心は誰よりも勇敢で強い
建物に響く音が過ぎ去った後。
人の叫び声が聞こえた。
「これはっ、」
「ダメです柳森!!見てはなりません!!」
部屋を出ようとした柳森の頭に抱きつく斎姫。
だが、外ではとても聞いていられない悲鳴が響く。
「斎姫!」
「お願いですから大人しくしてください!!!」
柳森は気づいた。
ここは街外に近い場所。
処刑場からもそう遠くないはずだ。
―――この声を幾度となくここで聞いていたのか。
必死で柳森を行かせまいと力のこもる腕が、
柳森を包み込むその細い体が震えている。
怖いはずだ、何が起こっているのかわかっているはずだ。
この声が何を意味しているのかも理解しているのだ。
だから、精いっぱい柳森を抱き締めて、
耳を塞ぐように頭を抱えているのも、
聞かせないようにしているのだ。
自分の耳を塞がずに、柳森のために。
幾度となく、戦場や争いの中を掻い潜ってきた柳森程の男が、
耳にしても悪寒が走るほどの悲鳴をこの子は耳にし続けたのだ。
「斎姫、大丈夫だ。」
力づくで彼女を引っぺがし、
彼女の体を外套でしっかりとくるんでその上から抱きしめる。
少し抵抗があったが、徐々に無くなって大人しくなった。
やがて、悲鳴がきこえなくなり、群れの羽音が聞こえだす。
身構えると予想通り、建物に掠めながら飛び去って行く気配。
しばらくすると、静寂が戻る。
「斎姫。」
彼女の様子を伺う。
気を失ったようだ。
顔が真っ青のまま。
彼女を寝台らしき場所に寝かせ、近くの布をかける。
様子を伺いながら外に出てみる。
異形の気配はもう全く無かったが、
建物に鋭い傷がいくつもついていた。
その傷の方向。
面倒になった。
柳森は壁を登っていく。
登ると言っても、所々にある突起物を利用して上がっていく。
最上階。
前に知姫に連れてこられた場所。
そこには夥しい量の血痕が残っていた。
近くには血まみれの鎧。
中身はどこにも無い。
雲丞がやってきた。
現状を見て、流石の彼も顔をしかめる。
「一体、何が………。」
「兵士が憎塊に連れていかれた…いや、食いちぎられたのか。」
人の一部も残っていないのが幸いと言うべきか。
本当に髪の毛一本も残っていない。
想像するだけでも悍ましい。
「四の姫は無事だった。他は?」
「大丈夫だ、国王も部屋に引きこもったままらしいが。」
これだけの騒ぎがあっても、兵士が誰一人として出てこない。
「………雲丞。貴殿はこの国の事をどれだけ知っている?」
「さあな、お前が俺と斬りあってくれるなら答えてやるよ。」
「この状況を見てもまだそんなことを言っているのか。」
「俺の性格なんぞ、お前は良く知っているだろう?」
背中に担いでいる大剣の柄に触れる。
「俺の生まれがなんだろうと、誰の末裔であろうと関係ねぇ。」
ざわりと覇気を感じた。
「斬り合いや戦場だけが俺の本質だ。」
だから、この男はめんどくさい。
ただ、そういうことにしか気が向かない。
護衛などと言う事柄自体が務まるはずがないのだ。
「それなら何故、ここに来たのか?
