第95話
◆神坂冬樹 視点◆
学校へ行かなくなったからあまり関係ないけど、敬老の日を含む3連休直前の金曜日の今日は美晴さんは大学の友人との約束で夜まで帰ってこない。
僕のことを気にして予定をキャンセルしようとしたのだけど、それは止めてもらった。美晴さんが僕を大事にしてくれるのは嬉しいけど、僕のために友人を疎かにする様なことにはなって欲しくない。
みゆきさんも音楽教室で仕事へ出掛けているため、今日はひとりで過ごす。
この状況を良いことに婆ちゃんに連絡をし、今回も家の売買契約の同意書の親権者になってもらう事をお願いし、ついでに興信所に追加で依頼する上での代理の依頼人もお願いした。
前ははっきりしなかったから動けなかったけど、二之宮凪沙をどうにかするための情報収集を改めて依頼することにした。前回行った時に先付けで話はしているので、正式な契約は連休明けにして依頼の着手を先に行ってもらう様に電話を進めた。本来ならやらない契約の前に着手するイレギュラーな対応とのことだけど、僕は依頼をしていて問題がない実績があることと今回の内容については既に情報共有していて問題がない範囲であるとわかっているから対応してもらえるということらしい。
どうでも良い雑談として、鷺ノ宮の姉が性風俗店で働くようになり、一目惚れした調査員が客として通うようになっているらしく、見た目だけでなく性格も良い人との事ですっかりハマってしまっているとのことだった。ただ、働きだしてから出勤日にはたいてい行くくらいのハマり方で、興信所の同僚達は金銭的な意味で心配になっているらしい。
プライバシー的な意味で良いのかな?と思ったけど、伝えたかった主な内容が鷺ノ宮の姉の那奈さんは性格が良く家族のために自分を犠牲にしているから、間接的とは言えそういった状況を作っている僕に対して手心を加えて欲しいという意味合いもあって、興信所の人間としては危ない橋を渡った様だった。
たしかにその那奈さんとは会ったことすらないし、そもそも既に鷺ノ宮のこともどうでも良い。むしろ、今後の美晴さんのことを考えると二之宮対策で協力し合うことも視野に入れた方が良い様に思うまである。
あと、今となっては気乗りしないけど、美波がビデオチャットする件もあまり引き延ばせない。
昨夜ハルたちとビデオチャットしていた時にも、美波から早くして欲しいとせっつかれているから早く決めて欲しいとハルに言われたのを思い出した・・・
◆鷺ノ宮那奈 視点◆
私が性風俗店で働くようになって2週間が過ぎた。
面接へ行ったその日に『すぐにお金が欲しいの?今から店に出る?』と即採用で心の準備もできていないままその日の内にお店に出るようになったことには驚いたけど、金銭面では助かっている。
まだ働き始めて2週間しか経っていないけど、既に前の仕事の2ヶ月分以上の収入が得られている。
性的な事は不慣れなので時々客さんを怒らせてしまったりもしているけど、大抵のお客さんはそれでも許してくれている。ただ、許してくれるからとそれに甘えてしまっては申し訳ないので、できる限り頑張って気持ちよくなってもらうようには頑張っている。その頑張る取組み方が良いと言ってリピートで指名してくれるお客さんも出てきてくれているので、お店からも評価が上がって助かっていて、もっと頑張ろうという気持ちにもなれて好循環であるように思う。
特に初日から私が出勤する日はほぼ毎回来てくれる私よりも若そうなお客さんは、察しが良いのか私が置かれている状況を慮ってくれて、そのお客さんを接客する時間は気が休まる時間になってくれている。
しかし、1回だけでも結構な金額がするはずなのに毎回来てくれて金銭面で大丈夫なのか心配になってしまう。
今日も朝早くから昼過ぎまでの朝番勤務だったけど、少し早いだけで今までとあまり生活時間帯が変わらないのも助かっている。
帰りの支度を整え店を出たところで急に腕を掴まれ振り返ってみると、元婚約者の義之さんが鎮痛な面持ちでそこに居た。
「那奈、こんなところで何をしていたんだ?」
「場所が場所ですから、ここから移動しませんか?」
「ああ、すまない。近くの喫茶店で良いかな?」
「構いません。それと、逃げたりしませんからその手を離してもらえませんか?」
黙って手を離し、その場からも見えるカフェの方を向かい歩き始めた義之さんの後ろについていった。
「それで改めて聞くのだけど、那奈はあんなところで何をしていたんだ?」
「察しが付いている通りだと思います・・・」
「何でそんな事を!?」
「隆史がしてしまったことのせいで色々とお金が必要になってしまっているんです。
母は精神的に疲れてしまって実家の祖父母に面倒を見てもらっていますが、病院へかかるのにもお金が必要ですし、父は会社を辞めて収入がなくなってしまっていますし、私がやるしかないんです」
「那奈が全部背負う必要はないだろう?
