お見舞い
「やはり熱が出たか」
苦しそうな顔をしている老兵、正しくは『大臣』を見下ろし死ノ國のザルザンは頬を掻く。
どうにも、その様子は気まずそうであった。
「お前か……」
「どうも」
寝ているように目を閉じていた大臣は、声が聞こえて目を開くと死ノ國のザルザンを睨む。
老兵の至極当たり前の反応を見て、死ノ國のザルザンは居心地の悪さを感じつつも、か細い鈴を鳴らしながらベッドの傍まで歩み寄る。
開け放たれた窓からは心地よい風が吹き、カーテンを揺らしていた。
「病室ってのは、どこの國でも真っ白いんだな」
まるで、ぼんやりとした口調だった。
死ノ國のザルザンの昨日の威圧的な態度は成りを潜めていた。
「トドメを刺しに来たのか」
「まさか。アンタの腕の骨を大谷に流してもいいか聞きに来た」
「腕の骨だと……?」
死ノ國のザルザンが頷くと、大臣は残った腕で怒りに茹で上がりそうなほど熱くなった己の額を抑えた。熱による頭痛なのか、この現状において引き起こされた頭痛なのか、よもや大臣には分からない。
「それとも船送りにされることは、思想か何かに反するか?」
「……思想も何もない。あるのは女王の御心だけだ」
大臣の強い忠誠心を前に、死ノ國のザルザンは頷くと両目を眇める。
「なあ、この國はどうなっているんだ? 年寄りのアンタは何か知っているんじゃないのか」
はためくレースカーテンの向こうからは、楽しげな声が聞こえた。
死ノ國のザルザンはその声の居所を見ようと窓に視界を移すも、結局は諦めるようにして大臣に視線を戻す。
「さあな。語ることさえ、これまでの自分を裏切る気がしてならん」
「話す気はないか」
死ノ國のザルザンは大きな溜息を吐くと、ベッドの近くに置いていた丸椅子を引いて、一緒に部屋に入っていた同行者を座らせる。そして、別の丸椅子を寄るとてドカリと座った。
座った際に見上げた天井の白さを再確認すると、死ノ國のザルザンは不満げに唇を貝のように固く結ぶ。
「まさか居座る気か?」
「そのまさかだ。女王にはお行儀よくしていろと言われ、私はそれを了承した。だから安心しろ」
心の底から嫌そうな顔をする大臣の反応を気にも留めずに、死ノ國のザルザンは「見舞いだ」と言って肩掛けのカバンから桃の缶詰を取り出す。
「アレルギーとか、食べられない物はあるか?」
「ないが……。くれるのか」
「熱が出た時はこういう物の方が食べやすいだろう? これ食べて寝ろ。年寄りは怪我の治りが遅いんだからな」
いい加減なことを言う死ノ國のザルザンに、大臣は文句でも言ってやりたくなった。しかし、この死ノ國のザルザンには何を言っても無駄だと思い、不満は心の中だけに留めた。
死ノ國のザルザンが缶の爪を開けると、プシュと空気が入る音と共に瑞々しく甘い香りが病室に漂った。
死ノ國のザルザンは、これまたカバンから楊枝を取り出して桃に刺すと、ベッド近くの小さなテーブルに缶を置いた。
「起き上がれるか? それともその姿勢のまま食べるか?」
「自分で起き上がれるわい」
こういった人間は何を言っても引かないことを、大臣は自身のこれまで生きて来た経験から知っていた。
ひとつ、ふたつでも食べてやれば満足して、それ以上は世話を焼いてこないだろう。そう思いながら、大臣は自身の体に掛けられていた布団を膝の辺りまで捲り、片腕をついて起き上がるため体に力を入れる。
「……触るよ」
「はあ、好きにせい」
体の一部を失った後とはいえ、大臣は良く動けている方であった。
死ノ國のザルザンは大臣にこれまでの事を聞こうか迷ったが、知る意味を見つけられなかった為、聞くのを止めた。
失った腕に触れないようにしながら中腰で大臣の背中に腕を回し、死ノ國のザルザンは腕の全体を使い、なるべく大臣に負担が掛らない様に起き上がる手伝いをする。
当たり前かもしれないが、大臣からはありがとうの言葉はない。
「慣れているもんだな」
「年寄りの扱いは慣れている」
「お前さんは、どれくらいの人を見送って来たんだ?」
年寄りの手伝いなど造作もない、と誇らしげに鼻を鳴らしていた死ノ國のザルザンだったが、大臣の言葉にピタリと動きを止めて、ゆっくりと丸椅子に座り直した。
「随分と痛いところを突いて来るものだな。……槍では突くこともできなかった癖に」
「生意気な奴だな。それで、どうなんだ?」
大臣は、小さく文句を言う死ノ國のザルザンに質問の回答を催促する。
