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ZARUZAN  作者: 遥々岬
第一章 富ノ國
3/34

菜の花畑


 大臣の病室にやってきた女王と富ノ國のザルザンであったが、死ノ國のザルザンは女王と大臣に気を使ってか、富ノ國のザルザンに「お前は私に付き合え」と言って、小さな体を小脇に抱えてその場を離れた。

 ザルザンは城の外まで富ノ國のザルザンを連れ出すと、手足をバタバタと動かして暴れる小さなザルザンを地面に下ろした。

 そして、ふくれっ面の富ノ國のザルザンに「街を案内してくれ」と言った。


「それであっちに見えるのが菜の花畑。満開のときなんかは、一面が黄色になって綺麗なんだよ」

「菜の花か。天ぷらが旨いんだよなあ」

「テンプラ?」

「なんだチビスケ。お前、天ぷらを知らないのか」

「チビスケじゃないやい!」


 一丁前に小さな体でザルザンを横目に、死ノ國のザルザンは辺りに視線を巡らせる。

 富ノ國のザルザンは、掴みどころのない死ノ國のザルザンに不満を募らせた。


 死ノ國のザルザンが歩く度に鈴の中の玉が転がり、リリン、リリンと音が鳴る。

 街の人々は、ザルザンたちが並んで歩いている姿を見て、子供は首を傾げ、若者は顔を(しか)めた。

 唯一、感情の内面を見せなかったのは木陰で、談笑をしていた老人たちだけ。

 死ノ國のザルザンは富ノ國の人々の暮らしを眺め終えると、目を伏せ、一度だけ静かに頷いた。


 辺りには花の甘い香りが漂う。

 朝の光を纏うは、富んだ人々。

 富ノ國には、豊かな暮らしが存在していた。


「ねえ、ぼくの話し聞いてる?」


 街の案内をしろと言われたから、その通りにお喋りを続けていた富ノ國の小さなザルザンは寂しそうに呟いた。

 死ノ國のザルザンは小さなザルザンの声に気が付くと、一瞬だけ眉を潜める。視線を下げると、これまた寂しげな表情をした子供が己を見上げていた。

 小さく溜息を吐くと、一変して死ノ國のザルザンはニヤリと悪戯っこのような顔をして笑った。


「なんだ、チビスケ。随分と弱々しい声を出すじゃないか」

「だから、ぼくはチビスケじゃないよ」

「いいや、お前はチビスケだ。現に私の身長の半分もないじゃないか」

「でも心はでっかいもん」


 あまりにも子供らしい言動に、死ノ國のザルザンは驚いて目を丸める。そして、品もなく吹き出してしまった。

 それは不可抗力だったのか、死ノ國のザルザンは慌てて口を押えるも間に合わず、口元を手で押さえたままそっぽを向いて肩を震わせた。

 突然、吹き出した死ノ國のザルザンに小さなザルザンは一瞬だけ怯んだが、自分が笑われているのだと気が付くと、ふくふくの頬を赤らめて怒った。


「悪い悪い……んっふ」


 悪いと言いながら、死ノ國のザルザンの肩は震えたまま。

 恥ずかしいやら、悔しいやら。小さなザルザンは怒り心頭。噴火寸前だ。


「笑いすぎだよ」


 富ノ國のザルザンが、抗議の意味を込めて死ノ國のザルザンのコートを引っ張ってみても逆効果だった。


 一方的な小競り合いが始まりそうな雰囲気だったが、(いさ)める者がいた。

 陶器人間のスヤキだ。

 死ノ國のザルザンの隣を歩いていたスヤキは、まるで叱るように死ノ國のザルザンの顎を叩いた。


「いたぁ!」


 ザルザンの目には涙が(にじ)み、陶器で作られた手で叩かれた顎は赤くなっていた。

 スヤキの片方の手には手袋が握られており、どうやらわざわざ手袋を取り払ってからの、お叱りの一撃だったようだった。


 富ノ國のザルザンは、自分を庇うようにして死ノ國のザルザンを叱ってくれたスヤキを丸々とした目で見つめる。

 そして、握っていた死ノ國のザルザンのとんびコートから手を離し、スヤキの隣に並ぶ。


