思い出さない日は一日たりともない
柳森はその気配に気が付いた。
向こうには気づかれないように身を潜める。
少し離れた廊下の先。
人物は三人。
馬躓と狗類、そして知姫だ。
「……この度はお悔やみを………。」
知姫のその言葉だけは聞き取れたが、
その他の言葉が聞き取れなかった。
何かを話して、彼らは何かを受け取っているようだ。
そういえば、あの2人のことは良く知らない。
何かこの国と関係があるのだろうか。
顎珠にでも探らせてみようかなどと思案していた。
「盗み聞きか?それとも過ぎるのを待っていたか?」
気が付けば、狗類が隣に立っていた。
流石に手練れだ、察知することも出来なかった。
「通りたかったのだが、どうもあの姫が苦手でな。
過ぎ去るのを待っていた次第だ、すまない。」
「………正直者ですね、柳森殿は。」
呆れたように馬躓が近づいてきた。
「舞姫様と音姫様にも会わないではないか。」
「あぁいう性格も面倒だ。」
「その物言いは多少問題があるとは思いますが…。
それならば、死姫はあの三人とは違う性格のようですね。」
「まぁ、違うとは言えるが…何か言いたげだな。」
「死姫の所に入り浸っているともっぱら噂だぞ、柳森。」
「あの死姫が人を近づけているとは珍しい、と。」
「たいがい、門前払いだ。」
『やはり、監視のようなものがいるようだな。』
はっきり見られているわけでは無さそうだが、
柳森がどこに行っているのかは確認されているらしい。
「それで、死姫の印象はどのような方で?」
「何だ、知らないのか?」
「当たり前だ、滅多なことじゃ姿を見られないで有名だぞ。」
「………有名も何も俺はこの国が初めてだから知らんのだが、
馬躓殿も狗類殿もこの国をご存じなのか。」
2人して、怪訝な顔を柳森に向ける。
「……柳森殿は何も知らずにここに?」
「何故来たんだ?」
「いや、俺はただ、仲介役に言われて……。」
2人は顔を見合わせるとどこかで納得したような顔をした。
「それで、あんなにあっさり姫君の誘いを断れていたのですね。」
「どれほど豪胆かと思えばなるほどな。」
「何が言いたいんだ。」
馬躓がどこか砕けたような笑みを浮かべて答えた。
「私のいた島国と狗類殿の西方の国は、
この国と古くから交易などの交流が深い国なんですよ。
ですから、大事な取引先相手に我々は失礼を出来ません。」
「柳森と言う名も聞いたことが無かった。
全くもって関わりが無いのなら仕方あるまい。」
ふと彼らの手元に目が行った。
馬躓の手には女性物であろうか細やかな細工の髪飾り、
狗類の手には帯のような繊細な刺繍の入ったものがあった。
「それは国の特産物か?」
柳森の言葉にどこか沈んだ空気を感じた。
「先日、雲丞殿が街外の見回りに行かれた際に、
憎塊の巣穴のような所で見つけてくださったのです。」
「失くしものか?」
「これは私の行方不明の妹の髪飾りです。
こちらの国に所用で訪れるはずだったんですが。」
「………それは、すまないことを聞いた。」
行方不明の妹の髪飾りが憎塊の巣穴にあった。
それが何を意味するのか、聞かずともすぐにわかった。
「この帯は俺の従兄のものだ。
この国と取引をする商人だったが、
ある日突然消息を絶った、これで見つかったわけだが。」
「―――こういうことはよくあるのか?」
「えぇ、この国の周辺には憎塊が群れを成すようにいますからね。」
「普段なら護衛をつけるのだが、
たまに予想を遥かに超える群れを成すことがある。
柳森も見ただろう?」
「あぁ、そうだな…巣穴というのはそんなに見つかるものなのか?」
「どんな憎塊を見たことがある?」
「鳥のようなものと、獣のようなものだ。」
「憎塊と言うのは元はそこらにいる鳥や獣だ。」
「何?」
「それが突然、変異を起こして異形になるのです。
理由は未だに謎のままですが、
