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ZARUZAN  作者: 遥々岬
第一章 富ノ國
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フィン・グ・ラリアープルの申し子たち


 星の煌めきは失せ、月が謙虚に成りを潜めたころ、太陽が空を赤く染め始めた。


 (ひいる)の翅を持つ男は、夜とも朝とも呼べぬ曖昧な時間に目を覚ましてしまった。

 体を起こし、ベットから足を下ろすと、男のつま先がひんやりと凍える。試しに足の指の先をもう片方の足の甲に重ね、表と裏を摩ってみるが熱は生まれない。

 あまりの寒さに、男は小さく息を吐いてみるが、息が白色に浮かぶことはなかった。

 活動を始めるには、上着を羽織る必要があるだろう。男はせめての凌ぎに自身の翅を(まと)う。幾分か増しになった気がしたが、まだまだ耐え難いほどに部屋は寒い。

 素足で履くには硬い革の靴に足を入れて、男はドレッサーに向かうと、椅子の背に掛けていた肌触りの良い上着を翅の上から羽織った。

 柔らかな厚手の裾から指先だけ出し、手の指を組んで擦ると、今度こそ僅かに熱が生まれた気がした。

 ようやく安堵した男は短く息を吐く。


 男はドレッサーの鏡に仄暗く映る己の姿を視界に留め、長く伸ばした髪を耳にかける。

 己の指の先が耳に当たると、一瞬だけ身動きが取れなくなった。

 向かい合う己の胸元に視線を落とすと、酷い気分になったのだ。


「どうして、こんなにも惹かれるのか」


 男は自問するように呟く。

 それはまるで、落胆しているような声であった。


 外からは早起きの鳥が跳ねるような声でお喋りをしていた。

 もうすぐ、朝がやってくるのだろう。


「……夜の”陽”は眩しすぎるんだ」


 鏡の中の男は何も答えない。当たり前だ。これは男の独り言にすぎないのだから。

 今も尚、部屋は凍えたまま。擦るのを止めた男の手もまた、徐々に冷たくなっていた。


「俺と違って、姉さんと違って、城の者や民と違って……彼女は影を嫌わない」


 男は視線を上げ、鏡に映る己の喉仏の突起を見つめる。

 その視線は、男をまるで責めているようであった。しかし、男は責められる理由が分からない。

 鏡の中の己を責めているのか、鏡の中の己を見つめている自分自身を責めているのか。

 他の誰かを責めたがっているのか。

 男の眉間に力が入ったのは一瞬のことで、男は掌でその突起を隠し、にこりと柔らかく笑ってみる。

 不格好に笑う己の姿に、男は酷く落ち込んだ。


「タバタの光は、もう、俺たちのことなんて愛していないのだろうか」


 男の灰色の目が、薄暗い部屋の中で鈍色に光る。

 鏡の中では、白い草原の小波が立つように、銀色のまつ毛がふるりと震えた。


 仕舞い込んだ筈の感情の起伏を後ろから押すと、冷汗を掻くように滲み出た涙が頬や顎を伝い、重たそうな音を立ててドレッサーの上に落ちる。男は堪らなくなって喉を締め、声が出そうになるのを耐えた。


