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ZARUZAN  作者: 遥々岬
第一章 富ノ國
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翅を失った蛾の決断


 開け放たれた窓から、夜風が女王の部屋を訪ねて来た。

 白い月は二人の姉弟と一人の子供を優しく照らしていた。


「寝てしまったんだね」

「色々なことがあったから……疲れたのよ」


 ベッドに座る女王の膝でスヤスヤと寝息を立てて眠るはコウハタであった。

 女王にこのような振る舞いができる人物は、富ノ國のザルザンという名を持つ子供くらいだろう。


「姉さんだって久しぶりに外に出て、疲れたんじゃない?」

「そうね。ヘトヘトかも」


 コウハタの柔らかな髪を撫でながら微笑むメラベルは「でも」と言葉を続けると、窓の外を見上げる。


「楽しかったわ」


 メラベルの瞼は重たげで、コウハタを撫でる手の動きはどこか夢見心地。パフィリカは、長居すること自体に申し訳なさを感じていたが、話したいことがあったため、窓際に背を預けて立った。

 後ろの窓の外では嘘星(うそぼし)の虫が空をゆったりと飛んでいた。


「もう直ぐ、ザルザンはこの國を出ていくと思うんだ」

「えぇ、そうね。彼女には使命があるんですものね」

「うん。それでさ……」


 すっかり青白くやせ細った姉の姿を見て、パフィリカは眉間を寄せると悲しげに瞼を伏せる。

 月の明かりを背に影を纏う弟を見て、メラベルは”そっくりであるが似ていない姉弟だ”と思った。


「彼女について行きたいなって、思っていてさ」


 パフィリカは気まずげに胸の内を明かした。

 凛とした夜風が、二人の肺の中でつむじ風を作った。


「ダメ、かな」


 不安げに話すパフィリカとメラベルの視線は交わらない。パフィリカは首裏に手を当て、軽く掻いた。


「ザルザンが好きなのね」

「……どうなのかな」

「分からないの? では、どうして着いて行きたいの?」

「彼女に対しては確信がないというか……。でも、もう少ししたら離れてしまうんだと、そう思うと、胸が苦しくて」


 そう言ってパフィリカは胸の辺りの服を握り締める。


「此処を拠点にしたいと言っていたのであれば、今後ともザルザンは富ノ國にやって来るのではないの? それではダメなの?」

「そうなんだけど……」


 気まずくなると目を伏せるのはパフィカの癖だと、メラベルは知っていた。今だって非常に言いにくいに違いないのだろうが、パフィリカは意を決したように僅かに伏せていた顔を上げてメラベルを見つめた。


「彼女の力になりたいんだ」


 指の腹でひとつ、手の甲でひとつ。メラベルはコウハタの柔らかな髪を撫でる。


「私が機能しなくなった時、ずっと、貴方が私の身代わりをしてくれていたわね」

「身代わりだなんて、そう言い方はしないでよ」


 メラベルは口元に小さな笑みを浮かべ、ゆるりと首を横に振った。


「本来ならば國から出る者なんて殆どいないのよ。それはどの國でも同じことで、言い方を変えれば、世界中を旅して世界の姿を知ったとしても、私たちは一切の進化も発展もしない。そう定められているの」


 フィン・グ・ラリア―プルも申し子は、決められた生き方しかできない。

 命を巡らせ、愛で魂を満たすこと、それさえ守られるのならば、どこまでも自由の身であること。

 では、自由とは何なのか、なんて疑問を持つことさえ無意味である。


(はね)を失った(ひいる)は何を見て、何を得るのか。貴方が知る世界の全容を私に教えなさい。これを約束できるというのなら、何処までも、お行きなさいな」


 部屋に閉じこもって過ごしていたメラベルは目の生気をなくしていたが、己の弟の決意に応えるべくして、白い光が差す彼女の瞳は力強く光っていた。

 