 スヤキは、そんな小さなザルザンの行動に、首を傾げるように体を逸らして見せた。


「ぼくの為に怒ってくれたの?」


 富ノ國のザルザンがスヤキに向けた問いかけは、実に純粋なものであった。


 スヤキは、純粋無垢(じゅんすいむく)な視線を受け、まるで見つめるように小さなザルザンに顔の向きを固定した。

 陶器人間は話すことができない。

 例え、死の國のザルザンが動く口を作ってやっていたとしても、スヤキには喉を震わせる声帯が無いのだ。

 スヤキは、小さなザルザンの問いを肯定するように、手袋をはき直した手で同じ高さにある頭を二度ほど()でてやった。


「ぼく、ザルザンよりもこの子の方が好き」

「この子ってなあ、スヤキは私よりも年上だぞ……って、スヤキはいつまでも年若く愛らしいレディですよっと」

 

 死ノ國のザルザンの物言いが気に障ったのか、スヤキはゆっくりとした動作でザルザンを見上げる。

 スヤキから発せられる圧は、言葉では言い表せられないほど恐ろしいものだったらしく、死ノ國のザルザンは慌てて誤魔化した。


「同じ高さだから、同じ子供かと思っちゃった」


 見て、と言わんばかりに自分の頭とスヤキの頭に掌を交互にする小さなザルザンに、スヤキは二回ほど頭を小さく頷かせる。

 二人のやり取りを見ていた死ノ國のザルザンは「甘やかしちゃって、まあ」と口を尖らせた。


 少し打ち解け始めた三人は、富ノ國のザルザンの案内に従って富ノ國の街を歩き回った。


 広場の近くを通り掛かったとき、女の子が死ノ國のザルザンの脇を小走りに通り抜けて行った。

 女の子を辿るようにして吹いた風が、死ノ國のザルザンが身に付けている鈴を優しく鳴らす。


 女の子は三人の前を歩いていた母親らしき女性の横に並ぶと、自然な流れで女性の手を握った。

 楽しげに手を揺らしながら歩く親子を視界に入れたのち、死ノ國のザルザンは横目に富ノ國のザルザンに視線を向ける。

 小さなザルザンは、感情の読めない表情で前方を歩く親子を見つめていた。

 

「少し休もう」

「もう疲れたの?」

「久しぶりに上質なベッドで眠ったせいで、体がまだ休みたがっているんだよ」

「上質なベッドで寝たのに、まだ寝たりないの?」

「順応していた環境が変われば、いくら良い扱いを受けても始めの内は落ち着かないもんなんだ」

「ふぅん」


 富ノ國のザルザンの意識が親子から逸れるのを見届けると、死ノ國のザルザンは広場に設置されたベンチに向かった。


 死ノ國のザルザンは、スヤキの脇に手を差し込んで持ち上げると、その脆い体をベンチの真ん中にゆっくりと、そして極めて優しく座らせた。

 スヤキを丁寧に座らせると、ザルザンも「ふぅー」と息を吐いて、その隣にどっかりと腰を下ろす。


 富ノ國のザルザンは、大切に扱われているスヤキを羨ましそうに見つめたあと、よじ登るようにしてベンチに座った。


「……風が気持ちいいなあ」


 ベンチの前には、黄色の花畑が広がって見えた。

 そよ風に髪を(なび)かせながら、死ノ國のザルザンは気持ちよさそうに目を閉じる。

 ホッと溜息を吐くように零れた言葉には、少しだけ疲労が滲んでいるようであった。


 真っ黒な髪の毛。

 真っ黒な瞳。

 黒のマントのようなコート。

 色鮮やかな花が咲き乱れる富ノ國には、あまりにも似つかわしくない風貌(ふうぼう)。それが(かえ)って目立たせることとなっていた。

 富ノ國に由々しき事態を招くのではないか。街の者はそう感じているのかもしれない。

 富ノ國のザルザンは、至る所から向けられる奇異な視線に気が付くと、指の先が冷えていくように感じた。


「ねえ、あなたの名前ってなんていうの?」


 暗がりに気分が降下していきそうになっていた小さなザルザンは、努めて明るい声でザルザンに話を振った。

 死ノ國のザルザンはパチリと目を開けると、遠くの空を眺める。

 

