水の街
「俺は用事があるから、すまねぇが適当に見てまわってくれ」
「スヤキの件については……」
「悪い」
恵ノ國の王であるビャクヘキとの謁見を終えた実与たちに、イグマは別れの合図に片手を上げた。
そんなイグマに、パフィリカは少しだけ困った様子で森の中で交えた約束の行方を聞こうと口を開いた。しかし、イグマは眉を寄せて、俯くように首を横に振った。
「お前たちの面倒は俺が見てやるよ。イグマ医師は此処で解放してやってくれ」
実与たちの付き添いに名乗り出たのは、恵ノ國のザルザンであるサンロッタだった。
それでもイグマは約束を直ぐに果たせない事を心苦しく思っているのか、スヤキに申し訳なさそうな顔を向けた。
「良い。スヤキのことは急ぎではないから」
僅かに口角を上げ、もう行けと言うようにして目を細める実与に、イグマは再び「悪いな」と言って踵を返えすと、未与たちの元を離れて行った。
「急ぎではない、ね。冷たいもんだ」
サンロッタは手に持っていた帽子を被ると、頭の後ろで手を組んで横目に実与を見る。
「……イグマにはサリアという友がいると聞いた。その友人の為に旅に出たのだとも」
実与は、イグマが去った方向を暫く見つめていたが、視線を下げると、続いて顔を背けた。
「もう少し早く帰ることが出来たなら、イグマは間に合ったのか?」
二人の会話を見守っていたパフィリカだったが、実与の言葉に思い当たる節があるのか二人から視線を逸らした。
サンロッタは口を突き出し、空を見上げた後、深い溜息を吐いて組んでいた手を解放して乱暴に下ろす。
少し遠くに見える城門からは、クーリーとローチと呼ばれていた双子の中年男性の騒がしげな会話が聞こえた。
城の周りを左右に分かれて掃除をする二人は、一方が綺麗にし過ぎても駄目らしい。
「サリアがイグマに全てを話すとは限らない。なら、俺がお前たちに話せる事はない」
サンロッタはチラリとスヤキを見ると、片目を細めた。
「綴りの間は、いずれ案内してやるよ……イグマ医師が」
サンロッタはスヤキから視線を逸らすと、筋肉を伸ばす様にして腕を大きく広げ、再び頭の後ろで手を組むと、ゆっくりと歩き出した。
実与たちはサンロッタの少し後ろをついて歩く。
城下街に辿り着くと、実与たちは興味深げに顔を横に向けるようにして街の景色を眺めた。
逃れる必要がなくなると、國の隅々まで監視するように浮いている水の球が幻想的に見えた。
太陽の陽差しから守る為の店の庇には水の膜が張っていた。その庇の下には屋根と同じ大きさ、同じ形の波が光っていた。
見知らぬ食べ物の香りを嗅ぐために鼻で空気を吸いこむも、僅かに水の香りが混ざる。
あらゆる物が水で出来ている街では、様々な音が籠るように、鈍く反響した。
「まるで、水の中にいるみたいだな」
ポツリと零したのは実与であった。
浮かぶ水泡鏡を映す実与の瞳は未だに物珍しげに爛々と開かれていた。
時おり、何処からか反射した水の光が一行の顔や体の至る上を泳いだ。
「本当の水の中っていうのは、もっと重くて、もっと暗い場所をいうんだ」
「この下には何があるんだ」
サンロッタが後ろを振り向くと、実与は立ち止まって足元を指さして見つめていた。
実与の視線を辿るようにして、サンロッタも立ち止まって自分の足元に顔を向ける。
透けて見える石畳の向こうで、ゆらりと何かが揺れた。
大きな影が通り過ぎることがあれば、小さな群れが凄い速さで移動するのが見える。
「多くの命がある」
「魚とか?」
「甲殻類も海藻も……妖精だっているだろうよ」
実与は顔を上げると、意外そうな表情でサンロッタを見た。
「この國にいる妖精は水の中で生きているのか」
「尾鰭を持つ者にとっては、水中で暮らす方が適しているだろうからな」
サンロッタはパフィリカに視線を向けると首を傾げる。
「そこの妖精だって人の形に近いだけで、眼は蛾のそのものじゃないか。翅はしまっているのか? 水中で暮らす妖精と同じように、翅を持つ虫の妖精は飛べるのだろう?」
「翅は」
「彼の翅は私が焼き落した。だから、パフィリカは飛べない。飛べなくなった」
「どうして」
パフィリカは実与の言い分を撤回しようと一歩前に出ようとした。しかし、それをスヤキが腕で制しする。
「私はザルザンとしての役割を果たそうとしたまで。それを彼が邪魔をしたんだ」
「その腹いせに?」
顔を顰めるサンロッタに実与は瞼を伏せ、「いや」と言って首を横に振る。
実与はクッと眉間を寄せるも、小さく溜息を吐くようにして表情の力を抜いた。
「私の投げた武器が刺さったんだ」
「何故、そんなことになったんだと聞いているんだ」
実与たちの会話を水泡鏡が聞いていた。
声は籠り、波紋を描くように鈍く周囲に広がってゆく。しかし、実与たちの会話を聞いている者などいなかった。
「倒景が現れた際…………私は、精霊とザルザンを天秤にかけてしまった」
実与が靴の先を地面にこすりつけると、ザリっと音がした。その音は、奥歯を噛んだ時に砂を噛んだような錯覚を起こした。
パフィリカは、自身の肩を庇うように掴むと失った翅の付け根が熱を帯び、痛むように感じた。