「私は、貴方をこの國に縛りはしません」


 女王の額に埋まる水晶の中で虹が舞う。

 水晶を持つのは兄弟の中でもこの二人だけであった。だから、心が病に蝕まれた女王の代わりができるのはパフィリカしかいなかった。

 絶望した姉弟を見捨てず、身代わりになる日々を耐えていたパフィリカ。誰かに成り代わって過ごす日々はどのようなものであっただろうか。

 美しい翅を失った弟の姿を見て、メラベルは心から後悔した。

 飛べぬ蛾は、どう生きていけるのか。


 蛾と言えど、メラベルたちには人と同じ姿が与えられていた。

 翅を失ったとしても、苦労らしい苦労などないのかもしれない。しかし、翅を持たぬ蛾ほど、滑稽で惨めなことはない。

 数多の光と、数多の虫の上に君臨する女王は、そう思った。




「……富を司る精霊、美しき蛾の女王陛下」


 富ノ國にやって来てから、今に至るまで、誰になんと言われようが態度を改めることがなかった死ノ國のザルザンは片膝をつき、頭を垂れた。横に並ぶスヤキも変わらぬ表情のまま、死ノ國のザルザンに倣う。

 夜を纏った他國のザルザンの粛々とした態度は、その場に立つ者の背筋を正した。

 

「どうか、これまでの無礼をお許しください」

「顔を上げてください。死ノ國のザルザン」


 女王陛下に促され死ノ國のザルザンはゆっくりと顔をあげる。玉座に座る女王と対峙するのは、これで二度目となった。

 女王の斜め後ろにはズボンを履き、マントを着たパフィリカが控えるようにして立っていた。

 そして、玉座の直ぐ横にはコウハタが立っていた。その表情は、死ノ國のザルザンが富ノ國にやって来た時に魅せた怯えた表情なんかではなく、堂々としたものだった。


「貴女には迷惑をかけてしまいましたね」


 死ノ國のザルザンは女王の言葉に否定する為に首を振ることも、肯定する為に頷くこともない。その代わりに、女王から目を逸らすように一瞬だけ瞼を伏せ、僅かに思案した後に、再びゆっくりと女王を見つめた。


「話す許可を」

「許します」


 まだまだ絶対安静でいなくてはいけない大臣もこの場にいた。

 大臣は死ノ國のザルザンの態度を見て驚いた。

 あの無骨者は他國の話であるからと、他國の精霊であるからと理由をつけて暴虐無人な振る舞いをしていたのかと思っていた。しかし、どうもそれは勘違いでだったらしい。


「私がこの國にやって来て留まるに至った理由は、それは死の王の居場所となる手掛かりがないかと考えたからです。しかし、留まると決めた理由がもう一つ。富ノ國の姿を見て、己の中にあった疑問を解消する何かがこの國にはあると思ったのです。……女王さま。貴女は、骨を放置すると花が咲くと、何者かに助言を貰ったのではないのですか?」

「……えぇ、確かに教えられて、私はそれを選択しました」

「精霊は我らザルザンとは違い、世界については学び直さねばいけない。しかし、貴女は学ぶ機会を失っていた。それなのに、巡らぬ花について知っているなど、どうも可笑しい。……その助言をした者はこの國の者ではないですね?」

「…………そうですね。あの方は……」

「旅人、だったのでは?」

「あぁ、そうだわ。世界を見て周っていると言う旅人がやって来て、色々な話をしてくれたのです。それで、國を変える方法があると、そう教えて貰ったのです」


 一瞬の瞬きの間に、死ノ國のザルザンの眉間がクッと寄るのをパフィリカは見逃さなかった。


「…………憶測で話をするものでないことは重々理解しております」


 話しても良いものかと迷う素振りを見せるも、死ノ國のザルザンは己の考えを聞くかどうかを女王に委ねる。女王が出した答えは是。「話してください」と言って女王は死ノ國のザルザンに先を話すように促した。


「私はその者を、ザルザン、だと思っております」

「ザルザン?」


 ザルザンとは、死ノ國のザルザン、実与ミヨのことだ。

 ザルザンとは富ノ國のコウハタのことである。

 世界には六つの國があり、一つの國に一人のザルザンが存在する。

 即ち、この世界には六人のザルザンがいることになる。


「我が死ノ國が襲撃にあったことは既にご存じのことだと思いますが、では襲撃できる者は何かと、私は考えたのです。國一体を包み込んだ炎が萎えてゆき、残っていたのはそこで生きていた人々の焼き爛れた後に絶命した残骸。体や骨のみでした」