「ザルザンだ」

「そうじゃなくって。ザルザンって役職の名前でしょう? あなたの名前だよ」

「……お前は? 名前があるのか」

「『コウハタ』って名前があるよ。女王さまが名付けてくださったの」

「こうはた? それは、随分と我らの國に馴染み深い音をしているな。”コウ”はなんて書く? 高い、か? ”ハタ”は儀式で使う幡か?」

「ただのコウハタだよ。字は、こうやって書くの」


 富ノ國のザルザン。改め、コウハタは小さな手を使って青空に文字を描いて見せた。

 ”漢字”を聞いたザルザンであったが、コウハタが書いたのは、あくまで簡単な文字。

 ただのコウハタ。

 字に込められた意味も知らないような顔をした小さな同胞に、死ノ國のザルザンは指を組むと、気だるげな様子で背凭れに体を預けると、コウハタの指の先から視線を逸らし、黄色い花畑を見つめた。


「……なんだ、お前はただ(・・)のコウハタなのか」

「ザルザンの名前は?」

「……私はザルザンだ」

「だから」

「ザルザンで良いんだ」


 それ以上は聞くな、と言いたげの死ノ國のザルザンの態度に、コウハタは少しだけ肩を落とす。

 名前も教えてくれないんだ。そんなことを思ったが、口に出して文句を言えるほど仲良くなれていないことに気が付いて、更に落ち込んだ。


 風船が萎むように元気をなくしたコウハタの様子に、スヤキは死ノ國のザルザンの手をビシィ!と人差し指で突き刺す。

 どうやら、この陶器人間は子供を甘やかしてしまう性格らしい。

 突かれた手を押さえながら、ザルザンは「痛い!」とスヤキに抗議をするも、スヤキは第二の攻撃を控えており、死ノ國のザルザンは悔しそうに口を噤んだ。


「ねえ、死ノ國の王さまってどんな人なの?」


 スヤキと死ノ國のザルザンのやり取りには興味も見せずに、コウハタは呟くように尋ねてみる。

 プラプラと揺らしている足に、コウハタの視線は落ちていた。

 

「うーん。そうだなあ……親しみやすくて豪快、良く気がまわって」


 死ノ國のザルザンは空を見上げながら、スラスラと死ノ國の精霊の褒められる部分を上げた。

 足元に落としていた視線を上げて、コウハタは死ノ國のザルザンを見やる。


「それでいて、優しい人だった」


 死ノ國のザルザンが呟いた言葉は、寂しげに、行く場もなく空に浮かんだ。

 コウハタは、死ノ國のザルザンの言葉を汲もうと試みたが、上手くできなかった。きっと、死ノ國のザルザンにとって大切な人だったのだろう。そう思うと、コウハタはなんだか寂しい気持ちになった。

 死ノ國のザルザンは、コウハタにとっては相変わらず良く分からない人だった。

 しかし、”大臣の腕を切り落とした人”という枠を少しだけ出た気がした。


「花になっちゃったんだよね……?」

「あぁ」

「雨に濡れてるかもしれないんだよね……それなら、早く見つけてあげないとね」


 緊張した面持ちで気を使う小さな子供は、所在なさげに足をプラプラと揺らし続ける。


「何を言ってるんだ?」

「え?」


 そうだな、なんて言って肯定されると思っていたコウハタは、死ノ國のザルザンの予想外な反応に驚いた。


「雨に打たれて悲しい花なんてない」

「でも、始めから花として生まれた人じゃないでしょう? ぼくは会ったこともない人だから、どんな人かは分からないけど……早く見つけて貰うのを待ってるかもしれないよ」

「見つけて貰いたいなら、死んだその場で咲けば良かったんだ」


 死ノ國のザルザンは、苛々を隠そうともせず吐き捨てた。

 スヤキは、少しだけ乱暴な物言いをした死ノ國のザルザンを指で弾くことも、突くこともしなかった。死ノ國のザルザンの言動を(とが)める理由がなかったらしい。


 どうにも居心地が悪くなったコウハタは、再び視線を落とす。


「……ザルザンの役割ってなんなのかな。ぼくがザルザンらしくなったら、みんな、ぼくを腫れ物のように扱うのかな」

「みんなって誰だ?」

「富ノ國のみんなだよ。骨を取り出すんでしょう……? それを船で流す。帰って来た人は自分が知っている人であってそうじゃない。そーゆーの不気味だって思う人もいるみたいでさ」