「本当に、どうしようもない事なのだろうか……」


 鏡の中の男は、何も答えない。

 情けない顔をして、ただただ正面に立っていた。

 男は、鼻を啜ったのを合図に乱暴に目元を拭う。

 すると、相次いで零れていた涙が止まる。


 大きな櫛の様な触角を髪の中に隠すように結い込み、もう一度、微笑む。

 すると、今度こそ鏡の中の男は”女王”となった。




 すっかり目が冴えてしまった男は、気晴らしにバルコニーにやって来た。薄暗い部屋の中で、世界が明るくなるのを待つことは、酷く気が滅入りそうだと考えたのだ。

 男がやって来たバルコニーは、城の中心に位置する、室内庭園とも呼べるような美しい場所であり、その場所からは大地の真ん中に広がる湖、『ハヅキの涙』が良く見えた。


「ザルザン?」


 男が誰もいないと思ってやって来たバルコニーには先客がいた。

 白い装飾が施された美しい手摺りに肘を付いて外を眺めていたのは、死ノ國のザルザン。

 男が無意識に名前を呼んでしまったことに気が付いたのは、死ノ國のザルザンが男をゆっくりと振り返ってからのこと。


「やあ、おはよう」

「おはようございます……早いのですね?」

「少し考えごとをしていたら、眠れなくなってしまってね。ベッドの中で何度か寝返りを打っていただけなのに、気付けば裏側から太陽が昇ろうとしている」


 太陽と月とは不思議なものであった。どの場所から見ても太陽はハヅキの涙の方向に落ちゆくのだと。

 これまた不思議なもので、それぞれの國はハヅキの涙に向かって建てられており、太陽は必ず國の後ろから昇る。

 だから死ノ國のザルザンは、太陽が昇る方角を裏側と言ったのだ。


「お前も寝られなかったのか」


 太陽も昇りきらぬ、朝とも呼べぬ曖昧な時間。

 まだ眠気が残っているのか、死ノ國のザルザンはこれまでの威圧的な口調を引っ込めて、柔らかい口調で話した。

 男は死ノ國のザルザンの様子に動揺したが、幼少より身に付けた王族たる振る舞いを崩すことはなかった。


「途中から目を覚ましてしまいました」

「二度寝でもすれば良いのに……布団の中は凍えたのかな」

「……えぇ、足を擦るくらいには」


 足を擦るほど寒かったのは布団を出たからであり、そもそも布団の中に留まっていたなら冷たい外気に当たることはない。

 しかし、死ノ國のザルザンは暗に布団の中が居心地悪かったのかと聞いているのだと、男は解釈し、冗談のつもりで返答した。


 死ノ國のザルザンも男の返答を素直に受け取ることはせずに、僅かに口角を上げて「そうか」とだけ返す。


「隣に立って同じ景色を見ても宜しいですか?」

「勿論だ。此処はお前の家だろう」


 死ノ國のザルザンが軽く肩に掛けているトンビコートの端が、ヒラリと風に(なび)いた。

 

「そうではなくて……私は邪魔になりませんか?」

「邪魔なら、お前を追い払うか、私がどっかに移動するよ。いらない気遣いはするな」


 出会った頃より和らげに聞こえた声色と比べると、死ノ國のザルザンの物言いは相変わらず素っ気ないものである。

 素でこのような言葉使いをしているのか、ワザとそういった振る舞いをしているのか、男は未だ死ノ國のザルザンという目の前の女性を図ることができないでいた。


「今日も、ハヅキは静々と泣いているんだな」


 死ノ國のザルザンが言った『ハヅキ』とは、『ハヅキの涙』の略称だ。大谷を囲うようにある巨大な湖のことを指す。

 男は、まるで死ノ國のザルザンはハヅキを生き物として扱っているようだと思った。


「泣きやんだと分かるのは、どのような姿を見せてくれた時なのでしょうか」

「そりゃあ、あの水が枯れた時だろう。そうしたら私は大谷の淵まで歩いて、底を覗いて見たいよ」

「……ザルザンは大谷の底からやって来る。それは本当のお話なのですね」


 死ノ國のザルザンと男が見つめる先は東雲色。

 表情から相手の心情を読み取るには、些か明かりが足りぬ。

 

「お前はザルザンについて、少しは学んでいるんだな」

「王族として必要な知識を学んだまでです」

「それなら、どうしてコウハタには色々なことを教えてやらないんだ?」


 男と死ノ國のザルザンの視界が交わる。

 死ノ國のザルザンは、少しだけ困ったような顔をして片眉を下げていた。

 男は死ノ國のザルザンの表情を見て、なんだか申し訳ない気持ちになった。

 そして、交わった視線から逃れるように、ハヅキの涙の水光に視線を戻す。


「間違えていることだと知っていながらも、自分にとってはそれが導き出た答えであった場合、どうしたら良いのでしょうか」


 早起きの雀が鳴く。楽しげに、忙しげに。寝ている人のことなんて気にもせずに愛らしく鳴いていた。

 いつもの朝の音が、男と死ノ國のザルザンの耳にも届いた。


 一体いつまで、ハヅキは涙を流し続けるのだろうか。

 大地と同じほどの面積を埋める水を見て、誰がハヅキの涙と名付けたのか。男は知らない。


 死者の骨は、ハヅキの涙に浮かべられた船に乗って大谷の底に落ちてゆく。

 大谷の底からやってきたザルザンだからこそ、落ちゆく船が辿り着く場所を知っているのだろう。どうして、死者の骨を大谷の底に落とさねばならないのか。ザルザンという人々は、その意味を知っている。男は確信していた。