「沢山さ。死ノ國の精霊が死んだと同時に、民も死んだから」
「死ノ國の民は、全員を大谷に流したのか」
死ノ國のザルザンは、ベッドの足元にあった机を大臣の手が届く場所に持ってくると、その机の上に缶詰を置いてやる。
死ノ國の話を振られ、大臣のちょっとした思惑を悟った死ノ國のザルザンは、居心地悪そうに自身の指を何度も擦った。
一方の大臣は少しばかり機嫌が戻ったのか、桃に刺さった楊枝を摘まむ。
「流したよ。再び会えることを信じてね」
「一人でか」
「一人で。……骨って意外と重いんだって、その時になって漸く気づいたよ」
「骨だけなら、まだマシな方だろう」
「……あぁ」
死ノ國のザルザンは大臣の言うことに、感心するように小さく頷く。
窓の外では蝶がヒラリヒラリと舞っていた。
遠くからは小鳥の鳴き声が聞こえ、また別の場所からは軽やかに走り抜ける幾つかの音が聞こえる。
「この國は綺麗だな」
「そうだろう」
「でも……このままでは失われてしまうよ」
ポツリ、と呟いた死ノ國のザルザンの言葉に、桃を齧ろうとしていた大臣はピタリと動きを止め、桃が刺さっている楊枝を缶に戻した。
大臣の動向を目で追っていた死ノ國のザルザンは、自身の瞳の光を隠すように視線を下げる。
「言うただろう、女王が大切なんだ」
「女王は民が大切ではないのか」
「大切だろうよ」
女王は時間が欲しいと言った。きっと、直ぐに答えを出せない理由があるのだろう。
死ノ國のザルザンは、幾ら大臣の想いを聞いたところで、結局、当人である女王がこの場に不在であるなら、自分たちの会話に実りはないと判断していた。
「女王に言ってはいけない話題とかはあるか?」
下げていた視線を上げた死ノ國のザルザンの顔は、大臣には困っているように見えた。
「なにも、私は悪戯に他國をかき乱してやろうなんて心づもりで来た訳ではないんだ」
背中を丸めている死ノ國のザルザンからは、玉座の間で見た威風堂々とした態度はすっかり失せてしまっていた。
「……私は死ノ國のザルザンだ。私の行動が我が精霊の名に泥を塗るなどあってはならない。我らの王の目が届かぬ場所で、他國との関係を拗らせたい訳じゃない。ただなあ、花が枯れる前までに、どうにかしなくてはならない。……なあ、私はどういった振る舞いをしたら良いのだろうか」
富ノ國で、己が求められる行動が分からないと言いたげに、ポツリ、ポツリと話す死ノ國のザルザンの姿を見て、大臣は意表を突かれてしまった。
まるで、富ノ國にもいる若者の姿となんら変わりないと思ってしまったのだ。
「……わしらは、いつからか女王の御心が見えなくなってしまった」
死ノ國のザルザンは、大臣が少しだけ心を許してくれたのを感じ、布団の上にある大臣の手をちらりと盗み見る。
しわくちゃの手が、富ノ國の歴史も、女王の成長も見てきたことを証明しているように思えた。
「あのな、お前さんが言うてることは分かる。なんと言っても、わしはあの小さなザルザンがやって来る前のザルザンを知っているのだ。骨を出す方法も、骨を送り出す方法も、帰って来る人たちの姿もよおく知っているよ」
「なら、何故……」
何故、なんて。実にワザとらしい。
死ノ國のザルザンは言葉を途中で区切り、眉を顰めるも口を閉じる。
何故、女王は骨の取り出し方を知らないのだ。そんな言葉を飲み込む。死ノ國のザルザンは、きっと大臣は教えてくれないと思った。
「なあ。死の精霊とは、どうやって生まれて来るんだ?」
「……そうだなあ。不幸の上乗せのような生まれ方さ」
天を仰ぎ見るまつ毛が、死ノ國のザルザンの夜を映す瞳に、より暗い影を落とした。
「現存する精霊の死期が迫ると、大きな鳥が魚を咥えて飛び立つ。鳥は魚を食べようと思っていたんだろうが、うっかり地面に落としてしまうんだ。鳥は落とした魚を見つけられず、そして放置された魚は腐り、その下から腐敗した魚を養分にした花が咲こうとする。しかし、花弁が開く前に何処からかやって来た馬がその上を駆けてゆき、花は散らされてしまうんだ。馬が去った後の土埃の中には小さな子供が座り込んでいて、その子供は死ノ國を目指す」
「その子供が、死ノ國の王。死の精霊ということか」
「そうだ。……死の精霊は名前の通り、死を統べる。魚は死に、花も死に、馬が駆けて風を殺す。死が重なりあった場所から、あの人は生まれるんだ」
「それで……」
