後悔はさせるなよ
「何を難しい顔をしているんだ?」
顎珠はそう言って柳森の顔を覗き込んだ。
「考えることが多いだけだ。」
茶の入った器をくるくる傾ける。
彼の頭の中には知姫の話がぐるぐる巡っていた。
――――ある晩、母の悲鳴を聞きつけ死姫の住まいにかけつけました。
まだ幼い死姫の傍らで母は亡くなっていました。
その身には剣がしっかりと刺さり、
死姫の衣服は返り血で染まり、
ただ、母の隣りに平然と立っていたのです。
淡々と、そう語った知姫。
だが、どうしてもその声色表情全てにおいて、
“憎しみ”という感情が一切感じられない。
ただ、文字列を読み上げているかのような。
だが、嘘は言っていない。
長年の癖か、人の真偽はみぬけるようになった。
感情は無かったが、知姫は嘘をついていない。
だが、斎姫が話してくれた時は“嘘”があった。
同じ話であっても何かが違う。
そしてその違いが何かを指しているのだ。
『それを知るためにも斎姫の話を聞かねばならないが、
未だ、それを話してくれるほどの親しみは無いだろう。』
まして、胆たちを連れ出せば彼女の繋がりが消える。
もしかすれば二度と近くには居させてくれないかもしれない。
『だが、胆たちを一刻も早く連れ出さねば、
それこそ斎姫の信頼を失ってしまう。
ほぼ賭けだな…。』
回していた茶を止めて心を決める。
「顎珠、街を出るんだ。」
「は?何を急にどうした?」
「もうすぐ、この国に何かが起きようとしているらしい。
ここにいては危険だからすぐに出る準備をしてくれ。」
「おいおい、俺がいなくちゃ、
お前さんに援助が難しくなるんだぞ?
ただでさえ、この国は交流が難しい。
入るのも依頼が無ければ不可能だった。
一度出れば二度と戻っては来れない。
そんな危険が訪れるとわかっていて、
お前さんを一人ここに置いて行けと?」
顎珠の真っ直ぐな視線に、柳森はふと笑みをこぼす。
「俺がどういう人間か知っているだろう?」
「あぁ、そうだな、不安定で危なっかしい。」
「…そんなこと言うのはお前ぐらいなもんだよ、顎珠。」
「俺はお前さんほどの武術は持っていないが、
お前さんよりは人を見抜く力は持っているからな。」
「だからこそ、お前に頼みたいことがあるんだ。」
「どういうことだ?」
柳森は斎姫と胆たちの話をした。
子供たちが危険な場所にいること。
斎姫の立場が安全ではない事。
そして、彼女の信頼を得るためにも、
胆たちを国境の外へ連れ出してほしいこと。
全てにおいて説明をした。
「これを印として渡しておく。」
柳森が取り出したのは、
胆たちと一緒に編んでいた草履の片方だ。
これがあれば顎珠が柳森の知り合いだと証明できる。
「………その姫のためなのか。」
「何がだ?」
「その姫のためにお前さんは危険を冒そうとしているのか?」
「そんなつもりはない。」
「誰かに入れ込んで、心が壊れたのは忘れていないんだろう?」
「……………。」
柳森の器に新しい茶を淹れる顎珠。
「“誰かのため”は確かに力を呼び起こす。
だが、その“誰か”を失った瞬間、
力も心も何もかもを失くすんだ……。
お前さんはまた同じことをしようとしているのか?」
「だから違うと言っている。」
「同じことならないと言えるか?」
「……………大丈夫だ。」
顎珠は自分の茶も淹れ、
ゆっくりと肩の力を抜いた。
「お前さんの過去をはっきりと知っているわけじゃない。
それが実際にどんなものかは俺にもわからない。
それにお前さんが選ぶ道だ、
一介の仲介屋がでしゃばるようなことでも無いだろう。」
顎珠の言葉に柳森は静かに耳を傾けていた。
「だがな、それでも俺も見てきたんだ。
色んな奴らに色んな仕事を仲介しながら、
その人間の生き様も死に様も全部見てきた。
だから、失うのは俺も辛いんだ。」
柳森も様々な仕事の中で色々な人間を知り、
その人生を知った。
例え、違う仕事だとしても顎珠の言いたいことは、
