6.昔の自分と今の自分
骸と名乗るやつは僕の方を見つめてきた。一体何が起きたかとは聞きたいがそれより、この人間離れした鋭利な爪をした腕。明らかに異常事態だ。
すると骸から僕に話しかけて来た。
「……奴ではないな。貴様は誰だ」
何か答えないと何されるか分からない。僕は警戒しながらも恐る恐る答えた。
「ぼ、僕は暁。染矢暁だ」
「暁……なるほど、刻印の力を貴様から感じる。あいつとそっくりの力を」
あいつ、魔界、刻印。何を言っているんだ。
理解が追いつかない中、骸は一人話を進めていく。
「人間の寿命は脆いとは聞いていた。奴の力を貴様から感じるとゆう事は奴はもういないという訳か」
「何を言っているんだ」
「まぁ、良い。この世界の者の強さを確かめてさせてもらうか」
骸は爪を立てて、僕へと猛スピードで接近して来た。
僕は無意識に莉子の手を引っ張り、木よりも高くジャンプして接近してきた骸から逃げた。
高くジャンプしている。木の上よりも高く。村が見渡せるほど高く。
「え? 僕、空高くジャンプしてるの?」
そして僕は重力を無視するようにふんわりと地面に着地した。
すると、骸は僕らの前で静かに立っていた。
「やはり刻印の力か。その対応力と素早さは」
「ぼ、僕にはその刻印の事は良く分からない……でも、身体から力が湧いてくるようだ」
「奴ほどではないにしろ楽しめそうだ」
再び爪を立てて僕へと攻撃を仕掛けてきた。僕は重太のバットを拾い、立ち向かった。骸は爪を振り下ろしたが、僕は軽々と避けて、バットを振った。
だが骸はバットを片手で掴み、バットを遠くへと投げ飛ばした。
「その程度か」
「くっ」
骸からは何かとんでもない力を感じた。そこ知れぬ力を、こんな感覚は初めてであり、不思議な気分になった。
再び僕の目の前に現れた骸。僕は本能的に防御体勢を取るも、隙をみつけて僕の腹を一撃殴り込んだ。
「ぐはっ!」
「暁!!」
初めての感覚だった。こんなにも腹を殴られるのが痛いなんて。骸が拳を離すとヒリヒリと痛みが襲い掛かり、痛みに耐えきれず、その場に倒れて血を吐いた。こんな形で血を吐くなんて……口の中は血の味に変わり、考えるだけで気分が悪くなる。
「たったそれだけか」
「ま、まだだ」
「戦うのだ。その刻印の力で」
「僕はそんな事……出来ない」
そのまま倒れて死んだマネでもしてやり過ごせばいいのものの、莉子を守ろうとする気持ちが力となり僕を立ち上がる力をくれる。
三度僕の目の前まで歩き、起き上がろうとする僕を掴み上げた。
「さぁ、戦うのだ。一人の武士として」
「くっ……何故そこまで戦いを……」
「それが、我がこの世界で見た人間の姿だからだ」
僕は戦い以外の解決策を考えるが、この世界の住人じゃない奴に自分たちの常識が効くのか検討もつかない。
その時、再び僕の腹に拳を勢いよくめり込ませて来た。
「ぐっ!!」
僕はまたゴミのように投げ飛ばされ、木に激突した。身体の痛みが徐々に増し、身体全体がボコボコに殴られたような痛み。大切な服が土で汚れても、僕は無意味にも立ち上がった。
あの時と同じだ。絶対に勝てないであろう状況なのに、僕は無謀にも挑もうとしていた。
*
それは五年前──莉子と仲良くなって三年目の時の話だ。
僕と重太と莉子はその頃にはもう今のように仲良しになっていた。
その年、僕と重太が虫を捕まえているのを見て、莉子はカブトムシやクワガタを見たいと言ってきた。僕は夜なら捕まえられると考えて、夜に行こうと提案した。
重太は怖いし、周りが見えないからやめようと言った。行くなら朝方行こうと言った。でも、あの時の僕は莉子にカッコいい所を見せようと重太を置いていき、虫が触れるように軍手を付けて、怖いのを我慢して莉子と二人で行った。
