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ZARUZAN  作者: 遥々岬
第二章 恵ノ國
26/34

知識を得る


 星々のきらめきを体内に秘めた魚が、青銅鏡を泳ぎ回っていた。

 尾の長い赤い魚。

 紫と青色の斑模様の魚。

 数々の美しい魚に、初めて青銅鏡を訪れた実与たちは夜空を見上げるように目を奪われた。


「不思議だな……」

「知識は生きているんだ。なんにも不思議なことはないよ」

「本も生きているっていうのか?」

「勿論だ。ただ静かに、丁寧に扱われることを待っているだけで変わりはない」


 イグマの言葉に納得できたのか、実与は小さく二回ほど頷く。


 知識の魚は、物珍しげに実与たちの傍にやって来ては離れるを繰り返す。

 時々、実与とパフィリカの頬を魚の尾が撫でると、二人は擽ったそうに目を細めた。

 魚の尾は生々しさとは掛け離れており、シルクのような肌感をしていた。


「こちらから触れても問題はないのでしょうか?」

「ああ、知識の魚は他の魚とは違ってお前さんの体温で火傷を負うこともないよ」


 パフィリカが恐る恐る知識の魚に手を伸ばすと、数匹の小魚が興味深そうに伸ばされた指の先を口の先で突いた。


「ふふ!」


 パフィリカは、擽ったさに堪らず笑うと手を引っ込めた。


「今日は青銅鏡で調べものをする方法をお前さんたちに教える」

「助かる。よろしく頼むよ」

「レウィシアはやり方が違うから後に教える。少し手間に思うかもしれんが、ちゃんと調べることは出来るからな。安心してくれ」

「”ありがとう。それにしても、魚を体内に入れるのでしょう? 負担はないのかしら”」

「慣れるまでが大変なだけで、負担らしい負担といえば紙を読むのと同様の疲労感があるだけだ。しかし、知識の魚は知りたいことが明白であればあるほど鮮明に見せてくれる。本を読み漁るよりかは、遥かに早い上に確実だといえるよ」

「活字に疲れてくると、ついつい読み飛ばしたくなるよな……早く慣れるように心掛けよう」

「他に疑問はないか? ないなら、早速教えるとしよう」


 実与たちの理解を得られたイグマは満足そうに頷き、青銅鏡の中を歩み始めた。

 三人もイグマに続こうとしたが、青銅鏡の中を歩むことは実与たちにとって、少しばかり難しかった。

 水で満たされた建物の中を歩く場合、足元の床などは心許ないものであったのだ。

 弾力がある水を踏むような感覚に、実与一行は苦戦を強いられた。


 イグマは人気(ひとけ)のないテーブルに辿り着くと、小さく跳ねるようにして椅子に座った。

 テーブルと椅子も水で形づくられており、パフィリカは肩を竦めるようにして感心していた。

 