「それで?」

「それでって……ぼくだって、ちゃんと自分の役割を知ってるし使命を持ってこの國にやって来たよ。でも、この國は、どうもそれを望まないんだ。どうしたら良いかなんて……ぼく……わかんないよ」


 コウハタが震える声を抑えようと己の喉に手を当てると、スヤキはその小さな背中に手を添えて、顔を覗き込むように体を傾けた。

 優しくされているように感じたコウハタは、思わずスヤキに(すが)りそうになる衝動を抑えて、拳を強く握り締める。


「ひとりぼっちで悩むなよ」

「…………でも」


 死ノ國のザルザンは、背凭れから体を離すと、コウハタの顔を覗くように見つめた。

 やっと視線が交わったことで気が緩んだコウハタは、情けなさそうに眉尻を下げる。


「今は私がいるだろう? この國にはザルザンが二人いる。私だって、お前の気持ちは分かるよ」

「どこらへんが? どこらへんが分かるの?」


 コウハタは、死ノ國のザルザンは適当で無神経だと思った。そして、心の中でザルザンを責めた。

 誰にも理解されないと思っていたことを簡単に理解できると言われたのだ。

 モヤモヤとしたものが、コウハタの小さな胸の内に充満しようとしていた。

 表情を暗くし、今にも相手を責めてやりたいと思っているような表情を見せるコウハタに、死ノ國のザルザンは口角を上げると、穏やかな声色で「そうだなあ……」と呟いた。


「誰かの死体なんて、私だって見たくないよ。ましてや知り合いなんかの」

「じゃあさ……死ノ國を船送りにするとき、ザルザンは泣いた?」


 コウハタは、聞いてはいけないことだと理解していた。しかし、自分の為に聞かねばならなかった。

 他のザルザンも、己の役割を全うすることに苦労しているのか。悲しむことがあるのか。

 コウハタは、どうしても知りたかったのだ。


 コウハタが緊張した面持ちで死ノ國のザルザンの返答を待っていると、死ノ國のザルザンは少し間を置いて「あぁ」と言って頷いた。

 

 この愛情深き星にとって、『ザルザン』と呼ばれる人々の役割は必要不可欠なものであった。

 特別な役割を与えられた人であるからして、思想の相違によって忌み嫌われようが、ザルザンの存在を否定する者は、愚か者と言われ指をさされることだろう。

 この星では、船送りを拒めば、いずれ命は途絶える。

 そして、何も無くなってしまうのだ。


 死ノ國のザルザンは、クッと目を細めると、眉を寄せた。


「でも、涙を拭っている時間はなかった」


 世界に花が咲き誇るのは、一瞬だけ。

 骨を種として咲いた花は、枯れたら終わり。新しい種を持つこともなければ、新しく芽吹くこともないのだ。

 

「私たちは、毎日、そうやって数多の命を見送らなければならない。それは辛いことだろうがな。辛いと認識しないように努めるより他ない」


 これからの人生に憂い、不安を覚えたコウハタはズボンを強く握る。

 そして、無意識にひそめた眉に違和感を感じた。


「ぼくもザルザンだよ。……ぼくも、同じだから」

「うん?」

「話してすっきりしていいよ。だって、ぼくもザルザンだもの。ひとりぼっちじゃなければ、寂しくはないよね?」


 死ノ國のザルザンのこれまでの物言いは偉そうであったが、それでも、死ノ國のザルザンが”一人ぼっちで悩むなよ”と言ってくれたことがコウハタは嬉しかった。


 不安げにザルザンを見上げるコウハタに、ザルザンは目を丸める。


 コウハタを見つめたまま動かなくなってしまった死ノ國のザルザンに、コウハタがハラハラしていると、老いぼれた猫が死ノ國のザルザンのコートに体を摺り寄せた。

 老猫は死ノ國のザルザンに尻尾を絡ませると、その足元で「にゃ」としゃがれたように鳴いた。


 「おいで」


 暗い色のコートに猫の毛が付くことも気にせずに、死ノ國のザルザンは膝の上に猫を乗せてやった。

 腕に抱えられた老猫は、体を丸めて死ノ國のザルザンの腕に収まった。


「人懐こいね」


 勇気を出して言った言葉の返答を得られなかったコウハタだったが、可愛いと言いたげに目で弧を描きながら老猫を見つめた。


「懐いている訳じゃない。この猫は自分の死期を悟って、ザルザンを頼ってやって来たんだよ」

「え?」

「もう直ぐ、この猫は死ぬんだろうな。……死の精霊が存命であれば、街のみならず森、海、空から、船送りを望む生き物が私たちの元にやって来る。それは別に、私たちが動物に好かれる体質という訳じゃあない。……再び、この場所に帰って来たいと、この猫が思っているからなんだよ」