元々の動物たちの巣穴がそのまま使われているようなんです。」
「ま、それも、雪の降る場所までだが。」
三人は外を見る。
この国の境界はこの延々降り続ける雪が指し示す。
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「この国はいつからずっと雪が降っているんだろうな。」
そんな柳森の言葉に子供たちは一斉に言う。
「「「そんなことも知らないの?」」」
「………知らんな。」
柳森の両ひざにはそれぞれ、門と麹が乗っている。
2人はそこで植物を捩じりながら一本の紐を作っていた。
「填清さまが龍を倒してからだよー。」
「それまでは晴れてたんだって。」
「それも“龍の呪い”というやつなのか?」
柳森の問いに二人は頷いた。
ちなみに引と漿は斎姫の膝を枕に寝ている。
「ねぇ、柳森は龍を見たことある?」
「無いな。」
「じゃあ、龍のお話は知らないのー?」
「………龍の名前のつく男の話なら知っているぞ。」
「「どんなの?」」
「剣の腕が立つ武人でな。
あまりの強さに隣国にもその男の名前を知らない人間はいないほどだ。
ある国に残虐や非道をつくす王がいて、
何年もの間、義勇軍が倒そうとしていたんだが、
その王には“鬼”と呼ばれる強い…」
「「おに、ってなあに?」」
「鬼と言うのは、伝説上の悪い存在でな。
そりゃ、不吉で存在すること自体ダメだって言われてるんだよ。」
「そのおにがどうしたの?」
「それが、実は一人の“女”だったんだよ。」
「?」
「………だから、鬼と呼ばれる女がいたんだ。」
「こわいってこと?」
「というより、強い、だな。」
「たたかうの!?」
「そうだ、一人で何人もの軍を相手にしてきたんだ。」
「柳森とどっちが強い?」
「そりゃ、俺だろうな。」
「たたかったの!?」
「いや、無い。」
「たたかったことないのにわかるの?」
「負けない自信はあるからな。」
「柳森ってどれくらい強いの?」
「どれくらい…そうだなぁ……どう例えればいいか………。」
“龍の話”から随分とずれているのだが、
門と麹の疑問にその都度答えていく柳森。
全く話が進んでないのだが、
盛り上がる三人の姿に胆は笑いを堪えていた。
斎姫は膝で眠る引と漿の頭を撫でながら、
その穏やかな光景を眺めていた。
斎姫自身、雪の降りが少ないとここに来ることをしない。
それを柳森に話したことは無いのだが、
どうやら彼は斎姫が来れない時や、
自らの手が空いている時によくここに来ているらしい。
胆から、あれやこれやと物を貰ったと話をされる。
子供たちに対しての態度も、
彼らが随分と懐いたようで柳森の膝の取り合いになることもしばしば。
まだ引は怖がってはいるようだが、
斎姫の後ろに隠れるようなことはしなくなったし、
柳森本人も引の性格を理解しているのか、
必要以上に近づかないようにしているようだった。
『不思議な人だ。』
素直にそう思った。
勇ましさを兼ね備えているのに、
どこかで懐かしさを感じさせるような。
黙っていれば近寄りがたいが、
口を開けば子供がすぐに近寄っていく。
死姫ということも聞いているはずなのに、
恐れも無ければ、警戒というものも見せない。
初めてだった。
こんなに近づいてくる人間は。
本来ならば関わりたくはないが、
胆たちのことを思うと、
彼の行動を無碍にすることは出来ない。
もし、自分に何かあった時に、
柳森がこの子たちを守ってくれる存在であるならば。
『託せるほど、信頼をしていいものなんだろうか。』
楽しそうな彼らの光景とは裏腹に、
斎姫の心中は穏やかでは無かった。
大事なものを失うあの恐怖を忘れたことは無い。
あの声を、あの叫びを、思い出さない日は一日たりともない。
柳森はふと視線を感じた。
すぐに逸らされたが、
斎姫の浮かない表情を見逃しはしなかった。