「誰かが歌っているのか」


 イグマに倣って三人が椅子に座ると、声高い歌声が建物の奥から反響して聴こえた。


「あぁ、奥で陶器人間が歌っているんだよ。この音は魚を体内に取り込む時に役立つんだ。ま、すぐに分かる」


 青銅鏡とは、厳かな場所のようであった。

 魚から知識を得ているのか、辺りにいる人々は瞼を閉じて静かに座っている。

 その姿は、まるで祈りを捧げる人の姿のようであった。


「では、まず何から調べる?」

「そうだな……陶器人間について、知り得る全てのことを知りたい」

「知り得る全てのことだと? ああ、ああ、ちょっと待て。待て、待て」


 イグマは慌てたように椅子から中途半端に腰を浮かせると、手を世話しなく振り回し「今のはなしだ、なし!」と言って四方を見渡した。

 実与たちは、そんなイグマの行動に首を傾げ、イグマを真似るように辺りを見渡す。

 すると、青銅鏡の中を自由に泳いでいた小魚が動きを止めると、ゆっくりと大きな群れをつくり、渦を描き始めた。


「違うことを言え! しょうもないことを! 早く!」

「えっと、じゃあ……」


 実与はイグマの慌てぶりに気圧されながら考える。

 その間にも、大きな魚群をつくった小魚の勢いは増し、イグマは「はやく、早くしろ!」と叫ぶ。

 青銅鏡で目を閉じて調べ物をしていた者たちは、魚群が作る水の渦に巻き込まれまいと、椅子にしがみついて悲鳴を上げていた。


「さっきのはなし! ポッカルッカを黙らせる方法が知りたい!」


 実与が咄嗟に叫んだ言葉に、イグマは息を呑んで様子を伺った。


 どんなに会話を終えようとしても、すぐに口を開くお喋りな魚。朝、実与たちはポッカルッカのお喋りには気が滅入っていた。

 再び逃げるのも忍びない。対策があるのなら知りたいことの一つといえば、そうとも言えること。

 しかし、しょうもない事といえば、その通りでもあるだろう。


 実与が叫ぶと、群れを成して渦を巻いていた小魚は緩やかに速度を落とし、紐を解くように解散した。

 青銅鏡に穏やかさが戻ると、漸く実与たちは小魚の群れが自分たちの方向に突っ込んで来ようとしていたことに気が付き、顔を青ざめた。


「……陶器人間についてというのは、あまりにも情報が膨大にありすぎる。此処は恵ノ國だぞ。どこよりも陶器人間の歴史に深く、そして進歩してきた國だ……その知識を一括りに得ようなんて、体が持たんぞ」

「なるほど……だから探し物をするなら詳細に求める必要があるわけか。すまなかった」

「俺の説明が足りなかったのも悪かったよ……」


 イグマは額に滲んだ汗を手の甲で拭うと、水の椅子に座り直した。


「しかし、次は魚が向かってこないんだが」

「ポッカルッカを黙らせる方法がないんだろうよ」

「そんなことがあるのか?」

「黙らせる方法があるのかもしれないが、その知識を持っている魚がいないということだ」


 実与は腑に落ちない様子で片眉を上げてみたが、辺りを見渡して一向に小魚が向かってこないのを確かめると溜息をついた。


「他に知りたいことはないのか?」

「うぅん、そうだなあ」


 顎を親指と人差し指で挟むようにして考え込む実与。

 パフィリカとレウィシカも何かないかと考える。


「では、水の亀について、はどうだろうか」

「水の亀の生態が知りたいと言った方がいい。水の亀……改め、水亀(ファ・ロ)についての知識もまた、意外と多くあるんだ。生き物の性質程度のことで良いのなら、リラックスして座って目を閉じろ。そして、知りたい内容を声に出して求めるんだ」

「分かった」


 実与はイグマの言葉に頷き、軽く背を丸めて座ると瞼を閉じた。


「ファ・ロの生態が知りたい。教えてくれ」

「さっきから歌声が反響して聞こえるだろう? その声に集中するんだ。魚は足の先から侵入してくるからな。驚くんじゃないぞ。ああ、返事はしなくて良い。集中するんだ」


 実与は言われた通りに、遠くから響き渡る美しい声に耳を傾ける。

 反響する声は、耳の中で波となって揺れた。


 青銅鏡の中は水で満たされているというのに、深く息を吸い込んでも肺が水で満ちることはなかった。

 水は無味無臭。話す為に口を開いたとしても、口の中に水が侵入することはない。

 体が凍えるほど冷たさを感じることも、時間を掛けて茹で上がるように熱を感じることもない。

 しかし、肌は水の中にいることを認めている。

 実に不思議な感覚であった。

 

