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BWV847 石化する蝶

 石化したちょうが、宙に浮かんでいた。釘で留められたように、空中に静止している。近在ではありふれた光景だ。都市部ではそうはいかない。未明のうちに、清掃業者たちが金槌で叩き割ってしまう。砕かれた蝶たちのかけらは集められ、リサイクルされて時計の部品へと生まれ変わる。時を奪われた蝶たちへの、皮肉なのか挽歌なのか、ようとして知れない。ともかく、われらが都市部の交通安全は、勤勉なる清掃業者たちによって守られている。そのまま放置された場合、あちこちで小規模なバタフライストライクが起きるのは必至だ。躁状態で全力疾走していた酔っぱらいが、蝶に激突して昏倒したという、不運な笑い話も耳にする。

 とはいえ、石化した蝶たちの無時間的浮遊は、利便性を措くとするなら、この世に数多ある自然界の驚異のひとつとして、それなりに愛でるべき景物ともいえた。春のピクニックに添えられた点景。いまやすっかり子どもの絵日記の常連だ。無害化されたともいえる。ひと頃は、世界の終末を告げる凶兆として忌み嫌われ、大がかりな暴動まで引き起こしたこともあるというのに。人間はなんにでも慣れてしまう。鳥は飛ぶもの、魚は泳ぐもの、蝶は空中で石化するもの。議論の余地はない。原因の究明は、一部の学者たちに任せておけばいい。われわれには生活がある。われわれには時間が流れている。時を奪われた蝶たちに、そういつまでもかかずらわってはいられない。せいぜい休日の気まぐれな道楽として、ひなびた村里の点灯夫を観察するくらいが関の山だろう。

 夕闇が濃くなる頃、点灯夫たちはそれぞれの持ち場に赴き、涼しげな顔で、飄々《ひょうひょう》とした仕草で、灰色に石化した蝶たちに火をともす。空中に固定された蝶に、いかなる化学作用の為すわざか、時を奪われた火が宿る。まるで不死でもあるかのような、壊れた時計の精のような輝き。螢のまがい物のようなその光は、発光基質であるルシフェリン、発光酵素であるルシフェラーゼなどからの連想であろうが、ルシファーの業火などと呼ばれることもある。田舎道を照らす侘しい灯火には、少々荷が重い、不釣合な呼び名である。いったい石化した蝶と堕天使に、いかなる関わりがあるというのか。そう呼んだ当人は、終末を本気で信じていたのだろうか。

 とはいえ、暗闇に燃える蝶たちの光は、地べたに生まれた星空のようでもあり、焚き火と同程度の郷愁を誘う。自分が蝶になった夢をみたのか、蝶がみる夢がいまの自分なのか、とは有名な故事だが、石化した蝶が夢をみるなら、その夢のなかで、われわれはことごとく石化して終末を迎えているのかもしれない。しかし時のない夢とはいかなるものか? 時のない音楽と同じくらいに、それは想像の範疇はんちゅうを超えている。

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