 死ノ國のザルザンは、優しい手つきで老猫を撫でた。

 コウハタは、死ノ國のザルザンに撫でられている老猫から僅かに視線を落とすと、力の入った自身の拳が目に入った。それに驚くと、ゆっくりと掌を開いて見つめる。


「ノノは帰ってくるの?」


 見知らぬ声の登場に、ザルザンとコウハタは驚きつつも、声がした方、即ち、ベンチの後ろを振り向く。

 ベンチの背凭れから体を覗かせていたのは、柔らかな髪の毛を二つに縛った小さな女の子であった。

 女の子は、死ノ國のザルザンを見上げるようにして立っていた。


「お花のおはなしをしているんだよね? お花になったら、帰ってこないの?」


 女の子は猫を『ノノ』と呼んだ。すると、老猫はそれに応えるように「にゃあ」と鳴いた。

 死ノ國のザルザンの足元で鳴いた声とは打って変わり、伸びやかな声であった。


 死ノ國のザルザンは、女の子が老猫の飼い主と理解した。


「そうだよ。命は巡る。でも、順を追った行動をしないとね、それは適わない。……お嬢ちゃんは、これまでノノと一緒に遊んだり、一緒に寝たりしたのかな」

「うん」

「そうか。……死んでしまったら、お嬢ちゃんとの思い出は消えてしまうけど、一緒に遊んだことや温かな布団の中で一緒に眠ったりした記憶はね、ノノの深い場所に残り続けるんだよ」

「ふかいばしょ?」

「そう。再びこの地に帰って来たノノは、大切にされていた記憶だけを引き継いで、また新しい猫の一生を歩むんだ。……でも、花になってしまえば、この柔らかな毛も、温かな体も、全て失われてしまう。肉体が朽ちた骨を種に咲く花は巡らず、枯れて終わり」

「死んじゃうの?」


 死ノ國のザルザンは、寂しげに首を横に振る。

 老猫を撫でる手は、相変わらず穏やかに動いていた。


「ううん。何も無いんだ。……何も無い、何の痕跡も残らない。大切にされていた記憶も一緒に枯れて消える」


 死ノ國のザルザンは、子供の小さな変化に気づけるように細心の注意を払い、女の子をよく観察する。

 そんな死ノ國のザルザンの心配を知るや知らずや、女の子はベンチの前に移動すると、死ノ國のザルザンの膝で丸くなっているノノの姿をジッと見つめた。


「わたしのおじいちゃんがね、花になるのはいやだなあ~って言ってたの」

「どうして?」

「おばあちゃんは骨を大谷に流して貰ったんだって。だから、自分も死んで、この地に戻ってきたら、おばあちゃんとまた巡り会っておばあちゃんを好きになりたいって言ってた」

「それは……素敵なご夫婦だな」

「うん。おじいちゃんはおばあちゃんが大好きだから、絶対におばあちゃんが分かるって言ってたの。だから、ノノも、きっとわたしに気がついてくれるよね?」


 どんなに好きであっても、どんなに大切に思っていたとしても、同じ人を選ぶなんて確証はない。

 女の子の希望と、この星の命の巡りは交差しない。


 死ノ國のザルザンは、静かに瞬きをひとつすると、老猫に視線を落とした。


「ね? ノノ」


 死ノ國のザルザンの言葉の意味を理解できていない女の子に、今度こそ女の子が理解できる言葉で死ノ國のザルザンはこの星の理を説明するのではないかと、コウハタはハラハラとしながら二人の様子を見守っていた。


「巡りあってまた恋をする人もいるし、他人になってしまったのに兄弟だった頃のように親しくなる人もいる。例えばノノが、次は君の家の猫にならなかったとしても……ご飯をたかりには来るかもしれないなあ」


