一片も見えることが無いのだ
「柳森殿、お早めにここをお発ちください。」
帰り道、突如斎姫にそう言われた。
全く理由がわからなくて固まっていたが。
「もし、可能であればあの子たちを、
安全な場所まで連れて行ってほしいのです。」
顔を合わせず、先を進む斎姫。
彼女の腕を引っ張り、その足を止めさせた。
「何故、そのようなことを?」
「あなたはあの子たちを無碍にするような、
人間ではないと判断したが故です。」
「お前にとってあの子たちは、」
「あの子たちの命を失いたくはないのです!!」
必死なその表情に何かを感じた。
「このまま、あの場所であのように過ごしていても、
大きくなれば食料が足りません。
ましてや憎塊がいつ襲ってくるかもわからない。
このまま怪我をせずに過ごすのも難しいのです。
私はここを離れられない。
あなたしか頼める相手がいないのです!」
「ならば、お前も連れ出す。」
「出来ません。」
「何故だ?」
「龍の呪いにかかったこの身はこの土地を離れてはならない。」
「誰がそんなことを決めた?」
「決めたのではなくて、そうなっています。」
「誰に言われたのだ?」
「まだ、私が赤子の頃。
龍の呪いにかかった私を忌み嫌った母上の命で、
ある侍女が私を国境を越えて捨てようとしました。」
「………………。」
彼女の話に言葉を失う。
だが、斎姫は話を続けた。
「国境を越えた途端、その侍女がどうなったと思います?」
「……どうなったんだ?」
「皮膚が焼かれ爛れてしまいました。」
「なんだと?」
「国境内に戻ってようやく広がりはおさまりましたが…。
皮膚が回復することなく、その痛みの苦しさ故、
その侍女は自ら命を絶ったのです。」
掴んでいた斎姫の腕を離す。
「だからと言って、お前からあの子たちを引き離すなど、
それこそ胆たちを傷つけることになる。
どれほど斎姫を慕っているかはわかっているだろう?」
「それでも私の周りには死があります!
これ以上誰かを危険にさらしたくはないのです!
だからあなたもっ、」
「いい加減にしろ!!!」
柳森の怒声にびくりと体を震わす。
「死を招くだの、死を呼ぶだの、うんだざりだ。
確かにお前の周りには多いかもしれない。
だからと言って、そばに居たがるものを引き離して何になる。
引き離したところで、お前が苦しむことに変わりがないのに、
何の意味がある!?」
斎姫の両肩を両手でつかむ。
「自分さえ耐えればいいなどと思うのはもうやめろ!!
そんなことをしても、周りはどうとも変わらない!!
自分が苦しむだけなど、そんな世界を望むな!!」
そっと柳森の頬に触れる。
「誰を私に重ねているのです?」
その言葉に、息が詰まる。
ゆっくりと彼女の肩から手を降ろす。
「………世界で最も大切な人だった。
死を招くと言われ続けて、それでも生きて、
怖がって悲しんで苦しんで……それでも、
それでも最後まで俺のために生きてくれた。
………だが、もうこの世には居ない。」
「柳森………。」
斎姫は両手で柳森の顔を包んだ。
「その痛みを知っているならば、尚の事、
あの子たちと共にここを離れてください。
あなたは優しすぎるのです。」
「斎姫…だから、」
「今、この国には異変が起こっています。
それは国の歴史上では一度も見たことが無いような、
正直、想像を絶するような恐怖が待っているかもしれないのです。」
「何故、そんなことがわかる?」
斎姫は困ったような笑みを浮かべて答えた。
「私の中の龍の呪いが疼いているのです。
今までにこんな事を感じたことはありません。
次から次へと起こる異変。
もはや、猶予など無いのです。
だから、どうかあの子たちを守ってください。
私にとって、あの子たちの命以上に大切なものなど無いのです。」
柳森は口笛を一つ拭いた。
すると真っ白な鳥が一羽降りてきて、
柳森の差し出す腕にふわりと止まった。
「その鳥は?」
「俺の友達だ。」
「友達?」