 その光景を思い出しているのか死ノ國のザルザンは、夜に煌めく瞳を苦しげに細め「火を放った者の姿など見当たりませんでした」と付け加えた。


「その死体の中にあったのでは?」


 話すのも苦しそうな死ノ國のザルザンの様子を見て、女王は深掘りするようなことはしたくなかった。しかし、今はお互いに立場というものがあり、死ノ國のザルザンの曖昧さを追求しなくてはいけなかった。


「ありません。私は死ノ國の人々の姿や名前を知っています。どこの家に誰が住んでいたのかも記憶しています。だから、”全員”の骨を船送りにした、と言ったのです」

「全ての民を周知しているというのですか」

「もちろん、王も然り。人のみならず、家畜もペットも記憶にあります。それ以上を超える数はありませんでした。ならば、火を放った者は他者を傷つけ、挙句に殺しても己の身に諸刃が返ることのない者。……私は、そんな者、ザルザンしか知りません」


 己の言葉には絶対の意味を込めて話す死ノ國のザルザンの全ての言葉に、誰もが信じられない気持ちになった。

 死ノ國とて大きな國であった。

 その國に存在する命を全て知っていると話す死ノ國のザルザンの言い分は僅かながら無謀のように思えたが、死ノ國のザルザンの目の力強さがその言葉を信じざるを得なくさせた。

