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ZARUZAN  作者: 遥々岬
第二章 恵ノ國
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デリケート


 霧の森を抜け、ハヅキの涙の(ほとり)までたどり着くと、サンロッタは穏やかな水面の傍で(ひざまず)いた。腰に付けていたポーチから六本の紐を取り出すと、あっという間に一本の縄に編み上げる。

 半歩下がった場所に立ち、その手元を見つめていたパフィリカは感心した。


「ミヨもそうでしたが、編むのが早いですね」

「ただの数だよ。繰り返し、繰り返し……こればかり、これだけをやっているから早くもなる」


 サンロッタはポケットに入れていたハンカチを取り出し地面に置く。ゆっくりと開くと、中には事切れたテントウムシが転がっていた。


「誇り高き孤灯一穂(ことういっすい)


 サンロッタは先ほど編んだ縄で輪を作るようにしてテントウムシを囲むと、小さく息を吸い込む。目元には、睫毛が影が落ちていた。


「果たせぬ役割に悔いて、次の生もハヅキを慰めんとする君の適宜(てきぎ)に敬意を」


 サンロッタが祝呪(ほさく)を唱えると、テントウムシを囲む陣がうっすらと光る。

 死者から放たれる不気味たつ燐光(りんこう)は、この儀式の時ばかりは清らかなるものだろう。

 しかし、終われども己の身を骨の役割ともするテントウムシの姿に変化はない。


「生真面目な君に、そのハンカチをやろう。短い航海の中で柔らかな寝床にでもすればいい。いいか? 今、死の精霊は不在である。船の舵を取るのは君だ。昆虫である君に心配はしていないが、どうか無事にハヅキの涙を渡りきってくれ」


 サンロッタは両手で掬うようにテントウムシが転がるハンカチを持ち上げると、囁くようにして小さな赤に言いつけ、ハヅキの涙に腕を伸ばす。


 ハヅキの涙は、テントウムシを迎えるようにしてやをらに小舟を形作った。

 サンロッタがその小舟の上にハンカチに置いたままのテントウムシを乗せると、小舟は静かに進みだした。


「今回は珍しいことだったが、人間も少しは昆虫を見習ってくれたらいいんだけどな」ぽつりと呟くと、サンロッタは続けた。


「何度、繰り返しても満たされない者の多いこと」

「確かに、昆虫とは人ほど複雑な思考は持っていないかもしれませんが、彼女が貴方を頼りにやって来たことは、人となんら変わりありませんよ」


 パフィリカは、大谷を目指す小舟を見つめていた。


「……あのテントウムシはレディーだったのか」

「えぇ、そうですよ」


 小舟の姿が見えなくなると、パフィリカは未だ跪いているサンロッタを見下ろす。

 サンロッタは目を丸めてパフィリカを見上げていた。


「やっぱ、アンタは蛾の妖精なんだな」

「えぇ、まあ」

「あぁいや、なに。うっかり忘れそうになっていた。それにしては、人のように語るもんだ」

「妖精っていうのは人間臭くもありますが、人とは異なります」


 パフィリカが困ったように「なんとも難儀なものです」と呟くと、サンロットはパフィリカから視線を逸らし、目を伏せた。


「……いや、それでいいんだよ」

「え?」


 サンロッタは「どっこいせ」と言いながら立ち上がり、膝についた土を手で払うと、ハヅキの涙の遥か先に視線を向けた。


 サンロッタの薄紫色の虹彩を囲むは緑色。

 朝夕を彩る空と深い水辺の色であった。


 少しの間、パフィリカはその目に見惚れた。

 サンロッタの揺らめく瞳は、菖蒲色の紫星雲が浮かぶ夜空の瞳を持った実与とは違った美しさがあった。


「ハヅキは共感者を作りたかったんだろうからな」


 サンロッタは、パフィリカに視線を向けると困ったように苦笑いを浮かべた。

 ザルザンは何もかもを知っているような顔をしてハヅキを語る。自分が知り得ないことを共有しているザルザンを見るたびに、パフィリカは感情の持って行き場のない気持ちになった。