 そして、男が訳を尋ねれば、横に立っている死ノ國のザルザンは教えてくれるとも。

 しかし男は死ノ國のザルザンにハヅキがなんたるかを尋ねることはしない。この世界の理を知ってしまえば、己が善であると信じて突き進んでいる道が、思考が、間違えていると気づかされそうだったから。

 多くを知れば心が陰る可能性がある。男は、好奇心に任せて話を進める気などなかった。


「自分が信じる方を向くことは大切なことだ。とてもな。しかし、一人でも誰かが悲しむのなら、立ち止まって考えるべきだ……。そうすると良く見えてくるものがあるだろう? 何かを突き進めようとしたとき、不満を持つ者も悲しむ者も、必ずいるもんなんだ。全ての者から理解を得られるなんて、端から考えて行動するべきではない」

「では、立ち止まる時間がなかったら?」

「それでも立ち止まるしかない。悲しんでいるのが、たった一人だけであってもだ。感情に数も大きさも関係などないのだからな。一人をおざなりして、得られる幸福なんて張りぼてのようだとは思わないだろうか。……たとえ突き進むしかなかったとしても、考えなしの行動だけはダメだ。変化をもたらすということは、容易ではないんだよ」

「自分も、悲しんでいたら?」

「……何を悲しく思うんだ?」

「他人とは違うことが悲しいのです。私は、ただ、自分の悲しみを理解して欲しいだけなのに、他人を優先にしたとき、私は私を(ないが)ろにしたことになる。私のことなど、優先すべきではないと理解しているのに、悲しみだけは知って欲しい。それすら持つべき感情ではないのだというのなら、私は、愛なんてものは二度と(いだ)けなくなってしまう気がするのです」


 男はズズ、と鼻を啜る。

 死ノ國のザルザンは男が泣いているのかと思い、隣を覗き込んだ。

 男は、寒そうに鼻を赤くしてハヅキを眺めているだけであった。


「他者の悲しみに寄り添ったとき、自分さえも愛してしまうんだよ。それが側然であっても……情とは気難しくて、そして愛おしい。心に情なんてものを抱えるから、お前たちは悩み、苦しむんだ」

「では、情なんてものはない方が良いと言うのですか?」

「そんなことは言っていない。情があるからお前たちがいるんだ」

「情に生かされていると?」

「そうだ。なにも、お前たちに限る話ではないよ。情があるから私は無情にも振舞える。私がお前の言いつけを守っているのも、僅かな情が芽生えたから。私の行動には全て”情”がついて回って歩いた。この地に来たとき、そしてこれまでも……これからも、情ってもんと付き合って生きていかねばならない。……お前がいう情だって、お前が間違えていると思っていることを通そうとしているんだろう? 間違えていると分かっていても、その道を進むしかない時だってあるんだよな」


 死ノ國のザルザンは「これでも情に掛けて優しく振舞っている方なんだぞ」と(のたま)った。

 大臣の腕を切り落とした人物が良く言うと思った男は、小さく笑う。

 男が笑ったのをジッと見つめた後、死ノ國のザルザンは手摺りに肘を付いて男の方を眺めるように掌に頭を乗せた。


「私はお前のことだって蔑ろにはしたくない。だから、こうして話をしている。……でも、時間がないんだ。立ち止まっていられる時間が足りない。悲しんでいる人は必ず一人はいるといったが、それがまさにハヅキなのだから、この地で生きてゆく者はハヅキの為に立ち止まって考え、彼女の為に行動しなくてはならない。私たちザルザンは、ハヅキが求める世界を守るため、そうやってお前たちが生きられるように導くために、この地にやって来たんだ。その為だけに、生かされている。それはな、即ち、誰もがハヅキの為に生きねばならないということなんだよ」


 男を見つめる死ノ國のザルザンの顔は、酷く穏やかであった。

 男は死ノ國のザルザンの言動に驚く一方、この時間が延々と続けば良いのにと思った。時間がないというのなら、止まってしまえば良いのだ、と。


「火球は姿を変え、大地に下降した。燃え盛る先端が恋人の胸を貫いても尚、その勢いは衰えることもなく大地に穴を開けた」

「…………伝承ですよね? 炎を纏った鳥があけた穴には膜が張り、それは小さな星の鼓膜となって様々な声を聞く」

「そう。『フィン・グ・ラリアープルの申し子』は永久(とわ)の愛を授かった」


 死ノ國のザルザンはゆるりと男を指さし、目を細める。真っ暗な瞳に浮かぶ紫星雲の菖蒲色が強まった。


「その申し子とは、お前たちのことを指す。勿論、それも知っているな?」

「はい……しかし、伝承が事実であったことを裏付ける証拠はない。未だ、世界の鼓膜は見つからないのですから、伝承は伝承の枠を超えることはありません。何故、このような伝承が各地に存在するのかは一切の不明。現実として語るには、あまりにも夢物語です」

