2話 見知らぬ場所
顔をあげると、そこには見知らぬ街並みが広がっていた。住宅街とも都会のビル群とも違う。そもそも家屋の建築様式からして異なるようだ。
地理の教科書の『せかいの建物』コーナーにこんな街並みがあったような気がする。イタリア?スペイン?ヨーロッパのどこかだったはずだ。薄い茶色の石造りで、木造家屋は見渡す限りない。
見渡してみて、人々の視線を集めていることに気づく。それもそのはず、俺が今座り込んでいるのは噴水の中だ。
なぜ、そんなとこにいるのか?
わからない。さっきまではるか上空を落下してたはずなんだけど。ヨーロッパのどこかの上空にテレポートしていたにしても、着地した瞬間に死んでいるはずだし。
でも、俺は今この通り生きているし。
ざぶざぶと、噴水を出るべく歩き始める。ああ、まわりの好奇の視線が痛い。ひそひそと話す声も聞こえて、自分のことを噂しているのではないかと思ってしまう。いや、実際しているのだろう。あの噴水の中でずぶぬれになっている不審者は何者か、と。
よく考えれば、こんな膝丈程度の深さの水場が、着地の衝撃を和らげてくれたとは考えにくい。何かしら他の要因があるはず。
噴水をでて、街並みを眺めつつ街を歩く。噴水の中の不審者ではなくなったはずだが、やっぱり他人の視線が気になる。いや、さっきよりも様々な視線を含んでいるような気がする。犯罪者を見るような目じゃないか、みんな。
周りの人々を見ると、たいていの場合目が合い、すぐにそらされる。さっきの好奇の視線とは明らかに違う、居心地の悪い視線が俺を貫き続ける。びしょ濡れの黒髪男性がそんなに珍しいか。……珍しいか。
そうだ。この町はどう考えても髪色が普通じゃない。まず、黒髪がいない。誇張抜きで、結構歩いたと思うんだけど一度も見ていない。では人々はみな金髪かといわれると、そうでもない。赤、青、ピンク、黄色、白、緑、金……黒以外コンプリートなんじゃないかってくらい様々な髪色の人が歩いている。加えて、犬や猫のような耳をつけている人が普通に歩いている。最初はコスプレか?と思っていたが、どう見ても自前だ。露店で立ち止まっているケモミミ少女がいたので興味本位で近づいたら逃げられた。当然か。というか、コスプレ少女が街を歩いていたらそっちのほうが注目を集めそうなものだが、彼女は特段注目されている様子もなかった。
「なんだ、どこなんだよここ……」
ここが日本だなんて信じられない。何が起きている町なんだ、ここは。
どう見ても日本じゃないだろって?
いや、俺もそう思うけどさ。人々が話している言葉が日本語なんだよ。外国語としてじゃなく、母国語として流暢に話している。聞いたことがないだろう、母国語が日本語の日本以外の国なんて。
ゆえに、さっきの彼女がなんて叫びながら逃げていったのかしっかり聞き取れているとも。「犯罪者ー!」だってよ。まだなんもしてねぇよ、未遂だよ。……って未遂ですらねぇから!
ただ、文字は日本語ではないらしい。さっき掲示板らしきものを拝見したけど、全く読めなかった。でも、同じように掲示板を眺めている人は読めているようだった。何やら掲示板の張り紙にある似顔絵と俺を見比べているようだったけど、似てなかった。どう見ても別人だろ、あれ。眼科行ってこい。
結局、歩けば何か見つかるかもしれないと思っていたが収穫なし。歩き始めてそろそろ一時間くらい。一度濡れた制服も乾いてきて、だいぶ歩きやすくなった。腹が減ったけど、あいにく今日は財布を持ってない。だって死ぬつもりで何も持たずに学校へ……。
そうだった。
俺は、死のうとしていたんだった。
死んでねえじゃん。
何をのんきに観光しているんだか。視線がつらいとか、言っている場合じゃないだろうに。友達はみんなもっとつらい体験をしたのに。銃で撃ちの抜かれるとか、視線に撃ち抜かれる何倍つらいことか。俺は、大事なことを忘れていた。
高いところへ、行こう。今度こそ、成し遂げるんだ。
今度こそ、一瞬で。……いや、みんなは血を流して死んだ。俺も同じように苦しむべきだ。探すべきは……銃を撃ってる場所とかあるかな。もしくは、雑貨店に包丁なんか売ってたり……。
あたりを見回すと、1つの屋台が目に留まる。なんだ、あの屋台は。近づいてみると、並んでいるのは明らかに刃物。それも包丁なんか比べ物にならないほど大きい。ここが日本なら、明らかに銃刀法違反。それを堂々と、この人通りの多い大通りに面した屋台で販売するって何事?
