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ZARUZAN  作者: 遥々岬
第二章 恵ノ國
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ペロルの子守唄


 晴れやかな空の下。

 実与たちは広場の真ん中にある大きな噴水を眺めながらベンチに座っていた。

 広場に敷かれた石畳のような水の地面は空の青を反射している。

 

「水泡鏡は水が溜まっている場所ならどこからでも生まれてくるのか?」


 噴水から水泡鏡が浮かび上がる光景を見て、実与は僅かに首を傾げる。

 

「まあ、そうだな」


 実与は(いぶか)しげな顔をしてベンチから立ち上がると、噴水に近づいて揺れる水面を覗き込んだ。

 整地された水の道よりも清らかな噴水の貯め水の奥底は、群青色に滲み良く見えない。水の暗がりが濃いほど、水面は実与の顔をはっきりと映した。


「んぷ!」


 水底を覗き込んでいる実与の顔を目掛けて飛んできたのは水。

 それはまるで手で水鉄砲を飛ばすような威力であったが、突然の出来事に実与は驚き、一歩後ずさる。唐突に濡れた顔を服の袖で拭うと、実与は水が飛んできた方向を見つめる。すると、ゆっくりと人のような風貌をした者が姿を現した。


「フフフ!」

「『ファナ』か」

「サンロッタ、客人(まろうど)の皆さま、ご機嫌よくお過ごしかしら?」


 実与は濡れた前髪を横に流しながら、顔を(しか)める。


「たった今、機嫌は損なわれたよ」

「まあ! それは残念ね」

「あまり失礼をするんじゃないよ、ファナ」


 困った様子でサンロッタを振り向いた実与に代わり、サンロッタは『ファナ』と呼んだ人物を(いさ)める。

 スヤキの手のパーツに水の膜を塗ってやっていたサンロッタは、スヤキの頬にくっついていた小さな一滴を指の先で拭うと、饅頭屋の女性がくれた水の塊にくっつけた。


 サンロッタに水をコーティングして貰ったスヤキの表面は、いつになく艶やかに輝いていた。


「ごめんなさいね。物珍しげに水を覗き込んでいたものだから、つい。死ノ國のザルザン、貴女にコレをお返しに参りました」


 ファナはゆっくりと水面から出てくると、実与が城の中で預けていた二艇の手斧を両手で差し出す。

 実与は、城の兵士に預けた時となんら変わりもなく輝いている手斧を受け取ると「ありがとう」とファナに礼を言った。


「返して貰って良いのか?」

「王の判断でございます」

「この國でアンタらが出来ることなんて限られているってことだよ」


 実与はサンロッタの小憎たらしい言葉に納得した。

 何故なら、実与たちは恵ノ國に入國するにも一苦労を強いられた。

 イグマがいなければ、此処に立つことも叶わなかったことだろう。


 実与は受け取った手斧をベルトループに掛けている革製のポーチに仕舞うと、遠慮がちにファナを見つめる。


 実与たちの数歩後ろにはパフィリカとスヤキが並んで立ち、三人の様子を眺めていた。


「水の妖精を見るのは初めて?」

「あぁ、初めだ。先ほどお店の前にいた犬が、まるで水そのもののような体をしていた。失礼な言い方かもしれないが、貴女の風貌はよく似ているように見える」

「嗚呼、水犬(ファ・シュッピ)のことね。あの子も私と同じ水の精霊よ。ファは水、シュッピは犬という意味があるの。毛のない犬を見て、私が貴女とよく似た風貌をしたと言うのとなんら変わりないわ」


 怒っているのか、それとも気にしていないのか。相手に使った例え話がそっくりそのまま自分に返って来た。

 実与は自分の伝え方が悪かったと反省したが、一方の水の妖精の顔はにこやかであった。


「では、水の妖精はなんて呼ぶんだ」

「ファナよ。私は水の妖精ファナ。女性であれば『ファナ』、男性なら『ファヂーマ』というの」

「貴女の名前は?」

「個体を識別する名前はないわ。他のファナも、この私も、全てが同じであり、違う。私たちは個に生きることも全として生きることも可能なの」

「……そうか」


 残念そうな顔をする実与に、ファナは少しだけ戸惑うように首を傾げた。


「ファナが不安がっているぞ、死ノ國のザルザン」

「あぁ、ごめん」

「何も。気にしていないわ」

「その、こうして話している内容は貴女以外のファナとも共有することが出来るのだろうか」

「可能よ。私たちは眠りという概念を持たないけども、目を閉じると個々が見聞きした光景や音が穏やかな渦を巻くように私たちを包み込むの。深い水の底で休んでいる水の妖精は、目を閉じながらも様々な世界を見ているのよ」