「貴方たちはハヅキのこと……どこまで知っているんですか」

「今以外のこと、といえばいいのかね」


 サンロッタは憂うように目を伏せると、霧の森に向かった歩き始めた。

 パフィリカも歩き始めるが、前方を歩く背中が寂しげに見えたものだから、何となしに隣に並ぶことを躊躇った。


「女性の心ってのは気難しいらしい。元より、俺にとって女性の扱いなんてものは不得意な分野だ。察することさえ難しいときがある」

「……それには少し同感です」


 ハヅキの涙の滸にやって来るまでに話していた実与のこととパフィリカの反応を関連結びつけたのだろう。サンロッタは「はは!」と笑って振り向くと、隣に来いとサンロッタに目配せした。

 パフィリカはサンロッタの目を辿るように、その隣に並ぶ。すると、不思議な気持ちになった。まるで、今だけは種族も役割も何もない間柄になったと思えたのだ。

 それは、コウハタをザルザンとして扱うのではなく、一人の子供として接していた時と似た感覚だった。


「……ん?」


 恵ノ國に近づくと、空に溶けるような美しいコーラスが聴こえてきた。

 音に気がつくと、パフィリカはふと遠くの空を見上げる。しかし、見えるのは木々ばかりであった。


「美しいメロディーですね。今日、何かあるんですか?」

「特にないよ。時々、青銅鏡を換気するために屋根を開いてやってるのさ。この歌は綴りの間から聴こえる歌声だろうな」

「綴りの間……この前、言っていた場所ですね?」

「そうだ」


 心が清らかになるような美しい音色に、パフィリカはうっとりと耳を傾ける。


「…………そんなに綺麗なもんなのか」

「え?」

「いや……音楽の良し悪しが分からなくてな」


 パフィリカはサンロッタの言葉を意外に思った。粗暴に見えて面倒見の良い恵ノ國のザルザン。ザルザンと云われるだけの繊細な心を持っているサンロッタならば、音楽に理解を示しても変だとは思わなかったのだ。

