世界を味合わせてやりたい
――――パンッ
踏み出したはずだった。
だが、感じたのは一本の弦が弾ける音。
柳森と雲丞は異変に気付いたが遅かった。
流れるようかつ、激しい弦の音色。
それに意識を奪われて体が止まる。
体からすべての力が抜けるように、
膝から崩れ落ち床にひれ伏す。
掻き立てられるような激しい音色のはずなのに、
抗う力も全て奪われるような旋律。
「かはっ!」
「げほっ!!」
吐き気がする。
眩暈まで起きている。
辛うじて見えた音姫の姿。
『ただの音が何故ここまで!?』
―――シャンっ
今度は鈴の音。
二本の布がひらりと舞い始める。
目を凝らしてようやく舞姫の姿を確認した。
彼女は音に合わせて激しく、ときにゆったりと動く。
音と布の動きに合わせて鈴がシャンとなる。
柳森と雲丞は息が止まる。
何故かわからないが意識がぼうっとなって、
何かを考えようとしていたはずなのに、
“考える”ということすらも奪われる感覚になった。
―――何もできない。
そんな恐怖が二人に襲い掛かり始める。
目の前に何が起こっているのか見えるのに、
それを理解しようとすることを頭が拒否しはじめている。
『まずい』という警鐘が頭を駆け巡る。
だが、それすらもかき消される。
その時だった。
柔らかい声が降ってきた。
まるで降り始めた雪のように、
それでもどこか温かみを感じる。
―――歌だ。
あの激しい旋律も鈴の音も静かになるように。
歌声しか聞こえなくなるような。
その優しくて儚くて繊細な歌声。
体にしみ込んできて苦しさが消えていく。
その歌声は柳森と雲丞を庇うように立ちはだかる。
『―――斎姫。』
声が出ない。
楽にはなったが未だに動けない。
ただ、その凛とした背を見守ることしか出来ない。
太陽の無い無彩色の世界が眩しく感じる。
やがて旋律も舞も止まり、
少しして歌声も静かに止まった。
「死姫、何のつもり?」
「必要以上の静止はおやめください。命にかかわります。」
「お前が私たちに歯向かうのですか?」
「姉上達のその力は過ぎれば人を殺めます。」
一呼吸おいて、斎姫は跪き二人の姉に言う。
「死を呼ぶは私の役目、どうかご容赦ください。」
音姫と舞姫は顔を見合わせるとため息をつく。
そこにバタバタと慌ただしい足音が聞こえる。
「柳森殿!雲丞殿!」
「全く、お前らは…。」
馬躓と狗類が二人をそれぞれ引っ張り起こす。
未だ、体がうまく動かないせいか、
雲丞も抵抗することなくその力を借りる。
やがてゆっくりと現れた知姫が静かに言い放つ。
「死姫、わかっていますね?」
斎姫は一礼するとゆっくりと歩き出した。
その後ろを二人の兵士が連れ立って歩く。
知姫達も別の方へ姿を消した。
「な、にが…あるんだ?」
「いや、私達もわからないんだが。」
一人の兵士がどこかへ案内してくれる。
馬躓と狗類に支えられながら柳森と雲丞は歩く。
辿り着いた先はあの見渡す場所。
先に三人の姫もすでに居た。
その光景を見て、柳森は青褪める。
まさか、と思いあの処刑場を見る。
少しして斎姫の姿が見えた。
そして彼女の右腕だけが近くの木に、
兵士たちの手によって縄で縛り付けられる。
右手には小刀が持たされた後、
兵士たちは彼女一人を残し、城内へ戻る。
察知した柳森が向かおうとしたが、
「手を出せば三日間続けさせます。」
その知姫の言葉に固まった。
城内への扉が閉まる音がすると、
斎姫は自由な左腕をその小刀に宛がい、
すっと動かして傷をつけた。
滴り落ちる真っ赤な血が、雪に映える。
「馬躓、狗類、俺を押さえつけてくれ。」
「柳森殿?」