 実与は思案するように空を見上げた(のち)、チラリとパフィリカに視線を移す。

 その際、僅かに首を傾げた実与の姿を見たパフィリカは胸のトキメキに小さく息を詰まらせたが、視線の意味を理解して控えめに咳ばらいをした後に口を開く。


「……私たち妖精は小さき者の声が聞こえます。まあ、本来ならば、ですがね。それを全体の一つと呼ぶのか、はたまた群衆と呼ぶのかは性質の違いによるのでしょう」

「本来ってどういう意味だ?」


 互いに視線を逸らした実与とパフィリカの様子を見ていたサンロッタが疑問を投げかける。


「精霊ほどの力がないとはいえ、妖精は精霊が統べるそのものだ。しかし、妖精とて小さな声が聞こえなくなる境遇があるということだよ」

「…………はあ、話したくないことを自ら語る必要はない。部外者に介入されたくなければ、他所で話せ」

「悪かったよ」


 自分の代わりに説明をした実与に謝る必要はないとパフィリカは言ったが、パフィリカに意味ありげな視線を向けてしまったことを実与は反省していた。


(さび)の上に滲む水滴の如く、なんとも言えない空気になってしまったところ悪いのだけど、そこの(ひいる)の妖精は名前があるのね? 特別な、貴方だけに与えられた名前が」

「ええ、そうです」

「ふぅん……名前があるというのは良い気持ちになるの?」

「そうですね。名前を呼ばれることは嬉しいのだと思います」


 これまで大人しく話を聞いていたスヤキは、実与が眉間を寄せていたことに気が付いた。

 

「では、貴女が名前をくださいな。死ノ國のザルザンよ。このファナに。さあ、名前を呼んで」


 スヤキが実与の手に自身の手を潜り込ませるのと、ファナが自身の胸を叩いたのは同時であった。

 実与はどちらを見れば良いのか迷いながら曖昧に二人を見やったが、握ったスヤキの手が実与を安心させるように揺れるのを感じ、結局はファナに視線を向けた。


 ファナの長い髪の毛も肌も目も、話した時に見える口の中も全てが水で出来ていた。

 水の妖精の体内では、ぷかり、ぷかりと小さな空気の球が動いている。


「では……『ココロ』ってのはどうだろうか」

「ココロって、この心のこと?」


 自分の胸に手を当てて首を傾げるファナに、実与は頷く。


「私の國には水心(みずごころ)という言葉があってね。遊泳のたしなみという意味があるんだ。貴女は泳ぐのが上手そうだし……あ、でも水を付けるのは直接的すぎると思ってさ。だから、ココロだけを頂戴した訳なんだが……」