 コウハタの心配は杞憂であった。

 死ノ國のザルザンは、老猫に触れていた手を女の子の頭の上にポンと乗せると「このノノ殿は、随分と体が肥えているようだから」と言って笑った。


 女の子に向けた笑顔は、コウハタに向けた意地悪なものではなかった。

 無垢な子供の成長をそっと見守るような、優しい人の顔であった。


 女の子は、死ノ國のザルザンと目を合わせると嬉しそうに破顔した。


「それなら、わたしもノノは船にのっていってほしいな」


 女の子は背伸びをして、丸まっている猫にぽふっと軽く頭を乗せ、額をすり寄せる。


 女の子のその姿が、コウハタには死ノ國のザルザンに祈りを捧げているように見えた。


 死ノ國のザルザンは、髪を結んでいる女の子の髪の毛が乱れない様に、優しく撫でてやった。

 ノノにしてやっていたように。

 大切なものに触れるように。


「花になって枯れてしまえば、それで終わり。……船送りにしても同じ人は帰って来ない。でも、命は巡り返って来る。私は何も無くなるよりは、それは素敵なことだと思うよ」

「……うん」


 死期を悟っていたのは、老猫だけではなかった。

 子供は、大人が思っているよりも物事を理解している。


 唯一、水を嫌う猫が我慢できるのは、後にも、先にも、女の子の涙だけだろう。


 ノノは女の子を励ますように「にゃあ」と伸びやかに鳴く。

 まるで歌うように、子供をあやす様に。

 どうか悲しまないでと、言うように。


「ああ、そうだ。黄色の畑か」


 死ノ國のザルザンは、女の子の頭を撫でながら、ぼんやりとした声で呟いた。

 女の子とコウハタ、老猫さえも死ノ國のザルザンの唐突な独り言に驚き、死ノ國に視線を向ける。


「コウハタ。死ノ國では黄色の”キ”を”コウ”とも読むんだ。そして畑は”ハタ”とも読む。黄色い畑。これがお前の名前だったか」

「かんじってなあに?」

「文章をまとめるのに役立つ字だ」


 女の子はいまいち理解できない様子で首を傾げる。

 死ノ國のザルザンは、そんな女の子の様子に目尻を下げると、先ほどコウハタがしたように、空に漢字の文字を書いて説明をしてやった。


 空に書かれた文字を読み取ろうと、コウハタは死ノ國のザルザンの指の先を凝視する。

 コウハタ。コウハタ。黄色い畑と書いて、コウハタ。

 コウハタは心の中で、死ノ國のザルザンの言葉を繰り返す。

 そして、その一つが口から零れた。


「……コウハタ」


 菜の花がこの國の特産品であることは、死ノ國のザルザンが気づくことは容易(たやす)かった。

 鑑賞するも良し。食べるも良し。加工して油を抽出するも良し。

 菜の花の栽培は、富ノ國と謳われるこの國にとって些か地味ではあるが、必要不可欠な財産であった。

 もしも死ノ國のザルザンが言うように、コウハタの文字に特別な意味が込められていたのなら、それはその存在を肯定するに十分であった。


 死ノ國のザルザンが思い付いたのは他國の言葉。他國の文字であった。

 あまりにもこじ付けが過ぎると思いはしたが、コウハタの口元は緩みそうになった。


 ノノの名前の意味を話し合うザルザンと女の子を見つめながら、コウハタは自分が与えられた役割の重要性を重く受け止めていた。


 (ぜろ)と一は隣合わせであるが、全く異なった。

 一を二にすることは可能でも、(ぜろ)を一にすることは難しい。


「ノノに漢字は似合わないよ」

「そうなの?」


 女の子と死の國のザルザンの間で、老猫があくびをひとつ。

 まるで、穏やかな昼下がりの光景であった。


 花が揺れる。

 花壇にさえ収まらない花々が、この國には咲き乱れてしまった。

 甘い香りに誘われて蝶々が辺りを舞い、花の蜜を吸っていた。

 蝶は舞えど、人に関心など見せやしない。

 土に暮らすアリはいずこに。

 花が咲き乱れるのに、小さき者の声は聞こえない。


 船に乗れなかった花は、いずれ(ぜろ)となり、二度と一にはなれない。


 その時こそが、命の本当の死なのかな。

 陽に照らされ、眩く間も長閑(のどか)に揺れる菜の花畑を眺めながら、コウハタは失われるもののことを考えた。



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