、何となく想像していた答えだった。
「でも私は、普通のビーストとは少し違う。私は、子孫を残せない。そして生まれた時から、予め寿命を約100年と決められている」
「寿命?」
「そう。100年経つと、私はあの人に喰われるの。そして、改めて生み出される。以前の記憶を引継いで。私は、100年毎に生まれ変わりながら、ずっとあの人の為に働いてきた。――だから、記憶が残ってる。過去の私が、権瑞と戦った時の記憶が」
輪廻転生を人工的に繰り返されている、という事なのか。いや、生まれる先が最初から決まっているのだから、転生でもないのか。でもそれって何ていうか――。
「あの人の『人形』。そう、言われた事がある」
いや、それは言い過ぎではなかろうか。自分の意志が無いわけではなかろうに。いや、自分の意志のように見えて、実は違うのか……?
「分からない」
サキは淡々と答える。「自分が決めたつもりでも、もしかしたらあの人が決めた通りになっているのかも。いえ多分、そうなんだと思う。でも――それでいい」
「いいのかよ?」
修一は思わず声を上げる。
「私は、その為に生まれたのだから。……話は、これで終わり」
そう言うと、サキは立ち上がった。「行きましょう。今は、あなたを鍛える。それが私のやるべき事」