 パフィリカは、意外ですね、なんて軽口を叩こうとしたが、サンロッタの横顔を見て思わず口を噤む。


「俺の生きがいを奪ったのだから、その分、愛してくれても良いのにな……全く、ハヅキは一途な癖に、薄情な女だ」


 サンロッタの口からポツリと溢れた言葉の意味など、パフリィカには分からない。

 しかし、既視感があった。


 大谷の底の話をする実与。

 親子の姿を遠目に見つめるコウハタ。

 一方は懐かしむ顔をして、一方は羨む顔をして。

 二人は遥か彼方に幻影を見て、表情を悲しみに沈めた。

 一体、誰を想ってそんな顔を見せるのだろうか。


 この時、パフィリカにはサンロッタの表情もまた、悲しげに見えたのだった。




 恵ノ國に戻ると、サンロッタは「配達の仕事がある」と言ってパフィリカと別れた。


 置き去りにされたパフィリカは、実与を探すために青銅鏡に向かった。しかし、そこに実与の姿はなかった。

 はて、何処に行ったのやら。

 パフィリカは少し考えたのち、ポッカルッカを撒いて辿り着いた水の草が茂る小高い丘に行くことにした。


 パフィリカが小高い丘に辿り着くと、仰向けになって寝そべっている黒い塊を見つけた。「ミヨ」と、声をかけると、弱々しく片手を上がった。

 パフィリカは実与の傍に立つと、その顔を見下ろす。実与の顔色はすっかり青ざめていた。


「今日も、あまりご飯を食べられないかもしれん」

「昨日から何を調べているのですか?」


 実与は暫く空を見つめたあと、パフィリカに視線を向ける。

 僅かの間、無言のまま真っ直ぐと向けられる視線に、パフィリカはたじろぐ。


「君の翅を取り戻す方法だよ」

「……俺の翅?」


 パフィリカにとって、実与から返ってきた言葉は意外なものだった。

 実与は「まあ、座りなよ」と自身が寝そべる横の原っぱをポンポンと叩いた。

 パフィリカは促されるまま、実与の隣に座る。


「レウィシア、声を出せるようになって嬉しそうじゃなかったか?」

「そうですね」

「あの人、あんなにお喋りなんて、私は知らなかったよ」

「ふふ……そうですね」


 ぷかり、ぷかりと空には水泡鏡が浮かんでいた。

 時々、水の球体に陽が反射するものだから、実与は眩しさに目を細める。


「持っていたものを失うって、本当に悲しいことだよな」

 

 実与を筆頭に集まった旅の仲間は、何かを失った者の集まりだった。だからこそ、実与の言葉に込められた意味が複雑なものであることをパフィリカは理解することができた。


 実与は如何なる時でもザルザンとしての振る舞いを忘れることはないが、レウィシアとパフィリカには後ろめたさを感じてるようだった。


 しかしそれはパフィリカも同じであった。

 パフィリカは失った翅を理由に実与の旅について来たのだ。それ故に、実与の言葉に肯定することも、否定することもできなかった。

 それに、翅を失ったことを悲劇とするには釈然としない。ましてや、後悔する過去があれど、現状に不満があるわけでもない。

 ただ、パフィリカにも後ろめたさがあったのだ。


 黙り込んでしまったパフィリカに、実与はふっと小さく笑う。


「背中は痛まない?」

「痛くないですよ」


 まるで労わるような視線を向ける実与に、パフィリカはにこりと笑って見せたが、実与は困ったように目元を緩めるだけだった。


「対等でいる為には、欺くことがあってはならない。私にはぐらかされたくなければ、君もそれなりにしなくてはいけないよ」

 

 実与の声色はあまりにも優しかった。

 パフィリカは、綺麗に笑って見せた顔を引っ込める。


「少し……寝る時に熱を感じることはあります」

「痛いんだろう?」

「そうですね……でも、俺はこの痛みを大切に思いたいんです」

「痛みを大切に……?」

「背中の傷は、民にしてきたこと、やろうとしていこと、コウハタに寄り添わなかったこと。そして、貴女に出会えたこと。熱が帯びる度に富ノ國での出来事を思い出せる、そんな痛みなんです」

「そうとは言っても、私は申し訳ないんだよ」


 実与は「よっこらせ」と言って体を起こすと、ポケットをガサガサと漁り始めた。

 頭の位置が近づいたことで、パフィリカはドキリとした。

 パフィリカは、実与の空を仰ぐ長い睫毛を見下ろしていると、更に下にある口がツンと僅かに尖っていることに気が付いた。それがなんだか可愛く思えて、実与が見ていないことを良いことに表情を緩める。


「これ。傷に良いらしいんだ」

「ただの水……ではないですよね」

「塗った感触は軟膏のようなものらしい。陶器人間の表面を守るための水があっただろう? ほら、レウィシアが貰っていた水だよ。それでさ、肉体を持った者にも使える薬のような水があるんじゃないかって、そこら辺の人に聞いてみたんだ。そうしたら、傷の熱を吸収してくれるものがあると教えてくれてね。買ってみたんだ」