「我らの痛みを理解できるのは我らのみ。……違うか、サンロッタ」
「状況が全く読めん。……何故、倒景が……いや、そんな話を聞いたところで……」
サンロッタは溜息を吐くと、気まずげに顔を背ける。
「他のザルザンを縁にするなど、大バカ者がすること。……俺たちに慰め合い、痛みを分け合う時間などなければ、必要もない」
「倒景については聞かないのか」
「それについては否応なし。俺たちはザルザンで在るが故に偽りを口にする必要はない。よって、アンタは聞かれたことは曖昧にでも真実を話すだろう……しかし、アンタの言葉を聞いたところで信じるかは、今の俺には判断しかねる。倒景の出現は、まるで災厄の訪れのようにしか思えん。……良いか。恵ノ國は相も変わらずなんだよ。この國で禍根となり得るは倒景じゃない、アンタ達だ」
スヤキは、顔を顰めているパフィリカの手の甲にコツンと自分の硬い手の甲を当てる。
パフィリカが視線を下げると、スヤキはまるで口を挟む余地はないと言いたげに、少しだけ乱暴に顔を背ける様にして俯いた。
サンロッタは軽く肩を竦めると、一軒のお店に視線を向ける。
「……リィマ! 水饅頭を三つくれ」
サンロッタは片手を上げながら店の元に歩み寄る。すると、サンロッタに気が付いた店員は笑顔を向けた。
店員の足元には、水の体を持った犬が伏せていた。犬は、サンロッタの顔を見上げたあと、スヤキを見つめた。
「サンロッタかい。そちらは?」
「客人だ」
「まさか、國の外から?」
「そのまさか。でも心配はないよ。一人はザルザンであり、一人は負傷した妖精だ。もう一人に関しては時代遅れの陶器人間ときた。悪いことは起きんよ」
「それなら良いけど……。ほら、水饅頭三つ。そちらのお嬢さんにはコレをやんな」
「ん、ありがとう。お代は丁度あるはず。確認して」
「うん、丁度貰ったよ。ありがとうね」
サンロッタは代金と引き換えに商品を貰うと、被っていた帽子のツバをクイっと上げて礼を言った。
店員がそれに手を振って応えると、店員の足元で腹ばいになっていた犬も尻尾をゆらりと揺らした。
「お金」
「どうせこの國の通貨を持っていないだろう?」
「何かしらの物はある」
「それなら、後にでも換金所へ行ってくるんだな。この國で物々交換をしようなんて考えるなよ。恵ノ國は有意義な発展を果たしてきた。整備された産業基盤の中で、過去の残影を懐かしむ者などいないんだから」
実与たちの元に戻って来たサンロッタは、実与とパフィリカに水泡鏡によく似た水の球体を投げた。
二人は水饅頭が地面に落ちてしまわないように慌てて手を出したが、水饅頭はぷかり、ぷかりと浮かぶようにしてゆっくりと二人の元に辿り着いた。
「水饅頭は腹の足しになる他、充分なほどの水分補給にもなる。アンタにはこれ」
実与とパフィリカに食べ物を投げて渡したサンロッタだったが、店員の女性に貰った水が縛られている紐をスヤキに首に掛けてやった。
スヤキは首に掛けられた水を不思議そうに指で突く。すると、水を突いたスヤキの指の先に水の膜がへばり付いた。
その様子を見ていた実与は怪訝そうに顔を顰める。
「塗った物に水の膜が張るんだ。風に舞う砂利に表面を傷付けられることもなくなるし、日焼け対策にもなる。しかも艶も出る。どうせ普段は拭いて貰うだけで、劣化を防ぐような手入れはして貰っていないんだろう? 後でザルザンにその水を塗って貰え。あと、蛾の妖精にも使ってやれ。火傷や切り傷に塗ると痛みが和らぐ筈だ」
サンロッタは話に区切りをつけたのか、手に持っていた水饅頭をかぶりと齧る。ぷるぷるのそれを歯で挟み、手で引っ張ると水饅頭はプチンと音を立てて千切れた。
パフィリカはスヤキの胸元に掛けられたネックレスを視認したのち、サンロッタの真似をするようにして水饅頭を齧った。齧ったまま手で引っ張ると、水饅頭は良く伸びた。
「ん……ゼリーみたいなものかと思いましたが、これは”饅頭”に違いないですね」
「そりゃあ水饅頭だからな」
美味しいと言って食べ進めるパフィリカの様子を見て、実与も一口食べてみることにした。
弾力のある水の塊は、充分なほどの甘味がついていた。
「ん? 俺に塗れと言っているのか?」
一足先に食べ終えたサンロッタは、真っすぐと自分を見上げているスヤキに気が付く。
スヤキは自由の利かない指にネックレスの紐を持ち上げ、サンロッタに見せていた。そして、サンロッタの言葉にゆっくりと頷く。
「何も難しいことなんてないんだがな。……仕方ない。もう少し歩いたら広場がある。そこで塗ってやるよ。立ったまま食わせた所為で、どん臭い奴が喉を詰まらせた、なんて事になったら責任を感ぜざるを得ないからな」
サンロッタは首の裏を掻くと、饅頭を食べていたパフィリカと実与をチラリと見たあと、背中を向けて歩き出した。
実与の水饅頭がパチンと小さな音を立て千切れる。
その音を合図に実与とパフィリカはお互いの顔を見合わせた。
パフィリカは水饅頭の最後の塊を口に入れた所だったようで、僅かに頬を膨らませてモグモグと口を動かしていた。
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