耳が痛いほどよくわかる。
突然、おでこに痛みが走った。
柳森が顔を上げると「仕方ない奴だな」と言いたげな、
それでいてどこか優しい笑顔の顎珠が指をこちらに向けていた。
どうやら、指で額をはじかれたらしい。
「お前さんの話は聞こう。
だから、俺に後悔はさせるなよ?柳森。」
「………戻ったら、酒を奢ろう。」
「いや、そこは美女だな。」
「………お前、あの時の彼女はどうした?」
「聞くな。」
『また振られたのか…。』
不器用な男の悲しい性だと、柳森は心の中で慰めた。
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顎珠はすぐには出られないと言った。
あちらにもいくらかの“出る準備”というものが必要らしい。
多少の時間は必要だが誤差圏内であろう。
その間に吹雪の具合を見ながら、
斎姫に胆たちの説得をしてもらう。
そんな段取りを考えながら城に戻ってきた柳森。
だが、彼の耳に聞きなれた声の悲鳴が聞こえた。
急いで声の方へ走り出す。
「離しなさい!!!」
「暴れるんじゃねぇ。」
斎姫は雲丞に掴まれた腕を振りほどこうと
必死に抵抗をするがびくともしない彼に、
引き摺られるように廊下を進んでいく。
周りの兵士たちはおろおろとするばかりで、
雲丞の迫力に近づくことすら出来ない。
「う、雲丞様!死姫様をお放しに!!」
「うるせぇ!!俺に指図をするな!!」
「しっ、しかし、死姫様は部屋を出ることを禁じられております!」
「必要だから連れていく。邪魔するなら斬るぞ?」
雲丞は睨みをきかせながら構わず進む。
「私は行きません!!」
「黙れって言ってんだろうが!!」
斎姫の首に刃を当てる。
「お前の意思なんかはどうでもいいんだよ?
大人しくしないなら痛めつけてでも構わねぇんだぞ?」
髪の毛を掴んで斎姫の体を引き上げる。
彼女の顔を近づけて兵士も怯えるほどの形相で睨みつける。
だが、
「ならばこの首ごとはねなさい。
痛み如きで私を自由には出来ませんから。」
雲丞の刃を自らの手で引き寄せて首に押し付ける。
真っ直ぐな彼女の視線に、
黙ったままの雲丞は刃を彼女から離し、鞘に戻した。
だが、柄から離した拳をきつく握りしめ振り上げる。
「試してやろう。」
容赦なく拳を彼女の顔向かって振り下ろした。
―――がつんっ
雲丞の体が斎姫から離れた。
押し離された雲丞は少し飛ばされたが、
あっさりと態勢を立て直し立ち上がる。
「いい蹴りだな、両腕使わなかったら防げなかったぜ、柳森?」
倒れかけた斎姫の体を優しく支え、己の後ろに下がらせる。
「遅くなり、申し訳ありません、四の姫様。
しばらく、お下がりください。」
「柳森……。」
―――めきっ
雲丞が一歩踏み占める。
それだけで床がいとも簡単に変形した。
「やっと、やりあう気になったか?」
「いいや、ただの護衛の任務を全うするだけだ。」
雲丞は刃を鞘から抜いた。
ゆっくりと構えを作る彼に本気を感じた。
『面倒だが、少し相手をせねばならんか。』
柳森も柄に手をかけた。
「いい加減にしろ、雲丞。
姫に手を出すことがどういうことかわかっているだろう?」
「手を出す?ただ、そいつに協力してもらおうってだけだろ?
この国のために協力しろと言っても聞かねぇんだから、
力ずくでも引きずり出したってとこなのによ?」
「守らねばならない相手を痛めつけてどうする?」
「目的のための多少の犠牲だろう?
それに、そいつを誰が庇うってんだ?
今だってそいつを守ってんのは柳森、お前だけじゃねぇか!?
兵士の一人でもそいつを守ろうとしてるか!?
そいつが何者かわかってるから誰も助けねぇんだよ!!
痛めつけたところで罰せられねぇ、わかんだろ!?」
「黙れ。」
柳森は剣を鞘から引き抜いた。
「俺がお前を罰するに決まってるだろう?」
「いいねぇ!!それを待ってた!!」
お互いに大きな一歩を踏み出した。