 実与は「はい、これね」と言ってパフィリカの手を取り、水の入った小瓶を乗せる。

 唐突に触れられたものだから、パフィリカは首の後ろに熱が集まるのを感じた。


「毎日、塗ってあげるから。そうしたら、少しは早く眠りに就けるだろう?」

「え? み、ミヨがですか? その、レウィシアにお願いするから、だ、大丈夫ですよ」

「私が女だから遠慮しているんだろうが、レウィシアだって女性だよ? 大丈夫。私、ガサツに見えるかもしれないけど、優しく塗ってやるから。安心して身を任せるといい」

「その、触れることに抵抗とかないんですか?」

「ない。――なんだ、どうして嫌そうにするんだ? 嫌がられても、ちゃんとした理由がなければ私は納得しないよ」


 立てた両膝に両手を乗せ、その上に顎を乗せながら、実与はパフィリカをジトリと上目遣いに見た。

 僅かに寄った眉間が、不服であることを訴えている。

 大きな黒目にジッと見つめられ、パフィリカは、手を握られた時の感触も相まって、ときめきに心臓が縮みあがった。


「い、イヤという訳じゃないですけど」

「何をゴネているんだ」

「……私は男なんですよ?」


 首の次は頬に熱が溜まるのを感じながらも、パフィリカは言ってやらねば気が済まなかった。

 実与は、パフィリカの言葉に目を丸める。


「恥ずかしいのか?」

「そりゃそうですよ! ミヨは男心が分かっていません」


 パフィリカは、機嫌を損なった様子でふいっとそっぽを向いた。


「男心、ね……くくく、悪かったよ」

「……何が可笑しいんですか」

「女心も男心も分からないなら、だーれの心も分かりゃーせんと思ってさ」


 女心。

 パフィリカは、霧の森でサンロッタが口にした言葉を思い出した。――実与もまた、サンロッタと同じようにハヅキの心など分からないと思っているのだろうか。

 パフィリカは実与のことを知りたいと思いながらも、渋々といった様子で口をつぐむ。実与にサンロッタの話を振るのは、なんだか気持ちが引けたのだ。


「……音楽が終わるな」悶々としているパフィリカの様子に気づいていない実与は、空に浮かべるようにポツリと呟いた。


 國中に響き渡っていた美しきコーラスが、徐々に遠ざかっていく。

 それはまるで、水底に沈む音を見届けるような物悲しさがあった。


「綺麗な歌だったね」

「……綺麗でしたか?」

「なんだ、あまり趣味じゃなかったか?」

「いえ……その、ミヨは綺麗だって思ったんだなーって、思って……」

「私だって、少しは音楽の素晴らしさが分かるよ」


 心外だな、とジトリと目を細める実与に、パフィリカは誤解だと慌てる。


「ミヨがどーこーとかの話ではないんです。ただ、音楽というものについて考えることがあったものですから」

「ふぅん。……他意がないのなら、不満に思うことはやめよう」


 パフィリカはなんとか実与の誤解を解いたものの、まだ少しだけ機嫌を損ねた実与の横顔をチラリと見つめながら、サンロッタがこぼした言葉の意味を考えた。

 そして、首を横に振り、小さく溜息を吐いた。


「安易に傷口には触れるものではないですね」

「まだその話をしてるのか。ちゃんと手を洗ってからするに決まっているだろう」

「いえ、そういう訳ではなくて」

「じゃあ、なんだ」

「手の熱もまた、傷にとっては刺激になるんだと思って。それに、元気そうに見える人であっても、案外、擦り傷ばかり作っているかもしれないじゃないですか。傷の有無も確かめずに触れることには気を付けないといけないと思ったんです。……あの時、好奇心からあれこれ聞かなくて良かったって」


 パフィリカは少し遠くに見える青銅鏡を見つめながら、目を細めた。

 まるでミルククラウンを彷彿させるように開いていた青銅鏡の天井が、夜の花のように閉じていく。


「……言っている意味がよく分からないのだけど、その薬は使い切るからな。イヤだイヤだと言っても無駄だ」


 実与はパフィリカの言葉の真意を探るのを諦め、怪訝な顔のまま立ち上がった


「レウィシアの元に行こう。イグマに音楽が止んだ頃に来いと言われていたんだ」

「あぁ、それで俺にはレウィシアの所在を聞かなかったんですね」

「伝えるべきことがあれば、パフィリカなら直ぐに言うだろうからな――ほら、早く」


 パフィリカは目を丸くしながらも、言われた通りに立ち上がる。――いつもならさっさと歩き出してしまうのに、どうして今日は待ってくれているのか。

 手に持ったままの小瓶に視線を落とし、それから実与を見つめた。


 実与の顔は、先ほどと変わらず不機嫌そうだった。



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