 実与は考えた。胎内の中というのは、このような場所のことをいうのだろうか、と。

 生まれたばかりの赤子は肺呼吸に慣れる為に産声を上げ、何度もか弱い肺を膨らませては萎ませることだろう。

 青銅鏡を出たとき、記憶にない苦しさを思い出すことになるのだろうか。

 実与は、それは些か恐ろしいことのようにも思えた。


 実与が身構えていたのは僅かな時間であった。

 湯にふやけた薄い海藻のような物が実与の足の先に触れる。それは、シルクのようだと感じていた魚の尾であった。

 すると、魚に体内を泳ぎ回られるという感覚を思い出した実与は、体を強張らせた。

 いよいよ小魚らしきものが足の先から実与の体内に入ろうとした時、歌声が頭の中によく響いて聞こえた。

 脳天をつくは女性のソプラノか。

 一つの音は、木が枝を分つように幾つもの音に分かれる。

 ソプラノを追う音はメゾソプラノやアルト。

 時に和を描き、拍の裏を上がり、下り、時に横に並んでは裏方を飾る。

 言語のない歌は、実与の体から力を抜いた。


 小魚が実与の頭に辿り着くと、脳の表面に幾度もキスを落とす。

 その度、火花が弾けるように弱い電気が頭の中を走った。


 実与が例えようのない、実に不快な感覚に耐えていると、瞼の裏の暗がりが、まるで水面を見るように揺れ動く。

 その揺らぎを見つめていると、徐々に文字と絵図が浮かび上がった。



 『水亀(ファ・ロ)

 水で形づくられた亀の総称。

 ファ・ロが好むは陽がよく当たる深い影である。

 ファ・ロが隠れている影には甲羅の模様が浮かんで見えるが、見分けることは至難の業である。

 ファ・ロはこの世界で最も自衛力が高い生き物である。

 ファ・ロに与えた痛みは、同様の力を持って我が身に返る。

 例)ファ・ロが隠れている影を槍で突いたなら、己の体も同様にファ・ロが作る水の槍に突かれる。

 例)ファ・ロが隠れている影を包丁で刺したなら、己の体も同様にファ・ロが水の包丁で刺される。

 攻撃の他に、ファ・ロが隠れる影に物を落とすと、そのまま影に沈んでしまう場合がある。

 過去には、ある母親が誤ってファ・ロが隠れる影に赤ん坊を置いたばかりに、赤ん坊が深い影に沈んでしまった事例がある。

 深い影に身を置く場合、または大切な物を置く場合は、先に適当な物を置いてファ・ロの隠れる影ではないことを確かめる必要があるといえるだろう。


 他、ファ・ロに関する伝承は幾つも存在する。

 より多く語り継がれている言い伝えを要約したものが以下のとおりである。


 深い影には亀が棲む。

 ファ・ロは、水の國(新:恵ノ國)で最も清らかな火を隠し、守る。

 清らかな火を知るは、影と青い星を指し示す精霊(新:死の精霊)。そして、少数の水の生き物である。

 例)ファ・ロ、クーリー・ローチ、ポッカルッカ、悲願のモニア、その他。

 清らかな火は青い星を示す為に必要である。

 青銅鏡の観測針は正しく方向を指し示すのに必要である為、日ごろの手入れなどが大切である。

 東の空が紫に滲む、夜が深まる朝。青い星を指し示す精霊が水の國に訪れる為、夜の言語を知らぬ者は口を(つぐ)まねばならない。

 如何なる理由があろうと、青い星を指し示す精霊に礼節を欠けることはあってはならない。

 注)フィン・グ・ラリア―プルの申し子は三つの言語を忘れてしまった。それ故に、世界に干渉する権利を制限される。

 ただし、フィン・グ・ラリア―プルの申し子が三つの言語を取り戻した場合、夜の言葉に限り、夜が深まる朝であっても発言が許される。

 青い星を指し示す精霊は、定期的に清らかな火の灯りを頼りに青い星の場所を確認する必要がある。

 注)清らかな火は羅針盤(慈悲深き星=黄橡の船(ウォパン))を照らす灯りであり、青い星を指し示す精霊は羅針盤の針である。夜、灯りをなくしては羅針盤を扱うことはできない。