 しかし、正体不明をザルザンと仮定し、他國を滅ぼしたなど、誰も想像できない話であった。


「…………それは確かなのですか?」

「正直、馬鹿馬鹿しい話かと思いますがね……。先日までの富ノ國のザルザンの状態がたまたまであるのか、恵ノ國に行ってみれば分かると思っています」


 死ノ國のザルザンを照らすは、鮮やかにステンドグラスの光。死ノ國のザルザンが動く度に、その光は表情を変えるように揺れた。


 死ノ國のザルザンが女王から視線を移すと、気まずげな表情を浮かべるコウハタと目が合った。


「では、次は恵ノ國に行くのですね」

「はい。死ノ國、富ノ國、そして恵ノ國。……恵ノ國でも可笑しなことが起きていれば、私の仮説は半分が真実に近づきます。ならば、行くしかありません」

「ザルザン。……死ノ國は滅んでしまったのでしょう? 王が帰還したとして、國は建て直せるのでしょうか」


 女王は、己の國の行く末を憂いた。

 自分がしでかしたことの大きさに絶望していた。

 だから最後に、死ノ國のザルザンに助言を求めるつもりで滅んだ他國の未来を訪ねた。


「死ノ國は、この世界で最も死に近い國」


 死ノ國のザルザンを見ていると、誰もが夜を誤解していたことに気が付くだろう。

 夜とは、こんなにも強い煌めきを纏っていたのか、と。


「我が國に、國そのものの死などありませぬ」


 富ノ國は、まるで小さな虫の王国のようであった。

 草花は力強く咲き誇り、穏やかな風が民を活気づける。

 小さな虫は土を潜り、空を飛び、土壌を正す。

 この國を統べるは美しき蛾の女王。癒しの力を輝石に授けし精霊。

 女王メラベルは、死ノ國とは、まるで己の國とは正反対のようであると思っていた。

 死とは悲しくて、暗いものばかりだと思っていたのだ。

 しかし、メラベルに両膝をつきながらも見据えるザルザンを死ノ國の残影だとするならば、死ノ國とは、千言万語を費やしても表現し得ないほどに美しい國なのだろうと思った。


 メラベルは深く息を吐き出すと、深々と頷いた。


「十分に分かりました。……疲れた時は、富ノ國に訪れると良いでしょう。我が国は死ノ國の復興を後押しいたします」


 死ノ國のザルザンは驚きつつも、頭を下げてお礼を伝える。

 まさか、死ノ國の復興についてまで言われるとは思っていなかったのだ。


「その代わりと言いますか、我が弟、パフィリカをお供に連れて行ってやってはくれませんか?」

「……何故?」


 これまでの話の流れに安堵を見せていた死ノ國のザルザンであったが、女王の一言に声を潜める。

 その声に、パフィリカは酷く緊張した。


「私は貴女が心配なのです」


 これは自分が言わなくては、と思ったパフィリカは一歩前に出る。

 顔を上げた死ノ國のザルザンの顔は険しかった。


「心配には及びません」

「……どうしてもお供させて欲しいのです」

「安全なんて約束できない旅となります。私は死の王の花を探すことを第一とし、我が友スヤキの命を守ることで精いっぱい。貴方を守るには、到底力が足りませぬ」


 だから諦めろ。死ノ國のザルザンの目はそう語っていた。

 パフィリカは拳を握る。掌は酷く汗をかいていた。


「私は貴女が好きなのです!」


 パフィリカは、焦った末に口を滑らせる。

 女王はこのタイミングで弟が想いを告げるとは思いもしていなかったのか、ポカンと小さく口を開いたまま目を丸めていた。

 コウハタは戸惑うように死ノ國のザルザンとパフィリカ、そして女王を何度も見る。


「好かれる理由が思い当たらない」


 誰もが固唾を飲んで死ノ國のザルザンの言葉を待っていたが、返って来た言葉はどこか冷たいものだった。


「り、理由ですか」


 死ノ國のザルザンは少しだけ気まずげに視線を落とし、困った様子で眉を潜めた。


「私はこの國にやって来てから、人として良い振る舞いをしていたとは思っていない。見せしめに大臣の腕を切り落とし、民を、あまつさえ女王陛下をいつでも殺せると脅した。それに、私は……」


 死ノ國のザルザンは口を尖らせたかと思えば、言葉を飲み込むようにムッとさせたりと落ち着かない様子で目を泳がせ、その末に決心した様子で顔をあげてパフィリカを見つめた。

 その瞳は酷く悲しげに濡れていた。


「貴方の翅を奪ってしまった」


 じわり、と死ノ國のザルザンの目元が赤みを帯びる。

 不安げな声は震えて聞こえた。

 パフィリカを傷つけたのは死ノ國のザルザンであるのに、まるで死ノ國のザルザンの方が傷ついているようであった。


「もしも、貴女に罪悪感があるのなら……お供する許可を」


 無意識に出た言葉に、パフィリカは最低だと自己嫌悪に陥った。

 パフィリカは直ぐに己の失言に気が付くも、時すでに遅し。


 死ノ國のザルザンの表情は可哀そうなほどに悲しげであった。そして、視線を下げたまま戸惑うように左右を見やり、小さく「分かった」と死ノ國のザルザンは呟いた。


 脅すような言い方をして得た許可にパフィリカは弁解をしようとしたが、先ほどの言葉を覆せるほどの良い言葉が見つからない。その上、旅の同行の許可を得て安堵している自分に気が付き、何とも情けない気持ちになった。


「殿下」

「へ? あ」


 心の中で混乱しているパフィリカの様子に一切気が付いていない死ノ國のザルザンは、腰に付けたポーチから二挺の手斧を取り出し「先ほどの言葉を撤回しよう」と言った。

 そして、ゆっくりと瞼を伏せると当時に両手で持って己の額に当てる。


「私が貴方を守ると、ここに誓う」


 きっと、”それがせめての償いとなるならば”、そう言葉が続くはずだったのだろう。

 しかしその物言いは、まるでパフィリカを責めるように感じたのか、死ノ國のザルザンは守りの誓いを立てると口を閉ざした。


「……はい」


 何をしても卒なくこなす頼れる弟の醜態に苦笑いを浮かべるは女王。


 パフィリカが旅に出ることで女王が寂しくなるではないかと心配したコウハタであったが、苦笑いだったとしても無理をしたり作られていない笑みを浮かべる女王の様子に、安堵して目を細めた。



 こうして死ノ國のザルザンと陶器人間のスヤキの二人旅に、富ノ國の王子パフィリカが加わることとなった。



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