道中、莉子は暗さに怯えながら聞いて来た。
「暁、大丈夫? こんなにも暗いけど」
「大丈夫だよ。こんなくらい。暗い方が虫達はいっぱい集まるからね」
「そう……」
山奥まで進んでいき、道も徐々に悪くなっていった。その内、道は獣道になり、僕らは草むらを掻き分けて歩いていた。
足元が悪く、僕は大きめの石に躓いて転んだ。
「痛っ!」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫。こんな物!」
早くカブトムシを見せてやりたく焦りを隠せなかった僕はイラッとしてその石を何処か遠くへと投げ飛ばした。だが、これが不幸の始まりとなった。投げた石は木の上の蜂の巣に直撃してしまった。
無数の蜂が飛び出して来て、僕らを襲い掛かって来た。
「莉子! 君は逃げて!!」
「でも、暁は!?」
「僕が蜂を倒すから!!」
僕はライトを振り回して蜂の注意を向けた。
そして僕は莉子から離れるように走り始めて、莉子から蜂を遠ざけた。
僕も当時はサッカー部でもあり、足の速さには自信があった。だから、蜂からどんどん距離を離した。
「よし何とか離し──うわっ!」
僕が安心した瞬間に、さっき投げ飛ばした石に躓いて転んでしまった。
「い、痛い……」
膝から血を流し、痛みがジワジワと襲いかかって来た。それと同時に後ろから無数の蜂が一気に押し寄せて来た。
僕は蜂に囲まれて二・三箇所刺された。蜂は刺し終えると満足したのが元の場所へと戻っていった。手足を見ると、痛みが来る場所は赤く腫れ上がっており、触るととても痛かった。
「きゃあ!!」
「莉子!?」
今度は莉子の方から叫び声が聞こえて来た。僕は痛みを堪えて立ち上がり、莉子の方へと走った。
「莉子! 莉子!!」
莉子の元へと向かうと、莉子が涙を流して膝をついていた。
「……ひっく。ひっく」
よく見ると、腕が蜂に刺された跡があり、僕は慌てて莉子へと寄った。
「大丈夫か莉子!!」
「い、痛いよぉ。痛いよぉ」
僕は真っ先に莉子を背負って山を降った。そしてすぐに家へと運んだ。僕と違って莉子は身体が弱く、家に着いた時には意識を失っており、僕と莉子はすぐに病院へと連れてかれた。幸いにも僕らは命に別状はなく、莉子も数日入院で済んだ。
僕は罪悪感に包まれた。僕がこんなことをしなければ、重太の言う事を聞いて朝行けば大丈夫だったのに。莉子に顔向け出来なかった。その年を境に僕はお婆ちゃん家に行くのをやめた。
*
あの時とはもう違う。僕は変わったんだ。戦う事だけが、解決策じゃない事を。
骸は更に口を開いた。
「あの時代には物事を戦いで決めていた時代だ。勝者は生き、敗者は死ぬ。今は違うのか」
「違う! そんな野蛮な決め方をした時代はとっくに終わった。変わり果てたんだ。世界そのものが、平和を繋ごうとする世界に」
「ふん」
その瞬間、骸は僕を蹴り飛ばし、木へとぶつかった。そして僕の目の前で迫り、爪を眼前に突きつけた。
「ふん、こんな危険な状況だろうとまともに戦う意思を見せないか」
「僕は絶対に戦いたくなんかない! そんな事したってどちらかが傷がつくだけだ!」
「ふん、貴様を見る限り、人間は退化しているようだな。その力を操る事すら出来ないほどに。せっかく五〇〇年の眠り目覚め期待したがそこまで堕落していたとは」
僕は身体を震わせながら立ち上がった。頭から血が流れ、片腕までも血が流れていた。でも、僕は諦めたくない。何としても。莉子を守らないと。
「人間は地の底まで堕ちてなんかいない! 逸話が本当なら、貴様はまた永遠に封印されるんだ!」
「なら、闘うのだ。貴様を殺せば、封印されるのは刻印の方だ。長年の決着に終止符となる。もしも戦う気を見せないなら」