 注)この大陸において、明ける陽、暮れる陽を逆さまから見るは、ザルザンのみしか存在しない。しかし、ザルザンに青い星を指し示すことは不可能である。

 (※より詳細に知りたい場合は、黄橡の船(ウォパン)について記憶した知識の魚を求める必要がある)

 火は絶えない。

 火は深い水の中で燃え続けている。


 美しい歌声と重なるようにして、文字が音となって脳内に流れ続けた。ぽこり、ぽこりと脳回と脳溝の内側が膨れては萎む。

 次第に、実与は吐き気を催していた。

 早く終わって欲しいと思う反面、美しい歌声が苦痛を和らげてくれる為、実与は最後まで知識の魚が与える情報を知り終えることができたようであった。


 知識の魚は役目を終えたのか、実与の頭の中から食道に向かって泳ぎ始める。

 苦しげに上を向いた実与の喉が膨らむと「オエ」とえずく声と共に魚は吐き出された。


 パフィリカは、災難なものを見る目で実与を見ていた。


「……きもちわるい」

「終わったか」

「こんなこと、何度もできないよ」

「慣れたら何匹も取り入れられるさ」


 瞼を開けた実与はベェーと舌を出す。

 そんな実与の様子を見て、イグマは苦笑いを浮かべた。


「ファ・ロについては分かった。それと、ザルザンと死の精霊についても僅かに。恵ノ國の精霊と死ノ國の精霊に交流があった理由もふんわりと分かったよ。私は知識の魚の使い方は理解した」

「パフィリカもやってみるか?」

「いえ。それより、レウィシカにも教えてあげてください。俺たちとは使用方法が違うんですよね?」

「あぁ、そうだったな。では、次はレウィシアに教えるとしよう。陶器人間が知識の魚を利用する場合は、別の部屋に行かねばならない」


 次に自分の番が回ってくるとは思っていなかったレウィシアは、無自覚に自分の番を避けたパフィリカを見上げる。

 一方、パフィリカは狡猾な考えで気を回した訳ではない為、レウィシアから滲み出る不満に気づくことはなかった。

 三者三様の反応を見せる三人の様子など気にせず、イグマは「さ、行くぞ」と言って立ち上がる。

 イグマに続いて実与が喉を押さえながらゆっくりと立ち上がると、ヨロヨロとしている実与の背中をパフィリカが、実与の腰をレウィシカが支えた。

 すると、三人の様子に気がついたイグマは、レウィシアの肩に手を添えて実与から手を離させた。


「万が一、もつれて転んだら大変だ」

「"これくらい平気なのに"」

「いや、イグマの言う通りだ。ありがとう、レウィシア。それとパフィリカも」


 レウィシアは二人の言い分に「"分かったわ"」と渋々答えると、一歩下がって身を引いた。

 少し距離を置いた場所から見たのは、実与を支えるパフィリカの姿。

 拳でも握ることができたなら、悔しさに力が入っただろうか。なんて、レウィシアは考えたが、瞬時に考えを改めた。


 他の國に訪れるチャンスは殆どない。

 よって、旅の道中に他國に立ち寄ることが適うのなら、その國が所有する知識をより多く得ることは好ましいだろう。

 即ち、パフィリカが順番に倣おうが、自分の番を飛ばそうが関係なく、その時は訪れる。

 レウィシアは、顔色の悪い実与を可哀想に思う反面、パフィリカの姿を重ね見て、納得することにしたのであった。


 実与一行がイグマの後ろをついて歩くと、青銅鏡を利用している人々が少しだけ迷惑そうに視線を向けた。

 先程、小魚の大群に巻き込まれそうになったのだ。非難めいた視線を浴びることは、少しばかり仕方のないことである。


 実与の体内を泳いでいた小魚は、幾万といる魚の群れに紛れて分からなくなっていた。



いつも評価やコメントに励まされております。

楽しんでいただけましたら、ぜひよろしくお願いします!

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