一口、餌を食わせ、再び空に飛ばすと、
そのままどこかへ飛んで行った。
「何をしたのです?」
「信頼できる奴に言伝を頼んだ。」
斎姫は首をかしげる。
何故なら柳森は鳥に餌を与え食べさせて飛ばしただけだからだ。
伝言の類は何一つ見えなかった。
「斎姫、この国に危険が近づいているんだな?」
「そのように私は感じますが…………!?」
柳森は斎姫を肩に担いだ。
「柳森!!何をするのです!?」
そのまま、彼は走り出した。
一人担いでいるというのに中々の速さだ。
斎姫はあまりの勢いに彼にしがみついた。
「柳森!!聞いているのですか!?」
「あまり大声を出すな、誰かに見つかるぞ。」
「そっ、そうではなくっ……。」
思わず声が小さくなるが、慌てる。
「この国には俺の仕事の仲介屋が滞在していてな、
急いでそいつとも連絡をとらなければならない。」
「な、なぜですっ…。」
不安定な位置で話し辛いが必死で聞く。
「この国が危険になると言った斎姫の言葉を信じる。
だから、仲介屋を外に逃がす。」
「きゃっ!」
軽々と塀に飛び乗りそのまま中に飛び降りる。
初めての浮遊感に恐怖を感じたが、
柳森の腕はいつの間にか斎姫を横抱きにしていた。
彼はそのまま彼女の住まいに入り、寝台に座らせた。
「斎姫、胆たちを外には連れ出す。
その話はお前からあの子たちに説明をするんだ。
ただ、俺はここに残る。」
「柳森!!」
「あの子たちは俺の信頼できる人間に任せる。
それが聞き入れられないなら、
胆たちはあそこであのまま生きることになる。」
「何故そんなことを言うのです。」
「これから危険が迫る場所にお前を残すなど、
あの子たちにどう顔向けをしろと言うのだ。」
「……………。」
「俺がここに残るほうが胆たちも納得できるだろう。
それに、俺自身がお前を一人ここに居させるわけがない。
人が苦しむ様を見過ごすなど俺にさせるな。」
ぽんと彼女の頭を撫でて外に出た。
斎姫はその後ろ姿に何も言えずに呆然と見送った。
柳森はそのまま顎珠に会うために街に向かうことにした。
流石にこのまま塀を渡ることは出来ないので、
一度城内に入り、城門へと進んでいた、
だが、
「――――柳森殿。」
気配を察知できなかった。
違和感を感じたが、呼び止められた以上、
避けたくてもそういうわけにはいかなかった。
振り返り、跪く。
「何用でございましょうか、知姫様。」
相変わらず感情の無い彼女の表情に、
呼び止められた意図が読めない。
「お伺いしたいことがあるので来てくださるでしょうか?」
問いかけではあるが、拒否の答えは出せない。
出口のほうに数名の兵たちが並んだのが感じた。
受諾を示すとすっと知姫は廊下の先を進む。
ついてきた先はさほど広くない部屋。
小さな丸い机に椅子が二つ置いてあるだけ。
それぞれの椅子に腰を掛けると、
これまた生気のない侍女が温かい茶を運んできた。
「どうぞ、柳森殿。」
温かいはずの茶が冷たく感じた。
「それで、何を聞きたいのですか?」
「もちろん、末の妹、死姫の事です。」
「………ほぼ門前払いを受けているのですが、
何の話をせよと仰られますか?」
「数時間もかけての門前払いとは、いかがなものでしょう?」
『ちっ、面倒な。』
「ついでに塀の周りの様子を伺っているので、
四の姫様と会っているわけではありません。
ご様子を知りたいのであれば直接、
知姫様が四の姫様にお会いになればよいのでは?」
「あの子に会うつもりはありません。」
―――普通の人間であれば目に色が宿る。
柳森は常日頃からそれを感じ、
生き抜くための手掛かりにしていた。
だが、この知姫という人間はそれが一切見られない。
感情の一片も見えることが無いのだ。
「死姫は私たちの母をその手で殺した者です。
そのような者と交わす言葉など持ち合わせておりません。」
憎しみが含まれてもおかしく無いその言葉すら、
何の感情も読み取ることが出来ないのだ。