「おお兄ちゃん、なんだまたびしょ濡れかい?」
店主の屈強な男性が声をかける。俺のほかに客はいないようだし、俺に話しかけたのだろう。でも今なんて言った?また?
「……また?」
店主の顔をじっと見る。スキンヘアにもっさもさのひげは金色。肌は色黒で、服の上からわかる、マッチョだ。
「ん……?ああ、こりゃ申し訳ねぇ。人違いだった。」
やはり人違いだったらしい。こんなインパクトの強い男性を忘れるほどに、落下は頭に響いていたのかと不安になった。
「なんせここらへんじゃ黒髪ってのは珍しいもんでな。最近似たような黒髪のお客がいてな、まちがちった。」
「ああ、大丈夫です。ところで、商品は手に取ってみても?」
「ああ、もちろん。好きにしてくれ。」
好きにしてくれ、か。それは助かる。この中で、一番切れ味が良さそうなのはどれだろう。一発で内臓を掻き切ってくれそうな……いや、逆か。切れ味の悪いほうが苦しむ時間は長くなるよな?ならそっちのほうが……いや、悪すぎて死ねないのもまた問題だ。程よく苦しめそうなやつ……。
俺は一本のナイフを手に取った。刺して抜けないようにするためだろうか。先端に切り返しがついている。うん、これなら……。
「やめろ。」
店主が言った。
「……兄ちゃん、それはやめろ。」
一瞬、戸惑ってしまったがすぐに理解した。ナイフのことを言っているのだろう。
「このブキ、何か問題でも?」
「違う。」
違う……?
「お前さんが今しようとしていることを、やめろ。」
「ッ!」
バレている!……いや、本当にバレているのか?店主から見ると俺は迷った挙句、先端に切り返しのついたナイフを手に取ったお客。それに加えて珍しい黒髪に変わった服を着ている謎の人物か。つまり、店主は俺が殺人事件を起こそうとしていると思っているのだ。誰かを苦しんで死なせることを画策している不信者。ああ、そうだ。納得がいく。
「そ、そうですね。やっぱり誰かを殺すって良くないですよね。ありがとうございます。考え直します。」
「何言ってんだ、違うだろ。お前さんは今”自分を”殺そうとしている。それも最大限むごたらしく。違うか?」
「……違いますよ。」
俺は、笑えているか。「何言ってんですか」そう言おうとしたが、やめた。これ以上長く何かを言えば、声が震えてしまう。一言が限界だった。
怖い。なんでバレている?そんなに挙動不審だったか?誰かを殺そうとしていると思われる方がましだ。それなら止められるか、殴られるかで済む。自殺願望があるとバレると、心配や同情が加わる。クラスメイトが惨殺されたあの日から、「あの子を放っておくと自殺してしまう」「みんなで優しくしましょう」「大丈夫?なにかできることがあったら言ってね」「つらいことがあるなら私に話して」なんて言葉をいろんな言葉をかけられた。それは無理がある、と突っ込みたくなるような褒め方をする人もいた。それはみんなのやさしさだった。そこに悪意はなかった。だけど、俺はそれが怖い。今も、怖いんだ。向けられる同情の視線。かわいそうなものを見る視線。「つらい体験をした子供」への話し方。吐き気がする。
ああ、そうだ。逃げよう。たかがここで会っただけの店主に、事情を話して同情してもらう必要なんてない。逃げてしまおう。
「俺は知ってるんだよ、その目。仲間がそうだった。」
「は?」
知っている、だ?お前に何がわかるってんだよ。
「……長く話すつもりはねぇ。散りな。……ああ、お前さんの黒髪はちと目立つ。今は特にな。だから……ほら、コレ。」
店主が屋台の下から何かを引っ張り出し、投げてよこす。キャッチして広げてみると、それはフード付きのマントのようなものだった。
「武器が欲しいなら売ってやる。また来な。」
「……あ、ありがとうございます。」
また来な、か。予想外の言葉をかけられて、少し心がほわっとしている。お前にほわっとする権利なんてないぞ、と。そう責める自分がいるが、今は少し、目をそらしてもいいような気がした。
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