「証拠か」


 死ノ國のザルザンはフフと可愛らしく笑い、手摺りに乗せていた肘を退かして男を真正面から見つめる。

 紫星雲を浮かべた夜の瞳は、男の隅々まで明け透けて見つめているようであった。

 男が死の國のザルザンの視線から逃れることは適わない。なんとかその場に留まることで精一杯だった男は、風が吹いただけで後方に蹌踉(よろ)けてしまうだろう。


「伝承が事実であったかの裏付けがないなんて、どうしてそう思う? 私たちザルザンの存在は伝承が事実であったことの証明となり、我らを証明するのはこの目に宿る火である」


 世界が明るみに出たとき、漸く建物ははっきりと色を見せた。

 死ノ國のザルザンの暗い瞳の縁は、火が揺れるように、ごく僅かに緋色に燃えている。

 太陽の陽は死ノ國のザルザンの瞳に火を灯すが如く、真っすぐと伸びていた。


「私の目に映る火は、端と端がくっつきそうか?」


 死ノ國のザルザンの瞳の中で火が燃えている。

 男は恐ろしく思いながらも、死ノ國のザルザンの瞳を覗いた。

 死の國のザルザンの黒目の縁を火は完全には囲いきれていなかった。それを伝える為に、男は「いいえ」と首を横に振る。

 すると、死ノ國のザルザンは口角を僅かに上げ、頷いた。


「しかしその内、この火は完全に私たちの視界を支配するだろう」

「そうなったらどうなるのですか……?」

「ハヅキはこの地の理を守るために六体の精霊を作った。精霊とは一つの國の為にあるのではなくて、ハヅキの為にあるんだ。ならば、荒廃しゆく國を守るために、やらねばならぬ事がある。瞳の火がくっついたとき、私たちは陽の僕となり、正すための行動を取らざるを得なくなるだろう」


 男は、か細い火を宿した死ノ國のザルザンの瞳から目を反らすことができないまま、首を横に振って死ノ國のザルザンの言葉を否定する。

 しかし、みるみる自信を失っていく心を現わす様に、男の視線はゆっくりと下がっていった。そして、男は完全に俯かせた顔を歪めた。


「國が間違えた方向に向かう理由は何か。……それはザルザンが役割を放棄したから。では、ザルザンがどうして役割を放棄しているのか。この國には、その理由があるな?」

「我が國の状況と貴女の瞳に火が見えることに、関係はあるのですか」


 死ノ國のザルザンは小さく鼻で笑うと「関係あるから話をしている」と言った。


「六人のザルザンには、それぞれ異なる武器が与えられる。私にはこの手斧が与えられた」

「……また武器として使う時が来るのですか?」

「どうだろうか。断言する事はできないが、これだけは覚えておくと良い。……火は、瞳のみに宿らずだ」


 死ノ國のザルザンは、ベルトループに装着しているポーチに収めている手斧を撫でて見せる。

 男が顔を上げて死ノ國のザルザンの手に視線を向けると、ポーチの中がゆらゆらと赤く光っているように見えた。

 驚いた様子で顔を顔を上げた男と死ノ國のザルザンの視線が再び交わる。


「武器の使い方はそれぞれにある。普段使いなら私の手斧は木や縄を切ることにしか使わない。しかし、これはそんなことに使う為に与えられた物ではない。勿論、コウハタにも何かしら武器は与えられているだろう。ザルザンに与えられた武器は、ある条件が満たされると姿を変えるんだ」

「どんな?」

「……もう時期、分かるさ。此処まで来たなら、もう間に合わない」

「手遅れになったとき、何が起こるのですか」


 死ノ國のザルザンは、まるで自暴自棄になった様子でクッと笑った。

 その仕草は癪であったのか、男は眉間に皺を寄せる。


「どうやら、美しい蛾は私の前には現れる気がないらしい。……実に、残念なことだ」


 死ノ國のザルザンは口角を上げたまま「ん?」と言って、上目に男の顔を覗き込む。そして戸惑う男の様子を見て、目で弧を描き、細めた。


「両手を後ろに回して、持っている物の一つも見せてくれやしない。それは与えられることに慣れているが所以の振る舞いか? しかし、与える側にとっては、(いささ)か不愉快なことだとは思わないか?」