そして一匹の獣の憎塊が走ってきて、
その左腕に勢いよく食らいついた。
「っああああああ!!!!!!!!!」
斎姫の悲鳴が響き渡る。
柳森の体に欠陥が浮き出たのを見て、
馬躓と狗類は二人がかりで彼を抑え込んだ。
めきりという鈍い音が聞こえ、
より一層柳森を押さえつける力を込めたが、
彼の力は強すぎる。
馬躓と狗類が焦ったが、
雲丞も柳森を抑え込むのに協力をした。
斎姫の悲鳴と悲惨な音が耳に届く。
獣に食いちぎられる惨劇が目に入ってくる。
―――何故、こんなことをさせなければならない。
耐えねばならない。
耐えねば三日も彼女にこんなことをさせなければならない。
握りしめる拳から血が流れる。
何故こんな世界があるんだ。
どうして彼女がこんな生き方をせねばならないのだ。
斎姫が何をしたというのだ。
ただ、あの子たちを慈しみ、
俺達を救おうとしただけだ。
「っめろ、やめてくれっ……。」
絞り出すような柳森の言葉に、知姫は淡々と言い放つ。
「勘違いなさっているようですが、
あの子は受けるべき罰を受けているにすぎません。」
「あの子が何をした!?」
「私たちに楯突いた。それだけで十分です。」
ごきっという鈍い音と共に、斎姫の悲鳴が途絶えた。
「………よろしいですよ。」
知姫のその合図と同時に柳森はそこから飛び降りた。
屋根や塀をつたって最短で斎姫の元にたどり着く、
そして、憎塊を一斬するとすぐに気絶した斎姫の拘束を解いた。
横たわらせ、すぐに酷い状態の左腕を布で縛り上げる。
彼女の体を横抱きに抱えて出てきた兵士と入れ替わりに城内へ入る。
斎姫の住まいに通じる場所に行くと、
あの重厚な扉が破壊されていた。
雲丞が彼女を連れ出すのに破壊したのだと予想できた。
とにかく建物の中へ入り寝台に横たわらせる。
気絶したにも関わらず、彼女の体が小刻みに震える。
「すまない、斎姫。」
しっかりとその体を抱き締めた。
しばらくすると今度は斎姫の体が燃え上がるように熱くなる。
近くの井戸で水を汲んで布を濡らし顔を拭く。
何も考えず、楽にさせようと眼帯に触れた。
「嫌!!!」
瞬時に意識が戻り手を払われる。
「斎姫、気が付いたか。」
「さ、触らないでっ…ここに……絶対…嫌………。」
がくがく体を震わせながらも必死でそう言葉を絞り出す。
「わかった、触らない。約束する。」
眼帯では無いほうの頬に濡れた布を当てて汗を拭いてやる。
大丈夫だと、落ち着かせるように宥め、
ゆっくりと横たわらせる。
「っうぅ!!」
布で縛り上げた左腕を右手で押さえる。
痛みが酷いのだろう。
「斎姫、すまない。」
どうすることも出来ず、彼女の額に布を当てる。
「………大丈夫です、柳森。」
震える細い手が柳森の頬を撫でた。
思わずその手を掴んで握りしめる。
涙が零れた。
こんな酷い思いをしている一人の少女に、
自分は何もできずに情けないというのに、
この子は気丈にも自分を慰めるのだ。
「大丈夫なわけがないっ…。」
涙を見られたくなくて、
彼女の強い目元に布をかぶせた。
しばらく荒い息が続く。
数時間後、ようやく眠りについたのか、
静かな寝息が聞こえて、
再び、柳森の目から静かに涙が流れる。
ここからこの子を連れ出したい。
この国から引き離して、
太陽の下で世界を見せてあげたい。
苦しまなくてもいい、痛みを感じなくていい、
そんな世界を味合わせてやりたい。
だが、この体はこの国から出ることを許しはしない。
『どうすればいい、どうすれば斎姫を助けられる?』
答えの見いだせず、
その細い手を握りしめたまま、
柳森は眠る彼女の姿を一晩中見守り続けたのだった。