そう言って骸はゆっくりと莉子の元へと歩いて行った。
「や、やめろ! 莉子に近づくな!!」
僕は力を振り絞って走り、骸の足にしがみついた。でも骸は足を止めずに歩き、僕を軽々と振り払った。
だが、振り離されても僕は再び骸にしがみついた。
「絶対に……莉子には近づけてさせない!」
「ふん、一人の女の為にそこまでやる気か少年よね
「当たり前だ。護りきれなかったから、今度は絶対に護るんだ!」
「阿呆な奴め。闘わずして、守れるならこの世から争いなんて起きない」
再び僕は足を払い退けて、木にぶつかった。
骸は怯えて動かなくなった莉子の前に立ち、莉子を見つめた。
「女よ。恐怖しているか?」
「怖いわよ。でも、私は恐れたくない。いつまでも暁に助けを求めるんじゃなくて、私自身が戦わないとダメなの!」
莉子はバットを拾い上げて、震えながら立ち上がった。そしてぎこちない動きで骸の身体へと攻撃をした。骸は何もせずに攻撃してくる莉子を見つめた。
僕は震えながらも立ち上がって莉子に逃げるように叫んだ。
「やめろ莉子、君は逃げなきゃダメだ! 勝てるわけがない!」
「暁が命懸けで守ってくれてるのに、私が逃げてばかりじゃダメなのよ。逃げてちゃ勝てないのよ! あの時だって、私のせいで暁が……」
莉子の声が震え、目から涙がボロボロと流れ始めた。莉子自身も昔の事を心に響くほど気にしていた。莉子の無茶な要求に応えた僕が大怪我を負い、莉子との間に溝を生んだ。お互いに表面上は忘れたように振る舞っていたが、お互いに未だに記憶から離れない。
「馬鹿な女よ。本当にな」
骸はバットを奪い取り、軽々とへし折った。そして莉子の額にビンタをして倒した。
「きゃあ!」
「少年よ、こんな力もない女子が戦い、貴様のような刻印戦士は戦いを拒否するのか。それが貴様の決闘か?」
莉子は戦い、僕はただ戦わずして解決しようと考えていた。けど、今は戦わないといけないのか? 火累丸は町や人を守る為に己の身を投げてまで戦いをした。自分はそれでいいのか、莉子は絶対に勝てないと分かっていても、骸の奴に攻撃していた。僕は火累丸が骸と戦い払い除けた力を持っているのに、戦うのが怖いと理由付けて避けていた。あの時代から時は経ったから、人の心は変わらない事はない。何かを守る気持ちそのものは今も変わらない。あの力が本当に守るべき力なら、僕にだって勇気の一歩を踏み出せば、奴を倒せるはずだ。
僕は大切な何かを守る為に戦場に身を投げた。
「莉子!!」
今度こそ莉子を守ってみせると誓っていた。あの時のような無謀で間違った勇気じゃない。本当に守りたいという純粋なる勇気が僕に宿った炎の印が心臓より赤く輝き始めた。
その輝きに骸の動きも止まり、視線を釘付けにした。
「あの輝きは、まさか……来たか」
僕は無意識に立ち上がり、拳を握りしめて自分の心臓部分へと叩いた。
「今度こそ、僕は莉子を護りたい。それが僕の選んだ勇気であり、見つけ出した答えだ!!」
その瞬間、心臓に宿っていた炎の印がいきなり身体の中から浮き出てきた。
そしては僕は再び無意識に炎の印を握りしめた。その時、頭の中に謎の記憶がよぎって来た。記憶の光景には骸と戦う心臓に炎の印の宿った若武者の姿が見えた。
莉子は何が起きたか分からず、困惑して暁を見つめていた。
「暁……?」
「僕はこの力の名を知っている……名は炎の刻印!」
何故炎の刻印と分かったのか、頭の中から突如浮かんで来た言葉。"それは炎の刻印。人の可能性を生み出し、人の心を表す力となる"そう若武者が言ってくれた。
その言葉を鍵となったのか、手の甲に炎の文字が浮き出て来た。身体中から赤く燃え上がる炎のオーラが身体を包み込み、目の奥までも炎が燃え盛っていた。