「およぐ……フフフ! 泳ぐのが上手って、私は水そのものよ? 可笑しいわね、貴女」

「み、水の持つ心情という意味もある。私は喋る水と出会ったのは初めてだから、水の感情を初めて見たことには違いないだろう? ねえ、スヤキ」


 実与が同意を求める様にして隣に並んでいるスヤキを見下ろすと、スヤキはコクンと頷いた。


「水の妖精から水の文字を取るだなんて、面白い。良いわ。これから、私はココロと名乗りましょう」


 ポチャンと音を立てて水の地面に潜り、勢いよく水面から飛び出た『ココロ』は宙に浮かぶ幾つかの水泡鏡を弾くように割り、小さな虹を何度も作った。

 一瞬にしては消える虹の光が、まるでココロの喜びの感情を表しているようであった。


 名前をつけろと言われ、大した時間も掛けずに口にした名前を喜ばれてしまった実与は、(いささ)か不安げな表情を浮かべる。


「……本当に良いのか?」

「貴女が言ったのよ?」

「もう少し時間をくれるなら、他にも候補を考えるけど」

「でも、気に入ってしまったのよね」


 考え直さないか。少し立ち止まらないか。

 実与は暗にそう言っているのだが、ココロは笑みを浮かべたまま実与の提案に首を横に振る。


「いいじゃないか、死ノ國のザルザンよ」


 二人のやり取りが面白かったのか、サンロッタは無邪気に笑った。


「ファナに名前を付けてやろうなんて、この國の者では考えないだろうよ」


 実与とパフィリカはサンロッタの屈託の無い顔を見て目を丸める。

 一方のサンロッタは二人の不躾な視線に気が付くと腕を組んで口を結んだ。


 ココロが弾く水泡鏡はポシャンと音を立てて落ちては水面から丸みを得て浮かぶ。

 スヤキの陶器で出来た艶やかな暗がりの瞳に、光が弾けるような水の姿が映っていた。


「名に値するお礼をあげなくてはならないわね」

「え、いや……礼なんていらないよ」

「大したものはあげられないけど、今すぐにでも夢を聞かせてあげることは出来るわ」

「夢?」


 ココロの掌がひらり、ひらりと舞いを見せると、弾けては浮かぶ水泡鏡が形を変え始めた。


 雨上がりに太陽の光を一心に受けた種が、土から初心な芽を出すが如く、水の塊は二つの翼を広げる。

 続いて、丸みを帯びた水にはくびれが出来た。

 小指の先にも満たない突起は、口ばしか。

 実与たちに見守られながら、ただの丸だった水泡鏡は小鳥の姿へと変貌を遂げた。


 数羽の水の小鳥はココロの周りを柔らかく飛び回る。


「声なき陶器の人。一刻の祝福を貴女に差し上げましょう」


 ココロの手に留まった一羽の鳥は小さく鳴くと、スヤキの(ヘッド)(ボディ)の隙間に潜り込んだ。

 ギョッと驚いた実与が繋いでいたスヤキの手を離し、地面に膝を付けてスヤキを見つめる。


「スヤキ? 大丈夫? ……水だけど……鳥が入ってしまうなんて」

「大丈夫だ、心配はない。見ていろ」


 スヤキの代わりに答えたのはサンロッタだった。

 心配がないと言われても、スヤキの事になると必死になる実与の疑念は晴れない。

 次第に実与の表情は、一体何をしたんだ、と言いたげに険しくなっていった。


「”……ヨ”」


 今にもサンロッタとココロに詰め寄りそうな実与であったが、小さな、小さな銀色の笛の音がスヤキの体の中から響くのを聞いて、実与は開いた口を思わず閉じる。


「ミヨ”」


 少しばかりぎこちない声は、この場に立つ誰もが聞いたことがない声であった。


 実与はサンロッタを見上げていた顔を恐る恐るスヤキに向けると、震える指の先でスヤキの頬を撫でた。


「”ミヨ”」


 繰り返し聞こえるは、死ノ國のザルザンの名前。

 実与は短く息を吐き出すと、スヤキの頬に触れていた手を離す。

 スヤキから離れた手は二つとなって、スヤキの背中に回った。

 ゆっくりと片耳をスヤキの胸に押し付けると、実与は瞼を閉じる。


「”ミヨ”」

「……こんなことって」


 震える実与の声は、何度も「そんな」や「まさか」と繰り返す。


「”この身で、はじめて話すことばは、あなたの名前が良いと、そうおもったの”」


 言葉は、スヤキの体から響いて聞こえた。

 スヤキの身なりに厳しい実与であるが、この時ばかりは思わず柔らかなスカートを握っていた。

 

「ペロル、ペロル。可憐な声を与えられるのには、限界がある」


 歌うようにココロは言葉を紡ぐ。

 スヤキを抱きしめたまま目を開かない実与の代わりに、パフィリカが「限界というのは……」と尋ねた。


「その子が彼女に声を与えられるのは、私がこの國に居る時だけ。だから、貴女の未熟な空洞を好む別のペロルを見つけなくてはならないわ」

「ペロルって?」


 気になることを素直に聞いてくれるパフィリカの様子に、実与は口元に笑みを浮かべる。


「本来の名、用途は水笛。水の体を持つ鳥のこともまた、俺たちはペロルと呼んでいる」

「申し訳ないのだけど、その子は飽き性なの」


 人の声と呼ぶにはあまりなも程遠い。

 実与は瞼を未だ閉じたまま、スヤキの内にいる小鳥の声に耳を澄ませていた。


「陶器の人。貴女の音、とっても綺麗だわ。ねえ、お歌を聞かせてみて? ペロルは美しい音色が大好きなの。もしかすると貴女の声につられてやって来る子がいるかも知れないわ。そうしたら、私、祝呪をその身に授け続けると約束する。私が与えられた名が忘れられ、消えるまで、陶器の体を鳥籠に見立てて縛りつけましょう。さあ、歌って。小鳥を呼んで。水底に降り落ちるほど優しい音で歌って頂戴」


 歌えと言うココロは自身も歌うようにしてスヤキを責付いた。


「"山べり、川べり"」


 スヤキは、自身の胸に頬を寄せて抱き着いている実与の背中に陶器の手を乗せると、子供をあやす様にポン、ポンと穏やかにリズムを叩き始めた。


「"のぼるも、くだるも、お天道さまは、()しにもおじょーず"」


 優しい歌声が、スヤキの体の中から響いていた。


 子供の安らかな眠りを守る為の歌。

 子守唄を奏でるはスヤキか、それとも水の小鳥か。


「"どこにいても、みつけるわ、かわいい子"」


 静々と閉じた実与の目元は、ジワリと赤く滲む。



 ペロル、ペロル。

 優しい人の元に、優しい音をどうか。

 どうか、届けておくれ。


 

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