俺だって力になりたいんだよ。式のキャンセル料も払わないで良いよ。
状況が状況だから式は挙げないで良いし、婚姻だけでも成立させられないか?」
「お気持ちは嬉しいですけど、結婚は本人だけでなく家と家の繋がりでもあります。
お義父様、お義母様が反対されている以上は結婚するわけにはいきません。
むしろ、中条家の方々が良くても隆史が問題を起こした鷺ノ宮の家が縁を結ぶわけにはいきません」
「令和の今、そんな古臭いことを気にしないでいいよ。
隆史君がやったことは責められるべきことだしご両親が親権者としての責任を負うのはしょうがないけど、それは那奈には関係ない事だろう?」
「いいえ、それではダメなんです。少なくとも家族として見る人が世の中にはまだまだたくさんいます。
実際、私の職場にもSNSで隆史の事を知った人から『犯罪者の家族を辞めさせろ』というクレームがあり、会社も私に辞めるようにと促してきました。これが現実です。
私は中条家に迷惑をかけるだけの存在だから、お義父様たちも反対されたんですよ。本当はわかっているんでしょう?」
「そ・・・それは・・・」
「あと、私は義之さんの事が嫌いになったわけではないので、今の状況を見られるのは辛いです。
今後はもう会いに来ないでくださいませんか?」
そこまで告げると、義之さんは俯いてしまい何も言わずにテーブルに置かれたコーヒーカップを見続けていた。
「これ以上はお話することが無いようですので、失礼しますね。
私はもう義之さんの隣にいて良い資格を喪っていますから・・・意味はわかりますよね?
だから、もう二度と会いに来ないでください!」
テーブルの上に千円札を置いて逃げるように店を飛び出した。そのまま駅へ向かって走り出そうとしたら腕を掴まれた。
「だから、もう私には構わないでくださいと言いましたよね!」
「オレ何かやっちゃいました?」
先程お店で接客したばかりの若い男性常連客の風見さんだった。
驚いてしまい言葉が出なかったら更に言葉を重ねられた。
「早桜さん?
・・・ですよね?」
「あっ、そうですけどその名前をここで言わないでもらえませんか?」
源氏名で呼び掛けられ思わず、耳元へ口を運び小声でお願いした。
「そうですよね!
ごめんなさい・・・」
そのタイミングで風見さんのスマホに電話の着信があった。
「ごめんなさい、ちょっと出ます・・・
はい、川上です」
風見さんは川上と名乗って電話に出られた。風俗では風俗嬢が源氏名を使うように、お客様も偽名を使うことが多いとのことなので、風見さんが川上さんなのはおかしいことではないけど意外なところで本名を知ってしまい、何ともおかしな気持ちになった。
あと、風見さんに腕を掴まれたままなのでこのままだと移動できない・・・
「・・・神坂さんのご依頼ですか・・・」
小声だったけど最近ご縁がある神坂さんという聞き捨てならない名前を聞き、思わずスマホのスピーカーに意識を集中してしまった。
『・・・二之宮嬢、どうやら鷺ノ宮君をハメていたらしくて、そのあたりの洗い直ししたいんだってさ・・・』
「ちょーっと待ってもらっていいですか。今、出先なんで後で掛け直します」
通話を終えた風見さんはスマホをポケットへ仕舞い、こちらを向いたところで思いっきり殴り飛ばされてしまった。
風見さんを殴り飛ばしたのは義之さんだった・・・