「それで、子供が死ノ國に辿り着いた時、王位が引き継がれる。新王となった幼い死の精霊は、死ノ國の死ノ國のザルザンに骨を取り出したのち船で流すように命じる。……その時はな、なんていうかな。生きたまま骨を出すのが習わしなんだよ」
生きたまま骨を取り出される姿を想像したのか、大臣は苦痛に顔を歪めた。
大臣の反応を見て、死ノ國のザルザンは片目を細め、力が抜けるように笑った。
「痛そうだろう。多分、すごく痛いと思うよ。勿論、死にゆく前王は叫ぶ。……耐え難い痛みを得て、恵まれず死んだ者への理解を示すことが最後の役割なんだとよ」
「……死の王はご自身の役割が嫌にはならないものだろうか」
「嫌だと言っていたよ。でも、嫌だからやらないというのは別の話だと言っていた。放棄した物事というのは皴寄せというものが、必ず、誰かにやってくる。しかし、精霊にしかできない役割は誰も代わってやることはできない。放置された役割は、挙句にいずれ消えゆく。そうして不幸のまま全てが星が燃えるが如く消滅するのだと、そう言っていたよ」
「……どうにも分からんのだが、死の精霊の魂はいくつもあるのか?」
「さあ。もしかすると死の精霊が生きているころなんて存在しないのかもしれない。もしかすると、最期に苦痛を得るが為に意識を残しているだけの存在なのかもしれない……なあんて、私たちなんかが精霊の生態なんて理解ができるものではない」
死ノ國のザルザンは瞼を伏せ、ゆるりと首を横に振った。
「私は、我が王の御心など分からんよ。……一体どこに飛んで行ってしまったのやら」
「……お前の忠誠とはそんなものなのか?」
そんなものなのか、とは随分な言い方だと死ノ國のザルザンは思い、思わず鼻を鳴らす。まるで言い負かされるのがイヤで反抗したと思われているなど、本人は気づかなかった。
「アンタは普通に年老いた。なら、私の言葉を正しく受け取っていると思っているよ」
深い溜息を吐いた死ノ國のザルザンを見て、大臣には、その姿が草臥れているように見えた。
「我が王のことだ。一時の自由を得て旅でも楽しんでいるのかもしれない。……私が生き残り、彼を探しに行くことさえ見越してさ」
揺らぐ死ノ國のザルザンの瞳は、まるで夜の水辺を彷彿させた。
深い暗闇色をした水は、心許なく水面を揺らしている。
すっかり意気消沈している死ノ國のザルザンを見て、大臣は不憫に思えた。
ふと桃の缶から甘い香りが漂ってくると、大臣は桃の缶に視線を向ける。
「……わしの骨は好きにしろ」
「では、流してしまうよ」
「ああ」
うっかり明るい心の声が表情に浮かぶほど、死ノ國のザルザンにとって大臣の返答を意外なものであった。
一方、大臣は死ノ國のザルザンの素直過ぎる反応を見て、うんざりしつつも重たげに口を開く。
「……以前の死ノ國のザルザンに、生まれて直ぐに死んだ娘を流して貰ったことがある」
骨を船送りにすること。
それが生き物の正しい巡りだというのに、あまりにも早すぎる命の終わりを聞いて、死ノ國のザルザンは悲しい気持ちになった。
「この國で生まれた子なのだろう? 船で流したのなら帰って来ている筈だ。生まれたばかりの姿しか見ていないのなら気づけないかもしれないが、この國に帰ってきている筈だよ」
「……どうして、お前がそんなに悲しそうな顔をするんだ」
まるで必死に話す死ノ國のザルザンに、大臣は思わず苦笑いを浮かべる。励まそうなんて考えている訳じゃないだろうな、なんて思いながら。
「再会を望むなら、船送りにした六年後、アンタと奥さんの面影がある子どもを探すしかない。しかし、探した所で新たな体を得て帰って来た者たちは、知識や経験なるものは深い場所に残るが、思い出という記憶は残らない。アンタのことは……」
「ああ、ああ……分かっている」
「……時々に、死した後に戻って来た家族を養子に迎い入れる人がいる。そうして、心の折り合いを見つける者もいる。寄り添い合えるのは、お前たちだからできることのはずだ。私は、死ノ國のザルザンは、巡る輪を守らねばならない。死ノ國のザルザンだから、お前たちには寄り添ってやれない」
大臣は思わず首を横に振る。
我が子の死を誰のせいにするかなど、考えたくもないことである。
しかし、我が子と同じ顔をした”知らない子供”を創っているのはザルザンであるからして、申し訳なさそうに話す死ノ國のザルザンに掛ける言葉を見つけることができなかった。
