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BWV846 影の鳥

 少年は眠れなかった。夜も更けて、外は静か。机も本棚も玩具もみんな、その輪郭は闇に溶けて、部屋は胎内のように暗い。目の前に手をかざしても、ぼんやりとしか見えない暗闇。眠るべき時間は過ぎていた。それでも少年は眠れなかった。こころが眠るのを拒んでいた。明日が嫌いで、未来が苦手だったから。夜がいつまでも続けばいいのにと、寝床に横たわりながらいつも考えていた。死ぬのが怖い老人みたいだと、少年は醒めた目で自分を観察した。死も老いも、なにひとつ理解はしていなかったけれど。

 部屋は暗くて、とても静か。自分がいるけどいないみたいで、こころの中みたいにすべてがうっすら。眼を開いても眼を閉じても、わずかな違いしかそこにはない。その違いとはなんだろう? 少しの光が、どこからか射している。

 手探りで少年はカーテンを開けた。窓から光が穏やかに入ってくる。月から、星から、街灯から。なんでもよかった。窓の外側を少年は見なかった。その輝きの源がなんであれ、少年が魅せられたのは、光ではなかった。白い壁に、窓のかたちが額縁のように浮き上がっている。その枠のなかに、少年は反転した自分を見出だした。影だ。表情も年齢も死生もない、輪郭だけの黒い影。

 手をかざせば、拡大された影が映る。離れた壁に、離れた自分がいる。その距離感が、少年には心地よかった。自分が動けば、影も動く。優しい他人のようだった。自分の投影でしかなくとも、そこにはなんらかの絆があるように思えた。

 しばらく少年は影と遊んだ。指をそれぞれピンと伸ばす。五本と五本。合わせて十本。その数字に意味はあるのだろうか。影の輪郭を見つめていると、かたちへの疑問が浮かんでくる。人間はどうして、こんなかたちなのだろう。他のかたちはなかったのだろうか。神さまに似せてつくられたと、おとぎ話で読んだことがある。それなら、神さまにかたちはあるのだろうか? 人間は神さまの影なのだろうか?

 とはいえ、影絵遊びの基本といえば、動物のかたちの真似事だ。手と手を絡め、指と指を組み合わせて、少年はいくつもの動物を呼び出した。光あれ、と神さまが言うように、影よあれ、と少年は念じた。白い壁に、少年の手によってつくりだされた、黒い動物たちが躍る。夢見がちな少年の、感傷的な物語を担って。仲間外れの隻眼のイヌ、傷つけることしかできないキツネ、殴られることに慣れたウサギ。

 千夜一夜物語のように、少年は影の物語を夢見つづけていたかった。もちろん、明日が嫌いな少年には、千の夜など必要ない。一夜のうちに、永遠にとどまっていたかった。ずっと影と遊んでいたかった。優しい他人しかいない世界で。

 少年は眠れなかった。眠りたくなかった。死ぬのと同じくらいに、明日が来るのが怖かった。夜が終わるのが嫌だった。影と別れるのが寂しかった。

 白い壁に、鳥が現れた。少年の手が生み出した、輪郭だけの影の鳥。かたちだけの、黒いまがいもの。色だけを見ればカラスのようで、でもその鳥はカラスではなかった。夢で織られた抽象の鳥だった。

 少年はその影の鳥にも物語を与えた。少年自身をいくぶん反映した、擬人化された稚拙な物語。言葉によらず、声によらず、静けさのままに語られた。

 物語が終わると、少年は絡めていた手をほどいた。うつらうつらと、つい眼を閉じてしまいそうになる。眠りが少年を呼んでいる。でも嫌だった。頑なにこころが拒んでいた。

 眼をこすり、眠気を無理やり追い払って、少年は顔をあげて白い壁を見た。

 影の鳥は、まだそこにいた。

 少年はもう手をかざしていない。その鳥は少年の投影ではありえない。少年の手を離れて、影の鳥はそこにいた。窓のかたちをした額縁のなかに。鳥のかたちが佇んでいた。こちらをじっと見返すように。

「神さま?」

 少年はわれ知らず言葉を発していた。自分の言葉に驚くように、ぽかんと口を開いたまま、少年は影の鳥を見つめていた。

 答えがいつか返ってくるまで、少年は眠れなかった。

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