この国は明らかに戦などするような場所では無かろう?」
いつもの雲上であれば断ってすぐに立ち去るはずだ。
だが、彼は未だここにいるのだ。
「………お前には関係ないことだ。」
雲丞はそう答えるとさっさと立ち去った。
わけがわからん、と柳森はため息をつく。
間違いなくこの国は異常に包まれているのに、
見えない謎が多くて理解することも出来ない。
どうするか、と悩む。
「………ひゃっひゃっひゃ、呼び戻されたんじゃの。」
「!?」
声の方に向けば、あのいつぞやの翁がまた座っていた。
「いつから……。」
相変わらず気配が無い。
生気のかけらもないただの翁だ。
「血と魂が別れ、しかし、ここに呼び戻される。」
「何の話をしている?」
翁は空を見上げる。
「愛し魂は幾度も戻ってくるんじゃの………。
幾度となく、巡り巡りて結局求める。」
「だから、何の話をしていると!」
柳森の声にゆっくりと視線を向けた。
その目は間違いなく真っ直ぐに柳森を見ている。
「――――“龍”が戻ってきた。」
「は?」
瞬きをした瞬間にその姿は消えていた。
いた場所に近づいて辺りを見渡すがやはり居ない。
わけがわからないことが多すぎる。
柳森はその場所から飛び降りた。
登るとは違って降りるのは早い。
斎姫は起きているだろうか。
彼女の部屋に入る。
「…まだ寝ているのか。」
顔色はいくらか良くなってはいるようだが。
思わずその頭を撫でる。
その寝顔はまだ少女のようだ。
―――姉上に聞けばわかります。
とは言われたものの、正直あの姫たちに関わりたくない。
舞姫と音姫のあのはしゃぐ様子も、
知姫の残酷な性格も話すらしたくない空気だ。
中々、話を詳しく聞かせてはもらえないが、
斎姫の方がぐっと話しやすい。
細いその腕に触れる。
このすぐにでも折れてしまいそうな腕で、
憎塊に食いつかれるどころか、
離すまいと力いっぱい押さえつけていた。
『痛かったはずだ。』
それでも、あの子供たちに近づけさせたくなくて、
必死に抑え込んでいた。
出血も顧みず、痛みよりも、あの子たちを守る。
一見、雪の中に埋もれてしまいそうなほど儚いのに、
彼女の心は誰よりも勇敢で強い。
ふと、部屋の中を見渡す。
ほとんど何も置かれていない。
寝台といくらかの布と小さな机。
そして、部屋の隅に積み上げられた書物。
書物を手に取ってめくる。
物語のようだった。
子供に聞かせるためのものだろう。
話している様子は楽しそうであった。
別の場所に一段と古そうな書物を見つけた。
手に取ると、表紙の字はほとんど消えかけている。
かろうじて“龍”という文字がわかる程度だ。
捲ったが、全く読めない。
見慣れたような形ではあるが、見覚えが無い文字ばかり。
「これは一体………、」
「この国の古の文字です、読めないでしょう?」
いつの間にか起きていた。
「斎姫は読めるのか?」
「………それよりも、あなたはここで何をしているのです?」
不機嫌な顔の彼女に動きを止める。
「気を失っていた。」
「放っておいて大丈夫だと何度言えば…。」
「それよりも、これは何の本なんだ?」
話をすり替える。
斎姫はため息をついたが、嫌々答えた。
「填清様の手記です。」
「手記!?実在したのか!?」
「あまり大声を出さないでください、
見つかったら燃やされかねません。」
「何故?この国の英雄だろうに?
むしろ、守られるべきだろう?」
「………それが、国王がある日突然処分をし始めたのです。」
「国王が?」
「理由はわかりませんが、
それも胆のご母堂がこっそり持ってきてくださいましたし。」
「どんなことが書かれているんだ?」
「そんなのを知ってどうするのです?」
「いや、気になる。」
呆れたような斎姫の顔に、返す言葉が無い。
「それは龍を討伐した後の後日談のようなものです。
填清様はこの国を統治した後、旅に出られました。
そして、ある国で普通の人間として、
平穏な暮らしをし、生涯唯一の伴侶を得たと。
老衰で亡くなるまでの穏やかな毎日が書かれているだけですよ。」
「何故、老衰と?」
「最後に伴侶の方がそう書き記しておられるのです。
それで故郷のこの国に送られたのです。」
英雄のわりに、平凡な日々を過ごしたのか。
旅に出る気持ちはわからないでもないが。
「それで?」
「なんだ?」
「あなたはいつまでここに居座るおつもりですか?」
まだ居座るつもりではあったが、
彼女の不機嫌な顔に、諦めて退散することにしたのだ。