「……お前と一緒にいる子供もそういった子供なのか」
部屋の空気は酷く重たかった。
話題を変えようと、大臣は先程から一言も話さない死ノ國のザルザンの同行者をチラリと見る。
死ノ國のザルザンの同行者は頷くことも、首を振ることもせずにフードを深く被ったまま座ってい話を聞いていた。
「姿を見せておやりよ」
死ノ國のザルザンに促された同行者は、ゆっくりと自らの手でフードを捲る。
その姿を見て、大臣は驚きに目を見開いた。
「アンタは見たことがあったか? この子は『陶器人間』。土で体を創り、花を心臓の代わりに得た土人間に、加工を施した姿だ」
「……昔、この國にも何人かいたが、陶器は見たことがない」
「土として息絶えた方が救いがあるからな」
「お前がそれを望んだのか?」
大臣は、陶器人間と呼ばれた同行者に問いかける。すると、漸く陶器人間は、自身の意志を伝えるべくして頷くように体を前方に傾けた。
オールビスクとでもいうのだろうか。
髪までも陶器で作られた女の子の姿をした陶器人間。その顔は真っ白の肌に、瞬くこともない瞼に色が差し込まれ、揺れることもない睫毛と、開閉も叶わない唇にピンク掛かった赤いルージュが描かれていた。
頬はふんわりと赤らんでいるが、寒暖や感情の起伏によって染まっている訳ではない。
髪は黒色に塗られていて、波を打つようなウェーブが形作られていた。
艶やかにも硬質な顔面は、仮面やお面などが顔を隠しているのではない。
陶器で作られた体こそが、彼女の本体なのである。
「雨の中、獣の巣の中で蹲っているのを私が見つけてね。それからずっと共にしている。……この人らは花として生まれ変わることが嫌で土人間となる選択を”自分で”示した人たちだ。そう容易く死ぬことを受け入れはしない」
「雨の中……。では随分と体積が減ってしまったのか」
「そうだ。土人間は雨に濡ると溶けてしまうからな。最初は素焼きだけで済ましていたんだが、旅を共にするにつれて情が湧いた」
「それで本焼きまでしたと……」
「そう。で、その過程の途中から彼女を『スヤキ』と呼ぶことにした」
言葉を失っている大臣を横目に見た後、死ノ國のザルザンは窓の遠くに視線を向ける。
「この國の花を大谷に流したとして、どれくらいの船が陸に戻って来るんだろうな」
花のみを乗せた船が陸に戻って来る意味とは、それは花としての生を”得たくない”と思った人間の意志の表れである。
「土人間なんてモノの生き方は悲惨だよ。しかし、人の形に未練がある花は、それでも良いと陸に戻ってくる。なんて侘しいものだろうか」
土人間が歩む道を思うと、死ノ國のザルザンは酷く悲しい気持ちになった。
同情されることに嫌な感情はないのか。スヤキと呼ばれた女性の表情からは、感情を読み取ることができない。
「まさか、この國の花を船送りする気か」
「勿論。まだまだ間に合う花が沢山あるじゃないか」
「…………しかし」
「それも女王の御心が、か?」
「ううむ……」
「……まあいいさ。船送りをしたくないと言うのなら、女王にその理由を聞こう」
大臣は顔を顰めながら、残念そうに肩を落として見える死ノ國のザルザンに何か言おうとして、結局は止めた。
腕を切り落とした者と、腕を切り落とされた者。そもそも、同情を持つなど変な話である。
「……あまり突っ込んだことを言って女王を傷つけるでないぞ」
「分かっている」
「……わしは、少し疲れた。お前はさっさと出て行け」
ふぅ、と心底疲れた様子で息を吐いた大臣の缶詰を見つめる目は、疲労感を滲ませていた。
「……親切にしてくれてありがとう。私は、もう少しこの國のことを知ろうと努力することにしたよ」
「それは、お前が死ノ國のザルザンだからか?」
丸椅子を元の場所に戻して、死ノ國のザルザンが病室を出ようと扉の取っ手を握ると、大臣から最後の質問が投げかけられた。
死ノ國のザルザンは振り向き「そうだ」と言い切った。
すると、大臣はとうとう俯いてしまった。
「じゃあ、また」
大臣に別れを言って、死ノ國のザルザンが陶器人間の肩を抱いて扉を開ければ「あ」なんてマヌケな声が三つ重なった。
「……体調はどうですか?」
開けた扉の向こうにいたのは、気まずそうにも必死に笑顔を作っている女王と、大きな果物籠を持った富の國の小さなザルザンであった。
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