 男は死ノ國のザルザンの言葉に納得する。言われてみれば、自分は死ノ國のザルザンに聞いてばかりであった。

 しかし、男は死ノ國のザルザンに後ろ手に回している物を見せる事はできない。


「…………”俺”の名前は、パフィリカ。『パフィリカ・ヴァム・エダシャク』です。……明かす気などなかった俺の名前を、貴女に」


 酷く顔を歪め、苦痛に耐えるように口にしたのは男の名前。

 死ノ國のザルザンはこんな事では納得してくれないだろう、と男は思っていた。しかし、明かすなら、何よりも先に己のことが良いと思った。

 そして真実を告げるのなら、己のことが良いとも。

 

 自分の浅ましい考えに、男は視線を落とす。


「まあ、いいだろう」


 死ノ國のザルザンの返答は、男にとって意外なものであった。

 名前を教えただけで、はぐらかした。男はそう捉えられると考えていたのだ。


「……瞳を囲う火は、いつ完全な円となるのかは分からない。そして、この火の勢いを私とコウハタは止める事ができない。火を止められるのは蛾の女王だけであったはずだが、きっと、もう遅い。間に合わないんだ。……では、我らの瞳の火が完全な円を描いたとき、どうなるのか。お前には分かるか?」

「いいえ……太陽の意志に沿うザルザンの行動など、それがどのようなもの結果を求めているのか、私は知りません」

「本当に現状の理解ができていないんだな……見捨てる程の価値もなし。しかし、我らザルザンは役割を放棄する事ができない。愚か者の為にすら生きねばならないというのは、口惜しいものだ」


 死ノ國のザルザンの口元は弧を描いていたが、目は笑っていなかった。


「与えられた制限時間は、太陽がハヅキの水面を離れるまで。ザルザンの命を完全に絶つは、フィン・グ・ラリアープルの炎のみ。お前たちを管理するは、我らザルザン。ザルザンを管理するは、倒景に伸びる陽。……勇気ある”妖精”、パフィリカ。その小さな誠実な想いに、私も少しだけ報いてやろう」


 一瞬、視線を逸らそうとした死ノ國のザルザンだったが、目元に力を込めるとパフィリカを眇める。


「我らの瞳の炎が円を描いたならば、コウハタが己の役割を全うするだけ」


 死ノ國のザルザンの物言いは、まるで警告しているかのようであった。

 死ノ國のザルザンの地を這うような声に、パフィリカは額に汗を滲ませる。

 他國のザルザンが富ノ國にやって来たことが災厄であったのか。

 コウハタが富ノ國にやって来たことが災厄であったのか。

 良からぬ事が起きる。その起因の全てにザルザンを当て嵌めようとするも、それが間違いだとパフィリカは知っていた。


 すっかり太陽は空に位置づいたというのに、死ノ國のザルザンたちの体はちっとも温まりはしない。

 小さく燃え続けていた死ノ國のザルザンの瞳の火は、目視する事ができない程に萎み、火が光を奪っていた紫星雲が穏やかに光っている。死ノ國のザルザンの瞳は、美しい夜を取り戻していた。


 遠くから街の人々が挨拶を交わしあう声が聞こえる。

 城下には、いつも通りの愛し子の姿があった。


 街に咲いた花は揺らめき、色とりどりに輝いている。

 まるで、この國を覆い尽くそうとしている花の数に、酷い絶望感がパフィリカを襲った。


「民をおざなりにし、自分たちだけが生きている姿など、お前に想像する事ができるのか? パフィリカよ」


 死ノ國のザルザンの表情は、己の言葉を否定しているかのように、苦痛が浮かんでいた。


 フィン・グ・ラリアープル。

 火球が鳥に衝突したのか、元々鳥が炎を纏っていたのかは誰にも分かりやしない。ただ、大地を貫き空いた穴は何処かに存在していて、この星は死ノ國のザルザンとパフィリカの会話すらも聞いていることだろう。


 フィン・グ・ラリアープル。

 鳥が纏う炎は、恋人を留める為に縛り付けた紐が解けぬように燃やしてしまった。

 呪いも、愛も、縛るものを燃やしてしまえば二度と解くことはできない。



いつも評価やコメントに励まされております。

楽しんでいただけましたら、ぜひよろしくお願いします!

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